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第十二章『愚者のまつり』(2)

 現在の王都クーンが存亡の危機に立たされていることを、住民たちは誰一人理解していないのではないか。

 先王ドルレルが崩御して五日も経たないというのに、南人居住区の商人たちは王の突然の死の原因が、新西候セラが送り込んだ刺客によるものだということを早々とつかんでいた。


――こりゃあ、一荒れ来るぞ。


 といって、財産をあわてて南方のダイス王国に移すものも居た。最大の勢力であった白竜一家が本拠をダイス王国に移したのもその一例として他の商人たちに受け取られた。

 西候の勢力が本家であるクーン王家を圧倒し始めていることは、多少の事情通なら知っていて当然のことだったが、商人たちにとって目下の一大事はなんと言ってもクーン剣士団の動向だった。異民族であるがゆえに、赤髪のカルに一切同情しない南人商家は、新たに団長として立った彼女の地盤のゆるさも、ゲール新王がクーン王軍の再編成に関心を持っていることも熟知していた。西候が攻めてきたからといって、即座に王都が戦場と化すわけではない。だが、王都の内部に居城を持つクーン剣士団が王に粛清されるとなると、話が違う。

 南人居住区が大喪を忘れたように活発になり始めたのは、彼らが情勢を既に見極めたからかも知れなかった。

 ただ、その内の誰も、もうひとつの脅威――突如として天空に現れ、消えていった神龍については、一切の予見を諦めていた。排除しがたい脅威ではなく、抗うことすら不可能な運命として、それは人々の網膜に強烈に焼き付いた。あるいは、人の人生とは、死ぬまで生きるということではなく、神が死ねというまで生きるというのが、クーン人の人生観であるらしかった。この点、土着のクーン商人たちが、信仰よりも信用の世界で生きる南海の異族商人に太刀打ちできないのも当然だろう。

 ザイは、これらの重要かつ膨大な情報から、まったくと言って良いほど取り残されたままだった。彼の現状認識が、情報の重要性に気づかぬリョーンにすら劣っていた原因の多くは、彼のクーン語が堪能でないことに拠った。

 最初から、ザイは部外者だった。あるいは最後までそうであるのかも知れない。クーンの外の世界から来たという事実は、ザイが他の誰とも共有できないものだったが、ロマヌゥと接触したことで、ザイは徐々に泥沼にも似た愚者たちの争いの渦に引き寄せられた。

 いつの間にか、争いの渦の、その中心に立っていた。王都に渦巻く権謀術数の嵐――その中心のひとつであるリョーンの近辺はやけにあっけらかんとしていて、たとえザイが事情を知っていたとしても、それを信じろということが無理だろう。

「あの竜臭い女は、普通と違う」

 ザイがリョーンについて知っている情報はそれだけだった。キツから聞いた、死者が蘇ったという話を、彼は信じなかった。

 ザイは、情報に飢え始めた。

 彼が待ち望むのは、ひとえにアシュナ生還の報だったが、興味を持つまいとしても、目をそらさずにはいられない存在があった。

神龍(リョーン)

 この名を聞くだけで、ザイは近くにあるものを殴り壊したくなる。キツの言っていたことが事実ならば、まもなくクーンは神によって滅ぼされる。直に神龍と接触したザイは、再びそれにまみえるだろうことを直感している。

「お加減の程は?」

 と、毎日のように自室に顔を出してくれるタータハクヤにどれだけ救われたかわからない。

 ただザイはそれに甘えながらも、彼女が熱心に読んでいる書を取り上げ、

「早く逃げろ。あれはまた来るぞ!」

 と一喝するのだが、タータハクヤは物怖じせずに、

「心得ております」

 とだけ答える。

「本当に、わかるのか?」

「はい。今でも、空に大いなる脅威を感じます。神龍(リョーン)が今静かなのは、獲物を狙っているからです。見定めれば、すぐにでも来ます」

「獲物……それは儂か?」

「いいえ、違います。神龍は貴方を喰らおうとしましたが、止めました。神に死を与えられた者が生きている道理はありません」

 このあたりまで来ると、ザイのクーン語理解がかなり怪しくなる。すると、タータハクヤは決まって笑顔を作り、簡単なクーン語で伝承の類を聞かせてくれる。

(友人がこの状態でも、慰めてくれるのか。いや……)

 ザイは、正気を失ったまま呆然と立ち尽くすエトを見ると、

「座れ」

 と命じた。エトは近くにあった椅子の前まで立つと、人形のように脱力し、膝を折った。

(潰れそうなんだ。この人も……)

