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十三章『忌まわしき王孫ハクヤ』(4)

 王都に戻ったヨーゼを待っていたのは、絶望だった。

 ほんの数日前までタータハクヤ邸のあった高台は、焼け落ちた廃墟に変わっていた。略奪があったのか、焼失を免れた倉庫は開け放たれ、財宝や穀物、文書に至るまでも全て消え去っていた。

 流れ出る涙を止めもせずに、ヨーゼはこの度の暴動を静観していた中でタータハクヤ家と(よしみ)のある家の門を叩き、生存者の有無を問うた。だが、既に反逆者の烙印を押されたタータハクヤ家の家人と知っただけで、誰もが門を閉じた。

 最初に向かったのはタータシムシ家だが、この家から受けた仕打ちが最も酷かった。彼らはなまじタータハクヤ家と血縁関係を結んでいたから、襲撃犯に目をつけられでもしていたのだろう。ヨーゼの顔を見ただけで彼を捕縛しようとした。健脚のヨーゼはどうにか逃れたが、タータシムシ家ですらこうなのだから、他家に期待をかける意味を失った。

 何の期待もせずに西侯家に赴いたところ、やはり門は開かれなかった。

 腹の底ではないどこかから、虚しい笑いがこみ上げてきた。

 西区を歩き回り、歩く人に声をかけたが、とばっちりを受けるのを恐れた人々は皆、彼の話を聞くや逃げるように離れていった。もとからして数日前に武力抗争があったばかりだから、人通りも少ない。

 やがて、王都クーンの果て、西門に着いた。

(南区へ行くか、それとも東区へ行くか…)

 頭の中でそう考えてはみるのだが、足が鉛を含んだように重い。自分の行っていることが、タータハクヤ家の生存者を探すために人々に問いかけるのではなく、彼らの誰も助からなかったという事実を証明するだけのようにも思えてきた。

「エミ…ユファ…」

 天を仰ぐと、冷たい何かが目を打った。

「俺は今、何と言った? タータハクヤ家に生かされる身でありながら、誰の名を呼んだ?」

 言い知れぬ後悔と、自分への嫌悪感がこみ上げてきた。エミやユファが死んでも、当主のタータハクヤや、その娘のナラッカさえ生きていれば喜ぶのが忠臣のあり方ではないのか――と。

 雨が降り始めても、その場に立ったままのヨーゼを見かねたのかどうか、門番の老人が近づいてきて声をかけた。

「お若いの。さっきから見ていたが、タータハクヤ家の者がこんなところをほっつき歩いてちゃあ、いかんよ」

 タータハクヤ家滅亡のこの時期も、これより少し後に創設されるクーン剣士団の台頭後も、王都の各門の警備は王宮近衛兵の管轄になる。この門番も、老いてはいるが王宮近衛兵である。

 ヨーゼは呆然と空を見ていて、答えようとはしない。ただ、目だけは彼のほうを向けた。

「タータハクヤ家は、滅んだよ。何でも神龍が降りたらしい。誰が怒りを買ったのかはわからないがね。暴徒も被害にあったらしいが、結局は高みの見物をしていた連中が加わって、金目のものを全部持ち出しちまったらしい。生き残りは、多分いないだろう。さっき西方から来た旅人から耳にしたんだが、嫡子の家も王軍によって攻め滅ぼされたらしい。タータハクヤ家に縁のある者には賞金もかけられている。お前さん、忠義に殉じようとする気概が分からんでもないが、一人では何もできまい。どこかの貴族にかぎつけられる前に、諦めて王都を去るんだな」

「…タータハクヤ・カラタチの家も滅んだのか?」

 感情の色を消した声で、ヨーゼは言った。最も意外で、最も望まない知らせを聞いたというのに、体の芯まで冷えきったような自分の静けさに驚いてもいた。

「ああ、家臣が奮闘したらしいが、タータシムシ家から嫁いだ妻が門を開いたらしい。王命がどうだったかは知らないが、タータハクヤ・カラタチの妻や子も含めて皆殺しだそうだ」

 残酷極まりない情報を包み隠さずに言う老人の言葉は、あるいは眼前の若者が死者が生きていると思い込み、暴挙に走って命を散らすのを惜しんだからかも知れない。

「爺さん。あんた、王が殺されたらどうする?」

「そりゃあ勿論、その相手を殺しに行くさ――といいたいものだがね。この歳になってくると、そのような感情の応酬に嫌気がさしてくる。王が死ねば、次の王が立つ。世の中とは、そういうものだ」

「そうか…次の王が立つか」

 その後、少しの間雨に打たれていたヨーゼだったが、突然笑い出したので、老人はこの若者は気でも狂ったのではないかと疑った。

(カラタチ様は死んだ。トラン様も死んだ。タータハクヤ様も死んだ。エミも、ユファも、皆死んだ! いや、死んだのではない。殺されたのだ!)

