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十二歳の時、住んでいた家が洪水で流されてしまった。私とお母さんは無事だったけれど、お父さんと家財すべては無くなってしまって、路頭に迷う事になった。家は宿屋をやっていて、私も手伝いをしていたけど、来るお客さんが可愛いねとか美人の奥さんだとか言ってお父さんを羨ましがったり、隣の国からくる商人さんから色々な話を聞いたり、楽しい思い出が多かったけど、それも全部濁流に流されてしまった。
「リリーディア、お母さんと一緒に王都に行きましょう」
お父さんが死んでしまって、お母さんは働かなければならない。私も同じで何か職を探さなきゃと思っていた時に、お母さんから王都に行こうと提案された。王都にある領主様の土地を家付きで貸して貰えるのだそうだ。家賃は払わなきゃいけないけど、そんなに高いものでもなく、しばらくの間は税金も払わなくて良いそうだ。
洪水の後、水が引いたけど街が駄目になってしまったので、ここに残っていても女子供が出来る仕事はほとんど無い。ならまだ働き口のあるであろう王都に行った方が良い。
それに領主様の次男のルキノ様が、王都に移住する街の人達を護衛してくれるので、安心して旅が出来る。もしいま行かなければ、高いお金を払って乗合馬車で行くしかなくなってしまう。王都に行って頑張ろうとお母さんと励まし合いながら、私達は王都にやってきた。
借りた家には家具もあって、着の身着のままやってきた私達にはとても助かった。お母さんは宿で料理を作っていた事もあったから、近所の料理屋で厨房の手伝いをする仕事を見つけて、私は簡単な荷運びの手伝いをする事にした。
最初の一ヶ月はただひたすら一生懸命働いて、二ヶ月目は少し余裕が出来てきたので着替えとか身の回りの小物とかを買って、働き出して三ヶ月目の朝だった。お母さんは早くに仕事に出て行ってしまっているので、家には私一人だけ。
目を覚ましても、宿に泊まった人達のざわめきも、母がお客さんの為の簡単な朝食を準備する匂いも、お父さんの声も聞こえない。
いつもおはようリリーディアと言って、頭を撫でてくれた無骨な手は、もうない。こんなに可愛いなら嫁に出せないななんて声に、当たり前だと返すお父さんの声もない。
お父さんにはもう二度と会えない。
その事実に心も体もようやく追いついて、何もする気が起きなくなった。家の外に出ても、見慣れた街ではないし、知り合いもいない。近所の人達はほとんど洪水で死んでしまったからだ。あの街にいた頃だったら、こうやって外に出て家の前で座り込んでいれば、誰かしら声を掛けてくれた。挨拶をして、調子はどうだいなんて言って。
近所に住む同じ年頃の子と、もう少ししたら学校に通えるねとかおしゃべりして、街の男の子はガキだからとか好きな人は誰とかそんな事を話すのが、とっても楽しくて。
もうそれも出来ないのだと思うと、涙が溢れてこぼれた。そう、いまさら、やっと私は泣いたのだ。
いつまでも泣いてないで、早く支度して仕事にいかなきゃいけない。たいした稼ぎじゃないけど、それでも暮らしていくのにはお金が必要で、生きていくためには俯いたままじゃいられない。なのにどうして、涙が止まらないのだろう。
ぐずぐずといつまでも泣き止められず、冷たい水で顔を洗えばすっきりするかもと、私は井戸のある方へ向かった。水をためておける魔法道具があるのだけど、それを買うにはちょっとお金が足りないので、井戸から水を汲んで使っていた。桶を引っ張り上げて汲んだ水は予想通り冷たくて、私は必死になって顔を洗う。
そうしてようやく涙が止まったと、大きく息を吐いて顔を上げると、誰かがハンカチを差し出していた。
「どうぞ、使って」
柔らかな声に誘われるまま、私はハンカチを受け取る。顔を拭いて見れば、そこにいたのはルキノ様だった。ルキノ様は変わった格好でしゃべり方も独特だけど、よく領兵を率いて魔物や盗賊退治に出て行くのを皆見ているから、格好良いねと人気がある。私も、鎧を着て馬に乗って駆けていくルキノ様を何度も見ていたから、まさかそんな人がなんでここにと驚いてしまった。
「可愛い子が泣いてるのはいけないわ。どうしたの子猫ちゃん、私が一緒に居てあげるから笑ってちょうだい」
言い回しが独特だからよくわからないけど、励ましてくれる事はわかったので、私は笑顔になれた。
