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第十一章『運命めぬ神に供せよ』(2)

 人が、溢れている。

 王都東門は大混乱に陥っていた。

 突如として王都上空に現れた神龍は、王都東門を抜けた先で大破壊を行った。辛うじて生き延びた者たちが王都東門に押し寄せたのである。

 王都の門の管理者は王宮近衛兵であるが、彼らはどういうわけか出動せず、この混乱を収拾したのはクーン剣士団だった。

 王宮からの使者の訪問を受けたのはロセである。東門の難民の保護に当たって欲しいとのことである。もはや剣士団の中には、団長であるエリリスを南人居住区から迎え入れようなどと言う者はひとりもいない。事実上、ロセが剣士団の実権を握ったのだが、彼は自分が引退したという理由から、代役を立てようとした。

 適任はテーベだが、彼は負傷しており、カエーナと二戦して破れたことから責任追及の声が未だにおさまりきっていない。となると、カエーナ剣士団との決戦において事実上の総指揮をとったカルカラが有力だが、ロセが口を挟む隙もないほどに、剣士団内部で一人の人物が巨大になりつつあった。

 リョーンである。

 ロセがどんなに甘く見ても、リョーンは自分の感情を抑えられないところがあり、指揮能力に決定的な欠陥がある。にも関わらず彼女の人気が急速に高まっている。それもそうだろう。剣士団に反旗を翻したカエーナを討ったのはリョーンであり、カルカラは敗兵を討ったに過ぎないことを、戦いに赴いた多くの者が理解していた。次いで、エトを評価する声も上がった。ロセはどちらかというとエトのほうに才能を見出していたが、それでも剣士団の命運を託すには至らない。二人が成人前の女であるということも、彼にとっては不安材料である。

 リョーンにただならぬ力が宿っているらしいことは、ロセにはわかる。だが、彼女を一個の人間としてとらえると飽くまで凡器であり、そのような者が指揮官になれば、部下を殺すことになる。指揮官は武技に長じている必要はなく、決断するという一点において優れていればそれでよい。

 ロセはよほど迷ったのか、主だった者たちを集めて会議を開いた。「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」と呼ばれるテーベ、カルカラ、ピオの姿もある。

 ちなみにリョーンはこの席にはいない。彼女に剣士団を任せたくないロセの意図が見て取れる。父が子に(から)いのは特に珍しいことではないが、ロセの心底にはリョーンに宿った神に対する畏怖がある。ロセは敬虔な竜信者ではないが、リョーンに宿った力が不吉であることくらいはわかる。神の力は必ず破壊に至るというのがクーン文化圏での通念である。


――エリリスに使いを出したいがどうか。


 というのはロセの本音であるが、場の空気がそれを許さなかった。仕方がなく彼は、団長代理を決めるという方向で議論を進めた。

 最初に発言したのはテーベである。

「今は先生に立っていただくしかない」

 と、率直に言った。これにはロセが固辞した。

 ロセが駄目だと知ると、他の幾人かはテーベの名を出した。これにはピオが激しく反論した。

「テーベ殿は先の戦闘で二敗し、多くの剣士を死なせた。その仇を討ったのは、カルではないか!」

 しつこく繰り返すようだが、カルとはリョーンのあだ名である。今や、王都の多く者が彼女をこの名で呼んでいる。

 二敗というのは、カエーナと激突した最初の戦いに剣士団本部防衛戦を含めていったものである。後者は代役が立てられて陣頭指揮を行っていたが、名目上の指揮官はテーベであった。だが、その場には団長エリリスもいたわけで、責任を追及されるとしたら敗北の直接の原因を作った彼だろう。これはピオのテーベに対する悪意ともとれる。二人は普段からそりが合わないわけではなく、テーベの戦いぶりに大いに不満を持った者の代表がピオであった。

 ピオの主張に幾人かが頷いたが、

「我が非は認めよう。だが、カルは司令官でありながら敵に突撃した。腰の軽い勇者は適任ではないだろう」

 と、テーベが反論すると、先にピオに同調したもの達はピオの言葉を忘れたかのようにテーベの言に賛意を示した。ピオは激しく拳を握って彼らを睨みつけた。

 テーベとしては、リョーンを団長代理にするくらいなら、戦術の妙が多少はわかるエトを推したほうが、まだましである。だが彼女は新兵に過ぎず、しかもロマヌゥに敗北している。今になってチャムの不在が恨めしいと思ったのは彼だけではない。

 沈黙を保ったまま、この会議を冷えた目で見ている者がいる。

 カルカラである。

(どうせ、わししかおらぬ)

