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第十二章『愚者のまつり』(5)

 壁に取り付けられた格子戸からわずかに光が漏れ落ちてくる。じめじめとした空気が足元まで落ちると、凍えるように寒い。

 闇の中に足を踏み入れると、深海に迷い込んだような気分になる。だが、そこは無音の世界ではなく、確かに人の息遣いが聞こえる。

 カエーナ剣士団との戦闘で瀕死の重傷を負ったにも関わらず、今のシェラはわざわざ剣士団に身を置いている。キュローが用意させたのだろうか、タータハクヤのものとよく似た車椅子に体を預けている。両腕の自由が利かないシェラは、自分の世話役をさせていた少年剣士に車椅子を押させている。

 車輪が回るたびに金属のきしむ音が響く。

 空の牢をいくつか通り過ぎると、鉄格子の向こうでうなだれる女の姿があった。女はシェラの姿に気づくと、びくりと身を震わせ、にわかにすくんだ。それだけで、彼女がどのような扱いを受けているのかが想像できる。

 シェラは、いつもの彼なら美女に敬意を払わないはずが無いのだが、ここでは女を一瞥しただけで通路の奥に進んだ。

 隣の牢から、鎖が鳴る音が聞こえた。シェラはそれに気づいてはいても、興味は無いといった風に視線を動かさなかった。

「シェラ……シェラか?」

 闇の中に、鎖につながれた男の姿があった。

「何だ。テーベか……」

 シェラの声に感情の色はない。だが、テーベは違った。

「シェラ、よく来た。カルカラの奴め、このまま剣士団を乗っ取るつもりらしい」

「ああ、そうだろうな」

「チャムが不在の今、いよいよ我々が立たねばならん。シェラよ。わかるだろう」

「わからんよ」

 突っぱねたような態度にテーベは不思議そうな顔をした。

「どういう意味だ? まさか、貴様……」

 シェラの出現に救いを見出したかのようなテーベの目つきが途端に険しくなる。

「勘違いするなよ、テーベ。今貴方が鎖につながれているのは、つまらぬ陰謀を張り巡らせてカルカラを出し抜こうとしたからだ。自分の失敗を棚に上げておいて、よくそこまで口が回るものだ」