それから何度もルキノ様は私を気に掛けてくれて、お母さんがお菓子屋さんを開くことになったのもルキノ様のおかげで、感謝してもしたりない素晴らしい人だと思ってた。
そう、私はルキノ様を好きになってしまっていたのだ。
頭の悪い町娘だと思われているかもしれないけど、それでも私はすっかり優しくされる事に舞い上がってしまって、誰の忠告も耳に入らなかった。
それなのに。
ルキノ様に罵られ、その姿をアンナさん達に見られた。恥ずかしくて惨めで、もう嫌だと泣き叫んで。そうしてお母さんと共に、お店も家も追い出されて、冷たい路上に二人立ち尽くす事になってしまった。
「お母さん、私…」
「悪いのはお母さんよ。商売は甘くないってお父さんに口を酸っぱくして言われてたのに、腕が良いなんて言葉に乗せられて、安易にお店を持とうとしたお母さんが馬鹿だったのね」
「私も…、ルキノ様にあんな事を言われて、今まで不快にしてたなんて気付かなくって…」
ボロボロと泣く私の頭を撫でると、お母さんはもう泣くのはこれで終わりにしなきゃねと笑った。
「家にあった荷物も全部、取り上げられてしまったから。ともかく寝られる場所と、もう一度働く所を探さなきゃ」
「……うん」
もうすぐ十五歳になるから、王都の学校に通わせられるわとお母さんが言っていたけど、そうもいかなくなった。一応、宿のお手伝いをしていた時に、お父さんから簡単な計算と読み書きは教わっていたので、学校に行けなくとも簡単な仕事になら就ける。その分、給金は安くなるけど仕方ない。ともかく寝られる場所をと、救済院に向かった。
救済院はその名の通り、住む場所もお金もない人を一時的に助けてくれる場所で、簡易の寝床と食事を無料で提供してくれる場所だ。
そこで何日か過ごして、お母さんが住み込みの下働きの仕事を見つけてきてくれた。貴族様のお屋敷で、屋敷内外の掃除や洗濯をする仕事だ。寒い冬に救済院じゃなくてちゃんとした部屋で眠れる事に感謝して、私もお母さんも必死で働いた。
朝早くに起きて、屋敷で働く侍女さんや従者さん達の服を洗濯して、お昼までに庭の掃除をする。屋敷のご主人様のお部屋とか大事な所は侍女さん達が掃除するのだけど、働いている人達の部屋などを私達が掃除するのだ。それからちょっとした雑用も手伝って、夜遅くにクタクタになって与えられた小さな部屋で、母子二人で眠る。
給金もそんなに貰えないけど、食事は貰えるし着る物も支給されるので、贅沢は言えない。もう少しして落ち着いたら、アンナさんに会いに行こうと決めていた。
アンナさんは私にとっても優しくしてくれた人。チェスティ家という貴族のおうちの養女だと言っていた。元は商人の娘だから普通に話してねと、優しく笑ってくれた。それなのに、私は勝手に舞い上がってルキノ様に罵られた後、アンナさんも私のことをそう思っていたらどうしようと不安になってしまって、わざわざ訪ねてきてくれたのに会うことが出来なかった。
家を追い出されてしまってからは、生活することに精一杯で会いに行く暇もない。もし罵られてもいいから、今まで仲良くしてくれてありがとうございましたと、お礼くらいは言いたい。だって王都で初めて出来たお友達だから、アンナさんは。
冬が終わりに近づいた頃、めずらしく屋敷にご主人様が帰ってきた。私もお母さんも会ったことなかったけれど、王様から男爵の位をもらった凄い人らしい。正直、貴族様の位なんてよく分からないので、一括りで偉い人と思っている。貴族様より偉いのが王様達ってくらい。だって私達が生活するのに、貴族様も王様もあまり関わりなかったから、その程度の知識しかない。アンナさんも貴族様だけど、一体どれくらい偉いのだろう。後で聞いてみようと思うけど、アンナさんは迷惑に思わないかな。
そんな事を考えながら、お母さんと一緒に庭の掃除をしていた時だ。
外に出てくる事がない筈のご主人様がやってきて、お母さんを連れて屋敷に行ってしまった。夜になってもお母さんは部屋に帰ってこなくて、侍女の人にどうなったのか聞いても教えて貰えなかった。不安になってご主人様に聞きに行こうか、でも不敬だって怒られたらどうしようとか、そんな事を考えながら朝になったとき、侍女さんに呼ばれた。
理由は聞いても教えてくれなかったけれど、お風呂に入れられて綺麗な服を着せられた。そうして今までとは違う、屋敷の中の立派なお部屋に通されて、外から鍵を掛けられた。なんでどうしてと不安に思っていると、家令のおじさんが、今日から貴方はこの家の養女になりましたと言った。
