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講義が午後からしかない日に、宰相と騎士団長と話をする事になり、朝から王宮に来ていた。政務の合間に話を聞いてくれるらしい。なので二人が僕の執務室に来たときに、まずはカルロにこの前馬から落ちかけたとき助けてもらったことから切り出した。そうして、学園である少女に相談を持ちかけられた事を話す。
タッシナーリ伯爵家の三女であり、入学早々問題を起こしたため、カルロに話し掛ける事もできていない事を。
そしてカルロがルチアーナの事を好いていると思っていること、そしてそれが貴族の子女に広まっているという事だ。
「カルロとは友人でありたいと思っています。…ただ、ルチアーナと変な噂になったりして、カルロの騎士としての経歴に傷がつくような事があれば、僕はどうしたらいいか。もちろん、カルロとルチアーナがそんな関係でないというのはわかっていますが」
このままカルロに婚約者もいない状態は、ちょっと面倒だと暗に伝えれば、騎士団長は唸った。
「確かにそうですが…。なにせ騎士になるには早くて三年の見習い期間が必要です。そして騎士になれたとしても、駆け出しの状態ではやはり見習いと同じく忙しくて、結婚生活もままならないでしょう。それは娘盛りの時間を無駄にさせるという可哀想な事をします。私の息子ですが、そんなに器用な性格でもありませから、気の利いた事もできないでしょうし…」
「その辺りは僕も分かっているので、彼女に伝えました。けど、決意は固いのです。……まあアンナの事でタッシナーリ伯爵の面目を潰しましたから、三女の縁談くらい意に沿ってあげたらどうでしょう。もしブリジットが途中で心変わりしたらいつでも白紙に戻せると条件をつければ」
「タッシナーリ伯爵も頷くでしょうね。カルロはいまのところルチアーナ様につく騎士だと思われていますから」
宰相の言葉に騎士団長は、うちの愚息がまったく申し訳ないと頭に手を当てる。そうして話を進めることを了承してくれた。
「もしブリジット嬢が心変わりした時は、うちの息子が至らなかったということで、彼女の経歴に傷をつけぬようにしないとな」
そう言って、さっそくタッシナーリ伯爵に話を持って行こうと部屋を出て行く。王から話をしてもらえれば向こうも嫌とは言わないだろうと言いながら。公的な場では見せないが、父と騎士団長は学園時代からの友人なので、気安い関係らしい。宰相もそれは知っているので、公的な場以外での騎士団長の王への軽口は黙認している。
まあこれであちらの息子は大丈夫でしょうねと、宰相が重いため息を吐いた。
宰相のピエトロは、息子のアルバーノと同じ濃い藍色の髪で後ろに長い三つ編みを垂らしている。壮年にさしかかった深みというか、渋めな雰囲気を纏っているけども、皺と少しの白髪をなくして若くすればアルバーノとそっくりだ。
さすが親子。アルバーノが嫌味ったらしい態度じゃなければ、もっと鑑賞に堪えうる見目なのにね。
ピエトロの息子は二人いて、もう一人はアルバーノより二歳下のセルジュだ。セルジュは母親似らしく、金髪にほわっとした雰囲気の持ち主で、二人と全然似ていない。何度かセルジュを見掛けたことがあるけど、素直で優しい将来が楽しみな少年だった。
「私の息子もどうしたら良いのか……。情けない事ですな」
宰相の一番の悩みであるアルバーノ。ルチアーナが好きなのは、命を救ってもらったのだからまあ仕方ないにしても、誰にでもあの態度は頂けない。学園に入っても問題を起こしかねないよね、あれじゃ。
「同じ息子のセルジュはあんなに素直に育ったというのに、…比べるのはいけないと分かっていますがね。それにアルバーノは心臓をルチアーナ様に治して頂きました。おかげで息子は普通に魔法を操れるようになりましたが……。思ってしまうのですよ、どうしてもっと早くそれがわからなかったのかと」
宰相ピエトロの妻も生まれつき魔法がうまく操れなかった。アルバーノと同じく魔力が少ないからじゃないかと言われていたけど、それでも素直な心と優しさを持った女性だったそうだ。アルバーノを産んでから少しだけ体調を崩すようになり、そしてセルジュを産んだあとすぐに亡くなってしまったそうだ。
アルバーノと同じ魔法を扱えず、若くして死んだとなれば、彼女も心臓が悪かった可能性がある。もしアルバーノの事がもっと早くわかれば、彼女は助かったかもしれない。そんな事を思ってしまうこと自体、どうしようもない事だろうけど。
「アルバーノには家を不在にしがちな私の代わりに、弟の面倒をみるように言い聞かせました。昔はちゃんと素直に言うことを聞いていたのに、いつの間にかああなってしまって。セルジュも妻と同じく若くして死んでしまわないか心配で仕方ないというのに、アルバーノときたら…」
相当疲れているのか、宰相の愚痴のようなものは止まらない。
