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第十一章『運命めぬ神に供せよ』(4)

「ロマヌゥに模型を渡したのは貴方ですか?」

 興奮冷めやらぬ口調で、ザイが問いかける。

「あれは確かに俺が渡したものだ。外の世界から来た者にしか理解できないものらしいからな」

 ザイは首を傾げた。「らしい」とはどういうことだろう。

「俺は生粋のクーン人さ。ただ、お前の同郷人らしき人を知っているだけだ。言葉もその人から習った」

「その人は何処に?」

 顔にかぶりつく勢いでザイが問うたが、キツは首を振った。

「そうですか……」

 キツは、ザイの落胆振りがよほどだったためか、彼をなだめるように言った。

「何はともあれ……お前が来てからこの国に何が起こったのかを話してやろう」

 ザイは静かに、しかし肩が震えるような興奮の中で、クーン王国の始まりから、自分が現れるまでの話に耳を傾けた。

 当然のことながら、キツは西侯の陰謀については一切を語らない。その代わりに、彼は剣士団については細部にまで触れた。ザイがロマヌゥについて多くを問うたからだ。

「革命を起こそうとしたのか……」

 キツにとって実に興味深かったのは、ザイが王宮側の人間でありながら、ロマヌゥとカエーナの敗北を大いに惜しんだことだった。

 そして、神龍の話題へとうつった。

「神龍は何処かから来て、何処かへ去ってゆくもの――と遥か南の地の伝承にある。クーンとお前の故郷を指すのかはわからないが、それは非常に不安定なもので、滅多なことでは起こらない。だが、星の動きを見て予測することはできる。これは、南人とも呼ばれるナバラ人の占星術で、南人と交流を持つタータハクヤ家に密かに伝えられた。それによって、近々この国に神が現れることはわかっていたのだ。だが、そこに予想外の出来事が起こった」

「予想外?」

「お前が現れたことだよ。占いより数ヶ月早い。それに、お前がこの世界に現れた時、新たな神がこの世に現れたというのに、古い神は去らなかった。そして、その神は一人の人間に奇跡を起こした。死んだはずのその娘を蘇らせたのだ」

 キツは、ここで今は赤髪のカルと呼ばれているリョーンの復活について触れた。

「それがさっきの女ですか。どうりで……」

「どうりで……何だ?」

 ザイの意味ありげな台詞に、今度はキツが首を傾げた。

「あの女。神龍とやらと同じ臭いがします。若くみずみずしい香りの中に、時折、酷い獣臭が鼻を裂く……」

 ザイの意外な返答にキツが黙ってしまったので、横で見ていたキュローが説明を求めた。キツはクーン語で、ザイの言ったことを繰り返した。

「レイウス(シェラの幼名)の言うところでは、あの娘は神が乗り移ったような鬼力を発揮するらしいが……」

 キュローの言葉に、キツが頷く。

「間違いない。だが、あの娘は神の力の影響を受けたに過ぎない。これから起こることとは、あまり関係が無いだろう。さて……」

 キツはザイの方を向きなおした。そろそろ本題に入らなければならない。

「先ほどから何度も出てきている言葉、神龍(リョーン)とは何なのか。先に話した以上のことは俺にもわからない。ただ、一つだけ明らかなことがある。この世に二つの神があるということは、この世界に今まで無かったことだ。そして何度も言うが、神龍の義務は破壊だ」

「どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味だ。この国は滅ぶ」

 この言葉に、ザイがいきり立った。

「滅ぶ? 他人事のように言っているけど、俺には貴方がそれを望んでいるように見える。アシュナは…あいつは、神龍に喰われたんだぞ!」

 叫ぶような声に眉一つ動かさないまま、キツは口を開いた。さも、物乞いを哀れむかのような口調だった。

「喰ったのなら、それが神の意思だ」

 言い終わらぬうちに、ザイはキツの胸倉をつかんだ。

「ふざけるなよ。お前はあれをどうにかするために、俺に会いたがったんじゃないのか?」

「違うな。何かを勘違いしているようだから言ってやろう。神が降りた時点で、お前の仕事は終わったんだよ。それとも、お前にあれを退けられるか? お前に、そんな特別な力があるのか? もうひとつ言ってやろう。お前の同郷人はこの国の王に殺された。とても理不尽に、えげつなく殺された。俺には今でも彼女の声が聞こえる。この世のどこにいようが、上空にいる彼女が、俺に求めているんだ。クーンを滅ぼせ――とね」

 気づいた時は、ザイはキツを殴り飛ばしていた。

「何故……俺をここに呼んだ?」

 キツは床に赤く滲んだ唾を吐いた。キュローはザイを止める素振りすら見せず、淡々とその光景を見ていた。

「色々と話をしてみたかった。そして、あの人と同郷の男に、せめてもの慈悲を与えるために逢う必要があった。ソプル……いや、ザイといったか。今すぐにキュローとともにこの国を離れろ。もうすぐ、王都の人間は神に殺し尽くされるぞ」

