19
殺風景な部屋で、カラと楽しく過ごしていると、声を聞きつけた外の見張りの軍人が中を覗きに来た。僕一人で閉じ込めたはずなのに女がいる事に驚いたのだろう、焦って扉を開けて中に入ってきた。ずいぶんと迂闊な事で。
入ってきた扉を閉めると、室内には入ってきた軍人と僕、そしてカラだけになる。
「お、大人しくしろ! その女は何者だ!?」
「驚かせてすまないね。彼女は僕が国から連れてきた、特別な侍女だよ。ああ、僕が隣の国の王子なのは知ってるだろう。ここまで来るのに二週間の長旅だよ、彼女には色々お世話になっているのさ」
色々というところを強調して言えば、入ってきた軍人はゴクリと喉を鳴らした。
熟れた肉体が匂い立つ程の、妖艶な女。
目を奪われずにはいられない女からの微笑みに、入ってきた軍人の警戒が緩んだ。
「フートヘルム殿下にお願いして、特別にいれてもらったんだ」
「ねえ素敵な軍人さん。貴方のお名前は?」
カラからの問いに、軍人はヘルゲと素直に名乗った。うんうん、やはり素直な人間は良い。
「ヘルゲ君、もし良かったら君も彼女と…」
そう囁けば、怯えたようにヘルゲがこちらを見てきた。狼狽えながら、何を考えていると叫ぶ。
「そう勘ぐらなくていいよ。何かしようにも、僕と彼女の細腕で何が出来るっていうんだい。君は帝国の栄えある軍人なのだろう、戦っても僕くらい簡単に押さえ込める。何も恐れる必要はないじゃないか」
だがら大丈夫と言えば、ヘルゲの警戒が少しだけ解けた。その耳元で、普通だったら彼女を買うのにとてつもない金額が掛かるんだと囁く。王都で一番の高級娼婦でどんな要求にも応えてくれる、素晴らしい女だと。カラもヘルゲに笑いかけ、一緒に遊びましょうと囁いた。
ヘルゲの喉が上下する。
「ああ、でもここじゃ不味いな」
「な、なんで?」
「君はあんな極上の女を、こんな冷たい床に寝かせるのかい。…そうだ、君の部屋に行こう」
そんな事したらどうなる事かと、ヘルゲが慌てている。だから大丈夫だよと、落ち着くように言った。もし君と彼女が二人だけで行ってしまって見つかったら、言い訳のしようがない。君は見張りの任務を放り出し娼婦と楽しく遊んでたとなれば、帝国ではどうなのか知らないけど厳しい罰をうけるだろうね。だが僕が一緒に行けば、君をかばう事くらい造作も無い。そもそも彼女は、フートヘルム殿下にお願いして連れてきて貰っているのだから、僕が我が儘を言ったといえば簡単に信じるだろう。
そう言ったことをつらつらと話して、優しくヘルゲに微笑んだ。
ややあって、ヘルゲはこっちだと、監獄の扉を開いて出してくれる。僕とカラは笑顔でゆっくりと、その扉を出た。
「ここは宮殿内だね?」
ああそうだとヘルゲが答える。もう時間は深夜なので、巡回している衛兵くらいしかいない。それでも時間交代制だし、宮殿の外はもっと大勢の軍人が警備に当たっているので、侵入するのは不可能だそうだ。
本来なら昼間、明るい所でこの豪華な廊下をあるいていたのだろうけど、夜間は全く人影がなかった。監獄があるエリアを抜けて中庭を通ると、見張り番をしている軍人達の宿舎がある。ヘルゲもそこに一室あるらしく、こっちだと手招いた。けれどそこはいくつもの部屋が隣接していて、所々灯りが付いている。
「駄目だよ、ヘルゲ君。これでは、君が彼女と遊んでいる事がすぐバレてしまうよ。君の上司からは庇ってあげれるけど、同僚から一人良い想いをしてお咎めなしなんて、この先大丈夫かい?」
僕の言葉にヘルゲが困った表情を浮かべる。どうするべきか悩んでいるようで、僕は他の部屋に行こうじゃないかと提案した。
