十三章『忌まわしき王孫ハクヤ』(5)
アドァの言うとおりに乞食の道案内を経て東区にたどり着いたヨーゼは、古い造りの商店の裏口へと回った。南国産の小物を売っているようで、それなりに繁盛しているらしく、日が沈むまで路地裏で待たなければならなかった。大貴族のひとつが滅んだばかりだというのに、西区以外の都下の人々はずいぶんと逞しいようだが、暴徒が襲ったのは西区の一角に集中しており、広い王都の反対側にある東区にはまだ余波が来ていないのかも知れない。
「タータハクヤ家の生き残りで、ヨーゼと申します。家人がここにいると聞き、門を叩きました」
ヨーゼは、正直に身分を明かした。アドァの情報に誤りがあれば、無下にたたき出されるか、賞金を欲したエリリス家の者達によって取り押さえられ、暴徒に引き渡されるだろう。
応対をした奴隷の男は、大慌てで主人に報告したらしく、しばらくして三十路くらいの顔の小さな男が現れ、店内に誘われた。
「あなたがエリリスさんですね」
「そうです。まだ生き残りがいたことには驚きましたが、どうやってあの屋敷から脱したのですか?」
この歳で商店を経営しているだけあって、頼もしい張りのある声である。ただし、体つきは貧弱で、竜車を駆って交易を行うのは不得手なように見えた。
「事件の際、私は屋敷にいませんでした」
「忠義のために、わざわざ戻って来られたのですか…」
エリリスは何やら感心したような目でヨーゼを見た。タータハクヤ家が滅んだ一因に、自分が使いをしくじったこともあると思っているヨーゼは、その視線に耐え切れずに目を逸らした。
「何故、このような温情を?」
アドァのような理由が、エリリスにもあるのだろうか。
「妻が分家の出身なのです。本来はこのような危ない橋を渡るのは好まないのですが、何分、尻に敷かれる性質でして…」
「義商ですね」
馬鹿ではないか――とはヨーゼは思わなかった。現にひとり、エリリスの勇気によって命を救われている。それに、感情だけで動いていれば、たちまちにして足をすくわれるのが商人の世界であるから、エリリスにも彼なりの打算があってやったことだろう。それが何なのかはヨーゼにも想像がつかないが。
「立ち話はこれくらいにして、お会いになるとよろしい」
商家の一室に案内されたヨーゼを待っていたのは、酷く衰弱した様子のヒドゥだった。
「ヒドゥ様、ご無事でしたか…」
同じ下僕とはいえ、ヒドゥはヨーゼの上司にあたる。直接彼の指示を受ける立場にはなかったが、常に七代タータハクヤの傍に侍るヒドゥと、常に使い走りを任されるヨーゼとでは家内での格が違った。
「ヨーゼか、生きていたか…」
ヒドゥの傍に擦り寄ったヨーゼは、彼の手をとって言った。
「申し訳ありません。私には何も出来ませんでした」
心の底から、己の至らなさを悔いた。今でも、何をすれば正しかったのかはわからない。王子ゲール相手に詐欺紛いの談判を行ってまで、タータハクヤ家の存続のため駆け回った。それでも、もっと良い方法があったのではないかと、自分を呪いたくなるのだ。
「もうよい。今となっては、誰もお前を責められん。私には妻も子もいなかったが、お前は両親と妻子を失った」
恨み言すら、何もかも失った今では虚しい。ヨーゼとて、当主が死んだのにおめおめと逃げ延びているヒドゥを責めようとは思わない。彼がタータハクヤ家を見捨てて逃げるなどということが想像も出来なかったからだ。
ヨーゼは、七代タータハクヤの密名を帯びてから自分が行ったことを、まるで帰営した兵士が上官に報告を行うように、細々と話した。ヒドゥが問うてもいないのにそれを行ったのは、体内に充満した感情を全て吐き出そうとしたからだろう。
「ゲール王子が…そうか。だが、遅かった。全てが遅かったのだ!」
