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最近のカルロはとても調子が良さそうで、鍛錬にも身が入っている。時々ブリジットが鍛錬場に行こうとしているようだが、ラニエロが必死に止めている姿を見た。すっかり大人しく真面目になったラニエロに、カルロは指導の賜物だと笑顔で答えている。いままで以上に爽やかな笑顔に、女生徒達はほうと見惚れていた。
鬱憤の発散の仕方を覚えてからは、カルロはちゃんと僕を見て傍にいてくれるし、真面目に護衛をこなしている。素晴らしい効果だ、カラの丁寧な指導の賜物だね。
『ヒヒヒ、アクマの本領は囁く事だぜ。俺たちは基本的に何もしない。決めるのは人間だ。だからこそ、堕ちたタマシイはとてつもなく美味い』
カルロはただやり方を聞いただけ。それを実践したのはカルロ自身で、カラは何にもしていない。今はとっても楽しそうで良かったと、カラと一緒に笑った。
学園は半年ごとに単位などで受ける講義を選び直さなければならない。そして入学者がいる年度の初めの月は、学年が上がった者達にとっては休暇のようなものだった。
一月ほど、講義の申し込み期間があるので、ゆっくりと今後の自分が進む方向を決められるのである。貴族でも政務官や文官、そのほか国の施設で働きたい者は、それに見合った資格をとれる講義に申し込むし、侯爵や伯爵など領地が広く大きい者は、領地経営についての講義や、防衛についての魔法を学ぶ講義などに申し込む事が多い。取らなきゃいけない講義の数は一年目を真面目に受けていれば、二年目はそこそこ、三年目はほとんどなくなるので、人脈作りに勤しむ者もいた。
カルロは三年目で、騎士を目指す者達のリーダーでもあるけど、講義はほとんど受ける必要はない。一年目と二年目を真面目に受けていたので、三年目は騎士見習いを目指すべく、体作りを基本として試験勉強をするそうだ。
なのでこの一ヶ月はわりと自由が利くので、ちょっと護衛兼話相手として、今回のお出かけに着いてきて貰う事にした。
そう僕は学園を出て、西の隣国へ来ている。
皇帝の息子が成人するので、そのお祝いの品を持って行く役目を仰せつかったのだ。ちょうど学園がそういう状況になるから時間もあるだろうと、父から言われてである。成人の祝いだけどそこまで大規模にやっているわけでもない。帝国と縁ある国は王家かそれに連なる者、もしくは外交を引き受けている身分の高い者が、祝いの品物をもって謁見して終わりなのだ。
隣国まで馬車で二週間。滞在僅か三日。ほとんどが馬車にいるだけで、しかも護衛が常に一緒にいるからカラと喋る事もままならない旅なので、爽やかに変化したカルロを連れてきたわけである。アルバーノを誘っても良かったけど、入学早々一ヶ月も不在はちょっと可哀想なのでやめた。
「それにしても、留学の希望…ねえ」
「それは執務室にあるべき書類ではないのですか?」
僕とカルロは友人だと他の護衛には言っているので、馬車の中で色々と話すのにわざわざ遮ってくる者はいない。カルロの他に二人乗っているけど、静かに気配を消している。優秀で教育されている護衛で良かった。
「いいや、これは宰相に頼まれたんだ。帝国にアルバーノを留学させたいんだって。まあ来年の話だけど」
「帝国は魔法道具の研究が盛んですからね。アルバーノは子供の頃から、魔法道具に興味を持っていて製作も行うと聞いています」
そうだね、その通り。ゲームじゃそのまま学園に通っていて、二年目に登場する攻略キャラクターだそうだけど、別に学園にとどめておく理由もない。本当に魔法道具の製作が好きなら、反対もしないのだけど。
アルバーノはただ父親である宰相の気を惹きたいだけで、そこまで製作に興味があるわけでもない。