 自分とタータハクヤの座る位置が、日が経つにつれ狭まってゆく。その内、この娘は己にのしかかる現実の重みに耐え切れず、何もかもをぶちまける時が来るのかもしれない――といった漠々たる思いが、ザイの胸の中で空しく鳴った。

 ザイはエトを見た。この少女を見ると気味が悪いこともあったが、それ以上に、ザイは時々、エトの気配を感じられない。

 今朝方も、食膳を小間使いの少女が持ってきた折に、違和感を感じて


――一人分多いな。


 と口に出すと、真横に居たタータハクヤが信じられぬように自分を見ていた。また、食膳に目を戻すと、その前にエトがうつろな表情のままで座っていた。

 最初は自分の勘違いかと思ったが、あまりにもそれが多いので、ザイはこれをひとつの現象であると断定した。

 椅子に座ったばかりのエトの首になにやら傷のようなものを見つけた。

「おや、怪我してるな……」

 ザイは思わずエトの首元に手をやった。すると、それまでは意思もなく座ってただけの少女が、猫が癇癪(かんしゃく)を起こしたように、突然ザイを手をつかんだ。骨が折れんばかりの怪力に、驚いたザイが悲鳴を上げた。

「痛ぇ!」

 異変に気づいたタータハクヤが止めに入るまでの間、ザイは信じられぬものを見た。

 エトの喉仏の辺りに、刃物か何かで真横に斬りつけられた痕があった。それがわずかに口開き、中から真っ赤な肉が顔をのぞかせたとき、ザイは自分が全く理の異なる世界に引きずり込まれたような感覚がした。

 傷痕が、喋った。


――よこせ……


 途端に、鼻を貫くような獣臭がした。恐怖したザイは立ち上がり、部屋を飛び出した。タータハクヤは何が起こったのか全く理解できずに呆然となった。

 部屋を飛び出したザイは、彼を制止しようとした護衛の剣士を突き飛ばして、剣士団本部の奥の建物まで走った。どこをどう走ったのか自分でも覚えていないが、気づけば目の前にあった扉を押し開けて、一室に入った。

 建物の陰に隠れているせいか、昼間でも暗く、気の弱い子供なら泣き出しかねない不気味な静けさのある部屋だったが、今のザイにとってはそれすらまだ現実の範囲内にあるだけ安心できた。

「あれは……何だ?」

 やがて、ようやく呼吸が整った頃、部屋の外から何者かの足音が近づいてきた。それがエトであるかと思うと、彼の中に先ほど経験した怪異が蘇り、体が震えだした。神龍とも対峙したザイだったが、あれは超自然と呼べるもので、一個の人間が太刀打ちできる存在ではないという一種の諦観が恐怖を麻痺させた。だが、エトの場合は違う。ザイは、正気を失う前の彼女をわずかながらも知っていることが、以前の体験とは違って嫌に生々しい分、恐怖を倍増した。タータハクヤがエトの異変に気づいていないらしいことも、一因ではあった。

 扉が開いた。ザイは親に拳を振り上げられた子のように、うずくまった。

「そこで、何をしている」

 喋ったということは、エトではない。詰問するような口調にすら、安堵を感じるほど、男は怯えていた。そしてザイはこの声に覚えがあった。

剣士(カルス)……」

 ザイは、まるでそれが固有名詞であるかのように、女のことを呼んだ。

「最上級神官……何故、このような場所へ?」

 不審者の正体に気づいた女――リョーンは、さすがに身分の差を感じたのか、言葉を改めた。だが、ザイは答えようとしない。ただでさえ異性に対して攻撃的な面のあるリョーンであるから、ザイの煮えきらぬ態度に、目に見えて苛立っている。

「ここは病室です。早々にお引取り下さい!」

 リョーンが強い口調で言うと、

「まあ、待て」

 と、自分が身を預けている寝台の上から何者かの声が響いた。ザイが振り返ると、そこで横になった金髪の男が、自分のことを見ていた。

(嘘だろ……人がいたのか?)

