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第十二章『愚者のまつり』(3)

 シェラドレイウス・ペイルローン・ドラクワ。

 「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」の一員でもないのに、剣士団の上層部から一目置かれるリョーンの師。彼に近しい者は愛称であるシェラか、幼名のレイウスと呼ぶ。後者で呼ぶのは彼の親代わりでもある義兄のキュローだけだが。

 彼は、生命の危機にあったタータハクヤを救うために、単身でロマヌゥのアジトに忍び込み、百にも及ぶ敵兵と切り結んだ。その結果、重傷を負い、剣士団付きの医人に言わせれば、二度と剣を持てない体になった。両腕の腱が切れ、今では独力で食事も出来ないという。

 剣士団本部がカエーナによって占拠された際、誰もが彼の死を疑わなかった。生存を望みはしても、リョーンですら、シェラの復讐のために兵を挙げる始末だった。

 そのシェラが、再び目の前にいる。

 矢傷が酷くて身を起こせない状態ではあっても、何とか会話が出来るくらいには回復していた。五体を矢で貫かれたことを考えると、超人的な回復力である。

 シェラと目のあったタータハクヤの脳裏に、彼を想うがあまりに狂気に走ったリョーンの姿が浮かび上がった。

(あなたは、リョーンを何処へ連れて行ってしまうのですか?)

 と、問いたかったが、喉元まででかかった言葉は、雲のように掻き消えた。

「今のリョーンが何を考えているのか、わかりません」

 半分は嘘だ。今のリョーンが相当な苦悩の中にあることは、タータハクヤにはわかる。わからないのは、彼女がそれに対して、誰の手を借りようとも思っていないらしいことだ。唯一の例外は側近のカルカラで、重ね合わせた剣を意味する物騒な名を持つ男が、実質的に今のクーン剣士団を牛耳っている。

「……ロセのことかな?」

「……それも、あります」

生憎(あいにく)だが、ロセの投獄は剣士団上層部が決定したことである以上、俺にはどうにも出来ん。とはいえ心配はするな。いくらカルでも義父(おやじ)を処刑したりはない」

「……わかっています」

 そう言ったタータハクヤは、今にも消え入りそうな儚さにあった。

「……カルは――」

 シェラはそういいかけて、一度止まった。沈黙に気づいたタータハクヤが顔を上げると、それを待っていたように話を続けた。

「あれは、ときに険しいが、優しい娘だ。剣なんて握ったところで、何の足しにもならないことを、本当は理解しているんだろう」

「わかっています。優しい子です。ですが、リョーンは……」

「エリリスやカエーナのようになる――と言いたいのかな?」

「……はい」

 表はリョーン、裏はカルカラという傀儡が、長続きするはずがない。裏面であるカルカラが強力になるにつれて、それに気づき、反発する勢力も強くなる。少し前までのエリリスとカエーナを見れば良い。あれほどの大混乱がもう一度起これば、今度こそ王宮が鎮圧のための軍を送り込んでくるだろう。そうなれば、リョーンは必ず死ぬ。

「リョーンを止めてください。あの子は、まだ戦うつもりです。ロマヌゥなんて放って置けばよいのに、あの子は自分の止め方を知らないのです……」

「確かに、カルは戦いを止めない。彼女の戦う理由が、何かを守るためではなく、飽くまで復讐にあるからだ。カエーナを殺しても終わらないとなれば、カルにとっての戦いの終わりも、遥かにある」

「でしたら、なおさら……」

「俺もそうしたいよ。でもね。こんな身じゃあ、自由に外に出られないし、カルだってこの頃はほとんど顔を見せない。カルカラの嫌がらせだよ、これは。それに、君が今言ったことくらいは、カルにだってわかっているだろう」

 シェラはあえて明るい声で言ったが、それが彼にとっての深刻な事態であることに、タータハクヤはようやく気づいた。

(人質……ということ?)

 リョーンはカルカラに乗せられているだけだと、タータハクヤは思っていたが、経験は浅くとも怜悧な彼女をそのようなことで騙せるわけが無い。ロセの投獄に反対の声を上げないはずもなく、チャムを差し置いての団長就任がどれほど危険なことかも、わからないはずがない。

 自ら策士と自負するカルカラであるから、想い人――といえばリョーンは怒るだろうが――であるシェラを利用してリョーンに圧力をかけるくらいのことはしたかも知れない。だとすれば、今の自分が幽閉に近い扱いを受けているのも、カルカラの仕業か、あるいは彼の干渉を嫌ったリョーンの意思によると見たほうが良い。今の剣士団にリョーンを慕う男達はいても、彼女を剣士団という怪物にも似た組織から救い出そうという人はいないに等しい。例外といえば、病床にあるシェラと、自分しかいない。

