表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/81

第十一章『運命めぬ神に供せよ』(5)

「あ、お帰りなさいませ。団長代理……」

 門番の童子が槍を垂直に立てて敬礼するが、リョーンは彼の視線の先を竜に乗ったまま駆けた。

 勢い良くスサから飛び降りたリョーンの五体に激痛が走る。無理もない。数ヶ月前にカエーナに片肺を叩き潰された上に、昨夜の戦いで負傷したばかりである。

「うごぉ!」

 鈍い音を立てて、何かが落ちた。振り返ると、(あぶみ)に片足を引っ掛けたままで、ザイがスサから転げ落ちていた。胸元を苦しそうに押さえるリョーンに代わって、数人の剣士達がザイの元に駆けつけ、彼を保護した。例えスサが賢い竜であっても、足元に転がったものを外敵と判断して蹴り殺すという走竜の習性とは無縁ではないからだ。ザイは、彼自身気づいていなかっただろうが、リョーンの不注意のせいで死にかけたことになる。

「団長代理、大丈夫ですか?」

 リョーンの周りの剣士達が口をそろえてこう言ったことに、実は大きな意味があった。年頃の娘の打算的な面はリョーンにも十分にあるから、彼女はそれを心中でにやつきながら聴いていてもよさそうだが、シェラの生存という衝撃的な事実が彼女に慢心する(いとま)すら与えなかった。

 立ち上がったリョーンは、すぐさまザイの手をとると、剣士団本部の議場に足を向けた。ザイは口元にこびりついた砂を払う暇も無く、慌しく本部中央の建物に引きずられていった。

「リョーン! シェラが……」

 扉を開いたところで、奥からエトが出迎えに現れたが、リョーンは一言を交わしただけで彼女にザイを託した。

「エト、ソプル様をお願い」

 ザイはエトの眼前に投げ出される格好になった。ここまでくると、さすがにリョーンの乱暴に腹が立ってきたのか、彼は大慌てで自分を起こそうとするエトの手をとりながら、そのまま議場に消えてゆくリョーンを睨んだ。

「だ、大丈夫ですか? 最上級神官様……」

「なんて女だ。全く……」

 不満を口にしながら、ザイは自分の中の怒気が急速にしぼんでゆくのを感じた。自分勝手で、高飛車で、他人の言うことなど全く聴かない。そんな女らしさとは無縁の娘を見ると、深くえぐられたばかりの胸からにわかに血が滲み出すような感覚をおぼえるからだった。そして、陽気で子供らしさを十分に残したエトと対している時もまた、ザイにとって辛い時間となるのだ。

 ザイを置き去りにして議場に入ったリョーンを出迎えた「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」の反応は、冷淡の一語に尽きた。もとより赤髪のカルの擁立に乗り気ではないテーベやカルカラは会議の主導権を未だに放棄してはおらず、熱烈なカル支持者であるピオは王都東門の難民保護に出向いている。テーベやカルカラ、さらに剣翁ロセを含めた剣士団首脳部は、リョーンの単独行動が目障りなのでは完全に一致していた。

 もとよりそのようなことを知るわけもないリョーンは円卓の一角に視線を釘付けにしたまま、しばらく動けないでいた。

 眩しいほどに艶のある金髪が光の粒を発散するようにまっすぐに流れている。薄暗い議場の中でも、十分に目立つ彼の容貌は、目で探すよりも前にリョーンにその存在を認知させていた。

 優しげな光をともした碧い瞳が、リョーンに語りかけた。

「やあ、カル。無事で何よりだ」

 女を口説く時には、浮いた歯が空に刺さるくらいの美辞麗句を並べるその口は、彼の安否を誰よりも気遣っていたリョーンに対しては、何故かひどく無骨で、飾り気も捻りもない言葉を発した。

(信じられるものか。こんな奇跡……)