しばらくの間、ヒドゥと共に泣いた。
互いに涙など枯れ尽くした頃、ヨーゼががらがらになった声で再び話し始めた。
「屋敷で何が起こったのですか? 神龍は何故、降りたのです?」
ヒドゥはしばらく沈黙した後、答えた。
「賊どもに屋敷を包囲されて何日か経った頃、当主様が竜肉の儀式を行うと仰った。お前は知らぬだろうが、あれはタータハクヤ家だけに伝えられた秘法だ。神に選ばれて甦った者は不死になると言われており、当主様はそれをナラッカ様に行うことで、血胤を守ろうと考えられたのかもしれない。だが、ナラッカ様は息を引き取られたまま、ついに生き返らなかった」
エミの日記に書かれていたことだ。ヨーゼが知りたいのはその先である。
「だが、神龍は、別の人間を選んだ。それが、お前の妻だ」
「エミは、どうなったのです?」
「…辛いぞ。聞くか?」
ヨーゼは無言で頷いた。
「儀式から間もなくして、エミ様の容態が変わった。呆然としていたかと思うと、急に体中を掻き毟り、血まみれになった。取り押さえるのに数人係でも足りないくらいに暴れ、とても女のものとは思えなかった。その内、彼女は記憶が混乱したのか、自分の娘のことも分からなくなった。そしてその頃、神龍が降りたらしい」
「らしい?」
「私には見えなかった。ただの晴れた空だけがそこにあったが、当主様は見えていらっしゃるようだった。外を取り囲んでいる賊の中からも、『神を見ては死ぬ』という絶叫が聞こえた。しばらくして、当主様は『我が家は竜から落ちた』と仰り、自室で自刃なされた。突然の事だったので、誰も止められなかった。それからまた賊の激しい攻撃が始まり、屋敷に火矢が放たれた。それまでも何度か火をかけられたが、当主様が逝かれてからは、屋敷を守ろうという気概が誰からも消えていた。時を置かずに賊に門を破られ、侵入された。女と子ども達は多分、最後まで屋敷に残っていた。シムシ様は私に、屋敷を抜け出し、ほとぼりが冷めた後でナラッカ様を掘り返してお守りするように言いつけられた」
「ナラッカ様は、生きているのですか?」
ヨーゼの問いに、ヒドゥは静かに首を振った。血のように濃い涙が、壮年の男の頬を伝った。
「シムシ様は、最後までそう信じておられた。だが、ありえんのだ。もう埋められて何日経つ? 儀式は失敗したのだ。私はあの場所を掘り返すのが怖い…」
ヒドゥはうなだれたまま、肩を震わせていた。地中に埋められたナラッカを掘り返して出てきたのが、幼児の遺体であったとすれば、その時点で全ての望みが絶たれるからだ。
この時になって、ヨーゼは初めてヒドゥを罵倒したくなった。自分の感情を先に置いて、主の最後の願いを果たさないヒドゥを侮蔑したのは、ヨーゼには忠義を貫いて主に殉じたくとも、それが出来なかったからだ。
「貴方が行かないのなら、私が行きましょう」
立ち上がったヨーゼの背後から、しわがれた老人のような声が聞こえた。
「達者でな。もう二度と会うこともないだろう…」
ヨーゼはこの場でヒドゥを斬り殺したい衝動に駆られたが、辛うじて押し殺した。
エリリスに改めて礼を言ったヨーゼは、
「ヒドゥ様を無事に王都から逃がして下さい。誰にも見つからぬ山奥にでも…」
感情が声に出ないように言った。二度と顔も見たくないとは流石にいえない以上、精一杯の皮肉だった。
ヨーゼを裏門から送り出したエリリスは、ヒドゥのいる部屋に顔を出すと、
「良いのですか?」
と、確かめるように言った。
ヒドゥは先ほどヨーゼに見せたのとはうってかわって、静かな怒りに震えるように答えた。
「好青年に見えますが、あれは主の愛人を寝取るような男です。我が家が災難に見舞われた時も、他家を説得するふりをして、どこぞに身を隠していたのでしょうな。新たなタータハクヤ家に、あのような不忠者は要りません」
