第十二章『愚者のまつり』(6)
クーン剣士団本部を巨体が歩き回る。
数人の配下を従えてはいるものの、先頭の男の足音だけが床がきしむほどに大きい。
カルカラは迷いもせず本部内の一室に向かうと、団長でも女性であるがゆえにリョーンのために雇った使用人――奴隷ではなく剣士団の子弟の縁者――達を押しのけて、勢い良く扉を開いた。
「団長――」
「ひゃっ!」
カルカラの目に飛び込んできたのは、寝巻きから着替えようと上半身をはだけていた女の柔肌だった。
「おっ、失礼いたした」
別段好色でもなく、だからこそリョーンの色香に惑わされずに冷徹な判断を下すことのできるカルカラだったが、彼に付き従った剣士達はそうでもないらしく、非紳士的にもカルカラのように自然と目を逸らすことをしなかった。
ただでさえ気位の高いリョーンが、これで平然としているわけがない。
「カルカラ、貴様! シェラでもこんなことは無かったぞ!」
女は下女に控えさせた衣でとっさに胸元を隠すと、カルカラ達に向かって何かを投げつけた。
彼らとて鍛錬された剣士であるから、難なく避けた。壁に突き刺さったのがリョーンの投げた短剣であったことを知った時に、うわついた表情が消え去ったのは、彼らが突然の事態に恐れを抱いたからではなく、これ以上リョーンを怒らせることの無益を感じ取ったからだった。放たれた飛矢に物怖じしていては、他の剣士達の笑いものになる。
リョーンの裸身をいつまでも眺めているわけにはいかないカルカラ達は、慌てて部屋の外へ出た。
「団長。緊急です。既に門前におります」
「何が?」
扉越しにリョーンの声が聞こえる。
「王宮近衛兵です」
リョーンにしてみれば、寝耳に水もよいところだろう。そう思ったカルカラは、彼女の動揺を見透かしたように黙って返答を待った。
「鎧を。軍装にてもてなす」
数秒と待たせることなく、リョーンは短く言った。先ほどの興奮は何処へいったのやら、酷く冷めた声色だった。
カルカラが配下に言いつけると、一人がリョーンの鎧を取りに武器庫へ、もう一人が指揮杖のある団長室へと向かった。
残ったうちの一人が言った。
「朝から良いモノを見ました」
先にリョーンの裸身を拝んでしまったことを言うのだろう。遊郭へ行けば病的なほどに白い肌の女はいるだろうが、カエーナとの二度にわたる激闘の末、片肺を痛めたために肋骨の辺りに爛れた痕が残り、肩には矢傷を受けてもなお、艶やかさを失わないリョーンに感嘆したのだろう。
カエーナは軽口には付き合わないといった風に、鼻を鳴らした。ただ、ある意味ではこの剣士と同感だった。王宮近衛兵が来たと知っただけで、リョーンはその目的を理解した。あるいは理解しなくとも瞬時に自分の行動を決定した。これがエリリスならば、相手は多兵であるのか、何が目的なのか、カルカラに尋ねるか長考しただろう。だが、戦時にこそ必要とされるクーン剣士団の長はそれではつとまらない。戦略は行動を起こす前から熟考する必要があるが、戦術は行動と共に変えてゆくものである。リョーンにはそれがわかる。
リョーンの経験が浅いからといって、カルカラは彼女を過小評価しない。確かに彼女のとる行動は思慮が欠けていて多分に直感的だが、使える兵士というのは経験豊富な者ではなく、直近で戦っていた者であることと同じように、カエーナとの死闘を見事に生き抜いたリョーンはそれなりに使い物になると値踏んだのだ。
軍装に着替えたリョーンは愛竜のスサではなく、クーン剣士団の象徴でもある白竜に乗り、正門をくぐった。
王宮近衛兵を率いてきたのは、確かにクーン剣士団の次期後継者たるチャムだった。ただ、リョーンに付き従った剣士達や、兵をよじ登って事の動向を見守っていた剣士達は、ラームの忘れ形見であるチャムが王宮近衛兵と同じ白色の甲冑に身を包んでいる様を見て、明らかに動揺していた。
王宮近衛兵は全員騎乗姿で、数は二十人そこらしかいない。チャムの目的が武力を用いての恫喝や剣士団本部の攻略にはないことがわかっていたからこそ、カルカラも悠長にリョーンの着替えを待ったのだろう。チャムの率いてきた兵の数がこの十倍もいれば、リョーンはカルカラによって半裸のままで戦場にたたき出されたかもしれない。陰謀を好むところはあっても彼もまた、根っからの武人であることには変わりないからだ。骨のある武人ならば、食事時であろうが、糞をしていようが、干戈の音が一つなる間に戦場へと馳せ参じるものだ。
「やや、美人の団長が出てきたぞ」