 リョーンは、眼前に座る師、シェラドレイウスの生還がどう考えてもありえないということを十分にわかっていた。カエーナ派が剣士団本部に進入した際、瀕死の重傷を負った彼のいる病室に多数の敵がなだれ込むところを何人もの剣士が目撃していた。本部を掌握したロマヌゥは捕虜を無闇に殺すことをしなかったが、それは制圧が完全に終わってからのことで、あの混乱の中で戦闘に巻き込まれて生きているということは、リョーンの思ったとおり奇跡としかいいようがなかった。

(貴方こそ、よくぞ無事で……)

 素直にそう言えば良い事なのだが、リョーンはそれを口にしなかった。

「何故、貴方がここに?」

 台詞の尾っぽに蹴られたように、鼻がつんと痺れた。

 若い――と、周囲の男達が微笑してしまうような問答をしていることに、当の本人は気づかない。にわかに頬が紅潮し、唇を震わせるリョーンを見てしまっては、熟練の剣豪達でも成り行きを見守るしかない。

 だが、リョーンは彼らの期待に答えるのを懸命に堪えるかのように、シェラに走りよって抱きついたり、歓喜のあまりに泣き出したりはしなかった。

 空気が鼻を抜ける音が、すぅ――と響いた。シェラが小さく笑ったのだ。

「おいおい、まるで生きているのが信じられないような言い草だが、こういうときは素直に師匠に頭を撫でられに来るのが、模範的な弟子のあり方だろうに……」

 シェラがさも呆れたように言うと、円卓を囲んでいた二、三人が失笑した。

「そ……それは」

 リョーンの弁明を聞こうとする者など、もはやこの場にはいない。「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」の中の数人が、何故笑っているのかもわからなかった。シェラにからかわれたせいで、ただでさえ歓喜で紅潮していた頬が、羞恥も加わって顔中に火がついたようになった。

 議場には顔を出しても重症のシェラは、声を出して笑うのも苦しいらしく、小さく咳き込んだ。

「師匠!」

 走り寄ろうとするリョーンを、これまでそこにいたのかと疑うほどに気配のなかったカルカラが手で制した。

「……カル殿。その呼び方は良くない。既に知っているかと思うが、今の貴女は剣士団の代表だ。例え師であっても、部下に対して恭しく接する必要はない」

 冷血漢と裏で評されるカルカラらしい発言だが、この類の男は例外なくリョーンの(かん)に障る。だが、リョーンがにわかに機嫌を損じる前にシェラが口を開いた。

「カルカラの言うとおりだ。今の貴女(・・)はこの円卓の上席を与えられていることを忘れてはいけない」

 シェラの発言がリョーンに拘束力を持たないのは玄糸刀(げんしとう)の一件でも明らかだが、責任ある立場に立たされたという実感を初めて得たリョーンは、彼の言葉に硬直してしまった。

「団長代理、帰還早々申し訳ないが、今後の剣士団運営について、これから話し合いたい」

 すかさずテーベが発言した。周囲も同調したせいで、リョーンとシェラの再会は、劇的という言葉とは正反対のものとなった。



 赤髪のカルことリョーンには、不信任によって追放同然のエリリスに代わって剣士団を運営して行くだけの知能や技量が、全くといってよいほどにないのは、養父であるロセや師のシェラが力説せずとも、明らかなことだった。実はリョーンはカエーナを相手取って危険ではあっても絶妙な駆け引きを行ったのだが、喪服軍の直接の指揮をとったのはカルカラだったせいもあり、剣士団の上層部は無謀に限りなく近いリョーンの勇気を認めはしても、軍略政略の両面での才能は凡百なものに過ぎないという判断を下していた。最もリョーンに辛い点数をつけたのは、他ならぬロセだったことが、彼女の独裁を阻止したいテーベやカルカラの思惑と一致した。

 とはいえ、リョーンが剣士団の下級剣士達から絶大な人気を得ていることは、彼らにとっては無視できない重大事だった。チャムが戻るまでの間の団長代理という意味での適任は、リョーンしかいないというのもまた事実であり、下級剣士達の間で噂されているように、カルカラやテーベが団長代理に就けば、再び剣士団が内部分裂を起こすというのも十分に現実的な話だったからだ。

