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子供のように泣くリリーディアをアンナが抱き締めて、優しく背中をさすっている。廊下だったので目立つからと、アンナがリリーディアを連れてラウンジに行くと言った。ラウンジは幾つもあり、生徒が自由に使って良い場所で、よく女子生徒が集まってお茶会のようなものを開催していたりする。衝立でテーブルごとに仕切られているから、話を聞くのにはぴったりだろう。
「ルチアーナ、一体何があったんだい?」
「わ、分からないわ。あの子が勝手に泣き出したの、私は何もやってはいません」
僕が事情を聞こうとすると、ルチアーナが少しムッとしたような顔をする。ますます怒ってしまったようだった。いや、呆れられたようにも見える。とはいえ、リリーディアがこの学園に入学したことに驚いたのだけど、さてどうしようかな。
「何か騒ぎでも?」
リリーディアが大泣きしていたから、騒ぎといえば騒ぎだろう。僕とルチアーナがいるのを気にしたのか、カルロがやってきた。周りの生徒は新入生が多いからか、大公家の令嬢に言いがかりを付ける生徒と思われたらしく、仲が良い事で有名なカルロが呼ばれたというわけだ。
「いや僕にもわからないんだ。…その、知り合いの女子生徒が泣いていてね」
「知り合いですって? …その、レオナルドはあの子の事を知っているの?」
「うん、もちろん。さっき一緒にいたアンナって子の友達だよ。カルロも知ってる」
「なんですって!?」
いつになく驚きの声を上げたルチアーナの反応に、カルロも驚いていた。ルチアーナは険しい顔をして、そんなあり得ないと呟いている。動揺しているなぁ、独り言を言い出すなんて。
「カルロも知ってるだろ、リリーディアって子」
「リリーディア…? あ、ああ、あの個性的な女性か」
「カルロ本当? 本当に知っているの? …ねえ、知っているならどうして私に教えてくれなかったのかしら」
ルチアーナの言葉に、カルロがなぜと疑問の声を上げた。いくら仲が良いとはいえ、出会った女性を報告する義務なんてない。ましてや幼馴染みで妹と仲の良い令嬢であるなら、尚更だ。
カルロも困惑しながらも、報告の義務はないだろうと言っている。それこそ学園に入れば、ルチアーナが把握出来ない人間関係が構築されるだろう。なのにそれを言えとは、普通に考えても非常識なお願いだ。
「それはそうだけど、…でも。カルロは婚約者がいるでしょう、他の女性に目を向けてたら、ブリジットさんが可哀想よ」
「それこそ君に関係のない話だ、ルチアーナ」
ブリジットの名前が出た途端、カルロが硬い表情と声色でルチアーナに言った。カルロにはルチアーナがジェラルド兄様の事を好きみたいだと言ってあるし、行動で思い当たる節があったのだろう。遠乗りの日からというもの、カルロはさり気なく僕を気にしてくれているようで、鬱憤の晴らし方を教わってからというもの、更に行動に気遣いが出来るようになった。そんな事もあり、カルロにとってルチアーナの言葉は気に障ったようだ。まあさらに言うなら、苦手なブリジットの事を言われて腹が立ったのかも知れないけど。
「ルチアーナ、婚約者の事なんかはデリケートな問題だから。あまり口を出すのは止めた方がいいよ」
「……わかりました、ではもう私からは何も言いませんわ」
僕の言葉に、ルチアーナから表情がなくなり、冷たい声色で言い放った。では失礼しますと一礼すると、そのまま立ち去っていく。その後ろ姿をため息をつきながら見送って、僕はカルロに一緒に来て欲しい事をお願いした。
「先ほど、リリーディアの名前が出てましたが」
「うん、そのリリーディア関係だよ」