もしこれで留学なんてさせられたら、それこそ捨てられたと思い込んで、壊れてしまいかねない。隣の国で壊れるくらいなら、この国にとどまっていてほしいけど。入学前に何度かお茶に誘って話しているけど、最近は特に寂しそうだ。
ジャンカルロの中身が変わってしまって、ルチアーナと特に親しくなったからだろう。中身は女だからか、ルチアーナと二人楽しそうに喋っている。ルチアーナからすれば、本当の事を話せる女友達であるが、アルバーノからしたら疎外感しか感じないだろうね。たとえ、以前よりジャンカルロが話し掛けてくれたとしても。
今月の半ばに入学式があるから、帝国に着いた頃だろうか。
僕と話すようになって、アルバーノの嫌味な態度も少なくなってきたけど、果たして同年代に溶け込めるのだろうか。学園に戻ったとき、面白い変化がありそうだけど。
持ってきた本を読んだり、カルロと話したりしながら、馬車の旅はようやく終わりを見せる。帝国の首都に到着したのだ。帰りも同じ時間、また馬車に乗らなきゃならないのは嫌だけど、帝国にはあまり長居したいものでもない。
この国の雰囲気は、結構物騒なのだ。いやちゃんと首都は綺麗に整備されているし、兵士の教育も行き届いていて、不敬を働くような者などいない。発展は帝国の方がしているようにも思える。けども、至る所に武器を持った兵がいて威圧感を醸し出しているので、平和にどっぷり浸った国の生まれの僕は、どうにも居心地が悪かった。
滞在中に泊まる屋敷に案内されて、部屋でベッドに横たわってようやく肩の力を抜いた。
謁見は明日なので、さっさと挨拶を終わらせて帰ろう。町中を見て回りたいと思わなくもないけど、賑わっているのは首都ではなく、南の海に面する港町だそうだ。そこから西にある国境までが、商人がよく通るルートだそうで、首都は一般市民はあまり立ち寄らない場所であるらしい。まあ皇帝が住んでてこんなに厳重な警備だったら、来たくもないだろうね、うん。
皇帝は二十年くらい前に内乱で勝利して、この帝国を治めている。そのため、帝国の位の高い人達は皆軍人で、厳つい見目の者がほとんどだ。謁見に行っても目の保養もなさそうだと、ため息を吐く。
「レオナルド様、少し良いですか?」
カルロが部屋の外から話し掛けてきた。なにやら面倒事の予感だ。
「実はもう来てしまってるんです。…その、フートヘルム殿下が」
明日お祝いを述べる相手がなんでここに。まあ相手に聞かないとわからないかと、フートヘルムがいるであろう応接室に行く。サントリクィド国とシレア帝国の文化や風習が違うのは仕方ないけど、いきなり訪ねてくるのは流石にマナー違反だろう。
応接間には成人したばかりのフートヘルム殿下がいた。まだ少年のような見た目で、濃い金髪が獅子のように思わせる、覇気溢れる若者だ。まだ少年のような見た目というか、少年なのだけどね、フートヘルム殿下は。
この国では成人は十五歳。結婚は十二歳からで、フートヘルム殿下も子供こそいないけど、既婚者だ。まあこれは、帝国は内乱が多く続いて荒れていたから、成人は早く結婚も早く子を遺さなければならなかったからだろう。一応、いまの帝国は平和だけど、慣習はそのまま残っている。この先もずっと平和なら、結婚の年齢も上がっていくだろうけど。
「レオナルド殿下、お久しぶりです」
僕が入ってくるのに気付いて、フートヘルムが声を掛けてきた。隣同士の国なので、顔見知り程度の知り合いではある。一体なんの用かなと思っていると、カラが囁いた。
『こいつら屋敷の外にも沢山いるぞ。ヒヒヒ、武器を持った軍人がわんさかだ』
それはそれは物騒な。僕が帝国に来るに当たって、同乗の護衛2人の他に、身の回りの世話をする従者や護衛達などを連れてきているけど、軍人に取り囲まれたら手も足もでない。一応いまのところ僕が王太子だから、殺されるって事はないと考えたいけど。
