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第十一章『運命めぬ神に供せよ』(8)

 夜中、カエーナの反乱のせいで閑散としてしまった南区繁華街に一騎の竜が駆ける。

 男はその一角に竜を止め、南人風にゆったりとした色彩で飾られた建物に入った。

 やけに目つきの厳しい小僧に通されて一室に入った男を、けばけばしい衣装に身を包んだ女が出迎える。

「あら、先生直々にいらっしゃったのですか?」

 と、煙管(きせる)に火をつけながら女が言う。

「お前がヤーニか?」

 女はくすくすと笑う。男の傍らに居た少年は彼にコートを脱ぐように勧めたが、男はそれには答えなかった。

「いいわよ。もう下がりなさい」

 ヤーニにそう言われると、少年は首をかしげたまま、退出した。

「チャムの用件を聞こう」

 男――ロセは、相変わらず歯に絹を着せない。

 ヤーニはいつの間にか煙管を置き、湯飲みに茶を注ぎ始めた。

「まあ、せっかちですのね。弟子は師に似るというのは、こういうことかしら」

 娼婦の冗談に、ロセは付き合わない。彼はただじっと女の目を見ている。鷹のような眼光に耐えられなかったのか、ヤーニは続けて口を開いた。

「それではチャムの言葉を伝えるわ。『新王は、西侯を討つ上で最大の障害を、王都の軍事を受け持つ剣士団だと思っている。抗えば剣士団の解体は避けられない以上、初代ラームがドルレル王より賜った王都の治安維持を、王宮近衛兵に返すのは自然な成り行きとも言える。ただし、新王はクーン剣士団をもって王国の第一軍とすることを約束してくれた。若い娘を推戴するような小細工は、今は必要ない』」

「やはりな……」

 大方、ロセの予想と一致している。ただし、チャムはリョーンの団長代理就任には反対している。王軍に吸収される上で、リョーンという本人の器量とは無関係に増大したカリスマは、大いに障害になり得る。

 リョーンの推戴は、カエーナと彼女の確執には直接に関わっていないチャムには理解し辛いかもしれない。現状、リョーン以外を団長代理とすれば、カエーナのように剣士団を離脱して一旗あげようという輩が出ないとは限らない。ピオやカルカラは共に違った意味でリョーンを頭目に第二のカエーナ剣士団を造りそうだというのは、言い過ぎではあるまい。

 チャムの意見を聞いた感想では、テーベよりカルカラの方に重きを置いているように思える。テーベに対カエーナ戦線を任せたものの、彼は失敗した。チャムが見限るのも無理はない。エリリスの名すら出ていない二人のやりとりを他者が知れば、何という冷酷な連中だろうと溜息をつくに違いない。

「王宮の様子はどうだ?」

「内紛を起こした剣士団の処置については、ほとんどが解体派に賛成よ。でも、その中でも武断派と穏健派に分かれてもめている感じね。新王に代わって政務を行っているのはドルテン卿だけど、彼は穏健派だから今のところは大丈夫そうね」

「そうか」

 有利な条件を王宮に持ち出すには今が最初で最後の好機だろう。特に剣士団壊滅すべしの武断派に憂慮している宰相ドルテンに、形式だけでいいから剣士団を攻めて欲しいと具申すれば、彼は手を打って喜ぶに違いない。

「チャムは他に何か言っていたか?」

 ロセは腰を上げた。自分の打った手がチャムの意識とずれていない以上、目的は既に果たした。

「口もつけていないのね。娼婦泣かせな男……」

 ヤーニは軽口を叩きながらも、周囲に人の気配がないかを探っているようだった。

「夜中、ドルレル王の首らしき物を持った人物を、チャムは目撃したそうよ。外貌は……」

 身を翻そうとしたロセの動きが止まった。目だけで続きを促している。

「黄金の髪、漆黒の装束、心臓を射抜くような冷たい瞳。これを伝える時、彼はこう付け足すように言ったわ」

 ロセは動かない。黙ったまま耳を傾けている。

「『信じられるか?』ですって……」

 ものの数分のやり取りで、ロセは娼家を後にした。密談というにはあまりにも短すぎるが、カエーナ派の残党がひしめく中で、長く剣士団を留守にすると、剣翁と言えどもあらぬ疑いをかけられる。



 暗い夜道を駆る。

 ロセの中で、ヤーニの最後の言葉が頭にもたげている。

 黄金の髪、漆黒の装束と来れば、連想するものはひとつしかない。

(シェラ……)

 あるいはそうでなくとも、南国で有名なペイルローン一族の暗殺者の容貌である。キュローがドルレル王の暗殺を行う理由はない訳ではないが、慎重を絵に描いたような彼にしては、いかにも軽率すぎる。

 シェラが南海で悪魔のように恐れられる暗殺者と同一人物であるというのは、確証がないながらも、ロセの中では随分前から感じていたことである。あるいは剣士団最高の才能たるチャムを上回る技量の持ち主ではないかと、何度も疑った。