「それではリョーンは……」

「待て、姫さん。窓を閉めてくれ、この部屋の壁は薄くて、少し寒い」

 シェラは意味あり気に目配せをした。途端にタータハクヤに悪寒が走った。

(カルカラに監視されている……)

 タータハクヤは、テーベとロセの密談については知らないが、自分自身も彼らと同じ道を辿り得るということが恐怖に値した。

 シェラの目が、タータハクヤに語りかけた。


――どうにかして、ここから出ろ。


 足手まといが多いと、リョーンの足かせも大きくなる。シェラ自身、カルカラがここまでするとは思っていなかったのだろう。彼がキュローの命によって剣士団に送り込まれたのなら、カルカラの行動はキュローの予測を上回ったことになる。タータハクヤの知恵は浅くないが、何分悪党同士でしのぎを削るような世界には疎い。剣士団の暗部にさらされ、辛酸を舐めてきたカエーナやロマヌゥがこの場にいたならば、キュローならリョーンの動きを制限するためにカルカラに利用されるのを承知でシェラを送り込むくらいのことはする――といった程度の予測は出来ただろう。

 この時、タータハクヤは自らの意思で剣士団を去ることを決意した。とはいえ、リョーンが自分の意思でタータハクヤを強制的に保護下に置いているのは事実であるから、まずは彼女を説得しないといけない。

「あの方については、貴方にお任せしてもよろしいでしょうか?」

 シェラは目で頷いた。あの方――とは無論ロセのことだ。ロセに続いて失脚したテーベの助命まで願うほどには、タータハクヤは彼と親しくない。それに、テーベは剣士団本部陥落までに至る敗因を作っているから、ロセとは違って責任を問われても仕方のない部分があった。エトが正気ならば、断固としてテーベの助命を主張するに違いない。

「シェラ様。お願いです。剣士団の再編成が終わり次第、リョーンに退位を勧めて下さい。このままでは、あの子は死んでしまいます……」

 タータハクヤはその台詞だけ残して、部屋を出るつもりだった。だが、車椅子を反転させたところで、先ほどまでか細かったシェラの声が急に、間近で話すようによく通って聞こえた。

「カルは死なないよ。いや、死ねないんだ」

「えっ……?」

 シェラの言葉が理解できず、タータハクヤは振り返った。そこには、やはり痛々しそうな包帯にくるまれたシェラが横たわっている。だが、耳元で聞こえるようなあの声は何なのだろう。

「カルは、優秀な器であることを示した。だから、あれは迷っている……」

「迷っている?」

「そう。本来の器が、器であることを示せば、あれはそれを選ぶだろう。だが、仮の器以外に使えないとなれば……」

 シェラの目はうつろで、天井を見たまま話している。だがそれは確かに、タータハクヤに向かって話していた。

「どうなさったのですか、シェラ様? あれとは……」

「君の、よく知るもの」

「私が?」

 瞬間--ほんの一瞬だけだが、酷く()い臭いが鼻に付いた。全身が怖気立つかと思ったが、すぐにおさまった。

(今のは、一体……)

 疲れたのか、会話の途中で眠りについてしまったシェラをよそに、タータハクヤは言い知れぬ不安を感じながら部屋を後にした。がらがらと車椅子の通る音が外に響いた。



 まずはリョーンに直接会わねばならない。幽閉に近い扱いを受けているタータハクヤにとっては、これが難事だった。リョーンが自分と接触することを避けているのは、彼女がエトの見舞いにすら来ないことからも明らかでありすぎるからだ。

(あとは……)

 タータハクヤが見やった先には、ザイがいた。最上級神官という語感だけは重々しい神職に付くこの男は、剣士団本部に出入りする者の中で、クーン剣士団団長であるリョーンに対して、唯一頭ごなしに命令できる立場にある人である。ただ、剣士団はいまだに初代団長ラームが戦役のどさくさに紛れて獲得した治外法権を手放していないから、ザイは剣士団から敬意を払われることはあっても、実際には何の権力も持たない。極端な話、ザイが何らかの罪を犯して、リョーンの裁可の元に彼が処刑されても、王宮との関係は致命的に悪化するだろうが、法的には何の問題もない。

 だがそれでも、タータハクヤが頼れる人間の中では、ザイ以外にリョーンへの目通りを実現できる人間はいなかった。彼女の切り札は、彼を使ってロセと自らの開放をリョーンに提案することだった。

 あるいは――と、タータハクヤは下卑た想像をした自分を呪いたくなった。最愛の妻を失って気落ちしているに違いないザイを篭絡すれば、自分はアシュナ王女の後釜になれるのではないか。そうなれば妹分であるリョーンによって庇護されるという、有難くはあっても誇らしくはない日々から開放され、何よりタータハクヤ家復興に向けて大躍進する。使用人であるヒドゥは主人の命令がなくとも、最上級神官の生活に不便がないように何かと気を使っているが、この打算が働いているに違いない。むしろ、二人の距離が縮まるように、あえて仕向けているように見えるのは気のせいだろうか。