訳が分からず、どうしてですかと聞いたら、お母さんがこの家のご主人様と再婚したので引き取ってくれたと教えてくれた。昨日の今日でそんな筈ないと言っても、書類はもう王宮に届け出をしてありますのでと言われて、そのまま出て行ってしまった。
泣いて騒いでも誰も来てくれず、運ばれてくる食事は前より豪華になったけど、部屋から出して貰う事はなかった。それでも窓から外に出ようとして、侍女さんに見つかって悲鳴を上げられてしまった。なんてはしたないとかなんとか。
街に居た頃は木登りなんて平気でやっていたし、二階の窓だったけど近くに太い木の枝があったから、飛び移るなんて簡単な事だった。けど見つかって止められて、家令のおじさんや侍女さんにとても怒られた。それがご主人様の耳にも入ったらしく、私はトランクを渡されて、学園に入学しなさいと馬車に放り込まれた。
学園て何って聞いても、全寮制ですのでしっかり勉強なさってくださいとしか言われない。私のお母さんに会わせてと言っても、ご主人様と健やかにお過ごしですと言われてしまって、結局顔を見ることが出来ないまま学園に連れてこられた。
何やら手続きは着いてきた家令のおじさんが済ませてしまい、私は一人、貴族様が入学する学校にいた。
この学園は勝手に外に出ては行けないらしく、行ってしまう馬車を追いかけようとしたら、先生に怒られてしまう。外出はちゃんと届け出を出すのよと言われても、その書類を読んでもよくわからない。確かに私は読み書きは出来るけど、貴族様が使うような難しいものは無理だ。商売で必要な単語とかは分かるけど、馴染みのない単語はさっぱりなのだ。
どうしよう、本当にどうしよう。
渡された制服を見て、さらにそう思った。コルセットなんてしたことないし、制服の着方は複雑で、何枚も着る物がある。私の着慣れたエプロンとシャツとスカートなんて簡易なものじゃないから、もう混乱するしかない。なんとか着てみても、周りの貴族様達はちゃんと着こなしているのに、私はぐちゃぐちゃだ。クスクスと笑われて、ここにいるのは間違いなんですと叫び出したくなった。
先生に助けを求めても、自分でやることを覚えなさいとしか言われず、私が事情を説明しようとしても、忙しいからと言って行ってしまった。最初に学園の門から勝手に出ようとしたのが知れ渡っていて、問題児だと思われているようだった。
私は数日前まで下働きの人間だったのだから、自分で出来ることはやっていた。けど、着る物も礼儀もなにもかも違うこの場所で、どう振る舞えば良いのかなんてわからないのだ。
入学式があるのでそれに参加したけど、周りの皆は同い年だけど遠い世界の人達で、話し掛けたら不敬だと言われそうでその勇気も出ない。それに入学生の中にルキノ様の姿もあったので、私は身を小さくしているしか出来なかった。
やっぱりもう一度、先生に話して相談しようと思ったとき、鍛錬場と言われる所で女の子達が騒いでいるのが見えた。あそこで騎士を目指す貴族様達が鍛錬をしているらしく、騎士に憧れるのは貴族様も同じなんだなって思った。その女の子達が騒いでるなかに、カルロ様がいなくて残念なんて声が聞こえて、どこかで聞いた名前だと必死に頭を動かした。
そうだ、アンナさんが初めてお店に来てくれたとき、一緒に来たお友達のうちの一人が、確かそんな名前だった筈。騎士を目指しているって話を聞いた覚えがあるから、もしかしたらアンナさんの事を聞けるかもしれない。騒いでいる女の子達の話を盗み聞きしていると、カルロさんは王子様の護衛でしばらく帰ってこないそうだ。すぐに会って確かめたかったけど、それでもここに帰ってくるなら、話す機会はある筈だ。
そうだ、カルロさんがいるってことは、この学園にアンナさんもいるかもしれない。確か私より年上だったから、入学式には見掛けなかったけど探せばきっと見つかると信じて、私は一日中学園内を歩き回った。
二年目と三年目の生徒は、一年目の私達より講義が少ないので、自室に戻っているか将来の仕事の為に自主的に活動していると、後から先生に聞いた。チェスティ家のアンナさんに会いたいとお願いしたけど、学園内は家名を名乗らないのが普通で、わざわざそうやって聞いて回るのは違反だとあきれ顔で怒られてしまい、自分の足で探すしかなくなってしまった。
