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第十章『逆鱗』(7)

「正気か……」

 神などという大それた言葉を、西侯ほどの男が真に受けた。南人文化の影響で宗教の(くら)さから抜け出ようとしているクーン人と違って、西域には土着の竜神信仰が根強く残っている。西侯は王都に生まれたが、父が西域に封じられたのは彼が幼年の頃で、西方を守る天使である「西伏す黄金(アイシン)」を代表とする多神教の神々に囲まれて育った。クーンは神龍(リョーン)の下に白い犬の王としじまの王の神性以外は認めていないが、それだけ王国が広大になったということでもある。

 クーン文化圏では、神の降臨とは大破壊と同義である。

「王都に神龍を降ろす」

 アヴァーの声が強くなった。いや、何かを抑えているが故の力みにも思える。

「神を、どうやって降ろすというのか……」

 という問いに、アヴァーは眉を上げた。神を降ろすという行為は、伝説に残るだけで、実際に起こりうることではない。

「五年後に、王都で地の星と天の星が重なる。その時、新しい神龍(リョーン)が古い神龍を天に追いやる。神龍を天に返さず、地にとどめれば、この世にふたつの神がいることになる」

 西侯は言葉を失った。神が交代するということは、彼にとっては完全に新説であり、クーンが崇める神を失うことを意味する。

「この世には、神龍と通ずる力を持つ女がいる。招き、降ろし、払う。これら全ての力を手にしたならば、神の怒りを王都に向けることができる」

「神は我らを滅ぼしたりしないか?」

 怒った神は(おびただ)しい数の人を殺す。それが、アクシアの民に及ぶのならば、西侯はアヴァーの策に乗るつもりはない。

「神に意思はない。あるのは故地に帰りたいという強烈な願望だけだ。神の怒りが西域に及ぶ前に、星に返してやればよい」

「星に返すとは?」

「神の住まう星だ。天地の星が重なるとき、竜星と呼ばれる七つ星が空に現れる。その向こうの三番目に彼らの星がある」

「どうやって返すのだ?」

「神は必ず意思を持つ天使とともに現れる。天使は人に宿り、神を導く。天使を探す必要はない。神龍の降りるところに、必ず現れる。それに神を降ろすといっても、王都の全てを破壊してもらっては困る」

 西侯は首をひねった。神を降ろすというのに、クーンを滅亡させないという。

「荒野の王になっても虚しいだけだろう」

 と、言われたとき、西侯はアヴァーのやろうとしていることを理解した。



 西侯は、アヴァーの誘いに乗った。というのも、数ヵ月後に、彼が一人の娘を連れてきたからだ。

「妹のハルコナだ。今年で十七になる」

 西侯は、アヴァーの隣で平伏した髪の赤い娘を見た。十七歳というが、外見はどう見ても十三、四の少女である。

「髪が赤いな……」

 不気味なほどの赤さである。嫌な予感を覚えた西侯が目でアヴァーに問うと、彼はこともなげに言った。

「察しの通り、幼い頃に竜肉を食わせた。疑うのならば、試してみるがいい」

 西侯は迷ったが、アヴァーの言うとおり、ハルコナに竜肉を食わせた。竜肉を食したハルコナは、身もだえしながら血を吐き続けたが、やがて動かなくなった。

(死んだではないか……)

 アヴァーの虚言を信じたせいで、自分は罪もない少女に地獄の苦しみを味あわせた挙句、殺してしまった。やはりこの男は狂人だった――と、西侯は大いに後悔したが、

「西方の竜は毒が強い。明日には起きましょう」

 と、アヴァーが言ったので、喉まで出かかった言葉を飲み込み、彼の言うとおり待つことにした。ハルコナの遺体とともにアヴァーを退けた後、セラに、

「わしは謀られているのかな?」

 と、語りかけた。父の意向を察して、眼光を鋭くしたセラは、

「彼を殺すのに兵を用いれば、このことが外部に漏れやすくなります。明日は私が彼を殺します」

 と強い声で言った。セラの怒りが尋常ではないので、西侯は訝ったが、あえて問うようなことはしなかった。

 次の日に、アヴァーがハルコナを連れて再び現れたことで、西侯はようやく彼の大掛かりな計画を信じる気になった。同時に、セラの怒りが解けているのを見て、彼の挙動の原因が目の前の物言わぬ少女にあることを知った。