ラウンジに行くと、いまだぐずってはいるが泣き止んだリリーディアがアンナから飲み物をすすめられていた。僕がカルロを連れていくと、リリーディアが少しだけ身構える。話を聞けば、カルロに何度か話し掛けようとしたが、邪魔をしちゃいけないと他の生徒から注意されて怒られたのだそうだ。ふむ、それはトラウマだね。
「……それで、この学校に入れられて、お母さんとも離ればなれで…」
学園に入学した経緯をリリーディアが話してくれた。僕もカルロも顔を見合わせる。これは新興貴族がよくやらかすことなのだ。庶民の出でも何かに秀でていて、王から報償として子爵や男爵の位を貰う事がある。大抵は一代限りの領地もないものだけど、それでも貴族の身分になったということで、羽目を外すのだ。大体は金、女、それから悪徳貴族で思い浮かぶような事諸々。
下働きなどの身寄りのない女を無理矢理妻にして、好き放題する。そういった女性は、貴族は偉い者というくらいの知識しかないから、同意のない結婚は犯罪であるとわかっていても、訴え出ても取り消されると言われて引き下がる事が多い。現にリリーディアも、貴族の位について分かっていないし、普通に町娘として暮らしていくなら、その知識は普通はいらない。知っていて損はないけど、貴族相手に商売しているわけじゃないので、意味はない。
いまのリリーディアは、以前のふくよかで豊満な体型から、細身の美しい少女に変わっている。多分、下働きとして朝から晩まで動き続けていて、ルキノが持ってくる食品類を食べなくなったおかげで、痩せたのだろう。あの体型も可愛らしかったのに、ちょっと残念だ。まあカルロはいまのリリーディアの方が好みらしく、記憶にある姿と違いすぎるのか、何度も驚いていた。
「どうしてリリーディアさんをこの学園に入れたのでしょう」
「エルマさんと引き離したかったんじゃないかな。もしくは、エルマさんが娘を学校に行かせたいとお願いしたとかね。リリーディアは一度、屋敷から逃げだそうとしたんだろう。だったら屋敷においとくより、全寮制の学園に放り込んだ方が面倒事が少ないって思ったんじゃないかな」
カルロがなるほどと頷き、口を開いた。
「新興貴族で男爵の位だと、一代限りの場合が多い。君が学園で恥を掻いて注意を受けても、男爵にとってはどうでも良いことになる」
「どうでも良い事って?」
「君が貴族社会で爪弾きにされても、結婚相手が見つからなくても、自分には関係ないから問題ないということだ。ようするに、君が屋敷におらず、邪魔にならなければ。学園から訴えられても、礼儀のなっていない娘ですからで終わらせる気だろう」
カルロの言葉にリリーディアが青ざめている。それじゃお母さんはと聞かれ、アンナが無事でしょうねと言った。
「多分ですけど、男爵の妻として屋敷におかれていると思います」
それが何を意味するのかリリーディアが理解し、顔から血の気が引いていた。どうしようと何度も繰り返している。
「それでリリーディア、君はどこの男爵の屋敷に下働きに行ったんだい?」
「え、ええと、バレージ。そう、バレージ男爵様のお屋敷です」
その名前を聞いて、カルロが眉間に皺を寄せる。アンナが知っているのですかと聞いてきたので、もちろんだと頷いた。
「ジルド・バレージ。元騎士団の団員で、昔にとある任務で大怪我をした。それが原因で騎士団を辞めることになったのだが、それまでの働きを認められて男爵の位をもらった男だ。庶民の出でありながら、剣の腕を見込まれて入団した人物だったが、騎士を辞めた後は良い噂は聞かない。酒浸りで何度も結婚を繰り返しているそうだが…」
もしかしてエルマのように、連れ去って結婚するのを繰り返しているのかもしれないな。
「王宮で提出された書類を調べてみるよ。…そういうの決裁するのって、宰相とかより下の人だからなぁ、見つかるだろうけど時間掛かりそうだ」
面倒くさいとか言っていられないけど。書類が正式なら、屋敷の中に勝手に踏み込むのも出来ないし、さてどうしたものか。