 キツは立った。これで話は終わったのだ。

「さあ、食事にしましょう」

 キツの退室を見届けたキュローが両手を叩くと、侍女が食膳を運んできた。リョーンを別室に通したのが便宜であるのは言うまでもない。

(こういう飯を食うのは、何日ぶりだろう……)

 今更ながらに思い出したが、ロマヌゥに拉致されてから、まともなものを食べていない。

 賓客向けの上級料理を堪能する機会に恵まれたザイだったが、キツとの会話が頭にこびりついていて、味も何もわからなかった。キツも、キュローも、それに一切の同情を示さなかったが、ザイはつい先日、妻を亡くしたばかりなのだ。



 ザイがキツの話に耳を傾けていた頃、別室に通されたリョーンはタータハクヤとともに南国の珍味を楽しんでいた。

「エトが飛び出した時は、どうしようかと思ったわ」

 卓子(テーブル)を使わない南人流の食卓に腰を落ち着けたタータハクヤが、これも南人料理であるナンにも似たもちもちした物体を小さな口に放り込りこんだ。

 リョーンは、ゴモラ産の腰掛に上手く座れないようだ。西域や南海の民族は胡坐(あぐら)の風習があるため、彼らの座る椅子もそれに適したつくりになっているのだが、クーン人にはその習慣は無い。クーンの女は胡服(ズボン)も着ないため、今のリョーンの服装で胡坐をかけば、内衣が見えたり、最悪の場合は陰部が相手に見えてしまうため、若い彼女の困りようは相当なものだった。

 タータハクヤは、彼女の家系が南人と縁が深かったためか、他のクーン人ほどには南人文化に嫌悪を感じていないらしく、膝下の無い彼女のために短めに切りそろえた胡服を着ている。

 結局、リョーンがとった行動は、裾を捲し上げて股の下で結ぶという実に滑稽なものだった。下女は眉をひそめたが、料理を運ぶ童僕に至っては、白く眩い太ももに視線が釘付けになった。

「エトは、義父さんが助けた」

 鳥の肉を頬張りながら、リョーンが言う。

「そう、ロセ! あの人って、いつも危ない時に助けてくれるのよ」


――そうかな?


 と、口に出そうになった台詞を、慌てて鶏肉と一緒に咀嚼(そしゃく)して飲み込んだリョーンは、何か困ったことが起こればすぐにロセの名を口に出すタータハクヤが、どこかうらやましくもあった。

(わたしが本当に辛かった時、あの人は助けてくれなかった)

 カエーナに破れ、片肺を痛めたとき、自分を救ってくれたのはシェラだった。そしてそのシェラも失った悲しみを、リョーンは誰とも分かち合うことはできなかった。タータハクヤはリョーンとエト、そしてロセの無事を知って満足しているようだが、シェラについてはあえて口に出していないように見える。それが彼女の優しさだとしたら、何という冷酷な仕打ちだろう。一言くらい慰めの言葉をかけてくれてもいいのではないか。

 タータハクヤの背負う不幸は、自分とは比べ物にならないことを、リョーンは知っている。だが、彼女にはヒドゥがいて、その上、ロセもいる。この想像は、リョーンにとっては少しだけ不愉快だった。ロセが彼女を贔屓(ひいき)しているような、あさましい想像だからだ。親と子というにはいささか年齢の離れすぎた二人の間に――ロセなら万が一にもありえないだろうが――何やら特別な関係を見出そうとする自分があさましいのだ。

 リョーンがこのことを口にすれば、タータハクヤはロセを擁護するだろう。カエーナを討ち、力を使い果たしたリョーンに代わって、ロマヌゥを追い散らしたのはロセだからだ。だが、カエーナを討ち果たすことしか考えていなかったリョーンには、剣士団の内紛の行方など、どうでもよかった。


――そうやって自分の見たいものばかりを見て、自分の中に沈んでゆく。


 ふと、キツの言葉を思い出した。今の自分も、自分にとって都合のよいことしか見えていないのではないか。

 ロセを話題に出した時のリョーンの反応がおかしいことに気づいたタータハクヤは、すぐさま話を逸らした。彼女は、リョーンが決起した理由が、ロセが死んだという勘違いにあったと信じて疑わなかった。それが、リョーンにとっての引け目になっていると思ったのだ。

