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第十章『逆鱗』(8)

 アヴァーは自ら少ない配下を従えて王都に潜入した。彼の目的は王都に神を降ろすことであるから、剣士団に対する情報操作は主に部下が行っていたが、ある日、カエーナと接触した部下が手傷を負って帰ってきた。

「いきなり斬りつけられたか……危ない男だ」

 カエーナを直接説得する愚を悟ったアヴァーは、彼の近辺を洗い始めた。そこで目をつけたのが、ロマヌゥである。アヴァーは、カエーナとロマヌゥが既にただならぬ関係にあることをつかんでいた。

「どんな堅物でも、恋人の言うことは無下に出来まい」

 アヴァーはほくそ笑んだが、彼のもくろみは、見事に当たることになる。

 この頃、アヴァーの接触したもう一人の男が、アドァである。

「やぁ、久しい……」

 アヴァーを見たアドァがそう言ったのだから、二人には訝しい点が多いと言うべきだろう。

「妹のハルコナだ。しばらくの間、面倒を見てもらえないだろうか」

「おや、キツさんに妹がいたとは初耳だ。娘の間違いじゃないのかい?」

「ああ見えても今年で二十三歳になる」

 と、アヴァーが言ったということは、彼が西侯の元で暗躍するようになってから五年が過ぎたということになる。

 ハルコナの年齢を知ったアドァは、おや――と、首を傾げた。

「二十三ということは、まさか……いや、聞くまい。いいよ。テッラに面倒をみてもらおう」

「助かる。俺に何かあったら、妹のことは頼む」

 アヴァーは小さく頭を下げた。

「はは、まるで戦場に赴く戦士の台詞だな」

 アドァは笑ったが、目だけは笑っていない。

「いよいよ、やるのか?」

 と、彼は意味深なことを訊いた。


――言うにや及ばず。


 アヴァーの目が光った。すると、二人とも申し合わせたように笑声を放った。

 アドァはもともと、王宮の秘密警察じみた仕事をしているわけではない。むしろ、王宮から見捨てられたスラム街を纏め上げたチンピラに過ぎなかった。自然、任侠のような連中と付き合いが多くなり、やがて王都全域に情報網を布くようになった。彼の配下も、戦災孤児や貧しさによって家を失ったものが多く、アドァは琴を作って得た金で孤児院を創設し、彼らを養った。王宮、剣士団、南人商家が王都の三大勢力と言ってよいが、その影で目に見えぬ勢力を作っていたのが、アドァである。勿論、表立って行動することはないから、アドァの真の顔を知っているのは王都でも数人しかいないだろう。

 アドァが王宮と関わりを持ち始めたのは、宰相ドルテンが、西区の復興に着手した頃であるが、それはすぐさま頓挫した。ドルレル王が流入を続ける南人商家の問題を重視したからである。

「ドルテンはクーンを滅ぼすつもりか!」

 この朝令暮改に温和なアドァも怒った。そんな彼にまた、声をかけた者がいた。王妃のアヤである。彼女は西区の復興だけが著しく遅れていることを悲しみ、アドァを通じて、西区の支援に乗り出したのだ。王妃がわざわざ人の目を盗んでまでそれをするということに、アドァは王宮の空気の冷たさと、情けないほどに衰退したクーン王国の頭脳に対する苛立ちを覚えた。

 アドァは自ら作った琴を王宮に持ち込み、アヤと対面した。

(ああ、この人は悲しいな……)

 表情のことを指しているのではない。アヤという存在自体が、王宮の中ではひときわ悲しい。アドァがそれを愛しいと感じたということは、ドルレル王もそうなのだろう。目だって好色ともいえない彼が、時々何週間も後宮に籠もるようになったのは、きっとこの悲しさを愛でてのことに違いない――とも思った。それゆえにアドァは、アヤがすでにドルレル王の所有物であることが苦痛であった。

「ご不便がございましたら、何なりとお申し付けください……」

 と言ったのは、形式だけの挨拶に聞こえるが、アドァの心の底から放たれた声であった。

 西区復興の他に、アヤがアドァに命じたことがある。

 クーン剣士団の汚職についてである。アドァはカエーナが副団長を殺した真相を既に知っていたが、王宮も何らかの手がかりをつかんでいるらしく、また、ドルレル王が密かに南人を敵視していることからも、これはアヤが密かに王を助けようとしているのだろう。