 侮辱。テーベのような根っからの武人が最も耐え難い視線と言葉を、シェラは容赦なく投げつける。

「そうか、キュローが……貴様。貴様ぁ!」

「黙れ負け犬。カルカラで無くとも今の貴方は目障りだ」

 言いたい放題といった感じだが、激昂を始めたテーベを尻目に、シェラは牢獄のさらに奥へと進む。

「シェラ! 貴様、若い女をたぶらかして剣士団を壟断(ろうだん)するつもりか?」

 ふっ――と、溜息をつく音が、テーベの罵声でやかましい牢内に、どういうわけかよく響いた。



 車椅子が壁に突き当たった。牢獄の最奥部に、その人はつながれていた。テーベや先の女とは違って、光一つ射さない場所だ。

「シェラか……」

 衰弱しているのか、どこか力なく、しかし威厳だけは満ち溢れた低い声だ。

「罪人とはいえ、老人をこんなところに閉じ込めるとは、カルが知ったら激怒するな」

 シェラは車椅子を押していた少年に、少しの間席をはずすように言った。少年は一礼すると、小走りで去った。

「こんな老いぼれに何の用だ?」

 自らを嘲るように、かつては剣翁と呼ばれた男は言った。

「何、少し聞きたいことがあってね。エトを襲った者が誰なのか、どうやら貴方は知っているらしい」

「やはりエトは死んでいたか……」

 闇の中にいるために表情をうかがうことはできないが、ロセの声が弱まったように感じた。

「いや、生きているよ。今は八代のお嬢さんが面倒を見ている」

「そうか」

 しばしの沈黙があった後、ロセは再び口を開いた。

「女だ」

「燃える様な赤い髪をしていたか?」

「……何故知っている?」

 ロセの声が強まった。シェラは自分があらぬ疑いをかけられていることを知った。

「誤解しないでくれ。今回の件に白竜一家は絡んでいない。少なくとも、エトや貴方を襲う理由は無い」

「お前には無くとも、キュローにはある」

 シェラはそれを否定しない。キュローが何を考えているのか、彼自身見当もつかない。

「兄貴の考えはわからない。だが、俺が兄貴ならカルカラに接近するような愚は犯さない」

「口が達者になったな、シェラ」

「(頑固なじじいだな。兄貴が嫌うはずだ)……話を戻そう。エトを襲った者は誰だ?」

「椅子つくりの家に赤い髪の娘がいただろう。名は忘れたが、確か今のお前のように車椅子に乗っていたな」

「ああ、ハルコナか。あんな娘が何で……」

「知らんよ。少なくともリョーンよりは手練れているぞ。とはいえ、意外そうな顔をしているな。存念にあった者と違ったのか?」

「……俺はカルだと思っていた」

「リョーンが……何故?」

「ロセも知っているだろう。カエーナの一太刀を片手で受け止めるなんて女に出来ることじゃあない。それに忘れてないか。リョーンはカエーナに片肺をつぶされているのに、戦場に立って暴れまわったんだぞ。普通の人間なら竜に乗って駆けるだけで酸欠死するだろうに」

「またあの話か。リョーンが神に乗ったとかいう。だがそれとエトや儂を襲うことに何の因果がある?」

 シェラはそれきり黙ってしまった。

 やがて、席をはずしていた少年剣士が戻ってきた。シェラは挨拶も告げずに去ろうとしたが、闇の中の声が呼び止めた。

「シェラ、儂も訊きたいことがある。犬の首を刈り取ったのはお前か?」

 シェラはそれには答えず、その場を去った。



「ゲール!」

 クーン王宮の最奥部。代々のクーン王廟に、その男はいた。戴冠式も終えていない喪中の王である。

 屋内であるというのに水が引かれ、小さな泉を成している。泉は浅く、くるぶしがつかる程度である。泉の中央を貫くように通路が延び、その先端は泉の中心で止まっている。先端は大きく盛り上げられ、台座が組まれている。その上で、麻色の衣に身を包んだゲールは、泉の先に安置された先王の亡骸に祈りを捧げていた。

 クーン王族の聖域といえるこの空間にザイが入ってこれたのは、彼の肩書きが神職の最高位である最上級神官であったことによる。ザイは自らの位を何かに利用したことなど無かったが、今はゲールに会うことが何よりも先決だった。

 ザイが見たゲールは、やせ細り、今にも死にそうな顔をしていた。ろくに食事もとっていないのは明らかで、今にでも亡父の後を追いそうな感じではあったが、憔悴した外貌とは違って、瞳だけは以前よりも力強い光をたたえている。

「ソプル殿……」

 喪中にあるがゆえに、政務の一切を宰相のドルテンに任せたゲールだったが、ザイの消息だけは逐一報告を受けていた。彼は、ザイが何故、クーン剣士団にとどまるのかも知っていた。

「アシュナも、逝った」

 ゲールはザイに告げた。彼がアシュナ捜索を打ち切った意味はそれ以外になかった。

 ザイはゲールの言っていることが理解できない。いや、クーン語で何を言ったのかはわかる。だが、アシュナの死を断言されたことが理解できなかったのだ。

 ゲールは、ドルレル王の遺骸が納められた木製の棺の横に添えられた、小さな棺を指差した。

「まさか……」

 ザイの表情が驚愕で満たされる。彼が泉に足を踏み入れ、棺に近づこうとすると、

「ソプル殿。行ってはならない」

 と、ゲールの声が落ちてきた。叱るでもなく、罵るでもない。優しく諭すような、しかし悲しみに打ちのめされた声だった。

「どういうことじゃ?」

 アシュナそっくりの喋り方で、ザイが言う。

「アシュナは死んだのだ。あの棺には確かに我が妹の亡骸が納められている。だが、見るも無残に食いちぎられた姿を、夫に見て欲しいとアシュナが思うだろうか? 君がそれを見てしまえば、最後に見たアシュナが、今後の人生で君が思い出すアシュナの姿になってしまうだろう。だから、あの棺を開けないでくれ。君くらいは、綺麗なアシュナを思い出してくれ」

