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中身が変わってしまったジャンカルロとは、何度か王宮で見掛ける程度で、話したりすることはほぼない。一度だけ、ルチアーナが来て、アルバーノとジャンカルロをお茶に誘ったことを聞いてきた。なぜと言われても、誘いたかったからとしか言えない。
たまには男同士で話したい事もあるじゃないかと言えば、ルチアーナは引き下がった。僕の事を探っているらしく、王宮にいるとアルバーノが以前より話し掛けてくる事が多くなった。一番、腹の探り合いに向いていない人物を寄越してきたな、あの二人。
まあアルバーノは見目が良いので、そばに置いておくだけなら最適だ。特に有能なわけでもないので、動向を探りに来られても別に構わなかった。最近は嫌味な言動も減ってきているので、殊更だ。
王宮ではそんな感じで、学園ではいつも通りの日々を送っていた。
この学園では半年毎に受ける講義を組み直すので、アンナとは前より会う機会が増えた。どうやらアンナが僕に合わせてくれたらしい。基本的に一人で真面目に受けてる僕にとっては、有難い事だ。アンナは察しが良いので、喋っていても楽しいからね。
「ではまた週末に我が家に招待致しますね。今回はカルロさんもという事ですね」
よろしくねと言えば、もちろんですとアンナは頷く。アンナは足繁くリリーディアの店に行ってはいるが、売り上げは芳しくないらしい。最初の頃は買っていた貴族達も高級店が建ち並ぶ一角に、バルバード領のめずらしい物を扱う店ができてからは、そちらに行ってしまっている。値段はエルマの店よりほんの少し高い位で、売られているものは洗練されているのだから、どちらを選ぶかなんて明白だろう。
ともかく行って様子を見るしかないと、アンナとカルロと共に週末集まった。
正門の所で待ち合わせていると、今回はカルロが先に来ている。が、すぐ傍にブリジットがいて、なにやらカルロに詰め寄っているようだった。
カラが聞き耳を立てて笑っている。どうやらブリジットが、カルロからのぞんざいな扱いに文句を言っているらしかった。これだけ尽くしているのだから、せめてもう少し優しくしてくれと騒ぎ立てている。
カルロの周りの人間は、ブリジットの献身的な行動を見ており、時折冷やかしたりもしている。カルロは止めてくれと言っている所を見るが、周りは照れているだけだろうなどと、無責任に囃し立てていた。本人としては、騎士になるための鍛錬中なのだから、あまり邪魔をしてほしくないのだろうね。
騎士を目指す彼らに女っ気なんてほぼないからこそ、やっかみもあるだろうし。特にカルロは騎士団長の息子だから、周りの見る目も厳しいだろう。
冷やかすことでカルロに対する溜飲を下げているのだろうけど。
「カルロ、話しているところすまない。そろそろ良いだろうか」
話し掛ければ、ブリジットがすぐに頭を下げてそそくさと去って行った。彼女が行った先にはラニエロの姿がある。カルロは僕に付き合って護衛の任務に就くけど、普通なら自主的に鍛錬している時間帯じゃなかろうか。
「……その、ラニエロが鍛錬に来ない日がありまして。…指導不足なのでしょうが」
疲れ切ったカルロは、肩を落としている。どうやらラニエロは、僕がお願いしたという事から少しずつ態度が悪くなっていったそうだ。普通なら集まりに悪い影響を与えるからすぐに追い出すのだけど、今回は僕の推薦もあるからそうも行かないらしい。
まあカルロはそこまで言わないけどね。自分の指導力のなさを責めているようだし。
「ラニエロも騎士を目指しているから、カルロに任せるよ。多少厳しくしても、大丈夫」
笑って傍に寄れば、カルロの体はビクリと震えて跳ね上がる。大丈夫かと見上げれば、顔をそらされた。おやこれは、大丈夫じゃなさそうだ。
「カルロ、眠れてないの?」
隈が出来ている事を指摘すると、申し訳ありませんと頭を下げられた。学園内で話すときは敬語も抜けるのだけど、やっぱりこういう時は堅苦しい言葉遣いになってしまうのは、染みついた癖みたいなものなのだろう。
「最近、夜にブリジットが訪ねてくる事が多くて。……その、私はまだ騎士になるために色々と勉強しなければならない身なので、あまり構う事が出来ないと言っているのですが…」