チャムがからかうような声を上げると、塀の上に顔を出していた剣士団の兵士達が笑った。チャムがいつものように気さくに声をかけたので、彼の転身に戸惑っていた者達も安堵したのかもしれない。逆に、チャムが引き連れている王宮近衛兵たちは鉄の表情を保っている。
ただでさえ、女ということで人に侮られるのが嫌いなリョーンであるから、チャムの無礼な態度にはかちんと来たらしく、
「お坊ちゃんが何の用?」
と、大人気ない答えを返した。
「これは失礼した。今の私はラームの息子ではなく、ゲール王の幕僚チャムということをまずは理解して欲しい。その上で王の御言葉を剣士団長殿に伝えたい」
「へぇ、幕僚……」
王宮でのチャムの活躍を知らないリョーンは、彼の話についてゆけないが、そういった心の動きを表情から消し去った。つまり、きわめて淡白に反応した。リョーンの背後に控える剣士たちは、カルカラ直属の数名を除けば、チャムの思いがけない台詞にざわめいた。
背後がにわかに騒がしくなったので、リョーンは右隣で竜に乗っているカルカラの方を見た。
(あの小うるさい連中を下がらせろ)
と、言いたかったのだが、止めた。不恰好だと思ったからだ。それに、今の団長はチャムではなく、リョーンだ。剣士たちが団長に忠誠を誓わず、チャムに心を残していると噂されるのは我慢ならない。
チャムが話を続ける。
「王都東門付近での迅速なる被災者の保護は、本来ならば王の責務である。王に代わりそれを行ったクーン剣士団長の恤れみの深きに感謝したい」
リョーンは鼻で笑いそうなところをすんででこらえた。
(感謝も何も、お前達は神が怖くて王宮に引っ込んでいただけじゃない)
心にも無い言葉ばかりを並べてのやり取りを、若者が嫌悪するとは限らない。リョーンは目の前のチャムという男が、自分と同じように笑いをこらえているように見えた。考えてみれば歳もふたつしか違わない。
にらめっこのようなものだ。本心を言ってはいけないという遊びである。
「クーン剣士団は民を護るためにあります。ですから、我々は自らの職務に忠実であっただけです。とは申しましても、新たに立たれる王が慈しみ深き御方であることが、何よりの褒詞です」
チャムの目が笑った。彼の視線が左右に――つまり背後で事の経過を見守る剣士たちに向けられたことにリョーンは気づいた。
まさか褒詞をよこすためだけに、わざわざここまで来たわけではあるまい。彼の本当の目的は理解できないが、何にせよカエーナの一件(リョーンが王宮近衛兵を剣士団の抗争に巻き込んだこと)で王宮との調整が必要だろう。そのために王宮がわざわざチャムをよこしたことくらい、リョーンにもわかる。
「カルカラ、彼を団長室に案内して」
リョーンはカルカラの反応を待たずにきびすを返した。
「用件を聞こう」
団長室にて、無駄に大きなつくりの椅子に小さな尻をどっかと乗せたリョーンが言う。初代ラームは大柄だったから仕方が無いのだろうが、年頃の娘が座ると、いかに愛想が悪くとも可愛く見えてしまう。勿論、リョーンはそれに気づいていない。
(アドァは王宮近衛兵が攻めてくると言ってた)
それを念頭に置いていたからこそ、リョーンは突然のチャムの訪問に即座に対応できた。彼が連れてきた手勢の少なさから、ゲール王が武力による制圧ではなく、交渉によって剣士団から自治権を奪おうとしていることは予想できる。
リョーンの不思議なところは、彼女が絶対の信頼を置いているカルカラにすら、アドァからもたらされた情報を秘匿したことだ。だがこれは彼女がカルカラを疑い始めたからではなく、王宮近衛兵を動かして剣士団を攻撃しようとしていた張本人が、義父であるロセだったからだ。
室内にいるのは、王宮側からはチャムと護衛の王宮近衛兵ひとり、剣士団側からは事実上の団長リョーンと副団長のカルカラである。チャムは王直属の幕僚という官職とはいえない身分だが、ゲール王が直接派遣した以上、全権特使のようなものだ。対するリョーンの立場については改めて述べる必要は無いだろう。
「簡潔に言おう。新王はクーン剣士団の内紛によって王宮近衛兵が被害を被った事実に不快をあらわにしておられる。だが、クーン剣士団が自らの過ちを正し、今後、私益を争うことをしないというのであれば、寛大な処置をとるとも仰った」
チャムの言ったことは簡潔だが、正確ではない。
(条件次第で見逃すということか……)
クーンの守護者という立場をめぐって王宮近衛兵と対立はしても、クーン剣士団は王宮までも敵にするつもりは毛頭ない。クーン剣士団が強力な自治権を保持している最大の理由は、有事に速やかに戦闘態勢に入ることが出来るからだ。ただし、千五百人そこらの武装集団は自警の役には立っても、戦略単位では主力になり得ない。命令系統の徹底は軍事の初歩だが、ゲール王からみれば、自分の支配下に無いクーン剣士団の動向は常に不安定な要素を内包していることになる。