 カエーナを討ったのは確かにリョーンだが、実際に兵を指揮して百人隊を壊滅させたのは彼である。どう考えても剣士団の内紛で最大の功を立てたのはカルカラしかいない。彼にはテーベが悪あがきをしているようにしか見えず、しかし急速に人望を失いつつある彼を冷笑しているに等しい。ピオはリョーンを推しているが、彼のつたない弁智と、リョーンが若い娘であることもあいまってそれは実現しないだろう。

(エリリスとテーベは、もう終わりだ)

 そう思った彼の心残りといえば、チャムしかいない。彼の頭の中はチャムにどう死んでもらうかという想像に飛躍を始めていた。

 ロセも、テーベも知らないことだが、カルカラは既に南人居住区で逼塞(ひっそく)しているエリリスに使者を送っている。


――剣士団の多くの者が貴方を恨んでいます。


 と、使者に言わせた。事実である。事実ではあるが、カルカラはそこに多少の含みを持たせた。


――このまま戻れば殺される。


 エリリスがそう思うように仕向けた。そこから得る答えは明快である。エリリスに、カルカラを後継者とする――と言わしめることである。エリリスは確かに人望を失い、叙任されたも同然だが、剣士団の正式な団長はまだ彼である。

 カルカラはこの会議がまとまるとは予想していない。この中の誰もが剣士団を継いでもおかしくなく、特にテーベはまだ執着を捨て切れていないようである。

 適当に論議したところで、カルカラが口を開けば、この最大の戦功者の発言に皆が注目することだろう。


――諸君は次の団長を決めるような口ぶりだが、エリリス殿はまだ生きている。とはいえ、彼に指揮を続けて欲しくない点では、私は皆と同じだ。ここは団長に使者を立てて後継者を指名してもらうのはどうか?


 多少、わざとらしいが、少なくともロセは納得するだろう。エリリスは常識家であり、リョーンを団長代理にするような愚はおかすまい。

(そろそろか……)

 ロセの目がカルカラに発言を促している。彼が心中でほくそ笑みながら、口を開いたとき、会議場の外が騒がしくなった。


――何事だ?


 一人の剣士が議場に急報を告げた。その内容は、リョーンが勝手に剣士たちを集めて東門に向かったということである。

「何だと?」

 カルカラは机を叩いて立ち上がった。許されぬ独断である。しかもリョーンは剣士団の正式な団員ではない。

 だが、ロセやテーベといった他の面々は、これを別な問題として深刻に捉えていた。

 いくらリョーンがロセの娘だからといって、それだけで剣士たちが彼女についてゆくわけがない。彼女の独断がまかり通った背後には、剣士たちの無言の声があるといってよい。彼らは団長代理にリョーンを指名したも同然である。チャムがこの場にいれば速やかに彼が三代目団長に就任しただろうが、このままでは、剣士団の危機に何の対応も示さない上層部を、剣士たちが見限りかねない。

「俺はカルについてゆく」

 ピオが腰を上げた。カルカラが怒気を上げて彼を睨んだが、ピオはカルカラの狙いを見透かしたかのように冷笑し、議場を後にした。

 残されたロセは不快を隠さなかったが、

「仕方あるまい。今、剣士たちの信頼を最も得ているのは彼女だ」

 と、テーベが追認を要求したので、ロセもついに折れた。リョーンは自分の知らぬところで、クーン剣士団の団長代理という肩書きを得た。

 カルカラが歯軋りして退出したのは言うまでもない。



 リョーンは自ら立ったというより、剣士たちの声に押されたに近い。

 王都上空に神龍が現れたとき、多くの者がパニックを起こしそうになったが、リョーンだけは平静に、

「あれは神ではない」

 と言った。リョーン自身、それを直感として感じたに過ぎないが、彼女の怪奇ともいえる力を目の当たりにした者たちは、リョーンの言葉を信じた。

 やがて、東門の向こうで神龍が破壊を行ったという報に王都全体が凍りついたが、その中でもリョーンは剣士たちから不安を取り除き、いつでも出動できるように各所に指示を与えた。

 剣士たちの中には次期団長にリョーンを推す者も出始めている。それほど、カエーナという存在が畏怖とともに彼らの心に焼き付いていた。

 ロセが召集した会議の目的を知った者たちは、

「このままではカルカラが団長になる。あの男は武技に優れているが、策謀を好むところがある。団長にはふさわしくあるまい」

 と愁眉を寄せ合い、次いで決心した彼らはリョーンに出立を促した。

「カエーナを討ったばかりであるというのに、剣士団はまた分かれようとしております。今、我らを指揮できるのは貴女しかおりません」

 ここまで持ち上げられると、リョーンも悪い気はしない。彼女は義父であるロセに断ることもなく剣士たちを動かした。

 エトはリョーンのこの態度を慢心として見た。彼女は大いに呆れて、

「リョーンは自分だけでカエーナを討ったつもりかもしれないけど、テーベや、シェラがいなければ何も出来なかったじゃないか」

 と、彼女の軽挙を戒めた。エトがリョーンの戦い方を知って戦慄したのは確かである。

(殺しすぎだよ……)