「屋敷には戻せませんね、そうなると。リリーディアさん、しばらく学園で生活してもらう事になりそうですが」
アンナの言葉に、リリーディアの顔が青ざめた。学園の中ですでに孤立していて、同学年の生徒から爪弾きにされているため、ここで過ごすのは恐怖でしかないのだろう。震えるリリーディアの手を、アンナが優しく握りしめる。
「もし良かったら、私の部屋にいらして下さい。学園内で過ごすのに、色々とお教えします」
「ありがとうございます、アンナさん!!」
リリーディアが再び泣きそうになっていた。ここしばらくの間、かなり辛いことが続きすぎたようだ。
「でもアンナも講義があるから、ずっと付きっきりは無理だよね。アンナが駄目なときは、僕が居よう。あとカルロも、鍛錬の合間で良いからお願いしてもいいかな」
「ええ、構いません」
それで良いかなとリリーディアに聞けば、ご迷惑をおかけしますと頭を下げている。
『ヒヒヒ、これであの女は勘違いするな、レオナルド。ゲームが始まってストーリーの通りに動いてるって勘違いするなぁ』
その通りだね、カラ。聞かれればちゃんと説明するけど、きっとルチアーナは勘違いし続けるんだろうね。聞いた話をどこまで信用するか、勘ぐるかなんてその人次第なのだから、どうしようもない。ルチアーナは僕がリリーディアに惚れて、暴走して婚約破棄をすると思っている。それは病的な程に。ちょっとでもゲームと同じ事柄があれば、大げさなほどに動揺して、怒りをため込んでいるのだ。
だからゲーム通りじゃない所には、まったく目がいってない。アンナが特にそうだ。
僕がアンナと二人きりでいても、ルチアーナは気にもとめない。彼女の目にはいるのは、ゲームの中に出てきた攻略キャラクターだけ。あとはせいぜい、ジェラルド兄様だろう。僕がリリーディアと一緒にいるようになれば、きっとルチアーナは今までよりもっと派手に動き回るのだろうね。
ジャンカルロと共に。緻密な計画は一人だから上手くいくものであって、そこに他人が入り込めばかならず綻びが出てくるものだ。
ルチアーナが考える計画は、僕がリリーディアを王妃にしたいといって婚約破棄を申し出たら、嬉々として僕を潰すのだろう。
リリーディアをアンナに任せて王宮に戻り、宰相に頼んで婚姻届について調べてもらう。出てきた書類は正式な物で、エルマはバレージ男爵と再婚し、男爵夫人となっている。エルマは軟禁状態だろうし、屋敷でバレージ男爵に何をされているかは、簡単に想像できるけど、それをリリーディアに言うのは憚られる。
結婚のお祝いと言って、押しかけるくらいしか屋敷に行けないけど。バレージ男爵は素行があまりよろしくないので、アンナの実家に金を借りていそうだ。そうなっていてくれると、とても助かるのだけどね。
「その書類が何かありましたか?」
宰相のピエトロが疑問に思ったのか聞いてくる。なので素直に、知り合いの町娘の親が、無理矢理連れて行かれたのだと話した。そういった話は聞いたことがあるのか、ピエトロも顔を顰めていた。だが何も言わないので、僕が好きにしても構わないのだろう。何かあるのなら、騎士団長か父に相談しに行くという筈だろうし。
「ああ、そうだ。この前、帝国に行ったときに、アルバーノの留学の書類を出したのだけど、受け付けられないそうだよ」
「……な、なぜです? 不備はありませんでしたし、アルバーノは魔法道具の知識をもっと深めたいと希望しております。王からも許可を頂きましたので、何の問題もないかと…」
「こっちには問題なく、あるのは帝国の方だそうです。ちょっと数年ほど、外国からの留学生を断るそうです。学園の教育内容の整備などなので、受け入れて貰う側のこちらは、あまり強く言えません。アルバーノにはもう伝えましたが、宰相には話してないのですか?」
「……いえ、それは」
僅かに取り乱したピエトロだけど、すぐにいつも通りだ。どうしてそんなにアルバーノを帝国に出したいのかな、宰相は。
