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第十二章『愚者のまつり』(4)

「最上級神官が私に?」

 日が中天に達した頃といえば、オロ王国では一日の労働の大半が終わっていることを意味する。何せ日照時間と人間の活動時間の分離が、ザイの故郷と比べて遅れているためか、一般のクーン人は夜明け頃に活動を始め、日没とともに労働も止む。国家単位での活動ですら、昼の長い春から夏にかけて活発になり、秋から冬にかけて短くなるのは、クーンだけの特色ではなく、南人と呼ばれるナバラ文明もこれに含まれる。

 機械的に書かれた文書に印を押すだけの単調な作業に飽き飽きとしてきた頃、リョーンは眠気をかみ殺しながら、今ではクーン剣士団団長の片腕となったカルカラの言葉に、顔をしかめた。

「左様に。タータハクヤ家の当主殿も臨席を希望しております」

「ナラッカも……か」

 リョーンは座っていた椅子を音を立てて引くと、書類が山積みになった机上にどっかと足を置いた。

「カルカラ」

「はい」

 カルカラはリョーンの無作法に嫌な顔一つせずに答える。思えばカルカラは、年代で言えば二代目団長のエリリスに近く、無作法と豪快さで知られた英雄ラームを直に知る人物でもある。平民出身で教養にも欠けていたラームに比べれば、田舎娘の無作法など気にもならないのだろう。

 リョーンは机上に置かれた筆を手に取ると、墨が乾いて固まった筆先を息で吹きかけた。

「私はクーン剣士団団長だ」

「はい。その通りです」

 嘘だ。リョーンはクーン剣士団の団長ではない。彼女はカエーナの反乱を鎮圧した功績を認められ、不信任を突きつけられたエリリスの代わりに、一時的に団長代理となったに過ぎない。英雄ラームの意志を継ぐのは飽くまで彼の実子であるチャムでなければならないという雰囲気が、未だに剣士団内部にある。ただし、今はチャムよりもリョーンの方が、特に下級剣士達の評価が高い。彼女が美しい女であるというだけで票を投じるような輩ばかりであったなら、カエーナに負けて当然だったが(実際に連敗したが)、年齢も近く、経験も浅いリョーンとチャムを比較した結果、剣士達はリョーンの方が指導者としての資質に勝ると考えたからだ。何より、カエーナ旗下最強の部隊である百人隊によって、クーン剣士団の一部と民衆が合一した喪服軍が粉砕される中、単騎で果敢に戦ったリョーンの姿を、他でもない剣士達がその目に焼き付けていたからだ。ただし、彼らはクーン王宮内部での、リョーンにすら勝るチャムの活躍の詳細をまだ知らない。

「その剣士団団長の仕事ぶりはどうだ?」

 カルカラはリョーンの問いに心中で首を傾げたが、すぐに何かを理解したように答えた。

「日の出から日没まで――いいえ……昼も、夜もなく、山積みになった難題を解決するために、一心に努めていらっしゃいます。王都東門付近の難民が寒さをしのげるのも、団長の決断の早さによるものです」

「そう。昼も夜もない。公務は夢の中まで追ってくる」

「お疲れでしょうか?」

「カルカラにはどう見える?」

 リョーンは別におべっかを使って欲しかったわけではない。カルカラもそれを理解して話している。

「……二、三時間、睡眠をとられた方がよさそうです」

「そうね。そうする」

 リョーンは即答した。カルカラは友人の頼みを断る理由をわざわざ部下に言わせたリョーンがおかしかったのか、小さく口元をゆがめた。無論、リョーンが気づかない程度の些細な仕草で。

「では、最上級神官には、団長は視察に出ているため不在とでも言っておきましょう」

 そう言って、カルカラは部屋を後にした。リョーンは何やら気鬱そうに机上で束になった書類を足で触っていたが、やがてそれが音を立てて崩れるのを見ると、散り散りになった紙束を拾うでもなく、大きくため息をついた。