 リョーンを団長代理にすえるのはよいとしても、彼女に絶大な権限を与えないために、特にカルカラを中心とした「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」は、彼女の師であるシェラに目をつけた。

 師弟にしては口喧嘩の耐えない二人の間柄は、王都でもそれなりに有名になりつつあったが、都の若者達が影で噂しあう程度には、剣士団上層部もリョーンが師に対して密かな想いを抱いていることを確信していた。シェラを通じてリョーンをコントロールしようというのが、上層部の下した密かな決定だった。これを思いついたのが策謀好きのカルカラであることは、言うまでもない。剣翁ロセは娘の異例ともいえる昇進には眉をひそめたが、それ以上は後継問題に深入りしようとは思わなかった。彼自身、剣士団団長の後継問題に対して、初代団長の息子であるチャムの後見人に名を連ねていることも理由のひとつではあった。

 シェラを利用するというカルカラの提案に対して、反対意見もあった。カエーナの死から一日しか経たぬというのに、既にカルカラ派とそれに対する勢力のできつつあった剣士団上層部で、カルカラに対する急先鋒であるテーベが、彼の意見に賛同できないと言ったのだった。

 テーベは別に、リョーンの支持者であるわけでもなく、彼女の恋愛感情を利用して遠隔操作を行うという、策略というにはあまりに女々しい方法に嫌気がさしたわけでもなかった。彼の懸念は、シェラが剣士団内部の人間ではなく、クーン最大の南人商家である白竜一家に属していることだった。二代目団長のエリリスを保護しているのが、白竜一家の家長キュローであることは、テーベでなくとも多少はきな臭い話だったが、当のキュロー本人からリョーンを団長代理にすえてチャム帰還までの繋ぎにすればどうかという提案がなされた時点で、彼の意見は勢いを失った。テーベはこれがチャム打倒に向けたカルカラの策略であることに全く気づかなかった。彼はやはり、武人である以上の男ではなかった。

 さて、リョーンを団長代理に立て、その実権は剣士団上層部が握るとして、あまりに露骨な方法はとれない。何よりもリョーンに悟られるような愚を冒すことは、カエーナの叛乱によって内部分裂の悲惨さを体験したばかりの剣士団の面々にとっては許されざることだった。

 リョーンのような若者を高位に上げて、なおかつ無力化させる方法は、これは古今東西変わらぬことだが、褒め殺しの一言につきる。先にカルカラがシェラを師と呼んだリョーンを諫めたのは、一例に過ぎない。リョーンに絶大な権限を与えておいて、彼女自身に剣士団がとても一個人で運営できる組織ではないことを悟らせるには数日もあれば十分だというのが、彼らの観測だった。リョーンと戦場で肩を並べたカルカラは、早くも彼女の性格を熟知していた。彼女は戦闘では猛烈に個性を発揮するが、その他の面では子供同然に他者の力を必要としていた。

 案の定、リョーンは会議において積極的に発言するわけでもなく、議論はカルカラとテーベを中心に行われた。リョーンの代わりに全てを決済したのはシェラだった。

 これからの剣士団運営についてカルカラが意見を出すと、

「これでいいかな、団長代理?」

 と、シェラがリョーンに問い、リョーンはそれに頷くといった風に、当初に心配された彼女の独裁は全く発揮されないまま、会議は理想的に展開し、終わった。

 途中、リョーンが自分の意見を出したのは最上級神官を剣士団で保護するということだけだったが、これも兄キュローの意向を察したシェラが上手くまとめた。未だに混乱状態にある王宮に戻すのは危険と判断された。



