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十三章『忌まわしき王孫ハクヤ』(3)

 七代タータハクヤの密命を受けたヨーゼは、大貴族の一つであるタータシムシ家に救援を求めた。だが、反タータハクヤに決起した他の貴族達と距離は置いていても、当主代行は領地にいる当主の指示を仰ぐ必要があるといって、武力を用いての介入に難色を示した。早い話、彼らは傍観を決め込んだのだ。

 タータシムシ家はタータハクヤ家と血縁関係を結んでいる。次男であるカラタチの妻も、嫁いでからはただ単にシムシと呼ばれるようになった七代タータハクヤの最後の妻も、この家の娘である。他の貴族と比べて突出した勢力を築きながらも、七代タータハクヤは孤立することの危険を十分に理解していた。

 彼を始めとするタータハクヤ家の者達が見誤ったのは、このような小競り合いがいつかは起こることを予測し、あらかじめ手を打ってはいても、まさかドルレル王が間接的にとはいえ、敵に回るとは夢にも思わなかったことだ。

 まだ少壮のドルレル王は、歴代の英主と比べて少しも武張ったところのない、大人しい人柄だった。だが、南方のダイスで起こったナバラ王国軍との戦闘で惨敗した事実と、カラタチの独断専行がその因になったという報告が、彼の逆鱗に触れた。いくつかの大貴族が私兵を集めてタータハクヤ邸を急襲したという報に接した時も、王宮近衛兵に乱の鎮圧を命令することなく、傍観に徹した。タータシムシ家は暴徒には加わらなかったというよりも、ドルレル王が沈黙する本当の意味を理解していたのだ。

 使いに走ったヨーゼはタータシムシ家に逗留を許されたものの、彼らがタータハクヤ家に非協力的であることをすぐに感じ取った。

(血も涙もない連中よ。これ以上、長居はすまい)

 ヨーゼが急いだのは、勿論自分の主の危機が迫っているからだが、それ以上にタータシムシ家が気変わりをして反タータハクヤの勢力についた場合、真っ先に殺されるのは自分だからだ。だから、彼はタータシムシ邸を去ったというよりも、脱出したに近かった。早朝に門番を欺いて外に飛び出したヨーゼは、迷わずタータハクヤ邸を目指した。

 屋敷が多数の兵士に取り囲まれていることを知った時も、ヨーゼは絶望しなかった。

(次は、西侯!)

 ドルレル王とあまり歳の違わない甥であるアクス侯もまた、家臣の一人を王都に住まわせている。タータハクヤ家は西侯と縁が深いわけではないが、敵対しているわけでもない。今回の武装蜂起を裏で操っているに違いないドルレル王が愚昧な王に過ぎないことを説き、タータハクヤの次は西侯であることを示せば、彼らは協力的になるかもしれない。浅い読みだけで行動してしまうヨーゼは、まだ二十歳を過ぎたばかりの若者だった。

 西侯家も傍観することではタータシムシ家と全く同じだった。タータシムシ家は、万が一タータハクヤ家が滅んだ場合でも、後継者さえいればその者を()り上げ復興させるという、まことに信用ならない口約束をくれたものだが、西侯家はそれすらもなかった。

「当主殿は引退なされるのが遅すぎましたな」

 と、ヨーゼに苦言を与えただけだった。ただし、滅び行く一家のために奔走する家臣を哀れに思ったのか、助言もくれた。

「親が駄目なら子を説得してみなさい。幼子の一人くらいなら生き残るやもしれません」

 北方に視察に出ているゲール王子に会えというのだ。だが、いくらタータハクヤ家が大貴族でも、使い走りに過ぎないヨーゼでは、直接王子に会うことは出来ない。

 視察といっても、齢十歳に過ぎないゲール王子であるから、やっていることといえば地方の豪族に招かれて狩りを見物するくらいのもので、ただの旅行に近いものがあった。ヨーゼが得ている情報では、王宮への帰還を始めたゲールは、王都から北へ三日の距離にある街まで来ている。王都が不穏な雰囲気にあるので、彼はそこで足を止めているのだろう。

 ヨーゼは竜を鞭打ち、ゲールの元まで半日で走破した。

 北隣の街に千人規模で野営を行っている兵士の姿があった。明らかにゲールの護衛に借り出された王宮近衛兵だろう。

 彼らに見つからぬように、街の北側から回り込んだヨーゼは、ゲールが寄宿しているという領主の邸宅の門を叩いた。

「ゲール王子にお目通り願いたい。私はタータハクヤ・カラタチの使いです」

 七代タータハクヤとは言わなかったところに、ヨーゼの賢さがあったが、苦し紛れに近いというのも事実だった。

 彼が飽くまでタータハクヤ家の者として振舞うのならば、ゲールへの目通りは永遠に実現しない。だから、幼いゲール王子が何故かなついていたというタータハクヤ家の嫡子であるカラタチの名を出したのだ。