「突然の訪問、大変失礼致しました。ですがレオナルド殿下にはどうしても、お話ししたい事があるのです」
「フートヘルム殿下、一体どうされたのですか?」
実はですねと、フートヘルムの隣に立つ側近らしき男が一本のワインを取り出した。サントリクィド国の最高級品ワインだ。だけどそれをどうするのだと見ていれば、フートヘルムは笑いながら言った。
「これを明日、僕の成人の祝いとして贈って下さい」
「そのワインは確かに最高級品ですが、贈り物としてはあまり適してはないでしょう。いくらフートヘルム殿下のお願いとはいえ…」
話し終わるより先に、ぐるりと軍人が取り囲む。剣先を突きつけられ、周りにいる護衛もカルロも動けない。これは本当に物騒だ。
「私はお願いに来たわけじゃありません。贈って下さいと言っているんです」
年下には見えない太々しさだ。フートヘルムは皇帝の実子だけど、王太子ではない。皇帝はいまだ後継者を指名していないからだ。実子はフートヘルム以外にも何人もいるので、帝国は再び内乱が起きるのではという噂はあった。
けども、それの引き金になりそうな事の手伝いをさせられるのは遠慮したい。我が国自慢の最高級ワインで一体何をするつもりなのか。
ただ断れる雰囲気ではなさそうだ。従わなかったらこちらの護衛や従者を皆殺しにしそうである。人材だって育てるのは無料ではないのだから、殺すのは勘弁してほしい。若いと血の気が多くて困るね。
「彼らには手を出さないでほしい」
「それは殿下の行動次第です」
一緒に来て頂けますかと言われ、大人しく従う事にする。後ろでカルロや護衛達が叫んでいたが、すぐに扉が閉められ声が遮られた。屋敷の扉にそこまでの防音機能はないから、何かしらして声を漏らさないようにしているようだ。
用意周到だけどこれ、僕が頷かなかったらどうするつもりなのだろう。緻密なようで杜撰な計画だよね。
「フートヘルム殿下、お待ちしてました」
屋敷の外に出ると、帝国軍人の軍服を身に纏った若い女性が敬礼している。フートヘルムが女性に僕のことを紹介し、そして馬車に乗るように言ってきた。屋敷の周りは軍人が取り囲んだままで、さて僕は一体どこに連れて行かれるのだか。
「レオナルド殿下、こちらはカサンドラ。私の側近です。カサンドラ、レオナルド殿下に説明を」
「明日、皇帝に謁見される時、フートヘルム殿下への祝いの品にこちらを渡して下さい。その時、皇帝陛下が貴方に飲めと言ってくるでしょう。その時は普通に飲んでも構いません。殿下が飲み干したのを確認してから、皇帝陛下はワインを飲み干すでしょう」
渡して下さいと、どうやら僕に言っているようだ。フートヘルムは皇族だから尊大な口調はまあ許容の範囲内だけど、側近の女が僕に命令してくるとは。
「皇帝陛下がワインを飲みたがらなかったら?」
「いいえ、飲みます。レオナルド殿下が来るのを楽しみにしていましたからね、あの老いぼれは」
顔を歪めて嫌悪するかのように、フートヘルムが吐き捨てる。自分の父親だろうに、酷い言われようだ。
「とっとと帝位を譲ればよいものの、未だに皇帝に居座っている老害だ。長兄もろくでもない。弱腰な姿勢は唾棄すべきものだ」
「フートヘルム殿下はこの帝国を統一されるのに相応しい方です。いずれはこの大陸をも、我が物とする事が出来るでしょう」
うっとりと、カサンドラが羨望の眼差しでフートヘルムを見ている。カラはこそりと、狂信者共と同じ目をしてやがると嫌そうな感じだ。まだ十五歳になったばかりの少年にそんな目を向けていたら、誰だってそうなるだろう。
「大陸をもとは…。帝国以外にも幾つも国はある。宣戦布告したところで、黙っている国はないでしょう」
僕の言葉に、フートヘルムはにやりと笑った。
「それは動かせる兵や軍がいればの事でしょう。国境の守りは本当に万全なのですかね」
「一体何をしたんだ!?」