 ふと、扉の外に人の気配を感じた。カルカラが何か用を思い出したのだろうか。

「何だ。カルカラ」

 と、リョーンが声を上げると、部屋に一人の男が入ってきた。剣士団の剣士の風貌をしているが確かに覚えのある顔だった。

「アドァさん?」

 カエーナの攻撃を受ける直前、リョーンはアドァと会った。それと全く同じように、彼は再び自分の前に姿を現した。

「や、お元気そうで。まずは、無事に団長位を継がれたことをお祝いしますよ」

 アドァはいつになく上機嫌に語りかけてきたが、彼の素性を大いに疑っているリョーンとしては、祝辞を素直に受け止めることは出来ない。

「……とぼけないで。貴方は一体何者?」

「いやいや、ただのしがない椅子作りですよ」

 と、アドァが言い終わらぬうちに、リョーンは机の横に無造作に立てかけてあった長刀を抜き、アドァの首に切っ先を突きつけた。

「カルカラの言うところ、王宮の密偵が剣士団を嗅ぎ回っているらしい。どうやら、それは貴方で間違いない。どうやってここに侵入したか、聞いてみたいわね……」

 アドァの登場にあっけにとられたリョーンだったが、自らの権威を意識し始めた矢先であるためか、いともたやすく部外者が剣士団本部に侵入した事実に不快を感じるのも早かった。

「いえ、剣士団本部はこれで結構、侵入に手間取る方です。それに誤解ですよ、赤髪のカル。私は剣翁に仕事を頼まれたのです」

 アドァはリョーンの威嚇に全く怯えるそぶりを見せず、リョーンの予期しないことを言った。

「嘘をつけ。義父さんがお前のような怪しい輩に何を頼む?」

「嘘ではありません。王宮近衛兵を使って、剣士団を攻めるように依頼されました。剣翁は捕らえられましたが、娘である貴女が団長である以上、契約は継続していると見なしたわけですが……」

「ふん、残念だったな。既に義父とは(たもと)を分かった。そのまま静かにしていろ。すぐにお前も牢に放り込んでやる」

 凄みを利かせて言うが、内心、リョーンは迷っている。確かにこの男は王宮の密偵かもしれないが、彼は同時にハルコナの保護者でもある。

「やれやれ、危急存亡とは今の貴女のことなのに……」

「王宮近衛兵が何故、剣士団を攻めるの? カエーナの一件は剣士団の法に従って内々に処理されたわ」

「お忘れですか。カエーナ剣士団とクーン剣士団が激突する際、王宮近衛兵が巻き込まれているのですよ。カエーナを包囲する戦術としてはとても優れたものですが、王宮がそれをどう捉えるかを失念したのは、いささか軽挙でしたね」

 リョーンはカエーナの動きを封じるために自らの肉を削るような危険な撤退を繰り返し、戦闘開始直後は戦線から離れた場所にいた王宮近衛兵を巻き込み、カエーナ包囲網を作り上げた。カルカラがいち早くそれに気づき、リョーンがカエーナを討ち取った後は百人隊壊滅のために包囲を完璧に仕上げた。カエーナの首だけとれば満足だったリョーンは、王宮近衛兵を利用することの危険など考えずともよかったが、剣士団団長として改めて振り返ってみると、実に危険な駆け引きであったことがわかる。もしもドルレル王が健在であったならば、彼は激怒してクーン剣士団を壊滅させたに違いない。喪中故に派手に軍事行動をとれない新王ゲールも似たような心情だろう。

「ちょっと待って。本当に王宮近衛兵が剣士団を攻めてくるの?」

 冗談ではない。ゲールは喪中にあるから、直接軍事の指揮をとれば、それは亡き先王の死を冒涜することにつながる。それに、先は感情のままにアドァをあしらったが、ロセが王宮近衛兵の出動を要請することもおかしい。本当にカルカラが言うように、義父は剣士団を裏切ったのだろうか。