 タータハクヤ家の存続という目的を失った今、ヨーゼの望みは文字通り絶たれたのだ。

 クーン文明での復讐とは、美徳ですらある。いや、復讐を果たさない者は、人間としての価値が与えられないほどに侮蔑される激しい社会だ。法による統治の歴史が短いわけではないクーンなのに、法が何より優先して禁ずるべきである私闘の自由は、他の文明国、例えばナバラ王国よりも、クーンの治安を数段低いものにしていた。狩猟民族としての歴史のほうが長いクーンでは、経済や文学や軍事で繁栄を謳歌しても、私的財産の保護や家父長主義を取り除くまでには至っていなかった。この点でクーンが変化をもたらすのは、望南戦争、または飛竜戦役とよばれるナバラ文明との邂逅によってである。

 タータハクヤ家のため――と、意気込んではみても、ヨーゼは自分の体内にある復讐心が、実はそれほど激しいものではなく、かえって静かで、消え入りそうなほどに儚いものであることに気づいていた。

 再び、落ちたタータハクヤ邸の前に立った。

 暴徒がただの略奪者でしかなかった証拠に、彼らはタータハクヤ家を滅ぼした後に、王に伺いも立てずにその資産を強奪し、仲間内で分け合った。文官の家系であるタータハクヤ家が溜め込んでいた膨大な量の書物も、相手が貴族で価値の分かる者が多かったせいか、今頃南区で競売にでもかけられているのだろう。

 本当に何も無い。焼け焦げた残骸ばかりを残す野原となった。残骸のところどころに、砕け折れた人の骨が見えた。剣に刺し殺されたような遺体もあったことから、暴徒は邸内に侵入して乱暴の限りを尽くした後に火をつけたことがわかる。

 ヨーゼは、妻のエミと夢のようなひと時を過ごした一室のあった場所に座った。天井も床も無い、炭くずだらけの地面だった。

 ()いた。吼えるように、何かを呼ぶように。

 雨音さえ彼をうるさがった。

 炭くずを握り締めては、何度も地面を叩いた。

 狂乱したように躍り上がり、また哭いた。

 やがて喉がつぶれ、声が枯れ果てた頃、天の涙もまた枯れた。

 怖いほどに澄んだ蒼天が、雲間から顔をのぞかせた。

 やがて、そこから漏れ出た日の光が、まるで指し示すように炭にまみれた一角に落ちた。

 光が一瞬だけ、何かの形に変わった。

(竜?)

 ヨーゼは黒く汚れはてた両手で、炭くずをかきわけて何かを取り出した。

 一冊の書があった。不自然なほどに切りそろえられた紙と、その質から、クーンで用いられるものではないことは一目でわかる。頁をめくらずとも、これの持ち主が誰であるのか、ヨーゼは理解した。

 妻の遺物に違いないそれを、ヨーゼは開いた。


――最悪だ。竜肉の儀式に参加するよう、タータハクヤさんに言いつけられた。屋敷を抜け出そうと考えているのを気取られたのか、ヒドゥさんと他に何人かが常に私の傍にいる。もう、ヨーゼには逢えそうにない。


――それがよからぬこととは分かっていても、誰も止めようとしない中で、竜肉の儀式が行われた。このような不幸に見舞われなければ、何事も無く一生を終えるはずだったナラッカは、簡単に死んだ。タータハクヤさんは中庭にナラッカの遺骸を埋めるように命じていた。以前読んだ書物の内容が正しければ、ナラッカは神の使いとして生き返るはずだけど、どう考えても迷信だ。でも、邸内に暴徒がなだれ込む前に死ねるのは、あるいは幸せなことかもしれない。