声を荒らげて問い詰めれば、カサンドラに落ち着いて下さいといなされた。
「私の兵はどこにでもいるんです。お望みなら、お父上の首を差し上げましょうか」
「父に何をする気だ、…貴様!」
フートヘルムは笑いながら、言うことを聞いて下されば何もしませんよと言い放つ。それに殿下には傷ひとつつけれませんからと、僕を見つめてから鼻で嗤う。
「皇帝陛下は美しい者がお好きなのです。もしレオナルド殿下が姫でいらしたら、確実に貢ぎ物にされていましたでしょうね。今の陛下は美しいものを集めることにご執心です。ええ、人も物もね」
その外見なら男性でも、陛下のお眼鏡にかなうでしょうと、ただの側近ごときが嘲笑った。
「レオナルド殿下、貴方はお優しいと有名です。そんなお優しい殿下が、家臣達を見捨てて帰国なさるなんて事はしませんよね。もし皇帝陛下の目にとまれば、もしかしたら国交を保つよう取り計らって下さるかもしれませんわ」
「ワインの中身は知らなくて結構。その方がやりやすいでしょう、レオナルド殿下」
馬車で連れてこられたのは宮殿だったが、案内されたのは窓ひとつない部屋だった。部屋というよりは監獄だろうね、ここ。重い鉄の扉が閉められ、室内が薄暗くなる。扉に僅かについている小さな窓から灯りがもれ、そこからカサンドラの声が聞こえた。
「貴方はただワインを陛下にすすめれば良いだけです。そうするだけで、自国の自治権はフートヘルム殿下のご厚意によって守られるでしょう」
『ヒヒヒ、これはまた面白い事態になったな、可愛いレオナルド』
カラの言葉に本当にねと同意する。するとカラが飛び跳ねて、赤いドレス姿の女を象った。
「今のところ、近くに見張りはいないようだな。ヒヒヒ、お前が話を呑むだろうとしか奴らは考えていない」
「そうだね。ところであのワインの中身は?」
遅効性の毒、それも精神に作用する物だそうだ。少しくらいは摂取しても問題ないが、ずっと飲み続けていると狂い死にに至る物だとカラは言った。
「狂わせて帝位を奪うつもりだな。ヒヒヒ、こりゃ愉快だな」
「巻き込まれた身としては、面倒この上ない。護衛や従者が殺されたら、帰りは結局むさ苦しい軍人に送ってもらうしかないじゃないか」
ただでさえカラとこうして触れ合う時間が少ないというのに、さすがに気が詰まる。カルロもせっかく爽やかな青年になれたのだから、殺されたりしてしまっては詰まらない。
「それにしてもフートヘルムは凄い自信だね。あれでまだ十五歳だろう」
「ヒヒヒ、転げ回る程の羞恥や後悔、挫折がないのだろう。いや、本人は挫折や失敗をちゃんと理解して学習しているが、人間は学習なんてしない生き物だぜ。若者の向こう見ずな態度が治るわけがない」
本気で大陸を支配するつもりなら、尚更たちが悪い。盲信する側近がいることも原因の一つなのだろうか。以前から優秀な子供だと思っていたけど、ちょっとこれはやり過ぎたようだ。
「どうするんだ、レオナルド」
「暗殺に関与するなんて、お断りだね」
「ヒヒヒ、可愛いレオナルドなら毒など使わなくとも、閨で皇帝の心臓くらい止められるだろうしな」
老体に鞭打って激しい運動をすればね、連続で行えばあっさり死んでしまうだろうし。僕にお願いするなら、きちんと頭を下げてそれ相応の物をくれなきゃ。ただ気にくわなければ殺すというのは、いかがなものだろう。
そんな事したら歯止めが利かなくなる。下手をすれば朝起きて目覚めが悪いから侍女を殺す、なんて事になりそうだ。まあ統一国家を成し遂げた王の晩年は、たいてい狂って身内か国民に殺されるものだ。おや規模を小さくすれば、この帝国の皇帝にも当てはまるか。
二十年程前に帝国内をまとめ上げた人物だ。フートヘルム曰く、色狂いの老害というけど、果たしてどこまで信じられるものか。まったく、子供の躾はちゃんとやってほしいものだよ、皇帝陛下。