(ハルコナが気に入ったのか……)

 西侯は、あまり良い気分ではなかった。クーンと違って、西域に復活信仰はない。死んで生き返るような人間に、西侯は神性を求めることは出来ない。それに、ハルコナは言葉を持たない。そのような女では次代の西侯の良き妻にはなれまい。

 その後も、ハルコナに接近してゆくセラを片目で見ながら、西侯はクーン攻略のための準備を淡々と進めていった。



「クーンの守りは剣士団だ。まずはこれを突き崩さねばならない」

 宮室の最も暗い部屋に招かれたアヴァーは、西侯と一対一で話せるようになった事実に、満足したような口ぶりで言った。

「剣士団は武技に優れているばかりか、民の信望が篤い。それに、二代目団長のエリリスは商人上がりだが優れた人であると聞く」

 西侯は剣士団に対する認識を素直に言った。初代団長のラームと面識があるわけではないが、彼の死後にその事績を調べてみると、大いに驚嘆した。

(真の武人とは、ラームだ……)

 王族の末に生まれた西侯は、当然ながら名門意識の高い人物だが、西域の険しい風土が人を見る目を養った。その目で見たラームは、卑しい身分であるが故に教養こそ欠けるが、元は一介の剣士でありながら、民の信頼を勝ち取ったように人心の何たるかを知っており、また道義にもとる行いを強いられたとき、人任せにせずに、必ず自ら率先して行った。西侯は、汚名を恐れないところにラームの強さがあったと思っている。快男児と言うべきだろう。


――今のクーンには西侯以外に人がいないのか!


 と、ラームは近くの者にこぼした事があったらしい。貴族に対する礼を欠くことが多かった彼が、唯一敬意を払った武人というのが西侯であったというのだから、西侯としても好意を覚えないわけがない。

 そのラームの遺産が、言うまでもなく、クーン剣士団である。三代目団長候補であるラームの子のチャムは、父に劣らず人望の厚い人物であると聞く。エリリスの次はチャムであると言うのが、王都では暗黙の了解であり、エリリスもそれを見越して剣士団の経営を行っている。

「エリリスは徳行の人物に見えるが、実際は狡猾で利に(さと)い。彼の店舗を西域に展開することを許せば、南人の流出を抑制することにもなろう」

 ペイルローンを代表とした南人商家の進出は、西域でも深刻な問題になりつつあった。近年になって西侯が頭を悩ませ始めたことである。

「いきなり、団長を崩すのか……」

 少し軽薄ではないのか。こういうときは、相手の足元から徐々に砂を削るようにして足場を崩してゆくものである。

「副団長はすでに南人と結んでいる。エリリスもそれを知らぬわけではあるまい。だから、彼に利を見せれば必ずこちらに食いつく」


――それでは剣士団を太らせるだけではないか。


 とは、西侯は言わない。エリリスの汚職に気づくものが必ず現れる。それが次期団長のチャムであれば、剣士団は必ず内部で争うようになる。

 剣士団が大掛かりな内訌(ないこう)を起こせば、それは王都全域に波及する。その時期と、神龍を降ろす時期が重なるのは、アヴァーに問わずともわかることである。西侯が考えたことは、同時に王宮と剣士団を引き離すことである。最も良いのは王宮が剣士団を滅ぼすことだが、ドルレル王ともあろう者が自分の翼をその手で引きちぎるようなことをするはずがない。

 古い神龍が去り、新しい神龍が現れることは、王朝の交代を意味する。西侯が兵を起こすとすれば、民心が乱れたその時である。剣士団が崩壊し、神の啓示があったとなれば、離反する諸侯も増えるはずだが、西侯はそれを待つ気はない。アヴァーはタータハクヤ家を滅ぼしたクーン王家以外を殺すつもりはないらしいが、この国を立て直すためには王都の一つくらいは犠牲にすべきであるというのが、西侯の考えである。