 アドァは、リョーンの問いに直接答えることはしなかった。彼は、親が子供に優しく語りかけるような口調で、言った。

「カエーナは……彼は優れた軍人ではありましたが、指導者の器はない――というのはあなた方の妄想です。彼には剣士団に、いえクーンという王国そのものに反旗を翻す理由がありました。でなければ頭目が倒れた後も、ロマヌゥのような少年が彼の遺志を継ごうとするでしょうか。カエーナもロマヌゥも、エリリスによって腐敗したクーン剣士団よりも、王国のあり方そのものに疑問を投げかけたのです」

「王国のあり方? ロマヌゥの言っていた王政の打倒とかいうもの?」

 リョーンにとってはこの上なく阿呆らしい。ロマヌゥは王政を廃止し、数人の有力者による寡頭政治を実現しようとしていた。だが、寡頭政治は権力基盤が強固ではないクーン周辺の蛮族によく見られる形で、いわば部族長会議なのだが、リョーンはそれが王政より勝るものだとは思わない。ロマヌゥの望むところはその先の民主制にあったが、権力の保持者が社会の下層に移行するにつれてその質が低下するのは目に見えて明らかだろう。クーンは軍事でのし上がってきた国だけに、権力のあり方も命令系統の徹底化を重要視する。広大なクーン王国を統治するのに民衆をかき集めて意見を聞いていては、国の運営すらおぼつかない。

「いえ、そうではありません。彼らが打ち倒したかったのは、恐らくはもっと別のものです」

 アドァの言いたいことが分からない。彼にとってのカエーナの反乱とは何なのだろう。

「この王国は、幻想の中に埋もれています。民草も、誰よりも真実を見なければならない王でさえも、同じ幻想の中にいる。カエーナもロマヌゥもそれと戦ったのです。恐らく、彼らにその自覚はないでしょうが、幻想の最たるクーン剣士団に立ち向かったということが、何よりの証拠です」

「剣士団が幻想?」

 リョーンはさらに首を傾げた。つまらぬ思想を掲げて民草を煽動したロマヌゥこそ幻想に溺れているのではないか。

「少し前までの貴女にはそれが理解できたはずです。でも今は分からない。人は、目に見える景色が違ってしまうと、考えることまでそれに順応してしまう。団長の席はとても危険ですが、貴女ならエリリス様が出来なかったことを成し遂げられるかも知れません」

「言っていることはよくわからないけど、貴方に期待されていることはわかったわ」

「王宮近衛兵を率いてくるのは、恐らくチャム様です。早くて十日後といったところでしょう。それでは……」

 そう言って、アドァは何事もなかったかのように部屋を出て行った。自分の知らぬところで陰謀が進んでいるような気がしたリョーンは、腹いせに部下を呼びつけ、アドァの風貌を伝えると、

「本部内で見かけたら必ず捕らえろ」

 と厳命した。ただの嫌がらせだが、リョーンの立場としてみれば、あのような男を放置していて気分がよかろうはずもない。



 さて、困ったのはザイとタータハクヤだ。息巻いてリョーンをたずねたはよいものの、あっけなくカルカラにあしらわれた。特にこれでリョーンと直接話せると思っていたタータハクヤの落胆は大きかった。

(リョーンはこの人に利用されている……)

 カルカラに対して愛想良く振舞いながらも、タータハクヤはそのようなことを考えていたが、彼女は二十歳をとうに超えているとはいえ、世間の荒波にもまれて生きてきたわけではない。田舎暮らしとはいえ深窓の麗人と呼ぶに相応しい人生を歩んできた女は、自分が思っているほどには世故に長けていなかった。

(人を悪の化身であるかのような……どうやらこの娘は儂が私欲で剣士団を動かしていると思っているらしい)