 クーン剣士団には治外法権という強力な権限がある。いかに王宮といえども剣士団の経営権に対して軽がると口出しできない。故にアドァのような地下で活動する者が必要なのだろう。

 アドァは剣士団を監視していたが、無論、アヴァーの存在にも気づいた。

「キツさんだな……」

 アヴァーの後ろに西侯の影が見えたとき、その計画がただならぬことであることに気づいたアドァは、アヤに敬服していることもあり、西侯の陰謀について、それとなく彼女に報告した。だが、西侯側の方が上手であったといえる。既にアヤの実家のあるダイスは、アクシアと秘密同盟を結んでいたのだが、流石のアドァもここまでつかむことが出来なかった。



 アヴァーは神降ろしのための準備を着々と進めていた。やがて、天と地の星が交わる――と彼が予見した日が近づいた頃、一つの異変があった。確かに神は、王宮の一角にある白蛙宮(はくあきゅう)に現れた。だが、それはアヴァーが予知しえぬもので、突然起こったことである。

「どういうことだ!」

 アヴァーは思わず声を上げた。彼にとっての不幸は、神龍(しんりょう)の御子と呼ばれる存在を調べているうちに、一つの噂が聞こえてきたことだ。

「赤髪のカル」

 竜肉を食って生き返ったという彼女の存在が、アヴァーを驚かしたのは確かだが、それが重大なわけではない。彼にとって天地がひっくり返るほどの衝撃だったのは、タータハクヤ家の生き残りが上京してきたという事実である。

「ナラッカだと……そんな馬鹿な!」

 アヴァーは冷や汗をかいた。もしもこのままタータハクヤ家が復興されるようなことがあったら、彼自身が西侯にあらぬ疑いをかけられることになる。

 驚きを引きずったまま、アヴァーは両足を失ったという八代タータハクヤの姿を見た。彼女に傍立つヒドゥの姿を見つけたとき、

「そこまでやるかよ……」

 と、力なく言った。

 その日中にアヴァーは王都から消えた。西侯に弁明するためである。だが、彼が西都アクシアーブに帰着したとき、既に西侯はこの世の人ではなくなっていた。

 喪中のセラに会ったとき、アヴァーは流れ出る涙を拭うこともせずに言った。

「ハクヤ王に比肩し得る、稀にみる名君だった。だが、もう少し生きていて欲しかった」

 本音である。セラは、既に何度も涙を枯らしたのだろう。古木のような表情をしつつも、力強い声で言った。

「父の志は、私が継ぐ。すまないが、お前は王都に戻り、準備を整えよ」

 アヴァーは八代タータハクヤのことについて触れた。だが、セラは一顧だにせずに言った。

「今の王が、タータハクヤ家の復興に手を貸すとは到底思えない。それに、八代タータハクヤにふさわしい者は、他にもいるだろう。アヴァーよ。おまえは王を殺せばそれで満足かも知れないが、お前が死ねば悲しむ者がいる。必ず生きて、わたしの元に戻って来い」

 アヴァーは思わずセラの顔を見た。

(本当に、セラか……)

 西侯アクスより巨大な像がそこにあった。西侯アクスが死んだことにより、今までアクスにかかっていた重圧が、全てセラに向けられるようになった。セラが父の偉大さに包まれるだけの子であったならば、それに押しつぶされていただろう。だが、彼は既に自立していた。

 父の死とともに、その偉大さを痛感したのである。

 西侯の死は公式にはまだ発表されていないにもかかわらず、アクシアにとって最大の敵であったゴモラ蛮族が弔問の使者をよこしたことがセラを感激させた。もっとも、ゴモラ王が信服したのはアクスではなく、セラであったのだから、両者の紐帯はますます強くなることを意味する。とはいえ、ゴモラ蛮族ほどの大族がはやばやと帰趨を明らかにしたのは、アクシアにとっては喜ぶべきことである。