「この前も屋敷に帰ったら、セルジュの面倒も見ずに、よくわからない発明品を作って持ってきて。まったく、魔法道具は失敗すると危険だから、セルジュが傷でも負ったらどうするのだと何度か叱ったのに、ますますのめり込むようになってしまって。最近では顔を合わせる度に言い争いにしかなりません」
宰相の言葉に、僕は心から同情するかのように優しく微笑んだ。
「……そうなのですね。僕もアルバーノの事を気に掛けておきます。せっかく年が近いのですから、ね」
「ありがとうございます、レオナルド様」
「ジャンカルロはどうなのでしょう。その、あまり喋るところを見掛けませんが。最低限の挨拶が出来ないとなると、学園に入学してもやっていくのは難しいのでは?」
「ええ、アルバーノに面倒を見させているのですが、さっぱりです。ルチアーナ様には話しているということで、息子の性格も人当たりが良いとは言えませんから、その所為で余計に意地になって喋っていないのかもしれません。本当に、私の息子はどうしたものか」
がくりと肩を落とす宰相を見ながら、僕はアルバーノを可哀想だと思ってあげた。
そうかアルバーノ、君は僕と同じだったんだね。なら僕が君が一番叶えたいであろう事を手助けしてあげよう。
「アルバーノは知識だけ詰め込んでそれをひけらかしているように思えます。そうですね、一度予算を与えて魔法道具を作らせてみたらどうでしょうか? もちろん期限を決めて。一緒にやる相手は、ルチアーナが良いかと。今でも勉強会といって三人で集まっていますし、ルチアーナにはジャンカルロを付けてみたらどうです。そうして出来た物を宰相様が見て、どちらが優れているか決めるのです」
ルチアーナの事だからきっと素晴らしい物を作るだろう。それを見て、自身がいかに未熟だったか思い知る筈ですと、僕は宰相に語った。それを聞いて、今まで以上にルチアーナ様につきまとわないか心配になりますと言った。
「ええ、そしたらまた同じ事をすれば良いのですよ。アルバーノに必要なのは挫折なのです。それに魔法道具を作っている間は、ルチアーナから離れるでしょう」
それもそうですねと、宰相が頷く。何度もルチアーナに負かされれば、そのうち興味がなくなるかもしれないと思ったようだ。ルチアーナに正直に話して、魔法道具を作る時間にジャンカルロの礼儀作法の練習をさせるのも良いだろう。魔法道具は別の誰かに作らせてだ。
やってみる価値はありますねと言って、宰相はルチアーナに連絡をつけに行った。
『ヒヒヒ、酷い奴だな、可愛いレオナルド』
「酷くないよ、僕はとっても優しいんだ。アルバーノもきっと喜んでくれるはずさ」
『いいなぁ、いいなぁ。楽しくなるなぁ』
カラの小さな黒い影が飛び跳ねる。その可愛らしいカラを、僕は優しく指先でなでた。
僕の学園での評判は良くなった。といっても僕が王子だと知る人は少ない。けども噂話で、騎士を目指す少年を後押ししただとか、恋する少女を手助けしただとか、そんな話が流れている。まあカルロとの婚約が決まったブリジットが、大げさ過ぎるほど喜んでお礼を言っている姿を何人にも目撃されたし、問題を起こしたラニエロが騎士を目指す集まりに所属出来たりしたのだから、当たり前かもしれないけども。
いまのところラニエロは真面目に鍛錬に励んでいる。ブリジットもカルロに話しかけるようになり、二人でいる姿を見かけるようになった。
さらにアンナに謝罪したブリジットは、積極的に彼女の味方になるつもりらしい。他の令嬢に声を掛けたりして、アンナの人脈を増やすのを手伝った。
「レオさんの呼び方が、幸福を届ける王太子ってなりましたよ。将来は立派な王になるだろうって噂話がいっぱいです」
「なんだか照れるなぁ」
講義の終わりにたまたま会ったアンナと一緒に昼食を取っていると、むず痒いような評判を聞かされた。
「でもさ、やっぱり頑張っている人は応援したいじゃないか」
「……その代償はとっても恐ろしそうですけどね」
眉を寄せたアンナだったけど、そういえばと話題を変えた。
「リリーディアさんと何度か会って、愛称で呼び合う仲になりましたよ。そろそろまた、レオさんも一緒にどうです?」
「いいね、ちょうど行きたいと思ってたところだったよ」
そうしたら週末にまたどうぞ我が家にとアンナが言った。
「でももう女の子の格好は無理そうだね」
「そうですか? まあ最近のレオさんは、少し背が伸びましたものね」
入学当初はアンナより少し高い程度だった僕の身長が、いまはアンナより確実に高くなっている。それに合わせて体つきも男らしくなってきているので、もう少女の格好はさすがに無理がありそうだ。
季節はすでに夏を迎えているので、入学から半年は経ったのだ。僕も成長するわけだね。
「男らしくなりつつあるけど、アンナは平気?」
「ええ、レオさんですから大丈夫ですよ。まあラニエロはこの先何年たっても、近寄らせるのは無理ですけれど」