騎士は体作りが重要だけど、それだけじゃなれない。騎士見習いのうちに魅了だとかそういう精神に作用する魔法に抵抗すべき精神力を身に付けなければならず、なかなか厳しいのだ。更に礼儀作法やら軍事に関する勉強やら武器の扱い方まで、覚える事は多岐に渡る。宮廷魔法士もそれは同じで、ただ強いだけでは駄目な職務なのだ。
だからこそブリジットに、ちゃんと確認したのだけどね。
「鍛錬場の横にある倉庫は広いから、そこで夜を明かしてみれば」
冗談めかして言ってみれば、カルロは真面目にあそこは鍵が掛かってますから入れませんよと言ってきた。騎士を目指す者達の集まりで管理しているのだが、鍵は集まりのリーダーが管理する決まりになっているのだそうだ。基本的に立ち入りは出来なく、鍛錬する時にそのリーダーに言って開けて貰うらしい。
「それにあそこには武器、といっても模造品で刃などついてませんが。それらがしまってあるだけで、雑然と机と棚が壁際に置いてあるくらいです」
埃と黴のにおいが酷くて泊まれませんよとカルロは言う。
「普段入ったことないから、言ってみただけだよ」
僕が笑えば、カルロもつられて笑みを浮かべた。相変わらず、僕とは不自然な距離があるけれど。
アンナもやってきて、皆でエルマの店へと向かう。カルロが馬車から外を見て、バルバード領のものがあると言ってきた。
「ルキノ・バルバードです。どうしましょう、ちょっと待ちますか?」
二人とも出来ればルキノと顔を合わせたくないらしい。なら待つ方がいいだろうと馬車にいると、唐突に店の扉が開いてそこからルキノが出てきた。良いタイミングで帰ってくれると思っていると、その後ろからリリーディアが飛び出してくる。
「…待って、待って下さい!」
必死な形相のリリーディアに、ルキノの足が止まる。
「あの、お金はなんとか用意しますから。お願いします、もう少しだけこのお店を続けさせてくれませんか?」
「リィのお願いなら聞いてあげたいけど、でもだーめ。だって契約書もあるでしょう、ね」
優しげな声でルキノがリリーディアに言う。けれどとリリーディアが言い募り、ルキノが仕方ないなと肩を竦めた。
「それじゃ僕の相手してくれないかなぁ。もちろんそういう事を含めて。君の事気に入っているから、もししてくれるなら、支払いをもう少し待ってあげてもいいよ」
馬車の中でアンナとカルロが顔を顰めた。アンナに至っては小さくだが声まで上げている。
「支払いをたてに体を要求するなんて…」
ギリギリと手を握りしめ、今にも飛び出して行きそうな勢いだ。カルロもルキノの言葉に怒りを堪えているようで、顔が若干引きつっている。
「……や、やります!」
リリーディアの意を決した声が響いた。何をされるのか想像したのか、若干顔が赤いが、それでもルキノの方をしっかりみて、言い切った。それで母の店が残るならと、決死の覚悟のようだ。
「わ、私、何でもしますから…! だから…お願いします!!」
その様子に、ルキノが優しげな顔で微笑んだ。俯いてしまったリリーディアの肩に手を掛けて、そうして言った。
「君がそこまで覚悟を決めているなんて、…リィ。それじゃ最初のお願いなんだけど」
はいとリリーディアが顔を上げる。二人は見つめ合い、ルキノが口を開いた。
「今すぐ俺の前から消えろ。薄汚い豚が。…お前が同じ場所に居るだけで、不愉快だ」
普段の女言葉などは消えて、凄味のある低い声色だ。言われたリリーディアも、それを見ていたアンナも。誰もが言った意味を理解するのにしばし時間が掛かったようだ。
けれどいち早く我に返ったリリーディアが、信じられないものをみるかのように、ルキノに視線を向けている。
「え…? え…、ルキノ様、なんて…」
「豚は耳まで悪いのかな、リィ。君と居るのが不愉快だから、消えろと言ったんだ。俺がお前を相手にすると思うか、この贅肉の塊に勃つ奴なんているわけないだろ。自分の体型分かってるだろう、なぁ。バクバクと豚みたいに何でも食って、俺のことも食う気か? もしかして俺がお前を気に掛けてるから、好きになってもらえるなんて、夢みたいな事でも考えてたか、豚」
顔を青ざめさせて、リリーディアが酷いと言った。それを聞いたルキノが大笑いする。
「酷くない、本当の事だろう。お前の頭の中は、食欲と性欲くらいしかないのかな、豚が。…二度と近寄るな」
