①
①その森に小屋があった。
スンとセラムが探していた、幼いころに世話になった茶菓子屋だ。
平原で出会った旅人から、場所を聞き出せた時は、よだれが溢れ口内に痛みが走り、腹の虫が鳴った。
二人はすっとんでいくように家へ戻って支度を始めた。
長旅になりそうだ。二人とも自分のリュックに様々な物を入れていく。弁当に地図、方位磁石、お金。今までにないくらいの大荷物を二人は背負うことになった。
それだけ遠いところにその小屋はあった。馬の足でも三か月はかかる。馬を持ってないスンとラムにはどれほど長い旅になるのか、想像に難くない。
「ラム、こんな荷物で小屋までたどり着けるの?」
弟である、スンが言った。スンは旅をしたことがなかった。小屋への期待感はあっても長旅の不安は簡単に抑えられない。
でもラムは旅をしたことがある。ここまで長い旅はないけれど、幼いころに両親と町まで買い出しに。馬の足で2時間の、幼いラムには大冒険といえるほどの旅だった。
「僕にも分からないよ、スン。野宿もあまりしたことないしね」
②ラムはリュックの中身に眼を通しながら、そう答えた。
そこで野宿用のテントがないことに気が付き、物置の方へラムは消えていった。
物置の中を探りながらラムは不安を感じていた。
自分はともかく、遠出を経験したことのないスンは大丈夫だろうか。
父親が死に、前の家では町から遠すぎて買い出しに行くことが困難になったため、母親と二人でここまで引っ越してきたのを覚えている。
その時はまだ、スンは母親のおなかの中にいて、ラムも4歳だった。
母親はスンを生んでから10年後、病でこの世を去った。
ある時、急に母親が厳しくなったと思ったら、意味を理解できたのはその数か月後だった。ある程度言葉の意味を理解できる年齢であったのに、我ながら気づくのが遅く、情けなかった。
そして同時に、スンを見てやれるのは自分しかいないと責任感が生まれてきた。
あれから数年、スンは元気に成長して、自分も胸を張れる年齢になった。
しかし、今回の旅は引っ越しの時とレベルが違う。
重苦しい手を動かしながらラムはそんなことを考えていた。
③ラムはテントを見つけると居間へと戻って、スンに言った。
「これが野宿用のテントだ。」
床にテントを広げる。少年二人では少し窮屈な大きさのテントが開く。
「俺たち二人が眠るには少し小さいし、食料だって安定するとは限らない。スン、お前はそれでもついてこられるか?」
スンは少し間を置いた後、無言でうなづいた。
ラムはその言葉を聞くと、明日7時に家を出る、とだけ伝えて寝室へ向かった。
その夜、ラムは夢を見た。
父親が死んだときの夢だ。自分に狩りを教えるため、ラムの父親は4歳だった彼を森へ連れて行った。そこでラムの父親は、ラムを逃がすために死んだ。理由は今でも分からない。
ラムには父親が森の状況を間違って把握しているとは思えなかった。
でも気が付いたら肉食動物が辺りにたくさんいて、父親はラムに走れと怒鳴った。元来た道を一直線に走っているとき、動物の鳴き声と父親の大声が耳に入ってきた。
そして、気が付いたら森の入り口近くまで戻っていた。
それから父さんは帰ってこなかった。
死体は見ていない。家の中で父親以外で森で狩りができる人はいなかったから。
あの時のことを悔やむようにラムは夢の中でうなっていた。
④翌朝。
スンが目を覚ますと、ラムはまだ隣で横になっていた。
酷くうなされているのか、ひどく汗をかき、息が荒かった。
「大丈夫かな…?」
もうすぐ起きる予定の6時半になろうとしているので、スンはそうっとラムを揺すって目を覚まさせた。
ラムは苦しそうに体を上げて、ゆっくりと深呼吸を始めた。
「大丈夫? かなり苦しそうだったけど」
スンの言葉を聞いたラムは呼吸を整えると、スンの方へ向いて答えた。
「なんでもない。夢が変だっただけだよ」
さっさと汗を拭くとラムは居間の方へ行ってしまった。
ラムは時折、変な夢を見てはうなされていることがよくあった。
そしていつも、何でもない、とか、気にしなくていい、とか、スンに
強がっているように見せていた。
「ラム、一体何の夢を見ているんだ…?」
しかし、何度も見る兄の苦悩の表情と昔見た母親の虚勢めいた微笑みが、スンの頭からは離れることはなかった。
そのことが気になりながらも、スンは旅の支度を始めることにした。
⑤峠は6時間後に訪れた。
家を出て、町で買い出しを済ませてから、二人は次の町まで歩いて移動していた。
馬車による移動も可能ではあったが、金銭的な理由と二人が目指す場所と逆の方向の便しか運営していなかったため、二人は長距離に適した靴を調達してから、町を出て山道を進んでいった。
道は人によって整備されており、人による検査も済まされていた為、危険な猛獣や毒を持った昆虫などがいない、安全に移動することができた。
しかし、進めど進めど、村や人の手による明かりを目にすることはなかった。
「あとどのくらいで村があるの、ラム?」
長時間の徒歩になれていないスンは愚痴をこぼすようにラムに言った。ラムは機嫌を損ねかけたが、スンの様子を見て、すぐに気を取り戻していった。
「少し休憩するか。その間、俺は地図をもう一度確認しておく」
スンはその言葉を聞くと近くの丁度良い岩に腰かけて、ピンを取り出して中の水を飲みほして安堵した。
それとは対照的にラムは苦悩の表情を浮かべていた。地図には町から3時間で着くはずの場所に村が書かれているのに、その方向へ向かっていた自分たちは今も山中で彷徨っていたからだ。
ラムにはどこで間違えたのか、しばらく考えても分からなかった。