 だが、タータハクヤの苦悩をよそに、彼女を巡る状況が変わる。

 恐らくは誰も予期できなかった事態が、起こるべくして起こった。

「一体、飽きもせず……」

 とかく、空いた時間の使い方が全く不器用仕方のない男は、白蛙宮で一度痛い目を見ているにも関わらず、戯れにタータハクヤの読んでいる本を取り上げた。

「ソプル様、いかがなされましたか?」

 何やら不便があってのことではなく、ただの戯れだろう。暇をもてあました子供が、かまってくれる相手を探しているようにも見えて、何やらおかしみを感じないでもない。現状、ザイが行っているのは、彼が直接リョーンに依頼したアシュナ王女捜索の報告を聞くことと、タータハクヤからクーンの昔話の類を簡単なクーン語で聞くくらいで、軍事施設も兼ねる剣士団本部を自由に歩きまわれるはずもなく、他は半ば監禁状態のタータハクヤに近い。

「喉が渇いた」

 卓子の椅子に太った体がどっしりと乗った。戯れに取り上げた本をめくりながら、ザイは言う。

「ウイ、何か飲み物を……」

 タータハクヤはエトの世話をさせている小間使いの少女を呼んだ。彼女に関しては同じような仕事をしているテッラと連絡をとって紹介してもらっただが、細々としたことに気が利いて、タータハクヤとしては良い買い物をしたと思っている。

「はい、只今」

 といって、ウイが腰を上げようとした矢先、卓上で本をめくっていたザイが声を上げた。

「ナラッカ!」

 怒声に近かったせいか、部屋内にいたエトを除いた二人の動きが止まる。何度も繰り返すが、ナラッカはタータハクヤの幼名であり、本名である。

「いかがなされました?」

 自分が気づかぬ間に、何か無礼な振る舞いをしたのではないかと、タータハクヤは冷や汗をかいたが、どうやらそうではなかった。

「これは……何だ?」

 ザイは先ほどまでタータハクヤが目を通していた本を指した。

「それは我が家に滞留していた客人と思われる方の日記です」

 日記という単語が、ザイには理解できない。これでは会話にならないと思ったのか、彼は単刀直入に言った。

「汝はこれが読めるのか?」

「いえ、全く……ところどころある訳注と思われる箇所を拾い読みしているのです」

 クーン文字で書かれていない書を見て、ザイは驚いたのだろうか。あるいは彼は、異国の文字を見て、この本が禁書ではないかと疑ったのだろうか。彼自身、クーン語を習得していないのは明らかであるから、この想像は矛盾している。

 タータハクヤ自身、南方系に見えないザイの素性が未開拓の地である西域の貴族か何かだと見当をつけている。彼女が期待したのは、ザイがもしやこの本に書かれた不可解な文字を解読できるのではないかということだ。そしてそれは見事に的中した。

「おわかりになるのですか?」

 タータハクヤが簡単なクーン語で問うと、ザイは大きく頷いた。



 それから丸一日の間、ザイはタータハクヤが持っていた謎の日記を、まるで何かにとり憑かれたように読み進めた。

 やがて本をたたんだ彼は言った。

「他に、このようなものがあるのか?」

 タータハクヤは扉のそばで佇んでいるヒドゥの方を見た。タータハクヤ家の蔵書の買戻しを行っていたのは彼であり、他にも同じ言語で書かれた文書があれば理解しているはずだ。ちなみに買戻しの資金だが、カエーナの反乱前はエリリスから出ていたが、今はリョーンがこれを継承している。金は実際には剣士団から出ているのだが、流用ではない。上層部は剣翁ロセの友人であるという関係に免じてか、タータハクヤへの資金援助を認可している。

 ヒドゥは、申し訳なさそうに首を振った。

「では、タータハクヤ家へ行く」

 ザイがそう言い出したので、タータハクヤは彼の理解できる範囲のクーン語で、タータハクヤ家が既に滅んだことと、現在の生き残りは自分しかいないことを説明しなければならなかった。不思議だったのは、この話を聞いたザイが驚かずに、

「ああ、あれは汝の家だったか……」

 と、何やら納得したような素振りをみせたことだった。

「まことに申し訳ありません」

 謝ること自体が筋違いだとわかってはいても、身分の差を考えればそうするしかない。だが、ザイはまだ諦めていなかった。

剣士(カルス)カルに会いに行く!」

 といって、部屋を飛び出した。

 タータハクヤは驚いて彼の後を追ったが、最上級神官の突然の訪問という、リョーンと会うに絶好の機会を得たことになる。

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