 槍の石突で腹を殴られ、軍靴で蹴倒されても、ヨーゼは門の向こうにいるはずのゲールを呼びかけた。

「我が主、タータハクヤ・カラタチから、ゲール王子への遺言を承っております。どうか、どうかお目通り願いたい!」

 口から砂まみれの血を吐き出すと、それに混ざって砕けた歯がころころと地を転がった。

 夜半になってもそれを続けていたところで、門扉が開いた。

「用件を聞こう。ただし、邸内には入れぬ」

 松明に照らされる光の中には、影の主はいなかった。門の影から聞こえてきた声は、あどけないゲール王子のものではない。恐らく家臣だろう。

(直接会わねば、意味がないのだ!)

 幼いとはいえ、次代の王である。いかな口約束といえども容易く反故にできるような立場ではない。ヨーゼはこの点でゲール王子を利用することに罪悪を感じている余裕はない。

「それはなりません。我が主から、必ず王子御本人に伝えよとの命令を受けております故…」

 この場で切り殺されようとも、ヨーゼはゲールに会わねばならない。

「よい。会おう。その者を通せ」

 明るみのある、澄んだ声だった。間違いなく、ゲール王子本人である。

「しかし、それでは…」

「その者が門を潜らなければ、問題がないじゃろう。儂はここにおる故、話せ」

 ヨーゼは大きく息を吸い込んだ。今、自分の肩にタータハクヤ家の命運が懸かっている。


「タータハクヤ・カラタチがクーンを裏切ったというのは、全くの誤解です」

「わかっておる。カラタチ兄様がそのようなことをするわけがない。あの人が勇敢に戦い、クーンの戦士として誇り高い死を迎えたことも知っておる」

 影の向こうから聞こえてくるゲールの声は、年齢に反して強い響きを持っていたが、果たしてこの王子に誇り高い死というものが理解できるのだろうか――と、ヨーゼは心の端で思った。

「主が領地に赴かれる直前、私は遺言を承りました。今でこそクーンは平穏に見えるが、南方に不穏な空気が漂っており、いつ何時戦が起こってもおかしくはない。万が一、南人との戦になり、自分がそこで命を落とすようなことになれば、我が息子をゲール王子に託して欲しい――と」

 嘘だ。カラタチは確かに次代の当主だが、そのような男が下僕に過ぎないヨーゼに遺言を伝えるはずがない。この様なことは文書に残すか、信用ある第三者に知らせておくのが当然であるから、ヨーゼの言葉が偽りであると疑ったゲール王子の近臣達は正しい。

(頼む。騙されてくれ…)

 浅い策謀である。ゲール王子は子どもでも、他の者達はそうではない。ヨーゼは自分の機知のなさがこれほど恨めしいと思ったことはない。

「貴様、王子を(たぶら)かすか!」

 近臣が声と共に剣を振り上げたとき、ヨーゼは半ば観念した。

(ああ、死ぬなぁ。エミ…ユファ…)

 と、その時、ゲール王子が耳を疑うようなことを言った。

「おお、その話か。いつだったかは憶えていないが、確かにカラタチから聞いた」

 ヨーゼは一瞬唖然となった後、幼い王子が言ったことを心中で何度も反芻し、涙を流した。ゲール王子がカラタチを庇うために話をあわせたとすれば、この少年は心の底からカラタチを敬愛していたのだ。

 驚く近臣達を尻目に、ゲール王子は門の外に躍り出た。

「王都へ行くぞ。喪中の家を攻めるような輩を放っていては、民の上に立つ資格なし!」

 さすがにこれは近臣に諌められた。ヨーゼは小躍りしてこれに賛成したかったが、あまりにも実現性に乏しいことからここは妥協した。ただし、これも幼い王子には酷なことだが、言質(げんち)をとった。ゲール王子は戦死したタータハクヤ・カラタチの後見人であることを公表するための使者が王都に向けて発った。