⑥ラムはスンに、自分たちが道に迷ってしまったことを伝えると、彼の顔に驚きの色が浮かんだ。
「でも、来た道を戻ることはできない。だから俺たちで目印を見つけて進んでいくぞ」
ラムはスンにそう伝えた。
各々地図を広げて、自分たちの居場所を確認していく。
「目測でも、ここは山頂まで2キロはありそうだ。なら、俺たちがいる可能性がある場所はこの範囲だとわかる。」
地図の標高を示す目盛りを使って自分たちがいる可能性のある場所を絞っていく。
しかし、それだけではまだ足りない。
地図には山頂が五か所あり、どこの山頂から自分たちは一番近いのか、分析できる要素も少なかった。
「まだ、どこにいるのか分からないよ、ラム」
「とりあえずこのまま山頂へ向かおう。そこから遠くを見渡して、周りの山頂と比べて自分たちがどこにいるのか確認するんだ。」
スンはうなづくと、二人は山頂へ向かって再び歩き始めた。
上り坂だが、6時間もの徒歩により二人の体力は限界に近付いており、山頂に二人が付くころには夜になってしまっていた。
⑦「予定ではどのくらいで着くの? ラム?」
二人は持ってきたテントの中で横になっていた。
現在位置を確認したところ、どこに自分たちがいるのか特定することができなかった。。
地図が古かったためか、道や地形が地図の中身とかなり変わっていた。
「分からない。近くに町や村があるようにも見えないし、地図を手に入れるのも苦労しそうだ。」
ラムはリュックの中身を確かめた。
食料は多めに買っており、町にたどり着けなくとも三日は食いつなげる量は残っている。
次の町に付くまで何日かかるか、見当もつかないが、食料が尽きた時のことも考えて、山の中で木の実を見つけておく必要があるかもしれない。
「スン。明日から木の実を探しながら歩くよ。」
「木の実? 食べ物を集めるってこと?」
「そうだ」
「そんなに、これからどうなるか分からないの?」
「そこまで深刻じゃないけど、年には念を入れてさ」
原因は不明だが地図の情報ではこの辺りには、町があるはずだった。
単に自分たちが見落としたのかもしれないが、山の頂上から見渡して何も見つからないのは、どう考えてもおかしい。
何かこの辺りであったのだろうか。そうラムが考えているうちに、二人は深い眠りに落ちていった。
⑧翌日も、二人は小屋へ向かうために、山中を歩き続けた。
隣の山の山頂に差し掛かった時、麓に住居が集まっている場所が見えた。
「あそこに村があったんだ!」
二人は気が付けば全速力で村へ向かって走っていた。
しかし、二人がそこへ着いた時には、景色が一変していた。
二人が村だと思っていたものは、既に人影が残っていない廃墟だった。
「誰もいないのか? 何か役に立ちそうなものは?」
二人は廃墟をくまなく歩いて、何か為になりそうなものを探した。
結局、そこで何かを見つけることはできなかったが、家の中は埃まみれだったことから、人がいなくなってから随分時間がたっていることしか分からなかった。
「何もなかったね」
「ああ、異常だな。ここまで来ると」
日が沈む前に二人はそこを離れた。
根拠はなかったが、悪いカンが働いていたからだ。
そして日が沈むころ、小屋へたどり着こうとする二人の考えは変わっていた。
「なぁスン。相談があるんだ。」
テントの中で、先に切り出したのはラムの方だった。
⑨「スン、俺は小屋へは行くのはやめた。お前が行くというなら一人で行くんだ。」
暗がりの中で聞いたラムの声はやけに重く感じた。
「どうして? どういうことなのラム?」
「お前も見ただろ? 地図と大きく違う地形と人が消えてから随分長く経つ村。きっと何か悪いことが起こる予兆の気がするんだ。」
「そんなのただの予感でしょ。危ないことが起こる証拠なんて何もないじゃないか」
スンは食い下がってくる。数日前に二人で決心したばかりなのに、いきなり旅をやめるなんて言い出したら、そういう反応になる事も納得できる。
しかし、
「根拠はある」
父親が死んだ日、森の中はざわついていて、動物や獣が血走ったように襲い掛かってきた。
「何でうちに父親がいないか、言っただろ。森でいきなり猛獣に襲い掛かられて死んだって」
「そうだけど、それとこれとは関係ないだろ」
「それはだな…」
それからラムは自分の考えをスンに伝えた。
そして、日が昇り始めたころ、スンはラムの考えに納得したのか、一人次の町へ向かって進み始めた。
そしてラムは、今まで歩いてきた道を、再び引き返すのだった。
⑩あれから、かなりの年月が経った。
ラムは早朝に起きると、庭の畑を耕し、町に肉を買いに出かけた。
昼までには帰ってきて、昼食を済ませた後に買っておいた地理学についての本を読みふけった。
本の中にはラムの家の近辺の地図が載っていた。
「またか。もうこの本は使えない。」
ラムは立ち上がって、本をゴミ箱の中へ放った。
本の地図の年号は去年の物だったのに、だ。
ラムが旅を辞めて家へ戻ろうとしたとき、戻った場所には家はなかった。
行きに地図を買った町を通っていったので、道を間違えたということはない。
幸いラムは知り合いに頼んで町はずれの借家に住まわせてもらっている。
土地が変わっている。それも頻繁に。
推測だが、父親が死んだ原因も森が変わって危険な猛獣がやって来たからかもしれなかった。
「スン。お前は大丈夫か? 今どこにいるんだ?」
あれからスンからの連絡はない。
どこかでスンを見たという噂も聞いていない。
「それともちゃんと茶菓子食えたか?」
ラムはスンの無事を信じて、これからも研究に精を出していく。