 セラはアヴァーを王都に返したが、彼はアヴァー一人によって滅ぼされると思うほどには、クーン王国の底力を甘く見ていない。

 アヴァーにすら悟られぬような陰密さで、彼はダイス王国と接触した。西侯旗下の百人からなる逆鱗部隊を後宮に忍び込ませる策は、アヴァーの計画には存在しないものである。

(本当に神を降ろせるのか……)

 セラはアヴァーを疑ったわけではないが、それがあまりにも途方もない計画であるために、次善の策を打っておくべきであることに気づいた。この点、アヴァーを信頼しきったアクスと違って、セラは飽くまでセラであった。

 結局、アヴァーの神降ろしは失敗した。だがそれは、セラがそうみただけであって、まだアヴァーの中では終わっていなかった。

「竜の御子は、いわば神の化身だ。あれを手中にすれば、必ず成功する」

 この時点で、セラとアヴァーの行動にずれが生じた。王宮の武力占拠を優先したセラに対して、アヴァーは飽くまで神降ろしにこだわったのである。

 アヴァーの執念を危険視したセラは、同時に王宮の内情も把握していた。

「今ならば、取れる……」

 とも思った。既に王宮はアクシアが不穏な動きをはじめていることに気づいており、ダイスには目もくれない。セラは無傷の王都が欲しいのである。これ以上アヴァーに任せておくと、本当に神が降りたときに、王都が焼け野原になる。それは、人を生かすことで国力を倍増させる楽しみを覚えたセラにとって、苦痛でしかない。

(アヴァーは、ハルコナを不幸にする……)

 セラがこう考えたということは、アヴァーを殺すと決心したことに他ならない。すでに西都への帰還を再三にわたって命じたが、アヴァーはそれを拒否している。

 アクスは神を恐れたが、セラは人を恐れた。これが両者の違いであるといってよい。アヴァーにとっての不幸は、セラの度量の大きさに目がくらみ、その質を理解していなかったことである。もっと言えば、セラは父であるアクスよりも、剣士団の創始者であるラームに近い。ダイスと組んで後宮に兵を入れるという発想自体が、暗殺にも似て陰険であるにも関わらず、セラはそれを行おうとしている。名誉を重んじるアクスならば絶対にしなかったことである。

 セラはついにアヴァーを殺すことを決意した。それは、先にアヴァーに投げかけた温言を放棄したことを意味する。同時に、自分は二度とハルコナに会えないことも覚悟した。王都の民を哀れんだが故の決断である。

 アヴァーは間一髪のところで難を逃れた。彼を襲おうとした賊は、クーン王章をつけた鎧を纏っていたが、王宮近衛兵に扮した西侯の部下たちである。


――アクスも欲が深い。


 とアヴァーが言ったのは、彼は復讐を果たした末に、自分を危険視した西侯アクスによって殺されるであろうことを早々と予期していたからだ。復讐を果たせるのならば、それでも良い。多くの人をその手にかけておいて、自分だけが非命を免れようとは虫の良い話であるとも思っていた。

 彼に甘さがあったとすれば、ハルコナに想いを寄せているセラを信じていたことである。西侯が生きていれば全てが終わった後に、自分が殺されるであろうことを予期していたが、セラはハルコナを想うあまりに自分を殺すことが出来ないだろうと、たかをくくっていた。西侯セラの器量を見誤っていたというべきだろう。アクスと違って、セラには目的を達するために平然と自分の手足をもぐような危うさがある。

 アヴァーは虚しく嗤った。

 自分がしたことといえば、ロマヌゥとかいう小僧を焚きつけて、剣士団を壊滅状態に追い込んだだけではないのか。

「いや、違う」

 アヴァーは顔を上げた。

 無辜(むこ)であるにも関わらず、王に殺された自分の妻のことを思い出した。

 美しい赤茶の髪をした女は、アヴァーの知らぬ言葉を喋り、知らぬ歌を謡い、そして、知らぬ世界を知っていた。


――わたしは、竜に乗ってきたのよ。


 妻の言った言葉が、再びアヴァーの胸中を巡った。

「竜の御子よ。今、どこにいる?」

 アヴァーは夜天に向かって問いかけた。

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