――ユファの容態が悪い。このまま苦しみ続けるのならば、いっそこの手で…と思ってはみても、そんなことが出来るはずが無い。もう何日も食事を取った記憶がない。そのせいなのか分からないけれど、手が荒れて皮がぼろぼろに崩れてきた。


――体が熱い。熱があるのかもしれない。自分でも知らない間に、うわごとを言っているらしい。今でも時々、意識が無くなる。自我が無いその間を想像すると、とても恐ろしい。さっき気づいたら左手が血まみれだった。ヒドゥさんが大声で呼びかけて我に戻ったのだけれど、手に取ったペンで左手を掻き毟っていたらしい。多分、狂ったのだと思う。この状況でそうならない方が異常だ。


――私の身に起きている事が何なのか、理解した。皮膚の下に鱗があった。まるで(うま)みたいな硬い鱗。それを見たヒドゥさんが大慌てでタータハクヤさんに知らせに行った。タータハクヤさんは私に会いに来て、もう人間のものじゃなくなった手をとって何か言っていた。「占いは正しかった」とかだったと思う。それが何なのか分からないけれど、彼は満足しているようだった。「私は死ぬのですか」ときくと、彼は「君にはもう、死ぬとか生きるといった言葉は意味を成さない」と答えた。


――「神龍はいずくから来て、いずくに去るもの」という伝承を思い出した。神龍は私を連れてゆくつもりだ。屋敷の外には出してもらえないけれど、どういうわけか外の様子が手に取るようにわかる。外が静まってから結構経つ。彼らは天空に現れたあれに恐怖して立ち(すく)んでいるに違いない。


――もうそろそろ、時間みたいだ。あれが、ずっと私を呼んでいる。とても怖いけれど、とても悲しくて、そして懐かしい声。あれに身を任せたら、私はこの世から消えてなくなる。


――なにかだいじな事を忘れたみたいだけど何だったか思い出せない。どこかに行かなきゃいけないような気がするのだけれど。さっきからぎゃあぎゃあと泣き声がうるさいので怒鳴り散らすと静かになった。変なじじいがうるさくて小さいあれを何処かに持って出て行ったこれでしズかになるああおもいダしたニワをほりかえさなきゃもうそろそろたべごろだってアレがいっテいた…


 全て読み終えた後も、ヨーゼは膝を突いた姿勢のまま身を震わせていた。

(何があった…)

 明らかにエミの書いた日記だ。だが、それが同一人物の手によるものなのか疑いたくなるほどに、頁をめくるに連れてまず綺麗に整った字が、書きなぐったように乱れ、ついには力任せに刻み付けるような形に変わっていった。内容も、恐怖に震えるようなものから、諦観と絶望が漂い始め、何があったのか、終わり間際で急に狂気に憑かれたように変わった。

 まさか妻が狂い死んだとは思いたくないが、暴徒に蹂躙される想像はヨーゼには耐えられなかった。あれほど二人で愛した娘のユファなのに、日記の最後の方には名前も出てこない。

 ヨーゼが思い出したのは、数日前に見た「神龍の眼(ヨアン)」である。あれこそまさに不吉の塊ではないか。

「おい」

 突然の背後からの声に、ヨーゼは驚いて振り返った。

「タータハクヤ家の者だな?」

 ヨーゼは自分に声をかけた人物が、タータハクヤ家を滅ぼした暴徒であるか想像していたのだが、振り向いた先にいたのは、襤褸(ぼろ)を纏った乞食の少年だった。思い直せばやや高めの声だが、あどけなさの欠片も無い強い声色だった。

(わっぱ)、賞金が欲しいのか?」

 タータハクヤ家の生き残りに賞金がかけられているとはいえ、乞食に命を狙われるまで落ちぶれた事実に、ヨーゼは危機よりも先に虚しさを感じた。

「ついて来い。王都から逃がしてやる」

 少年はそれだけ言うと、ヨーゼに背を向けて歩き出した。少年の言ったことが理解できないヨーゼが立ちすくんでいると、

「どうした。そのままほっつき歩いていると、金目当ての連中に首をかき切られるぞ」

 と、やはり歳不相応な強い声で言った。


 少年について行った先は、南区にある小さなあばら家だった。戸が壊れているのか、少年がそれを叩くと家全体が鳴ったようだった。

「先生、連れてきました」

 中から出てきたのは、赤茶けた髪が印象的な青年だった。先生と呼ばれるからには、それに相応しい人物を想像したのだが、ヨーゼには眼前にいる若い男がひどく胡散臭く見えた。