「エトは元気? 怪我はしてない?」

「ええ、元気すぎて手に余るわ」

 リョーンの口調が、先のロセとは違う意味で暗くなってきたので、タータハクヤは訝った。

「どうしたの。喧嘩でもした?」

「いや。でも最近、あいつ生意気なんだ」

 タータハクヤが小さく笑ったので、リョーンは嫌な顔をした。ただ、機嫌を損ねているわけではない。これが自分の愚痴に過ぎないことを知っているからだ。

「それはそうよ。彼女ももう大人だもの。いつまでも貴方の後をついてゆくわけではないわ」

「そうね。そうだけど……」

 リョーンが、エトの成長を見て、彼女が遠くなって行くような、そんな感傷にひたっているように見えたのだろう。タータハクヤは小さくはにかんでリョーンを慰めようとした。

 だが、リョーンにはわかっていたのだ。自分とエトの距離を離してしまったのは、彼女の成長ではなく、己の愚かさであることを。



 食事が終わった頃、ザイを伴ったキュローが顔を見せた。キツは現れなかった。

「先に帰りました。貴方の成功を心から祝う――と言っていましたよ」

 キュローはそう言うと、リョーンの横を通り過ぎる間際に、一瞬だけ立ち止まり、くん――と鼻を嗅いだ。

「な……何か?」

 突然のことに驚いたリョーンが問うと「いえ、何でもありません」と、そっけない返事をされた。

「あ、ひとつ忘れておりました」

 若い女に対して無礼の極みを働いたことに、悪びれる素振りも見せず、キュローはリョーンの方に目をやって言った。

「明後日、我が白竜一家はクーンを去ります。その際、タータハクヤ殿も同伴していただきます」

 この言葉に、リョーンばかりかタータハクヤまでが目をむいた。

「剣翁の許可は既に取っております」

「最上級神官様は?」

 タータハクヤらしく、彼女は自分のことを脇において、ザイの行く末を気遣った。

「心配には及びません。彼についてはお任せください」

 リョーンは彼が難を逃れようとしているだけに見えたが、王都の壊滅を見越しているキュローは、王都の南人商家のほとんどを撤退させるつもりでいた。一両日中にそれが終わるはずも無く、彼はカエーナが叛乱を起こす前に既に準備を終えていたのだ。

(また、自分だけ高みの見物か!)

 リョーンが腹を立てたのは当然だろう。キュローは言葉にしなかったが、彼らの撤退は、現在行方不明であるシェラの捜索を打ち切るということを意味していたからだ。

「シェラはどうなるのです! あの人を見捨てて行くのはあまりにも白状ではありませんか」

「レイウスは……おや、まだ会っていなかったのですね。彼は王都に残ります」

 商人にしては、今日のキュローの話は先を行き過ぎる。まるで、何事もなかったかのようにシェラの名を口に出したことが、リョーンとタータハクヤの混乱を誘った。

「待って……話がわかりません。シェラは生きているのですか?」

「はい。貴方がここを訪れる少し前に剣士団本部に向かいました」

(シェラが生きてる!)

 リョーンは思わずタータハクヤの顔を見た。彼女もまた、リョーンの師の生存を心から喜んでいるようだった。ただ、二人とも目配せで互いに知らせあったのは、シェラの生存を第一に知らせなかったキュローの意地の悪さに、腹が立ったからだ。

 タータハクヤを白竜一家に預けることについては、リョーンは異論が無いわけではないが、彼女の身を守ることに関しては、ロセの決断に誤りがあるとは思えない。それに、シェラが生きているという事実が、この仄かな不安をかき消した。

「ナラッカをよろしくお願いします。それでは、わたしは剣士団に戻りますので……」

 胸が喜びではちきれそうになるのを押さえながら、リョーンは早足でその場を去ろうとした。

 だが、ここで意外な人物が彼女の行く手を阻んだ。

 ザイである。

「おい、竜臭い女。(わし)を、連れてゆけ」

 彼としては、竜の香りのする女――と言ったつもりだったが、そこはアシュナに暴言までも――それとは知らずに――習ってしまったザイだから、最上級神官という肩書きが無ければリョーンに斬り殺されていただろう言葉で彼女を止めた。

 案の定、リョーンの眉がひくひくと痙攣した。一刻も早く発ちたいという焦りもある。

「何でしょうか?」

「儂を、連れてゆけ」

「何処へ?」

 今度は王宮に連れて行けというのだろうか。それにしても、御転婆姫の夫だけあって、彼が口に出すのもわがままの類でしかない。

「いえ、それは私に仰りたいのでしょう。今すぐに王宮に戻せと……」

 キュローが割って入った。だが、ザイはそれこそ奴隷を叱り飛ばす主人のような口調で彼を一括した。

「黙れ、下賤(げせん)が!」

 周囲がしんと静まり返った。アシュナがいつも侍女を叱り飛ばしている台詞を、ザイは使ったのだ。流石に、これが暴言であることは彼にもわかっていたから、ザイは悪意をもってキュローを拒絶したことになる。

(剣士団にはレイウスがいる。あれに任せるか……)

 ザイのわがままを許容した場合の損得を、すばやく計算したキュローは、「それでは……」といって、最上級神官の身柄を剣士団に預けることを言明した。

(ロセはすぐにでも王宮に戻したがるだろう)

 キュローの中では、剣士団の頭脳は飽くまでロセである。引退したとはいえ、彼の意向に逆らえる人間などいないからだ。

 仕方なく、リョーンは剣士団本部にザイを連れてゆくことになった。

 だが、来る時とは違い、スサの足取りは軽かった。それでも、リョーンには遅く感じられた。後ろで彼女の腰にしがみついているザイが、竜のあまりの速度に悲鳴を上げても、騎乗の若い女には何も聞こえなかった。

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