 ザイは、ここまでのクーン語を聞き取る能力がなかったが、ゲールが何故、自分を止めたのかを直感で理解した。ゲールの表情が物語っていたのだ。


――アシュナを憐れんでやってくれ。


 思わず握りしめた拳から肉を締め付ける音が鳴った。

「ゲール、神龍(リョーン)とは、何じゃ?」

 誰に怒りをぶつければよいのだろう。あまりにも理不尽に、アシュナは死んだ。恐らく、クーン剣士団が捜索を行う前に、王宮近衛兵が発見したのだろう。あるいは生き残りがいたのかもしれない。だが、ゲールはそれをザイに知らせなかった。それに怒りを感じることすら、今のゲールをみてしまっては空しい。

「いずくから来て、いずくかに去りゆく神。戯れに犬の首を刎ね、その肉を喰らう神……」

 ザイが理解できたのは、最後の肉を喰らうの部分だけだったが、それだけで十分だった。

(ただの破壊神じゃないか。そんなものを、この国の人間は信仰しているのか?)

 違う――とザイは思った。信仰の源は、恐れである。人は、神に許しを請うことで、災いから逃れようとする。博愛や絶対悪などというものは、いわば不純物であり、信仰は飽くまで恐れから来る。

 クーンはやはりザイの故郷とは違った。恐れが、よりによって神の姿となって現れる。この国はどこか中世的でも神話に片足を突っ込んだまま、時代を経てきたのだ。

「ゲールよ。儂は神龍(リョーン)が憎い」

 ザイは神を呪った。



 祖廟から出たザイを待っていた人の姿があった。

 タータハクヤである。

 彼女が王宮にいる理由は、ひとえにザイのわがままによる。王宮の門は権威をひけらかせば誰でも通れるという類のものではなかったが、報告を受けたゲールが許可を与えたために、タータハクヤはザイの世話役という形で同伴した。


――妻が亡くなったばかりであるというのに、他の女を……


 などと顔をしかめる連中も、宰相のドルテンを皮切りにいるにはいたが、ゲールがタータハクヤに王宮入りの許可を与えたことで意味をなくした。

 タータハクヤ家滅亡から二十余年。タータハクヤにとってみれば、正門をくぐった時の感動もひとしおだった。今の彼女は貴族に返り咲いたわけではなく、飽くまで最上級神官の同伴という形に過ぎない。それでも、田舎の寂れた屋敷で空しく一生を過ごすのに比べたら雲泥の差があった。

「タータハクヤ・カラタチの妹じゃ」

 衛兵にタータハクヤの素性を明かす際、ザイはこう言った。タータハクヤはそれを不思議そうに見つめていた。やはり、この貴人はあの奇妙な日記を解読したのだ。ただ、内容を問うても、


――いずれ話す。


 とだけ返される。無理強いする権限もないから、タータハクヤは黙っていたが、それだけにザイから離れ難くなった。

 ゲールと会ってからのザイは、すぐさま人を呼びつけると、王宮の西端にある書庫へと足を運んだ。

(これが、エリリス様の仰っていた……)

 書庫というからには古びれた建物を想像していたタータハクヤだったが、確かに外見は無骨で、壁の色が()げ初めていたものの、書庫の内部は神経質なまでに整然としており、少なくない文官たちが右往左往しながら書物の整理に追われていた。二十年前の戦役でも焼け落ちなかったというから、つくりもよほど頑丈だろう。