「一人か。随分死んだな」

「何者だ? あんたは…」

 青年の表情は温暖そのものだったが、纏っている空気が堅気のものとは思えない。

「アドァという。ただの彫師さ」

「ただの彫師が、お尋ね者に何の用だ?」

「別に、お前さんに用があるわけではない。ただまあ、そのまま死なすのも可愛そうだと思ってね」

 中へ通されると、木片の臭いで充満していた。床を見ると、(のみ)や彫りかけの彫像が無造作に放られている。

(胡散臭い奴だが、敵ではなさそうだ)

 ヨーゼは、価値もわからぬ彫像を足で転がしてようやく顔を見せた床に座った。

「タータハクヤ家は他の貴族には恨まれて当然なことをしたが、当主は富を民に返すことにも無頓着じゃあなかった。さっきの小僧だがね。七代が創らせた孤児院に住んでいるよ。しばらくしない間にそこも潰れるだろうがね」

 アドァは、ヨーゼも知らない七代タータハクヤの一面を話し始めた。貧者を救済するのは、確かに貴族の責務だが、今の時代にそれを生真面目に行う者など皆無に等しい。三男のカラタチは庶民に対して派手に金をばら撒いた男だったが、それも純粋な福祉ではなく、彼の遊びが高じて一部の酒場や遊郭が儲かっただけだ。吝嗇ではなかったが、冷徹ではあった七代タータハクヤを知るヨーゼにしてみれば、想像もつかないことだった。

「これは、その恩返しというわけか」

「まあ、そんなところだ。下僕を一人生かしたところで、七代が喜ぶとは思えないがね。しないよりはマシだろう」

「他には生き残りはいないのか?」

 不思議な男だ――と、ヨーゼは心中で首を傾げながらアドァの顔を見た。七代タータハクヤが貧民救済を行っていたとすれば、確かに彼の死を惜しむ人間はいるだろうが、それでもアドァと直接関係することではない。あるいは、この青年はその孤児院の出身なのだろうか。だとしても、タータハクヤ家の生き残りを(かくま)うという危険をわざわざ冒そうとする彼の真意が理解できない。

「下僕が数人生き延びたらしいが、血縁は全滅だな。七代の妹はタータリュイン家当主の妻だが、暴徒に迫られて怖気づいた当主に殺されたよ。他も似たようなものだ。笑えるのが、タータシムシ家の連中がいつの間にかその暴徒に加わっていることだ。彼らとて、自分の身を守るのに必死なのだろうが、貴族の品格とは何なのか、考えさせられるね。西侯家ですら、今はなりを潜めている」

「聞いただけで、むせ返るような話だ」

 ヨーゼが思ったのは、このような事態になっても解決に乗り出さないドルレル王は何を考えているのかということだ。少し穿って考えれば、影で糸を引いているのは王であるようにも思える。

「もうすぐドルレル王が動く。そうなれば、奴らも一網打尽だ」

「何故、ただの彫師にそれがわかる?」

「貴族の客もたまには来るからな。王が誰を煙たがっているか――くらいの話は耳にするさ」

 ヨーゼは床に転がっていた木片を指で弾き飛ばした。

「…生き残りに会いたい。何処にいる?」

「東区にいるエリリスとかいう商人のところだ。使用人のじじいがそこにいる」

「わかった。恩に着る」

 ヨーゼが立とうすると、アドァが呼び止めた。

「街の各所に、杖に白い布を巻いた乞食がいる。彼らに話しかければ、賊徒が知らない抜け道を教えてくれる。合言葉は…」

 旧主であるカラタチとさして歳の違わない青年であるアドァが、この時になって急に巨大に感じられた。

(あの男、どこかで会った様な気がするな…)

 あばら家を出たとき、ヨーゼは奇妙な感覚にとらわれた。何か、懐かしいような気分になったとき、赤茶けた髪を丁寧に結んで街に繰り出していたカラタチを思い出し、胸が痛くなった。


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