 だが今の彼は瀕死である。とても身を起こせる状態ではない。シェラでなくとも南人はいくらでもいる。クーンを離反してナバラ側につきたいダイス王国辺りが、刺客を差し向けたとすれば、一応の説明が付く。あるいはこれも西侯の陰謀なのだろうか。

(いや、違う……)

 チャムが言外に置いたのは、そのことではない。彼はやはりシェラを疑っていると見るべきだ。

 だが、何の証拠もない以上、迂闊(うかつ)な詮索は出来ない。

 と――そこまで想像を膨らませた時、ロセは急に手綱を引き絞った。竜が大きくいななき、停止した。

 ロセはすぐさま背に負った大剣を抜き、空をなぎ払った。すると、漆黒の短刀が弾かれ、地に落ちた。

(幸運だな……)

 危機にありながら、ロセはうっすらと笑みを浮かべた。チャムが自分の中で結論を出せずに、ロセに助けを求めた問題。

 隣家の屋根の上から老兵を見下ろしていたのは、漆黒のターバンを身に纏った影そのものだった。



 影が、飛んだ。

 月光をさえぎったのもつかの間、それは一呼吸の間にロセの眼前に居た。

(速い……)

 ロセは大剣で薙ぎ払うと同時に、竜から降りた。普通に考えれば致命的な判断ミスにみえるかも知れないが、恐るべき速さで迫りくる敵に対する以上、向きを変えるだけで一呼吸必要な騎乗では、必ず遅れをとるという判断を下したロセは正しかった。

 背後で剣を抜く音が、わずかに聞こえた。

 振り向くと同時に、先ほどの短剣と同じように黒塗りされた剣が目に飛び込んできた。影は剣を横に寝かせ、音もなく飛び込んできた。対してロセは大剣の切っ先を地に付けたままだった。

 激突。

 空を両断するのではと思うほどに、ロセの大剣は大きく切り上げられた。同時に、影の持っていた漆黒の剣が、空を舞った。

 影は驚いたようにその場に立ち尽くしたが、ロセはその隙を見逃さなかった。カエーナの鉄槌にも似た強力な一撃が、影を襲った。

「ぐぇ!」

 影は辛うじて身をひねり、それをかわしたが、続けざまにロセに腹を蹴られ、尻餅をついて倒れた。

「女か……」

 相手の声から、ロセが察した。同時に、やれ南人はクーンより武技が盛んだわい――と、ため息をつきたくなった。どうにも女らしい影が見せたのは、中途半端な剣技を自慢する娘に見せてやりたいくらいの、鮮やかな手腕である。

 影は動こうとするが、大剣の切っ先をつきつけられては、それもかなわない。

「さて、まずはその覆面を剥ぎ取ってやるか……」

 軽口とは反対に、ロセはすばやい動作で剣を切り上げた。口まで隠す黒ターバンが裂け、はらりと地に落ちた。

「お前は……どこかで会ったな」

 と、ロセが自分の記憶を探り始めた矢先――

「そこまでだ。裏切り者!」

 気づけば背後の路地に一人の男が立っていた。

 雄大な体躯。自慢の白髭。ロセが首を傾げるほどに不自然に、カルカラは居た。



「くっ!」

 カルカラの方に注意がそれた一瞬、その間に、影はどこからか取り出した短剣をロセに投げつけた。油断したとはいえ、剣翁と呼ばれる男である。ロセは難なくそれを避けたが、その間に影は再び闇の中へと消えた。

 ロセが追おうと竜の鞍に手をかけたところで、再び声が上がった。

「動くな。既に包囲している。おとなしく投降しろ!」

 カルカラはまるで賊を捕らえるような口調で、ロセに向かって言い放った。

「カルカラよ。お前の目は節穴(ふしあな)か?」

「何を仰います。剣翁先生。貴方こそ、剣士団を王宮に売りさばくなど、耄碌(もうろく)なされたか?」

 何やら、空気がおかしい――と気づいた頃には、既に数人の射手がロセを包囲し、矢先を向けていた。

「どういうことだ?」

「どうもこうもございません。いかに引退なされたとはいえ、反逆は許されないということです」

「わしが反逆だと?」

「そうです。テーベと共謀し、密かに王宮と連絡を取り合って剣士団を売り渡すつもりだったのでしょうが、そうはいきませぬ」

 カルカラの言葉にはどこか空虚がある。

(こやつ、まさか……)

 ロセは恐ろしい想像をしていた。

 隠密にことを運んでいたつもりだったが、カルカラは全てを把握していた。恐らく、ロセが王宮と妥協し、剣士団を事実上の王軍に変えてしまおうという動きをつかんでおきながら、あえて放置していた。網を張り、それにかかるように仕向けた。

 政争の恐ろしいところは、敗北が死と同義ではないことだ。戦場で負ければただ死ねば良い。だが、政争での敗者はこの世のありったけの不名誉を甘受しなければならない。武人の気骨は、それに耐えられるようには出来ていない。