まあ女性の方を好むのに無理矢理襲われたうえでの大怪我だ。許せないのは当たり前の事だろう。
「なんだかレオさん、絵本に出てくる王子様そのものの見た目になりつつありますね」
頬を染めてもじもじしているアンナは、相変わらず可愛らしい。
「今回はカルロさんはいらっしゃるのですか?」
「いや僕だけだよ。カルロはほら、婚約者のブリジットと仲良くする時間も必要だもの」
鍛錬後に汗を掻いたカルロにタオルを渡したりと、ブリジットは甲斐甲斐しく尽くしている。まあそれをラニエロが悔しそうな顔をして見ているのだけど、正式に婚約しているのだから諦めるべきだろう。ブリジットがカルロを好きでいるうちはね。
「そうですか、ならレオさんの分の洋服の準備をしますね。護衛の方は目立たぬよう離れていてもらった方が良いかもしれません。バルバード家の馬車が頻繁に行き来してますから、ルキノ・バルバードに見つかることもありえますよ」
「なるほどね。ルキノはまだリリーディアに会いに来ているの?」
ルキノの事を聞くと、アンナは眉間に皺を寄せ、地を這うような声色で言った。
「ええ来てますよ。それも頻繁に。そうしてリリーディアさんに可愛い子猫ちゃんだなんて言って、プレゼントを山ほど持ってくるんですの。リリーディアさんもそんなルキノさんに絆されてるようでして。あんな男に…あんな男にですよ」
ぎりぎりと歯ぎしりするアンナは、普段の大人しい雰囲気とかけ離れている。
『これは嫉妬だな、ヒヒヒ』
おやそれはそれは良かったね、アンナ。
「アンナ、ケーキでも食べるかい?」
「え、いまからですか。まあ食べますけども」
「じゃ、ご馳走してあげる」
アンナは僕が突然そんな事を言い出したからか、ちょっとだけ驚いたようだ。でも運ばれてきたケーキを食べてすっかり機嫌を直した。甘い物は人を穏やかにさせる効果もあるね。
「ところで、ルキノがリリーディアに上げてるプレゼントって何?」
「バルバード領で手に入る肉や魚や穀物類が多いですね。あとは菓子類。宝石や服などはありませんでした」
もらった物は近所にも分けているそうだが、ルキノが来たときは一緒に食事もしていくらしく、エルマの料理を堪能して行くのだそうだ。
「リリーディアもリリーディアで、ルキノ・バルバードが持ってきた物を喜んで食べていて、……食べ過ぎは良くないと何度か言いましたけど」
「食べるのは止めても無駄だよ、アンナ」
だってリリーディアが食べるのは、お腹が空いてるからだけじゃないだろうし。
「自分より年上の貴族の男。格好はちょっとアレだけど、格好良い部類に入る顔立ちだよ。そんな男が自分に会いに来てくれている。それも頻繁にだ。さらには父親が死んだ後で途方にくれていた所に手を差し伸べてくれた男。これは好きになってしまうんじゃないかなぁ。そんな好きな男がくれるものだよ、喜んで食べるだろうね。だってその食べ物には、男からの愛が入っているかのように感じて、とても美味しいんだろうね」
まあこれはカラの受け売りだけど。
リリーディアがルキノの事を好きっぽいのは当たりだし。
僕の言葉にアンナが感心したように頷いて、それなら私はもう止められませんねと言った。その顔がちょっとだけ悲しそうだ。
「でも、だからこそ、ルキノ・バルバードがリリーディアさんの純情を悪戯に弄んでいるとしたら、許せません」
「だねぇ。貴族の息子が町娘を弄ぶなんて、昔からあるろくでもない話だもの」
ルキノ・バルバードが何を考えているかなんてわからないけど、どうせロクな事じゃないだろうね。
バルバード家の動きも気になるし。
そのあたりは宰相に任せているけど、バルバード侯爵はそんなに野心の強そうな感じに見えなかった。そうなるとどうなのだろう。いまのところ、ルチアーナの所にルキノが会いに行ってるとかそういう話はない。
ルチアーナ達は宰相の計らいで、魔法道具の製作で手一杯だろう。アルバーノも連日部屋に籠もって頑張っているという話を、弟のセルジュから聞いた。セルジュも十二歳になったので、王宮でのちょっとした集まりに顔を出したとき、僕と少しばかり話をしたのだ。
見た目の通り穏やかで素直そうな少年だった。宰相の妻の実家であるライモンディ家でも可愛がられているそうで、祖父にあたるライモンディ伯爵に溺愛されていた。初めて王宮に来てはしゃいでいたのだろう、ライモンディ伯爵にあれやこれやと聞いてはとても楽しそうだった。
ライモンディ伯爵にも話し掛けたとき、セルジュの為ならなんでもしてしまう、孫はやはり可愛いと顔を緩めていたのが印象に強い。
なんでも生まれた当初は病気がちだったため、目が離せなかったそうだ。宰相のピエトロは激務なのであまり家に居られず、ライモンディ伯爵の屋敷で何度か静養していたらしい。なるほど、だからいっそう溺愛しているのか。
こんなに可愛い弟がいて、アルバーノもさぞ良かっただろうと思った。