 タータハクヤの心中をたやすく見透かしたカルカラは、苦笑した。彼自身、リョーンを傀儡として剣士団を運営してゆくことに後ろめたさなど微塵も感じていない。それが、クーン剣士団を存続してゆく上で最良の手段だとも思っている。

 カルカラは二人の願いを無下に退けた後、公務に戻るはずだった。だが、すぐにそうもいかなくなった。事情を知ったザイが、だだ(・・)をこねたからだ。

「カルを連れて参れ」

 会わせろ――といいたいところだったが、何分自分では一切腰を上げない王族からクーン語を学んだザイであるから、このような横暴な言い回しになる。

 カルカラは何度もリョーンの不在を主張したが、どういうわけかザイも折れない。普段は全くといってよいほどに存在感を示さない男が、ここまで躍起になる理由が、カルカラには分からなかった。

 カルカラは、ザイについて多くの情報を持っている。彼が白蛙宮に現れた時にチャムが拘禁された。当時の団長エリリスはどういうわけかそれについて一切を黙秘したから、カルカラやテーベなどの多くの幹部は独自に情報を集めるという珍事に至った。カルカラはその時にザイの存在に注目し、厳密に調査したのだった。

 だから、カルカラはザイの正体について最も正確な情報を得ている。

(この男はただの無能だ)

 アシュナの婿であることと、神龍の子であるという噂以外に、ザイに政治的価値はない。彼を剣士団に置く理由は、カエーナの反乱を口火とする王宮からの圧力に対して、なるべく多くの手札を保持しておきたいからだった。

 その、人格としての価値を全く認められないザイが、カルカラに激しく喰らいついた。

 リョーンとザイを会わせること自体には問題がない。ただし、同行するに違いないタータハクヤが、リョーンにいらぬ入れ知恵――例えばカルカラが剣士団を壟断(ろうだん)しようとしているなどといった風聞を耳に入れてもらっては困るのだ。リョーンは確かに扱いやすいが、あのような気性の荒い女に疑心暗鬼になられるのは、カルカラでなくとも御免被るだろう。

 そんな、一種のぬるい膠着状態が続く中、一人の人物の登場によって、全てが解決した。

 エリリスである。

「良いじゃあないか。会わせてやれば……」

 まるで引退を決め込んだ老人のような口ぶりで言うのだから、カルカラが呆れたのも当然だ。

「とにかく、団長はお会いになれません」

 そう切り上げると、公務があるという理由から、カルカラは逃げるように退散した。話が終わったとは思っていないザイは、彼を追う素振りを見せたが、何故かエリリスがこれを止めた。

「話してみなさい。何か協力できるやも知れん」

 少し前までの威厳ある態度など何処にもない。好々爺という言葉が似合うほどに、この男は短期間に変貌した。とはいえ、まだ年齢も五十代の半ばである。引退を決め込むには早い。

 タータハクヤは半ば諦め気味に、ザイが解読した何者かの日記について説明した。リョーンについての話はしなかった。今のエリリスに剣士団上層部を動かすほどの力はないだろうし、彼とてカルカラの側にいると思ったからだ。

 エリリスはザイとタータハクヤの話をじっと聞いていたが、やがて思いがけないことを口にした。

「タータハクヤ家滅亡とともに、彼らの財産はほとんど散逸した。だが、一部は今でも王宮にて管理されているはずだ」

「それは本当ですか?」

 どういうことだろう。ヒドゥですらそのようなことを口にしなかった。それに、タータハクヤ家を滅ぼしたクーン王家が文書に限ったとはいえ、それを保護するとは思えない。

「新王は幼い頃にタータハクヤ家の三男と懇意だった。いつか、王子の頃の新王とお会いした際、そのようなことを仰っていた」

 目を剥いたタータハクヤはエリリスの話したことを、そのままザイに伝えた。ザイは小さく頷くと、

「では、王宮へ……」

 といって颯爽と腰を上げた。

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