怨毒を吐き出すような強く重い声である。その声に驚いたかのように、商家の片隅で幼児の泣き声が響いた。
再びタータハクヤ邸の跡地に立ったときには、既に夜も更けていた。
月明かりだけを頼りに、ヨーゼは中庭のあった場所に立ったが、そこら中の地面を掘り返していては、夜が明けてしまう。土が掘り返されたあとを探そうにも、この闇の中ではわかるはずもない。
途方に暮れたヨーゼの耳に、仔猫が鳴くようなか細い声が聞こえた。
(まさか…)
声のする方を辿ると、庭の一角でほんの少しだけ盛り上がった地面に行き着いた。雲など無い夜である。だというのに、その小さな壇にだけ月光が多めに降り注いでいるかのように見えた。
ヨーゼは辛うじて焼失を免れた木材を拾い上げると、それで地面を掘り返した。雨の後の硬い地面である。尖った木片が皮膚に食い込み、血が出るのにも気づかず、ヨーゼは必死で掘り返した。
地面から顔を出したは張りのある泣き声ではなく、かすれたそれだった。
「おぅ…おぅ!」
言葉にならない何かが、全身から発散されたような気がした。ヨーゼは半ば地中に埋もれたままのそれを手に取り、抱き上げた。一緒に埋められていたのだろうか、夥しい量の竜草が宙を舞った。
「ヨーヨ、ヨーヨ」
ヨーゼのことを、幼児はそう呼んだ。
見間違うはずが無い。タータハクヤ家の末娘、ナラッカがそこにいた。エミもヒドゥも、竜肉の儀式は失敗していたと言っていたが、信じ難いことにナラッカは甦った。そしてそれは、タータハクヤ家の血胤がまだ途切れていないことの証明でもあった。
(早く、ゲール王子に…!)
ヨーゼがまず考えたのは、それだった。この地上で唯一、ナラッカを保護してくれそうな有力者である。ヨーゼが言質を得たのは、ゲールがカラタチの子トランの後見人となることだったが、トランが死んだと知れば、ゲールもナラッカに同じ待遇を与えるはずだと。
月光を浴びせるように、ヨーゼは空に向かって幼児を抱え上げた。
突然、どこかから木片を踏み砕いたような音が鳴った。
驚いて周囲を見渡したヨーゼだったが、人の気配は感じられない。いや、逆だ。気配は感じるのに、姿が見えない。奇妙な感覚にとらわれながらも、ヨーゼは焼け落ちた家屋の中でもぽつりと焼けずに残った壁の裏に身を隠した。
少し経って、数人の足音が近づいてきた。
「おかしいな。このあたりだと思ったんだが…」
「生き残りとは思えん。大方、火事場泥棒でも入ったんだろうよ」
声の主は、どうやら三人いるらしい。全員武装しているのか、腰につけた剣鞘の音が聞こえる。
「まさか人魂じゃあ…」
「おいおい、灯りが見えたって言ったのはお前さんだろうに…」
灯り――と聞いてヨーゼは疑問を覚えた。いくら略奪が終わった後とはいえ、夜中に炬火を持ってこの場に寄れば、怪しまれないはずがないから、彼自身、闇の中で目を凝らして進んできたのだ。
「とはいえ、あのタータハクヤ家もこうなってみると可愛そうなもんだな」
ヨーゼは今にも崩れ落ちそうな壁に空いた穴から、向こう側を除き見た。
「真っ先に女に襲い掛かった奴がそんなことを言うか」
くっくっ――と、苦笑する声が聞こえる。
「南人訛りの女はどうにも駄目だ。木偶を抱くよりはマシだがな」
ヨーゼは、煮えたぎる怒りを押し殺している。今出てゆけば、全てが終わる。
「月が赤いな。本当はこんな夜にうろつくのは御免なんだが…」
「お前さんはいつもそうだから、酒場の娘にも相手にされないんだよ。さて、金目の物でも残ってないかねぇ」
武装した兵士の一人が、焼け落ちた家屋の下敷きになった頭蓋を、小石であるかのように蹴った。
その兵士の胸に、蒼く光る宝石があった。ヨーゼが何かの折に、妻のエミに贈ったものだった。