 ザイが足を踏み入れると、それに気づいた一人が進み出でて平伏した。

「ようこそいらっしゃいました、最上級神官様。お話は伺っております。どうぞこちらに御出で下さいませ」

 ザイが通ると、人で垣根が出来た。タータハクヤは緊張した面持ちでその中を進んだ。ザイにこれほどの権威があったことが驚きだったのだが、実際は違う。クーンの文官達は互いに縄張り意識が強く、神官職というものはなまじ文書に頼らないことを誇りとしており、書庫に足を踏み入れることは稀である。いくら最上級神官という肩書きがあるとはいえ、ザイが何の準備もなくこの場を訪れでもしたら、やんわりとした口調ではあっても、足を踏み入れることを拒まれただろう。だから、彼らの柔軟な態度は、ゲールの命令によるところが大きい。タータハクヤは文官達の確執をヒドゥから教えられて知っていたからこそ、ザイに対する扱いのよさに驚いたのだった。

 書庫というよりは図書館と呼ぶに相応しい建物の奥まで進むと、不自然なほどに図書が乱雑に置かれた一角に行き着いた。

「こちらです」

「これは……」

 と、タータハクヤが床に落ちていた書を拾おうとすると、傍立っていた老いた文官の一人が、持っていた杖でタータハクヤの手を叩いた。

「下女が書に触れてよいという許可は出ていない。わきまえよ」

 老人はしわがれた声で言った。

(我が家のものを手にとって何が悪いの!)

 タータハクヤは心中で叫んだ。

 ザイはといえば、二人のやり取りを見てはいても、止めはしなかった。それ以外のことには興味が無いといった風に、本の山に腰かけ、棚から無造作に書を取り出し、めくった。

 それからというもの、ザイは書庫の住人にでもなったように、この場で寝食し始めた。タータハクヤが本に書かれている内容を問うても、まともな答えが返ってこなかった。

 五日ほど経って、違和感を覚えた。

「ナラッカ、そこの蝋燭が消えている。誰か呼んできてくれないか?」

「あ、はい。ただいま……」

 と言いかけたとき、ザイの喋るクーン語が妙に流暢であったことに驚いた。発音はいくらかあやしい部分があるものの、話し振りが変わった。以前の上から投げつけるような口調ではなく、普通のクーンの男が話す口調に似ていた。本人はまるでその効果を知っていて、あえて試すかのようにタータハクヤに話しかけてくる。少しでも本に書かれた情報を得ようと、タータハクヤは喜んでそれを受けた。

 ザイが王宮に戻って十日目に、彼はゲールに会うために祖廟に向かった。

 タータハクヤが突然の謁見の理由を尋ねると、

「確かめたいことがある」

 としかザイは言わず、存念を明かさなかった。

 祖廟前で、一人の男とすれ違った。王宮に不釣合いな格好――つまりは武装している。

 黒く若々しい髪。太く凛々しい眉。威厳ある目線。細くとも屈強な肉体。その姿をどこかで見たことのあるような気がしたザイは、すれ違い間際に軽く会釈をした武人らしき男に声をかけた。

「待て。君は……どこかで会ったな」

 武人はザイのことを知っていたようで、すぐに片足を曲げて(ひざまず)いた。

「はい。新王の幕僚を務めておりますチャムと申します。先王ならびにアシュナ王女の一件、心よりお悔やみ申し上げます。最上神官殿……」

 お悔やみを言うにしては、チャムの五体から熱気のようなものがあふれ出ているように感じたのは、気のせいではあるまい。穏やかな仕草とは裏腹に、どこかぴりぴりした雰囲気が伝わってくる。

(ロマヌゥがこんな感じだったな)

 と、ザイは決戦前夜の少年の様子を思い出した。王宮でどのような事件が起こったのかは詳しく知らないが、王都でもう一波乱ありそうな予感はする。

「人間同士で争っていると、後でまとめて喰われちまうぞ」

 チャムはザイの呟きが聞こえなかったらしく、落ち着いた仕草で立ち上がると、もう一度一礼して去った。

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