「他の部屋?」
「ここは宮殿だろう。使ってない貴賓室もあるはずだ」
そんな所に入って良い訳がないと、ヘルゲが驚く。けれどそこなら、誰も居ないのだから見回りは来ないだろうし、どうせその部屋は毎日侍女が掃除にはいるのだから、使ったとしてもバレはしないだろう。それに貴賓室で皇族の誰かが外の誰かと遊んでたりする事もあるのだろうといえば、ヘルゲは思い当たるのか頷いている。大丈夫、いざという時は僕がそっちが良いと我が儘を言ったことにしてあげるよと、ヘルゲを納得させた。
それならと、ヘルゲは宮殿内の貴賓室へ案内してくれた。国賓などが泊まったりするからか、先ほどの廊下より豪華な装飾がされている。小さなホールで行き先が三つに分かれており、こっちだと右側の通路をヘルゲが指した。ここまで来ても、衛兵の姿がない。
「そっちはなんだい?」
「真ん中が皇帝の寝室、左が皇族達のだ。廊下には魔法道具が設置されていて、武器や毒をもった人間は、動けなくなる仕組みになってるんだ」
帝国が誇る魔法道具の凄さだよと、ヘルゲは自慢げだ。その魔法道具のおかげで、衛兵が少なくてもすむらしい。貴賓室のあるエリアは外国からの客人がいるので、武器の携帯は許されているのだそうだ。流石に大きな武器類は預かるが、護身用の短剣などまでは取り上げる事は出来ないらしく、そこは目を瞑っているとのこと。謁見の間も似たような仕掛けがしてあるそうだが、武器の携帯なしに警備が務まらないので、魔法道具は最小限の効果でしか使われていない。大掛かりな武器の持ち込みを禁止する程度のものだ。
なるほど、そういった魔法道具があるから、警備を削れるというわけか。
不意に、まずいという声とともにヘルゲが物陰に引っ張り込んできた。静かにと注意され、そのまま黙っていると、ホールに足音が響いてくる。見目麗しい男女が、若干青ざめた顔をして、皇帝の寝室へと向かう廊下を歩いて行く。
「…陛下の悪い趣味だ。ああやって美しい者を朝まで何人も弄ぶんだよ。あれが色狂いって言われてる噂の元凶だ」
なるほどと頷いて、僕はカラの手を取ってホールへと向かった。ヘルゲから制止の声が上がるけど、まあ最悪は動けなくなるくらいだから大丈夫だろうと、皇帝の寝室へ続く廊下に足を踏み入れた。
後ろで戻ってこいとヘルゲが焦っている。ちょっと待ってと笑顔を向け、廊下の先にある皇帝の寝室の扉を叩いた。
「もう次の者がきたのか!?」
奥から苛立ったような声が聞こえる。これは皇帝ヴァンフリートだろうか。気難しい性格で、近辺に衛兵がいるのが嫌で、警護用の魔法道具の製作に執心したそうだ。
入ってくるが良いとのお言葉に、僕は皇帝の寝室へと入り込んだ。カラは姿を小さな黒い影に戻し、僕の肩に乗っている。
「こんばんは、ヴァンフリート陛下。お楽しみ中に失礼します」
仰々しい椅子に腰掛けたヴァンフリートが、僕の姿を見て僅かに目を見開く。が、すぐに先ほど入った見目麗しい男女を部屋から追い出すと、椅子を勧めてきた。
「これはこれはレオナルド殿下。こんな時間に訪ねてくるとは、どうかしましたかね。滞在中の屋敷が気に入りませんでしたかな?」
「いえいえ、屋敷はとても過ごしやすく感謝していますよ。ただ、むさ苦しい軍人に囲まれてしまうと、獣の巣に放り込まれた小動物の気分になってしまって、落ち着きません」
僕の言葉に、ヴァンフリートがにやりと笑った。そうして、小動物と一緒にされては可哀想だと言う。失礼な皇帝だ。
「殿下は小動物というより、毒蛇でしょうな。…私の息子が何かしましたか」