 会議が終わってからも、カルカラはリョーンを儀礼づくめにして疲弊させることを忘れなかった。顔見せを兼ねた各隊の視察に加えて、反逆者ロマヌゥ捜索の手配、戦死者の家族への補償、剣士団団長名義の商店の運営に関する膨大な量の決済と、怪我人でなくとも拷問に近い労働量を与えて、幻想に溺れがちな若者が、自身のリーダーシップを過信するといった妙な野心を起こさないように気を配った。初日目からこれを行うところが、彼の徹底さでもある。

 目が回るような忙しさから開放されたのは夜の十時過ぎ、冬のクーンでは深夜と呼べる時間で、へとへとになったリョーンはふらふらとした足取りでベッドに倒れこんだ。流れに任せて団長代理に就任したはよいものの、早くも後悔の念にとらわれていた。もとより剣士団への忠誠心の薄い彼女にとっては、家畜のような重労働に耐えてまで剣士団に尽くす義理はない。

 戸を叩く音が聞こえた。門番の少年剣士が、杯を持って現れた。

「南蛮の果実を煎じた薬湯です」

 手に取ると、ほのかに甘酸っぱい香りが広がった。白蛙宮(はくあきゅう)でザイが好んで飲んだものと同じものだ。

 お辞儀をして去ろうとする少年を、リョーンは何を思ったのか呼び止めた。

「ね、君」

「は、はい。何でありましょう。団長代理」

 リョーンは苦笑した。このような少年まで態度ががらりと変わってしまう権威の正体が、あのつまらないだけの書類とのにらめっこだと思うとおかしくなったからだ。

「君は、わたしが団長代理になったことをどう思う?」

「カエーナを討ったカル様以外に、相応しい方はおりません」

 少年が迷いなく答えたのが、リョーンには意外だった。

「じゃあ、チャムが戻ってきたら? 彼が団長を継ぐべき?」

 少年は困ったように沈黙した。だがそれも長くなく、先ほどと同じようにはきはきとした口調で答えた。

「それでも、カル様が団長に相応しいと思います。チャム様は凄腕の剣士ですが、英雄ではありません」

 剣士団最大の危機に際し、チャムが不在だったことが少年には許せないのだろう。リョーンは少年が自分を見る眼差しに憧れの光が灯っているのを眩しそうに見ていたが、それとは別に一瞬だけ少年の全身が痺れるように強張ったことには気づかなかった。

 少年を下がらせた後、リョーンはベッドの上に仰向けになった。

 目を閉じたまま、先ほどシェラに投げかけた疑問、彼の生存の謎について考えていた。

(あんなに重傷だったのに)

 急所はそれているものの、凄まじい数の裂傷は、身を起こすことも不可能なほどだったにも関わらず、今日のシェラは以前よりも遥かに元気そうだった。どう見積もっても全治三ヶ月以上の重傷の男が、未だに一人で歩けずに周囲の人間に助けてもらうにしても、負傷からわずか数日で会議に出席できるほどに快復するだろうか。

 それに、ロセが剣士団本部を奪回した時には、彼の姿は既になかった。シェラ自身は養生のためと、会議以降は誰とも面会しておらず、リョーンもこれについて多くを問うことはできなかった。

 ふと、リョーンの脳裏に浮かんだのは、やはりアドァの存在だった。剣士団本部陥落の当日、何故か関係者ではないアドァが本部に紛れ込んでいたのは未だに謎だが、彼が王宮や南人の送り込んだ間者で、後者であるとすれば、混乱の最中にシェラを助けることは十分にありうる。

(あの小父さんは、何を考えているのか……)

 リョーンはもう嫌悪の念さえ抱き始めたキュローの顔を思い出した。自分が思っている以上に彼は信用のならない人物であるかのような気がした。

(ナラッカにはやっぱり王都に残ってもらおう。義父さんに預けるといえば、誰も文句は言わないだろうし……)

 やがて、眠気に押しつぶされるように思考が鈍ってきた。

(シェラはカエーナについては何も言わなかったなぁ……)

 寒気がしみてきたのか、リョーンは思わず横向きになって身を丸めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