 夥しい屍の上に、リョーンはカエーナの首を置いた。リョーンはロセやシェラの仇討ちであると言っていたが、実際は自分のために戦ったに過ぎない。彼女がロセの死も確かめずに喪を発したというのが、エトにはやりきれない。今のリョーンは他にも剣士たちを使って、シェラの捜索を行っている。同じようにロセを捜そうともせずに、彼女はカエーナとの戦いを始めたではないか。

 エトの忠告に対して、リョーンは鼻で笑った。エトは心にぽっかりと穴が開いたような気がした。都に来てから、彼女は急速に変わってゆく。あの優しくて、神秘的なリョーンは何処にいったのだろう。

(シェラ……)

 彼が心をひきつけるたびに、リョーンは変わっていった。シェラが近くにいないことが、今の彼女を苦しめている。

 エトは心底からシェラの生存を願った。このままではシェラが現れるまで、リョーンは戦い続ける。シェラが死ねば、リョーンは死ぬまで戦いをやめないだろう。それは復讐であり、復讐の恐ろしいところは、復讐者が心の安息を得るまで終わることがないということである。

 カエーナはシェラの仇である。そのカエーナを殺しても、リョーンの復讐は終わらない。討つべき相手を失った者は、どうするのか。今のリョーンを見ればわかる。カエーナを討ったことで、彼女は己を失いつつある。

(お姉ぇ……)

 エトはそれでもリョーンの傍を離れない。



 王都東門に到着した剣士団は、難民たちを受け入れる手配を始めた。

 リョーンは指揮をピオに預けて自ら神龍が降りたとされる地点に向かった。

 地面がえぐれている。凄まじい破壊の後である。

「誰かが神の怒りに触れたんだ……」

 と、怖気立った表情で呟いたのはエトである。

「天幕の跡があるな……」

 リョーンがそういうと、傍らにいた剣士の一人が、

「あの紋は……クーン王章です」

 と答えた。

「王宮近衛兵か。結構数がいたようね」

「二百から三百といったところでしょう」

 エトが首を傾げた。

「王宮近衛兵がどうしてこんなところに?」

 東門の守備としては数が多すぎる。

「西方でゴモラ蛮族が決起したという噂があります。それに備えてということではないでしょうか?」

「ふぅん……」

 リョーンはもはや興味はないといった風に、会話を中断した。

 そんな彼女の目にとまったものがある。地面が一瞬(きらめ)いたような気がしたので、リョーンは竜を近づけた。

 リョーンは竜を寄せると、半身を大きく倒して騎乗したままそれを拾った。

 腕飾りだろうか。中心に文字の書かれた円盤がついている。

「ひゃっ!」

 と、彼女が声を上げたのは、円盤――つまりは腕時計が突然、時を刻み始めたからだ。リョーンは思わず腕時計を落としてしまった。

 気持ち悪げにそれを見ていると、訝ったエトが竜を寄せてきた。

「どうしたの?」

「ほら、これ……」

 と腕時計を指差すと、エトは竜から降りてそれを拾った。

「手に持つと、文字盤の針がいきなり動いたの」

「へぇ、どうやって?」

 エトが持った腕時計の針はぴくりとも動かない。

「綺麗ね。へへ……」

 腕時計を腕輪か何かと勘違いしたエトは、調子に乗ってそれを手首に巻きつけたが、

「死者のものよ。返してあげなさい」

 とリョーンに叱られてしぶしぶと地に投げ捨てた。

 近くを捜索したが、生存者は見当たらなかった。

 やがて諦めて帰還を始めた頃、前方を歩く人影が見えた。

「生存者かもしれない」

 と、エトが言ったのは、先ほど天幕の跡を見つけた場所からあまり離れていなかったからだ。彼女たちは生存者をみつけるために帰りに迂路をとったこともある。

 リョーンはふらふらとした足取りで歩く人影の前に回りこむと、竜をとめた。

 潰れたような醜い顔があった。その醜悪さは、見る人に嫌悪を感じさせる。だが、それにも増して、男の瞳が暗く沈んでいたことが、リョーンに目を背けさせた。

 男は目を上げた。その目には、赤々とした髪と、見たものを釘付けにする香りを放つ美しさがあった。

 邂逅(かいこう)した。

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