その場に力なく崩れ落ちるリリーディアに、ルキノが最後のダメ押しとばかりに言い放つ。
「まるで見世物みたいだなぁ、リィ。お友達というか観客がそこで見てるぞ。みっともない豚の鳴き声でも聞かせてやれ」
リリーディアの視線が、こちらの馬車に向けられる。馬車はチェスティ家のもので、何度も通っているから見慣れているだろう。そこにはアンナが乗っているのなんてすぐにわかる。
「……あ、ああ…ーーーーーーっ!!!」
声にならない叫びとはこういう事だろう。リリーディアは絶叫すると、店の中へと駆け込んだ。
羞恥ってのは第三者がいなきゃならない。わざと僕達の存在を教えて、リリーディアにさらなる屈辱を与えたな、ルキノ。とても酷い事をする。リリーディアの心はこれでズタズタだろう。アンナとのほのかに芽生えた友情も含めて。
アンナが馬車から飛び出し、店へと向かった。カルロは追いかけようとしたが、僕が動かないのでどうすべきかこちらを見ている。
「行かないのですか?」
「行っても会ってくれないよ。今のあれもあるし、もしアンナ以外にもあのやりとりを見てたこと知ったら、もっとショックを受けるんじゃないかな」
カルロもそう思ったのか、頷くと馬車に待機している。
「先ほどのルキノ・バルバードの所行は…」
許せないとばかりに、怒りを堪えている。確かに、可愛い子に酷いことをする。
結局、店の中まで追いかけたアンナだったが、リリーディアと話すことは出来なかったそうだ。部屋から泣き叫ぶ声が聞こえてきたが、エルマが申し訳なさそうに、今日はそっとしておいて下さいと頭をさげたとの事。
アンナも落ち込んでいるし、今日の所はもう帰るしかないだろう。
何も買えず、そのままアンナの屋敷へと向かったのだった。
それから数日たったある日、落ち込んだ様子のアンナが話し掛けてきた。
「…先日、エルマさんのお店の前を通ったら閉まっていて、詳しく話を聞いたら、店の家賃が払えなくなって追い出されたそうです。…その時、ルキノ・バルバードが居たそうですが、縋る二人を振り払っていってしまったのだとか。……リリーディアさん、どこに行ったのでしょう」
何かあったら私を頼って下さいと、以前から言ってあったそうだ。けれどアンナに、リリーディアからの連絡はない。
季節はもう冬である。
いくら王都といえど、路上で寝たら凍死するだろう。救済院とかに居れば良いけど。
「見掛けている人がいないか聞いてみるよ」
「ええ、父の店にもリリーディアさん母子が来たら連絡するように言ってありますが。…無事で居てくれれば良いのですが」
こうしてエルマとリリーディアは消えた。
この事実を知ったら、ルチアーナは飛び上がって喜びそうだね。これは全部ルキノが考えたのか、そこが問題だ。彼にはルチアーナの事以外にも、聞きたい事がある。
ジャンカルロの中身といい、アルバーノの心臓の魔法道具といい、問題がたくさんだ。もう少しで年度が終わるから、ルチアーナ達が入学してくるのだ。ゲームは、ルチアーナとリリーディアが入学し、そして卒業するまでの三年間の物語だ。ずいぶん長い物語だねとカラに言ったけど、一日の行動が午前と午後と夜の三回しかなくて、攻略キャラクターに会えない日の記述は一文程度、真面目に授業を受けたとかそういうものらしい。僕の一日も一文にすればその程度か。まあそれなら三年間のゲームも楽で良さそうだ。
まあともかく、僕は三年後の卒業式に、皆の前でルチアーナと婚約を破棄し、リリーディアと結ばれる。
彼女が阻止したいのはそれだろうけど、もう物語は破綻している。
出だしから、僕の母様があの女に入れ替わってしまっているから。そうして僕はカラと出会ったからね。
破綻した物語は、破綻したまま新しい物語を始めよう。でも物語の始まりってなんだろうね、ルチアーナ。ゲームでは、君が始めようと思えば始まるのだろうけど、この世界は、僕と君との現実世界なのだから。
物事は始めようとして始まるのじゃない。物事を思い返して、始まりはあれだったのだろうと、後から思うもの。
ルチアーナにとっては、記憶が蘇ったときが始まりかな。
僕にとっては、カラと出会ったときが始まりだ。君と僕の生き残りをかけてのゲームは始まっているんだ、ルチアーナ。
じゃあそろそろ、僕も本格的に始めようかな。