 彼らが竜に乗って駆け出すところまで見届けたヨーゼは、自身もまた竜の鞍に手をかけたが、勢いよく飛び乗ろうとしたところで力を失い、地面に転落した。


 懼夢(いむ)を見た。

 焼け落ちた邸内に、一人の女が絶望したように立ち尽くしている。

――ああ、ああ…鱗が…牙が…

 ところどころに火矢が突き刺さっているものの、家屋はどこか見覚えがある。だが、はっきりと思い出せない。

 女は、髪を振り乱して狂ったように叫びだした。

――私が、私が消える。嫌だ。あんなものに…

 耳を塞ぎたくなるような絶叫だ。女に近づこうとしても足がうまく動かず、声も出ない。

 やがて、女は今にも焼け落ちそうな天井を仰ぎ見た。表情は苦悶にゆがんでおり、しかし視線だけは憎悪に満ち溢れていた。

――嫌だ。死んでも渡すものか…

 天井が崩れ落ちた。視界がふさがれる直前、何かに気づいたように振り返ろうとする女の顔が見えた。

(竜だ…)

 獣の咆哮にも似た不快な叫びを聞いたとき、ヨーゼは寝台から跳ね起きた。


 どうやら自分はあの後、気を失っていたらしい。

 夢から醒めても嫌な感じが全く消えない。それに最後の人外のものとしか思えない絶叫は何だったのか。

 言い知れぬ不安に胸の鼓動をいたずらに急き立てる。

 隙間だらけの壁が一瞬だけまばゆい光を通した。

(嵐か?)

 そう思いつつ、ヨーゼは屋外へと足を運んだ。途中で彼に気づいた兵士の一人に呼び止められたようだが、気のせいであったのかどうかも分からない。

 扉を開き外へ出たところで、体中に飛矢のような雨が突き刺さった。

 驟雨(しゅうう)の中に、地獄のような光景が浮かび上がっていた。

 王都のある真南。その方向に真っ赤な光の柱が立ち、夜の空を不気味に照らしている。

「あれは…神龍の眼(ヨアン)

 赤の中の更に赤い一点。それが、大地から雲間に向かって上ってゆく。

「早く屋敷に戻れ。目がつぶれるぞ!」

 どうやら、先ほど自分を呼び止めたらしい男は、そう言っているらしかった。神に見られたら死ぬというのは、信心深いクーン人なら誰でも知っている常識のようなものだ。何年か前にエミと出会ったときの怪奇もこれに近く、カラタチに向かって不吉だから占えと迫った下僕の中にはヨーゼもいたのだから、この時の彼が感じた恐怖は推して知るべきだろう。

「何処だ。何処で起こっている。神は何に怒っている」

 空に聳え立つ真紅の中の最も濃い一点が、一瞬だけ大きく膨らんだ。

 その一瞬の間に、全身に鳥肌が立ち、足が震え、思考がままならないほどの頭痛に襲われた。

(見られたのか…)

 神は自分を生贄に選んだ。ヨーゼには神に破壊されてしかるべき罪を、自分が犯したという実感はない。ただ、あえて探すとなれば、それはやはり戦死したカラタチと、今は自分の妻となったエミのことだった。

 下僕に最愛の人を寝取られたカラタチは、死後もそれを許さずに神龍に直訴したとでも言うのだろうか。だとすれば「神龍の眼(ヨアン)」は何故、王都の方向にあるのだろう。

 突然、先ほど見た不吉な夢の光景が、閃光のように頭の中に甦った。

 手先の皮膚がボロボロと崩れ落ち、その下からまるで竜のような鱗があらわれ、ひたすらに、狂ったようにそれを嘆く女。屋敷が焼け落ちるとき、女は振り返りながら何かを囁いていた。

――さよなら。ヨーゼ…

 女の声と入れ替わるように、雨粒を弾き飛ばすような獣声が鳴り響いた。

「エミ…エミ!」

 ヨーゼは狂ったように女の名を叫びながら屋敷を飛び出し、間際にとめてあった走竜に乗って嵐の中を駆け出した。

 空に現れたあれは、紛れもなく神である。クーンの神は人に幸運を授けたりはしない。だから、タータハクヤ家にとっても、ヨーゼ個人にとっても、突如として眼前に現れた神秘は、凶事そのものだった。

 ヨーゼは、七代タータハクヤがエミを占った結果を知らない。快活ではあっても軽率ではなかったカラタチはエミを占った結果が凶事ではないことを家中に示しても、占いの詳細までは語らなかったからだ。

 これより二十年後にエミの日記を手にして事実を知ったザイとは違って、当時を生きていたヨーゼは、この日にタータハクヤ家が滅亡したことを、まだ知らない。

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