「ええ、貴方の息子さんに監獄に入れられまして、滞在している屋敷は軍人で取り囲まれて連れてきた従者や護衛は、いま命の危機ですね」
なるほどと、ヴァンフリートが頷く。色狂いの老害などと言われてはいるが、かつてこの帝国を統一した人物だ。見当がついたのだろう、肩を竦めてため息を吐いた。
「なんという短絡的な行動を。…若気の至りというべきか、あれは力で脅せば何者も言うことを聞くと、そう思っている。確かに強力な魔法を扱える、そして頭も良いが、あれは馬鹿なのだよ」
そうでしょうねと同意した。もしこれで僕が国に帰って、怒り狂って宣戦布告してきたとしても、彼には軍事力で返り討ちにする気だろう。だが戦争とは、戦場で戦うだけじゃない。まあフートヘルムも何か僕の国に仕掛けてるようだけど、主に国境付近の領地を持つ彼らに。
「自分に心酔する者以外は切り捨てても良い、そう考えている。やれやれ、私の時も兄弟達は酷かったが、子供にもそういうのが出てくるとは」
「じゃああの性格は血筋ですか?」
「だろうな。腹違いの兄が似たような性格で、周辺諸国にも攻め入ろうとしておったわ。なんという馬鹿な事を、必死に止めに入って潰していったら、帝国を統一できたわけだ」
声を上げてヴァンフリートが笑う。帝国が周辺諸国と戦いたくない理由は、この国の生産力のなさだ。海に面しているので貿易港があるので賑わってはいるが、特産物はない。長年続いた内乱の所為で、農作物も育ちにくくなっていて、もし戦争など始まればまた何年も畑で何も育たなくなるだろう。山も多く畜産に向かず、帝国の人間の多くが軍人になるのは、とりあえず食べさせてもらえるからという理由が多い。
細々と続けられている農業では、戦争での兵糧が賄い切れないのだ。だからこそ、ほとんどを他国との貿易で得ている帝国は、他国に侵略などしてはいけないのである。
「軍人が多いということは、他に仕事がないんだと、分からなかったのだろうな。略奪した場所で統治をするとは、どういう事か。力や恐怖じゃ治められん。食料や利益を与えれば図に乗って治められん。やるからには、すべて根絶やしにしなければならん」
疲れ切った老人の声だった。帝国を統一した時、すべてヴァンフリートがやった事なのだろう。
「それで、どうするのです?」
「あれはお前に何を頼んできた?」
「明日、自分へのお祝いの品をワインに取り替えて、それを貴方に勧めろと。僕が飲んでも問題はない、だそうです。ああ、あと僕の国でどうやら不穏な事をしでかしているようですが。見つけたら排除しても構いませんね」
ああと、ヴァンフリートは頷いた。
「脅しや共犯で罪の意識に付け入って、お前をこちらに引き入れ利用する算段だろうが、そんな事はさせられん。獣の巣に毒蛇を入れるようなものだ。飲み込んだところで、いつ腹を食い破られるかわからん」
それは酷い言い様だ。
「お前は父親のイデオンそっくりだ。あいつもそう、執念深い。一度受けた屈辱や侮辱は、何年かかっても必ず報復してくる。それもこちらが気付かぬ間に。まさに執念深い蛇だ」
おや僕の父様は帝国に一体何をしでかしたのやら。皇帝は深くため息を吐くと、お前の国の宰相だと言った。
「ピエトロ・ロドリと名乗っているのだろう。本名はヴィルマー・ラング。我の命でそちらの国に潜入させた者だ」
あっさりと、宰相の正体が判明する。屋敷の倉庫にしまい込まれていた肖像画の人物が、本物のピエトロというわけか。皇帝が言うには、ピエトロは不幸にも留学先の学園で病死したので、ヴィルマーを国の内情を調べる為に潜入させたのだそうだ。ロドリ家は子爵なので、王宮内で働いていてもそこまで目立つ存在にもならない。