「魔法道具の知識を深めるのなら、ちょうど帝国からの留学生の方がいますから、一緒に勉強出来ないかお願いしてみましょう。そうですね、アルバーノの体に入ってる魔法道具の事を話せば、きっと喜んで協力してくれる筈です」
ピエトロの額に僅かな汗が浮かんでいる。アルバーノを気に掛けていないにもかかわらず、それは許せないのかな。自分の子供が、動物みたいに観察されるのは。
「アルバーノの体に魔法道具を取り付けてからもうすぐ八年くらいでしたっけ。整備や修繕などは、大丈夫なのでしょうか? かなり複雑な魔法道具なのでしょう」
僕の言葉に、宰相は言葉を詰まらせる。僕の出方を窺っているようにも見えるね。
「でもアルバーノは何を考えているか分からないし、魔法道具を作る才能も特にないし、政務官になれそうなわけでもない。なら、魔法道具の発展の為に、少し役に立って貰う事にしても良いでしょうね」
ピエトロは意味が分からないといった顔をしている。だから僕はそのまま言葉を続けた。
「宰相も分かっていて留学に出そうとしたのでしょう? アルバーノが入学するのに合わせて、医師や魔法道具の製作技術者などが彼の体を検査する話があったそうです。解剖してどうなっているか好きにして良いと、そう言われたと帝国の方は喜んでいましたよ。ただアルバーノの留学が受け入れられないとわかって、残念がっていましたが」
「そんな筈はない! 私は、そんな事を頼んでなど……」
「いやいや宰相、そんなにアルバーノが邪魔なら早く言ってくれれば良かった。それなら僕だって、わざわざ帝国に出したりせず、もらってあげたのに。アルバーノの見目はとても良いから、僕は気に入っているんですよ。まあもう帝国には行けませんから、僕が引き取って好きにしても…」
僕が口の端を持ち上げて笑いかければ、ピエトロは激高したのか立ち上がって、息子に何をする気だと怒鳴った。こんなに感情を露わにした宰相は初めてかも知れない。
「ヴィルマー・ラング。皇帝を裏切ってこの国の宰相になり、今度は僕の国を裏切る気なのかな? 父は君に家族を用意したけど、それはもういらなくなっちゃったのかなぁ」
口元を戦慄かせ、ピエトロは僕を見つめていた。そうして総てを知られているのを悟ったのか、椅子に力なく腰掛けた。
「王が貴方にそれを伝えたのですか?」
「まさか、父様が僕に教えてくれるわけないじゃないか。帝国に行ったとき、皇帝が教えてくれたんです。なんでも、僕は父様そっくりなので、息子がやらかした迷惑料代わりに、色々と親切にして頂きました」
「……皇帝が……」
ピエトロは震える手で己の頭を抱えている。皇帝は弟分みたいなものだと言っていたから、切り捨てられたと思ったのだろうか。皇帝の方がもうずっと前に、切り捨てられたと思ったのだろうけど。
「……アルバーノが数年前から、魔法を使った後、息切れをするようになったんです。それは普通ならめずらしいことじゃありません。私達だって、大きな魔法を使えば、息切れもするし体調を崩す時だってある。…でも、あれは妻が体調を崩したときに、よく似ていた」
何らかの不備が、アルバーノの魔法道具に起こったのだと思ったそうだ。けれどそれをルチアーナに聞いても、見てみたけど大丈夫としか言われない。アルバーノも気にしていないようだが、でも確実に蝕んでいるとピエトロは思った。ルチアーナ以外に調べて貰おうとしても、魔法道具は複雑すぎてこの国の人間では無理だ。ならば、この国より高度に発展した魔法道具を扱う帝国なら、アルバーノの体の不調を治せるだろう、そう考えたそうだ。
しかし王に願いでても、帝国との関係を勘繰られて断られるのは目に見えていたため、誰にも相談できずに困り果てていた。そんな時、ピエトロに声を掛けた者がいた。
「……ルキノ・バルバードです。…彼が私に話を持ってきました」