 アヴァーはこの他にも様々なことを西侯に献言した。ダイスとの秘密同盟もその一つである。ただし、西侯はダイスに信を置かなかった。彼らは北にクーン、南にナバラと、二面外交を行っているのであり、アクシアと組むということは、北に野望があることを示している。クーンが滅べば、ナバラとダイスの連合軍は北に大挙して押し寄せるだろう。

 しばらく経って、クーン剣士団の切りくずしが効果を見せた。「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」最強の一角であるカエーナが、副団長を殺したのである。西侯がアヴァーを使ってカエーナを調べたところ、彼が剣士団崩壊の鍵になりうる事を確信した。

(後は王宮だな……)

 西侯は数年ぶりに王都に上った際、アシュナ王女の成人の儀について王が逡巡している事実を知った。ドルレル王は儀式の有用性を疑っていたわけだが、西侯はこの時、それとなく剣士団のチャムを推した。アヴァーは王都クーンと西都アクシアーブを何度も往復し、王宮の細々とした事情を調べてくる。近年、ドルレル王が剣士団を煙たがり始めたことを利用したのである。

「叔父上に会うのも、これが最後よ……」

 そう言った西侯の胸中を量れる者はいないだろう。



 ふと、西侯がアクスという一人の成熟した男として近くを振り返ると、セラがいた。

(わしは老いたかな?)

 ハルコナをくれるように、アヴァーに頼んでみるべきかも知れぬ――と、西侯は思った。だが彼もまだ六十歳を過ぎたばかりである。

 西侯が出来の良い息子に欠点を見出すとすれば、セラが許すという行為が負けるに等しいと思っていることである。それは心の許容の問題ではなく、セラの心底にある臆病さがさせることである。侯ともなれば、戦いに臆病であっても良いが、政治に臆病であってはならない。この頃までのセラは、戦いに勝つことは上手くても、占領した地域の行政には向いていなかった。彼が敵を殺しすぎたからである。だが、ある時を境にセラは父を越えようとする素振りを見せ始めた。

 西侯はアヴァーの素性を誰にも漏らさなかったが、セラが突然、妙なことを言った。

「ハルコナは貴門の生まれですよ…」

 やはりか――と、西侯は息子の目の確かさを信じたが、彼はセラ以上にハルコナを観ていたのである。

 戦場へ出かけるとき、多くの女が城門で夫の出立を見送る。だが、ハルコナはセラを見送ることはせずに、凱旋する彼を出迎えることもしなかった。

 最初、セラが思っているほどに、ハルコナは彼のことが好きでないのか、と思っていた西侯だったが、やがて、ハルコナという少女のような女の激しい一面を理解した。

 いつもは見送りに現れないはずのハルコナが、その日は宮門に駆けつけた。セラはいつになく明るい表情で彼女を出迎えた。だが、ハルコナが傷だらけであることに気づき、ただならぬことを感じた。

 セラが問うと、ハルコナは黙って小さな袋を彼に渡した。


――貴方は人を殺しすぎます。竜は、竜を殺した人に寄り付くことをしません。貴方は殺すことが勇気だと思っているようですが、殺すことなら私にも出来ます。


 ハルコナは手振りでセラに言った。セラは人知れず熱心に手話を習ったから、彼女の言うことを理解した。

 セラが袋を開けると、その中に深い碧色をした宝石のようなものがあった。それを手にとって日に照らしてみたとき、セラは慄然とした。

「逆鱗……」

 まさか――と思った。まるで今そこで剥がしてきたように、逆鱗の端に肉片がついている。ハルコナが竜を殺して得たものなのだろうか。その答えは、彼女の体貌から通ってくる空気が物語っていた。

(生きたまま剥がしたのか……)

 竜にとっては死ぬほどの苦しみだったろう。それ以上に、怒り狂った竜は大人の男でも手がつけられない。それをハルコナは行った。彼女が一人で行ったのかという疑問は持たなかった。

 逆鱗を袋に納めたセラは、無言で歩き出した。

 この戦いで初めて、セラは殺さずに勝つということをした。

 敵であるゴモラ蛮族は、アクシアの宿敵といってよい大族である。

 蛮族の戦い方は古今東西変わらず、ゲリラ戦法である。

 クーン山脈付近で陣を広げたセラは、夥しい数の偵騎を放った。この前に、彼らしからぬ動きが既にあった。アクシア軍に参加している他の部族の長に、ゴモラ蛮族との仲介を頼んだ。族長は目を丸くしたが、