「過ちとは?」
「第一に、剣翁ロセの投獄。剣翁は先王の良き友人でもあり、新王は罪が明らかではないにもかかわらず、彼が投獄されていることに心を痛めておられる。第二に、王都での過剰な武力の保持。クーン剣士団は王都の民を護るために大権を与えられているにも関わらず、多数の住民を巻き込み、大々的に私闘を行った」
「一つ目の条件については考えておきましょう。二つ目については、それは我々の責務です。不安定な武力の保持は、治安の悪化に繋がりますから、こちらで善処いたします」
ゲール王がクーン剣士団から自治権を剥奪しようとしているのは目に見えている。だから、リョーンはチャムの言う「過剰な」を「不安定な」に言い換えた。クーン剣士団を再編成することで、カエーナのような不穏分子を省くと言ったのだ。骨格は残すのだから、リョーンは剣士団の運営に関しては、ロセよりもカルカラにずっと近い思想を持っている。剣士団に入って以後のリョーンを教育したのはカルカラであるから当然なのだが、半月程度の間にそれが徹底できるわけもなく、リョーンという女がもとより保守的な性格の持ち主だからだ。
「善処ですか」
「はい」
「ではこちらも善処することにします」
チャムがそういったところで、カルカラが口を挟んだ。
「お待ち下さい」
「カルカラ殿、何か?」
既に交渉は決裂したといわんばかりに半分腰を浮かしていたチャムは、まるでカルカラの焦りを見越したように再び席に着いた。
「これは飽くまで噂ですが……」
「はぁ、噂?」
チャムはわざととぼけたような素振りを見せた。カルカラが不快を感じたのは当然だろうが、いつものように表情には出さない。
「近いうちに、勿論喪が明けてからだと思いますが、大規模な軍事演習が予定されているという噂を耳にしました」
「ほう、私は知りませんでした」
「南人商家あたりでの噂ですから真偽は定かではありませんが、かつて無い規模であるらしく、もし事実であれば、武名高きクーン剣士団もそれに参加すべきだと思っております」
カルカラはあえてチャムの目を見て言った。これだけ言えば彼なら理解すると思ったのだろう。
チャムは意味ありげに自分を指差した。すると、カルカラもまたそれに答えるように頷いた。
この後、チャムはがらりと話題を変え、リョーンに敗れたカエーナ剣士団の残党に関する扱いについて話し合った。王宮側からこの話題が上がったのは、カエーナ剣士団の土台が民衆の下層にあったため、彼らの台頭と共に王都の治安が悪化していたからだ。チャムとリョーンはロマヌゥを国賊として扱う認識で一致し、カエーナ剣士団の残党狩りに関しては王宮近衛兵とクーン剣士団で情報交換を行うことになった。カエーナ問題をどうしても内々に処理したがったのはエリリスだが、リョーンはカエーナの死後に彼の遺志を継いだに違いないロマヌゥを国賊にすることで、剣士団内部から離反者を出さない配慮をした。当然だが、これはカルカラの入れ知恵である。
リョーンは自分が小ずるい女だとは思っていなかったが、会談が終わった後にカルカラが、
「すばらしい演技でした。貴女が政治がわかる御方でよかった」
と、褒めたのでなんともいえない気分になった。
とりあえずは王宮近衛兵と事を構えずにすんだリョーンは、初めて団長らしい仕事が出来たと思い、その日は満足して床に着いた。
目を閉じて、カルカラが激賞した自分の擬態を思い出しては、おかしくてふきだしそうになるのだが、ふと、チャムとカルカラのやりとりで理解できなかった場面を思い起こした。カルカラが妙な例え話をしたところで、例え話というよりは、野心家のゲール王が近いうちにどこかへの遠征を企んでいるのだろう。カルカラはそれに参加すると表明したことで、戦時はクーン王軍と共同歩調をとると宣言したに等しい。ロセはクーン剣士団をクーン王軍に吸収させることまで考えていたが、カルカラはそこまで譲歩しなかった。
リョーンはその時のチャムの仕草を思い出した。人差し指で自分を指し、首筋をトン、トンと叩くと、カルカラが頷いた。
どういう意味だろう。何かの同意を求めたのだろうか――と考えているうちに、突然脳裏に閃くものがあった。
――それを私が指揮しても?
と、チャムが目語し、カルカラがそれに頷いたのではないか。
リョーンは寝台を揺るがすほどに急に起き上がると。
「ああ、私の愚か者、愚か者!」
と、自分の顔を叩いた。