 ロセの想像が最悪の方向に向かったのは、チャムがカルカラ重視の発言をしていたことである。あるいはそれすらもカルカラの策謀であったとすれば、まことに狡猾であるとしか言いようがない。まさかとは思うが、アドァもこれに共謀していたとなれば、自分の愚かさに笑いたくなる。

(そうか、貴様がエトを消したか)

 先の影も、カルカラの陰謀の一端に違いない。引退を理由に煩わしい問題とは無縁なところに己を置いていたが、気が付けば泥のような陰謀にどっぷりとつかっていた自分を、ロセは笑いたくなった。ロセが早々と団長代理に就任していれば、カルカラの陰謀などは全て水面下で消滅していたはずである。次の世代に託したいという自分の我侭(わがまま)が、事態をここまで悪化させたともいえぬことはない。

(さて、どう切り抜けるか)

 ロセはあたりを見回した。先の刺客が落とした剣を探しているのだが、それも虚しかった。この場はつい先日まで戦場だったのだ。そこらに剣や流れ矢が落ちていて、そのひとつを拾って「刺客のものだ」と主張しても通らないだろう。

 何分、ぶった切ったような性格であるから、ここは剣士達の情に訴えかけるしかない。同情を誘うようで虫が好かないが、カルカラに剣士団を壟断(ろうだん)されては、近いうちに王宮近衛兵と激突する可能性もある。

 ロセが口を開こうとしたところ、一騎の竜が闇の中から現れた。

 純白の鱗に銀飾の鞍、そして鞍上にある赤髪を見たとき、ロセは王国最強の剣士である自分が、カルカラの悪知恵に完敗したことを悟った。

 リョーンは、剣士団団長の象徴たる白竜から降りることなく、静かに義父の前に立った。

「義父さん。何故……」

 と、呟く彼女の頬を、光の粒が伝って落ちた。

 娘の明らかな動揺を見て取ったロセは、もはや自分の無実を証明するには彼女に訴えかけるという不名誉極まりない方法しか残っていないことを覚悟せねばならなかった。

「リョーン、誑かされるな。あれはお前を利用して剣士団を手に入れたいだけだ」

 しかしロセの言葉は娘に届かなかった。リョーンは義父の言葉を聞きたくないとでもいうように首を振り、

「何故、何故!」

 と、繰り返した。

 彼女の後ろで心痛めているような表情をつくったカルカラが口を開くと、夏の夜の腐った魚のような生臭さがロセの鼻を突いた。

団長(・・)。残念ながら、全て証拠は揃っております。捕らえた女から話を聞けば、全てわかることです。義父である人がこのような暴挙に出られた悲しみ、お察しいたします」

 捕らえた女――という言葉を聞いたとき、ロセは愕然となった。

 それはヤーニのことに違いない。彼女を通じて王宮と連絡を取っていたのは事実であるから、カルカラのような剣士団存続派――といってもロセも厳密には存続派には変わりないのだが――にどのようにとられるかわからない。

 周囲の剣士達は、まるで信じられぬといったように、あるいは自分達の中で神の様に崇めていた人が堕ちて行く様をこれ以上見たくないといった風に、各々が目を逸らし、手枷をはめられて竜車に連れられるロセの姿を見送った。

「所詮は、愚者の祭りよ。神は何も定めぬということか……」

 ロセは何かを諦めたように、天を仰いだ。

 剣士団本部に戻ったリョーンは、不機嫌極まりないといった感じで、カルカラを呼びつけ、

「今後、このような事態があれば、お前たちで対応しろ。わざわざわたしに報告するな!」

 と叱り付けた。

「仰せのままに、団長」

 既成事実というべきである。リョーンはいつの間にか、いや剣士達の強い要求によって不正規ながらも団長と呼ばれるようになった。



 夜中だというのに、どこからか琴の音が響く。


――歩進めば心百裂し

――止めば魂魄が百度砕けぬ

――竜失くして仇討ちならず

――仇討たざれば、せめて鞍上にて果てよ


 剣翁の娘カルを推戴して、カエーナ討伐に向う喪服軍の中で歌われた復讐の唄だ。キツはどうにもこの最初の二句が好みらしく、繰り返し歌った。

 貧民街の一角で琴を奏でる彼の前を、幼児のようにおぼつかない足取りで進む少女の姿がある。

「エトよ。そちらではないぞ。剣士団はこの道をまっすぐだ」

 何度も転んだのだろうか、砂のついた衣服に身を纏ったエトは、キツの言うとおりに身を反転させて道を進んだ。先とかわらぬ足取りで。

神龍(リョーン)よ……神龍よ……」

 ぶつぶつと何かを呟いていて、焦点が合っていない。まるで夢遊病者のように、夢心地を歩いているようにも見える。

「道を探しても、見つかるはずもあるまい。神は供物には何も定めぬ……」

 明くる日の朝、剣翁の拘束と、エトの生還という凶報と吉報とが、剣士団のいざこざとは無縁のタータハクヤを大いに驚かせた。

 そして、彼女の傍に、まるで王都から忘れ去られたように、ザイはいた。




十一章『運命(さだ)めぬ神に供せよ』了

十二章『愚者のまつり』へ続く

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