「なるほど、アクス侯の子だ」

 と、目に笑いを浮かべた。

 王都の英雄ラームが剣士団を遺したというのなら、西侯の遺産となるべきものは大陸最強と言ってよいアクシア軍である。セラの放った偵騎は程なくして敵の族長の位置をつかんだ。族長と言うより、ゴモラ蛮族は大族であるから、ゴモラ王と呼ぶべきだろう。彼らは山脈以外の土地に執着しないだけで、勢力の大きさだけで言えば中程度の国に迫るものがある。

 いつものセラなら、瞬く間に族長に兵を差し向けて殺しただろう。だが、それが勝利ではないということに、彼は気づき始めていた。族長を殺せば次の族長が立って山脈付近の村を襲う。セラが相手をいくら殺しても、それは地上から人が消えてなくなるまで止まない。

 セラは先の族長を呼ぶと、

「頼んだ」

 と言って、自身は数騎を連れ立って本陣を抜けた。

 族長の訪問を受けたゴモラ王は、自身の死を覚悟した。だが、族長の言葉を聞いた彼は、自分の耳を疑った。

「この先の平原にて会おう――との事です」

 彼が和睦の使者であることを知ったゴモラ王は大いに怪しんだ。だが、既に危地にあるゴモラ王は、使者の言う通りに動くしかない。

 この間、セラは既にゴモラ蛮族の包囲陣を完成していたが、その一角に穴を開けた。


――逃げたいのなら逃げろ。


 さらに、先方隊がゴモラ蛮族の後方集団に接触したという報告を受けたとき、後退を命じた。蛮族の後方集団とは、女子供に他ならない。定住地を持たない彼らは国ごと移動するのである。

 このことを知ったゴモラ王は戦意を喪失した。彼が一部隊を率いて平原に下りると、同じ数の兵を揃えたセラが既にいた。

 セラはアクシア公室の色である黄色に染められた鎧を纏っている。対してゴモラ王は竜皮をなめしただけの荒い王衣である。二人が並ぶと婦人と大男が並んだように見える。

(若い……)

 そういうゴモラ王も、三十代の半ばである。狩猟民族の男らしく、この歳ですでに孫がいる。

「真の勇気とは、どのようなものを言うのでしょうか?」

 突然、セラはゴモラ王に問うた。頓智(とんち)をかけられるおぼえのないゴモラ王は、


――進んで退かぬことだ。


 と、言おうとしたが、思い直し、

「竜を殺さぬことだ」

 と言った。詳しく言えば、竜を殺さぬように戦うということで、器用に敵兵のみを殺すという意味である。蛮族の思想が力という概念から乖離(かいり)することは決してない。もしあったとすれば、彼らはすでに立派な文明人である。

「私は戦いが下手ですから、多くの竜を殺してしまいそうです」

 セラは高らかに笑うと、全軍を後退させるように部下に命じた。

 蛮族が文明圏を襲うときは、必ず飢えている。だから、ゴモラ蛮族は手ぶらで山脈に戻るわけには行かない。セラはそこまで読んでいたのか、ゴモラ王に多くの食物を贈り、アクシアは彼らをいつでも迎え入れる用意のあることを告げた。これまでゴモラ蛮族に対して強硬姿勢を貫いてきたアクシアが軟化の兆しを見せ始めたことは、ゴモラ王を驚かせた。

 引き上げたゴモラ王は、セラに生かされた自分を恥じた。だが、これを侮辱とは思わなかった証に、明年、西侯に講和の使者を()る。武威とは、相手にぶつけるものではなく、ましてや見せ付けるものでもない。威というものは、人の頭の中にしか存在しないものであることを、セラはここで知った。

 帰還したセラを出迎えた女がいた。ハルコナである。

「ハルコナは、勇者だな……」

 セラは破顔した。


――貴方の勇気は、西侯にあと一歩、及びません。


 と、ハルコナが手話で返した。父の勇気は、自分より遥か先にあると思った。

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