 部屋に入った時、確かに人の気配はなかった。男は体中に包帯をしていて病人のように見えるから、寝ていたのだろうか。だとしても、今の今まで気づかないのはおかしい。そしてこの感覚は、最近のザイには覚えがあった。

(まるでB級ホラーのような……)

 それとも自分が狂ってしまったのだろうか。神龍に遭った時からずっと、正気を失っているのだろうか――といった疲労感しか残らないような思索を始めたザイだったが、リョーンが口を開くとともに現実に戻った。

「どういうつもりよ、シェラ」

「どうもこうもない。彼は剣士団にとって重要な客人だよ。もっと丁寧に接するんだ」

「こんな役立たずに払う敬意なんてないわ。ただの穀潰しよ……」

 リョーンはザイと言葉が通じないのを良いことに、王宮で口にしたならば首を刎ねられそうなことを平気で言った。シェラは苦笑するしかない。

「それは酷い。聞けば彼は姫さん(タータハクヤ)を救うために色々と苦労したそうだ。王宮のぼんぼんにしては、良い出来だよ」

「ふん、どうだか。何でこいつがここに居るのか、わたしには理解できないわ。王が崩じられても喪に服そうともしない。それに、アシュナ王女も行方不明だって言うじゃない。何で、こんなところでのんびりしていられるのかな?」

 リョーンは横目でザイの方を見た。

(出たよ。またこの目だ……)

 何かを切って捨てるような、侮蔑のこもった視線。

 ザイが最初にクーン王宮に居た頃、自分を見る人々の視線にこもっていたのは、畏怖だった。神の化身として信じられ、神聖白蛙宮(はくあきゅう)にて御神体のような扱いを受けた。ドルレル王ですら、気軽にザイに会うようなことはしなかった。それを恐れ気もなくやったのは、ゲール王子、王妃アヤ、そして妻であるアシュナ王女の三人だけだった。特にアシュナは好奇心の怪物でも体内に飼っているのか、煩わしいほどにザイに興味を持った。若い妻を持った夫は、妻が自分に向けるのが愛情ではなくただの好奇心に過ぎないことが、多少の苦痛ではあった。

 ロマヌゥに囚われると、ザイは一個の人間として扱われた。王侯貴族の打倒という夢想を掲げていたロマヌゥにしてみれば、当然の処置だったが、ザイを生身の人間として捉えたとき、まずその容貌の醜悪さが人々を遠ざけた。タータハクヤは最初からザイの身分を知っていたから、例外に置くべきだろう。特にロマヌゥがザイの監視に選んだ連中は、あからさまに彼の醜さをあざ笑った。今のクーン剣士団も似たようなものだ。リョーンが最上級神官に対して敬意を払っていないことが、下々の剣士たちにも染みてきている。

(醜くて、悪いかよ。俺の顔には目も鼻も口もついている。お前たちは俺より少しだけ運が良かったに過ぎないのに、人の顔を(わら)うのか?)

 リョーンも、シェラも、まぶしいほどの美貌である。なにやら親しげに話す二人を見ていると、この場に居合わせた自分が道化のように思えてきて、子供じみたことかもしれないが、不快になる。

 ザイがあからさまにつまらなそうな顔をしていると、外からがらがらと車輪が転がる音が聞こえた。音の正体がタータハクヤであることは、誰にも理解できた。

「じゃあ、行くわ。最上級神官様も、早めにお部屋にお戻り下さい」

 そう言って、リョーンは足早に部屋を出て行った。それから少しして、戸をたたく音があった。

「今日は来客が多いな。どうぞ……」

 扉の隙間から、タータハクヤが恐る恐る顔をのぞかせた。

「ああ、こちらにいらしたのですか」

 安堵する彼女とは裏腹に、ザイの目はタータハクヤの後ろを見ている。

「あの娘はいるか?」

「エトのことでしょうか。いえ、ここにはおりません」

「そうか。あれとはもう、会いたくない。部屋を変えよ」

 随分と突き放した口調だが、あれほどの体験をしてしまっては、顔を合わすたびに絶叫しそうになるに違いない。正気だった頃のエトは、若さではちきれんばかりに明るい少女で好感を持ったが、ザイとしては、今の彼女とは二度と会いたくない。

「えっ……えっ?」

 驚いたタータハクヤはおろおろと視線を泳がせていたが、やがてザイがすっくと立ち、部屋を出て行こうとしたので、それに続いた。

(わし)は、死人と一緒に居たくない」

 ザイに続いて部屋を出て行こうとするタータハクヤを、シェラが呼び止めた。

「待ちなよ、姫さん。俺に話があるんだろう?」

 タータハクヤは一瞬迷ったようだったが、車椅子を回してシェラのほうを向き直った。リョーンのことで彼に相談したい話が山ほどある。

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