先生はそれより受ける講義を早く申し込みなさいと言ったけど、貰った紙に書いてある事が難しすぎて無理だった。内容はなんとなく分かるけど、外国語なんて知らないし、簡単な計算なんかじゃないもっと難しい勉強だったので、ついていけない。私が講義を受けても理解出来ないから、ともかくアンナさんに事情を説明して、この学園を辞めさせてもらわなきゃと思った。
お金に余裕があったら王都の学校に入るつもりだったけど、勉強の内容が違い過ぎる。
学園にきて何日か経ったけど、アンナさんに会うことは出来なかった。寮の自室に籠もっていても仕方ないし、他の貴族様からは笑われるしで散々だけど、それでもアンナさんを探すことしか私には出来ない。
そうしているうちに先生から、講義の申し込みが終わったと言われ、このままでは初年度から留年しますよと言われた。家に連絡を入れますからねとキツく怒られて、私は途方に暮れた。家に連絡と言われても、私は男爵様の事をよく知らないのだ。お母さんはどうなったのだろう、無事なのだろうか。
不安に苛まれて、部屋から飛び出して鍛錬場に向かうと、カルロ様と呼びかける女の子の姿があった。一度しか見たことないけど、なんとなく顔は覚えていたから、近くで見ればきっと分かるだろうし、私の事を覚えてなくてもアンナさんに会いたいとお願いする事くらい出来るだろう。そう思って鍛錬場の入り口までやって来ると、貴族様の女の子が私の前に立ちはだかった。
「ここは騎士を目指す方の鍛錬場です。部外者は立ち入り禁止ですのよ」
そんな事知らなかったから、すみませんと言って後ろに下がる。その女の子はちょっと驚いた顔をしたけど、私はそれよりカルロさんに会わなければとそこで出てくるのを待つことにした。しばらく待っていると、カルロさんがやって来るのが見える。
声を掛けようと駆け寄ろうとすると、今度は別の男生徒がやってきて鍛錬の邪魔だと追い払われそうになる。でも大事な用事があるんですと言い募れば、周りにいた女生徒や男生徒に迷惑を掛けるなと怒られて、最後には貴方は立ち入り禁止にしますよと、最初に話し掛けてきた貴族様の女の子が言い放った。
手の先に光が集まって、魔法が私に放たれるのがわかる。何をされたのか不安に思えば、これはここに入れなくなるようにする魔法ですと言われた。そんなと青ざめても、自業自得だと周りから言われて、私はその場を走り去った。
どうしよう、これじゃカルロさんに会えない。鍛錬場を出た後ならと思ったけど、大勢の生徒達がそこから離れないので、また私が行ったら話し掛ける前に摘まみ出されてしまうだろう。カルロさんは諦めて、やっぱりアンナさんを探すしかない。
アンナさんはどこだろう。私に優しくしてくれた人。ここはもう怖いし、お母さんに会いたいし、家に帰りたかった。
次の日も学園内をうろついて、周りの生徒からは嗤われて、もう嫌で嫌で仕方がなかった。俯いたまま歩いていると、私に魔法を掛けた女の子がいた。あの子にお願いして魔法を解いて貰って、カルロさんにアンナさんの事を聞きたいだけだと説明しよう。
そう思って貴族様の女の子に、勇気を出して話し掛けた。
「あ、あの! お願いです、昨日私にかけた魔法を解いて貰えませんか? どうしてもカルロさんに大事な用事があるんです」
「…貴方とカルロが知り合いだなんて、聞いたことがありません。鍛錬場に入るのは真面目に練習している生徒の邪魔です。…貴方も少しは、マナーというものを身に付けたらいかが?」
この人はカルロさんの知り合いなのだろうか。だったらアンナさんの事を知っているかも知れない。
「カルロさんとは直接の知り合いじゃないんです。カルロさんのお友達に用事があって…」
「……お友達に用事って、一体何が目的ですの? カルロとは長年の付き合いがありますけど、貴方の事なんて皆知らないわ」
「私じゃなくて、その…」
もういいかしらと、苛立ったように立ち去ろうとする貴族様の女の子。待ってと止めようとしたとき、廊下の先に見覚えのある顔があった。
覚えてる。あの人、アンナさんと一緒にやってきた、絵本に出てくる王子様みたいな人。
あの人に聞けばと思った瞬間、そのすぐ側にずっと探していた存在があった。
「あ、ちょっと貴方!」
後ろから制止の声が掛かるけど、私は走った。いまここで声をかけれなかったら、もう二度と機会はないかもしれない。だから。
走っているうちに、ボロボロと涙がこぼれる。
名前を呼べば、アンナさんが驚いていたけど私の名前をしっかり呼んでくれた。
いろいろな思いがこみ上げてきて、私は子供みたいにアンナさんの前で声を上げて泣いてしまった。