だから最初は父様を間抜けだと侮った。
けどそれはすぐに間違いだと気付く。ピエトロ・ロドリは異例の早さで出世し、結婚までしてしまった。ヴィルマーはそうなる事で帝国側の者と接触する事も出来ず、怪しまれる行動も無理となった。
「そうしてそのうち、子供が出来たのだろう。…昔から、家族というものを欲しがっていた奴だった。…お前の父親は、ヴィルマーの欲しいものを与え、その代わりに帝国との接触を断ったというわけだ」
ヴィルマーに裏切る気があったかはわからない。最初は帝国を裏切る気などなく、大人しく任務をこなそうとしていたようだ。だが与えられた地位が、家庭が、ヴィルマーを裏切り者とさせピエトロにさせたのだろう。
「知っているか? 宰相などという地位だが、あやつがふるえる権力など無きに等しい。領地は王が信頼の置ける者を配置し何事もないよう目を見張らせ、ほとんど王宮にいなければならず、書類などは王や騎士団長の目を通さねばならぬ。ヴィルマーの様子を見に行かせた者からの報告だ。宰相だからと、ヴィルマーに接触する事も叶わなかったそうだ」
面倒な書類仕事を押しつける相手がいるのは、父様が少しうらやましい。飼い殺しとは、確かに良い方法かもね。
「ヴィルマーの事に詳しいですね」
「…年は離れているが、戦場を共にした弟のようなものだ。ヴィルマーは幼い頃から我に仕えていて、熱心だった。その熱意に負けて、お前の国に行かせた結果があれだ」
皇帝は心許せる弟分を失い、宰相は国に戻ることも不可能。どちらも可哀想な事で。
「さてお前の安全も、身の回りの者の安全も保障しよう。皇太子ゴットハルトが責任を持って国境まで送る」
皇太子はまだ指名してなかったのではと言えば、ずいぶん前から内密にだが決定しているとの事。皇族が多いので揉め事が起こるだろうから、長男のゴットハルトが継ぐ事を知っているのは彼本人とこの国のトップのみ。そしてそのゴットハルトは、サントリクィド国の学園に留学予定なのだそうだ。
今回の色狂いの噂で、不穏分子を一掃させるつもりで、それに引っかかったのがフートヘルムだったというわけか。
「ゴットハルトは魔法道具の製作にも詳しい。…もし何か役に立てるのなら、使ってかまわん。ゴットハルトにも言っておく。これは、フートヘルムがしでかした事の迷惑料とでも思ってくれないか」
それならと僕が頷けば、ヴァンフリートがふうと息を吐いた。どうあってもこちらと敵対したくないようだけど、相手は荒れていた帝国を統一した人物なので、これも演技なのかもしれない。人の上に立つのなら、何かしら魅力というものがあるから、侮れないのだ。
「戦争はしたくない。内乱などもってのほかだ。やっと、やっとこの国の道を整えたというのに、もう一度やり直すなど、やってられるか」
ヴァンフリートは若い頃から色々と苦労したらしい。そして軍人でもあるので、基本的に帝国は内乱が続き過ぎて、もう腹の探り合いなどより武器を持って戦うという事が、体に染みついてしまったのだそうだ。しかしそれではこれから先やってはいけないと、そうも考えているそうだ。
だからこそ、長年平和で腹の探り合いをし政を行っている国とは、構えたくないらしい。
「フートヘルムはこちらが押さえておこう。……我が何もしなくとも、お前なら報復してきそうだが」
「いいえ、構いませんよ。ああそうだ、ここまで親切に案内してくれたヘルゲ君を貰えるのなら、どうぞお好きに」
了承を得て僕は、満面の笑みを浮かべた。