(あれは…)
思わず、硬直したように動かなくなった。力んだせいか、足元の炭くずを踏みしめた音が辺りに響いた。
「誰だ!」
三人が、ヨーゼの方を振り返った。
一人が他の二人に指示をして、左右から一人ずつ壁を回りこむ形で、じりじりと迫ってきた。
彼らが驚いて身を竦ませたのは、ヨーゼが抱きかかえたナラッカが、突然泣き出したからだ。枯れはてた、かすれた声だった。
不気味な声に敵が驚いている間に、ヨーゼは壁影から飛び出して瞬く間に一人を刺し殺した。
「あっ!」
逆から回り込んでいた一人が切りかかってきた。それを辛うじて避けたヨーゼに、三人目の持つ凶刃が迫った。
剣の腕はそこそこあっても、兵士としての訓練を受けたことの無いヨーゼに勝ち目は無かった。彼はたちまちに剣をはじき落されると、顔を切り伏せられた。眼前が真っ赤になり、鼻筋から血が怒濤のようにあふれ出た。
喉元に剣先を突きつけられ、動けなくなった。
「ほう、ほう。生き残りか、それともただの火事場泥棒か? まあ、子連れの泥棒なんて聞いた頃がないからなぁ」
そう言って、賊はもう一人にに顎で合図した。先ほどまで人魂がどうとか言って縮こまっていた男も、職務には忠実らしく、右手で剣を持ったまま、残った左手を幼いナラッカの前に差し出した。
「さあ、おいで…」
ヨーゼは、背後で行われている光景を見ることが出来ない。微かにでも動けば、喉元が断たれ、自分は永久に地に伏すことになる。
「まさかとは思うが、タータハクヤ家の血縁か。末娘の死体だけ見つからないから、多分そうだろうな。となると、俺達はどうやら大手柄らしい。面倒でもつまらん仕事にせいを出していれば、こういう幸運にありつけることもある」
嫌に上機嫌に話しかけてくるが、ヨーゼは彼が自分を生かすことは無いことが分かりすぎるほどに分かっている。
(ここまで来て、死ぬのか…)
最後で望みが繋がったように見せかけて、結局はそれも無駄に終わる。これが巡り合わせだとすれば、運命は自分を翻弄するのが楽しみで仕方がないのだ――と、ヨーゼは天を仰ぎたくなった。
刹那、自分に剣を突きつける男の顔色が変わった。
何かがつぶれるような音が鳴った。
「ぶぇ――」
子供が聞けば笑い出すに違いない奇声を発した男が、ヨーゼの足元に斃れた。
視線だけ動かしてそれを見ると、男の顔が潰されていた。
ヨーゼは、自分が剣を突きつけられていることも忘れて振り返った。
赤い髪、赤い瞳――常人とは思えない色をたたえたそれは、夜光を弾くように自ら光を放っていた。ナラッカは、足元に落ちた小石を拾うと、笑いながらそれをヨーゼに剣を突きつける男に向かって投げた。
男のつけた肩当が弾け飛んだように見えた。だが、男も恐怖に駆られながら、自分の持った剣をナラッカに向けて投げつけていた。
幼子の細い首元に剣刃が食い込んだ。真紅の光を発していた髪と瞳は、その色を失い、ナラッカは倒れた。
「ナラッカ様!」
ヨーゼは夢中でナラッカに走りよった。今の怪奇が何なのか、彼には詳しく分からない。ただ分かるのは、
(神龍…)
誰にも理解できず、誰にも制止できない破壊の化身――それが、幼いナラッカに宿ったのだと思うしかなかった。
ナラッカを襲った凶刃を抜くと、夥しく流れ出るはずの血は一滴も出ず、傷口が瞬く間にふさがった。よく見ると剣先がへし折れていた。衣の内側に、折れた剣の欠片が挟まっていた。
幼子は心地よい寝息を立てて眠りについていた。安堵したヨーゼだったが、同時に、人間とは思えない先のナラッカに戦慄してもいた。
うめき声が背後から聞こえた。
ナラッカに肩を砕かれた男は、苦痛でもはや立ち上がれないようだ。
憎悪が、自分の胸を貫いた時、ヨーゼは誰かの声を聞いた。
――そいつを殺せ!
それは上空から放たれた。ヨーゼが天を仰ぎ見ると、真っ赤に染まった月だけが天に浮いていた。
「エミ、エミなのか?」
ヨーゼの問いかけに、天は確かに答えた。
――ヨーゼ、そいつを殺せ!
男は自分が大きな影に包まれたことを知った。
ヨーゼは拾い上げた剣を男の胸元に突きつけると、皮膚が震えるような低い声で言った。
「その首飾り…どこで手に入れた?」
男の目は恐怖の色で満たされた。
「拾ったのだ。焼け落ちる屋敷の中で、誰もが略奪していた。下級兵士の俺には、これくらいしか奪うものが無かったのだ」
「嘘をつくなよ。持ち主は片時も離さずにそれを身に着けていたはずだ。さあ、本当のことを話せば見逃してやる。殺して奪ったのだろう?」
藁にでもすがりつきたくなったのだろう。男は観念したのか、自分の悪業を全て吐露した。
彼が何を話したのか、ヨーゼはほとんど憶えていない。ただ、汚濁にまみれた言葉が紡がれるたびに、自分の妻が賊に蹂躙され、死に果てた姿が目に浮かんだ。
ヨーゼは渾身の力を込めて、男の胸を剣で刺し貫いた。何度も、何度も、同じ動作を繰り返した。男の断末魔など聞こえなかった。
ナラッカを連れたヨーゼは、もう東区にいるヒドゥに会おうとは思わなかった。彼はアドァの部下に違いない乞食達の案内を経て王都から脱出した。
王都を抜けた先、狩場にある大樹の前に立った。数年前、ここに雷が落ちたとき、タータハクヤ家の、いや、自分の運命が変わった。
「エミ、エミ…俺も連れて行ってくれ…」
天を仰いだ先に彼女がいるような気がした。
しばらく王都の周辺で身を隠していたのだが、ヨーゼはゲール王子が約束を反故にしたことを知り、絶望した。いや、予想の外にあったことではない。彼の父であるドルレル王がタータハクヤ家の撲滅に密かに賛成していたことは明らかだったからだ。
次いで、タータハクヤ家を襲撃した貴族達が次々と粛清された。ドルレル王は最も陰猾な手段で王権を拡大することに成功した。この時、南方では望南戦争が既に進行中だった。
ヨーゼは、タータハクヤ家の復興に意味を見出せなくなっていた。先に西門の門番が話していた「王が死ねば次の王が立つ」という諦観にも似たものが、実は真理ではないかと思い始めていた。生き残ったナラッカを守り立てたとしても、それは他の大貴族の口ぞえがなければ実現せず、たとえ復興をなしたとしても往時の栄華が戻ってくるわけではない。だがそれでも、タータハクヤ家滅亡に手を貸したドルレル王だけは許すわけには行かなかった。直接に手を下した暴徒が全て滅んだ今、ヨーゼの憎むべき相手はドルレル王しか残っていなかった。
虚しさを感じながらも、ヨーゼは復讐に身をやつす以外の方法を思いつかなかった。
(もう一度、あの声を聞きたい…)
神を降ろすといった大それた計画を立てたのは、あるいはこの理由によったのかも知れないと、自分でも思った。
望南戦争の余波を避けて大陸中を旅した。南方のナバラ王国でキュローという名の豪商と知り合ったのもこの時期だった。
「アクシアはそろそろクーンから離れるよ」
と、目が確かなこの商人の言うがまま、ドラクワ地方を縦断し、西域へと足を踏み入れた。この時点でタータハクヤ家滅亡から十数年が過ぎていた。
ヨーゼの苦悩も、自分の出自も知らぬナラッカは、すくすくと育った。
共に起居し、悪さをすれば真摯に叱り、女になった日には自分のことのように喜んで、少女を困惑させた。
いつか彼女をただの道具のように使ってはうち捨てる日が来るのかと思うと、自分が狂人ではないかと恐ろしくなったりもする。
もはや自分の名も忘れてしまった少女の頭に手を当てながら、ヨーゼはそんなことを考えていた。
十三章『忌まわしき王孫ハクヤ』了
十四章『死すべき者達の都』へ続く