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第十章『逆鱗』(5)

 ドルレル王の身を案じたゲールは、偵察に行ったチャムを捨て置いて、正殿へと向かった。

(どうか、ご無事で……)

 それだけが気がかりだった。王が死ねば自分が後を継ぐということに、喜びを感じるようには出来ていない。いや、それは嘘だろう。心中から漏れ出てくるあさましい想像を、強烈な意思で押し殺しているというのが今のゲールである。

 衛兵に見つかったときも、ゲールは真っ先に前に出た。

「宮中に賊がいる。王妃のご謀反ぞ!」

 彼は周りのものを使って声高々に叫ばせた。

「王子ゲールである。通るぞ!」

 衛兵が口をあけて呆然としている間に、ゲールは関門を占拠し、更には自分たちの存在を怪しんで駆けつけた衛兵を吸収した。

(正殿で混乱があった……)

 ゲールはこの時知った。いくら王子であるとはいえ、これほどの気ままが許されるはずは無く、しかし後宮を守る者たちはゲールの顔を見ると安心したように彼に従ったからだ。

「正殿との連絡が途切れております」

 と、いう者があった。

(事実だろう。得体の知れない輩が既に乗り込んでいるやも知れぬ。見えぬ敵とどう戦う?)

 そう思ったとき、炬火の脇にさした影が揺らめいたような気がした。

 不自然さと、不吉と、生命の危機の全てを順序無く同時に感じた。感じたと思ったとき、彼は既に真横に飛びのいていた。何も無いはずの地面から音が鳴った。

「敵だ! 西侯の手先がいるぞ!」

 情けないことに、ゲールがそう叫ぶまで誰も敵の接近を感知できなかった。彼らは闇の中で必死に目を凝らし、見えない敵を探した。ゲールは屹立する兵の中に身を埋めるようにして隠れた。

「円陣を組め。決して離れるな!」

 衛兵の長が叫ぶと、叫んだ口が真っ二つに両断された。

「うわっ!」

 突然の怪事に兵が悲鳴を上げた。衛兵の長の死体を囲むようにして陣にぽっかりと穴が開き、その中にゲールの姿があった。

「馬鹿者ども!私を隠せ――」

 そう言った時、何かを振るう音が聞こえた。ゲールは目の前に淡く映る透明な影をとらえた。

(死ぬ……)

 瞬きせずに、ゲールはじっと虚空を見つめていた。私は王の代わりに死ぬのだ――とも思い、父は身代わり同然になった私の死を(いた)み、死して成るという意味の「シムシ」の贈り名を与えるだろう――とまで考えた。

 夜が裂けるような音が鳴った。

 風が人を運んできたようであった。その人物は、虚空に淡い光と放つ透明な大刀をもって、同じく虚空から振り下ろされた凶刃を跳ね除けていた。

「チャム……」

 背と左右の腰に、それぞれ二振りの長剣をさげ、更にはもやのかかったような色をした不思議な大刀を持つ戦士は、確かにチャムである。ゲールは彼が生きて帰ってきたことを心底喜んだ。

 ゲールを討とうとした者は、姿は見えないが後ずさる音が聞こえた。

「よくぞ、ご無事で……」

 チャムが余裕ありげに言ったので、ゲールは彼に心強いものを感じた。

「チャムよ。敵は見えない。油断するでないぞ」

 知っている――とチャムは目語した。彼の視線は、手に持った大刀にうつった。ゲールも彼の見る先を追った。すると、彼は驚いたように声を上げた。

「逆鱗なのか? そのような大刀が……」

 その大きさがゲールには信じられないらしい。王子である彼の宝器ですら小ぶりの剣であるというのに、子供の背丈ほどはありそうな分厚い大刀を逆鱗で鍛えるなどと、生半可な財ではなしえない。

「賊から奪いました。西侯の財は王室を凌ぐやもしれません」

 チャムはあえて言いにくいことを言った。ゲールの顔が蒼ざめ、おし黙るところまで見届けると、彼は迷いない足取りで炬火の方へ向かった。

(まじな)いとは、光だ――)

 チャムは灯火で満たされた通路に死体が転がっていたことや、正妃のアヤが月光に紛れていたことを思い出した。逆鱗の特性は、光に紛れることではないか――ということだ。

 かつて日の光の下で見たゲールの持つ逆鱗の剣は、青々とした光を放っていた。そして今持つ逆鱗の大刀を闇にかざしてみると、それは墨のように黒々と落ち込むような色を見せる。更に、炬火に向けて大刀をかざせば、それは火の色に同調するようにして輪郭がぼやける。

 ゲールは、この変化に気づいたようだった。その証拠に、

「チャムよ。敵は炬火から現れた」

 と言った。

 その声が先であったかどうかわからないが、チャムは炬火の下の何も無い空間を突いた。

「ぐぇ!」

 うめき声と共に、炬火の光が闇の中に放り出された。その光はすぐに色を失い、人の影を形作ったが、チャムの踏み込みが浅かったためか、すぐに立って奔った。動くと、その影はすぐに闇に溶け、姿が見えなくなった。

 驚嘆して声も出ない周囲をよそに、チャムはゲールの前で跪き、自分の見た詳細を報告した。ただし、アヤ王妃とのやり取りは伏せた。彼女を逃がしたことを勘ぐられてはかなわない。

 ゲールは毒と聞いた時、嫌な顔をした。

「まさか、死には至るまいな……」

「さあ、どうでしょうか」

 全く気にしていないというばかりにチャムが答えるので、ゲールは少しむっとしたが、配下の者を呼び、

「火を焚け。風を呼ぶのだ」

 と命じた。

 チャムは、

「今のものを追いましょう。足を打ちましたから満足に走れぬはずです」

 とも言った。長々と話した後に言うべきことではなく、ゲールはチャムが何をしたいのか、はかりかねた。

「見えぬものをどうやって知る?」

「いえ、見えます」

 そう言って、チャムは腰にぶら下げていた冑を出した。アヤがかぶっていたものだ。

「これも逆鱗なのか……」

 ゲールはため息をついた。西侯は王室より富んでいるというチャムの台詞が、冗談ではないらしいことがわかったからである。

「頬当ての所に香草が仕込んであります。これを嗅げば、毒が抜けるようです」

 チャムは賊がアヤの姿をとらえていたことを奇妙に思っていた。同じ事をゲールも感じていて、彼は賊を視認できるチャムをこの集団の長に任命した。

「そこにいる」

 チャムはゆくゆく明かりのある方を指差して、剣を払った。その度に賊のような影が現れて消えていったが、三度ほど繰り返すとそれも無くなった。

 正殿が近づいた頃、目の前の闇がうごめいていることに気づいた。

「しばしお待ちを……」

 と言って、チャムは一人、前に進んだ。

 チャムは門の前に居並ぶ何かに向かって言った。

「姿を現せ。不浄なる者ども!」

 門が開いた。



 王都クーンは不夜城である。というのも、南人文化の影響であるのだが、王都東門は日が暮れてからも、王都東方との交通を許している。ただし、夜中ともなれば歩き行く人の姿よりも南人商家に出入りする荷車がほとんどだ。王都の夜は、ほとんど彼らの時間と言ってよい。

 ただ、この日のようにクーン剣士団が二派に分裂し、真っ向から激突するような事態では、どこの家もとばっちりをくらうのを恐れ、門を閉ざしているのだが、比較的安全な南人居住区は別として、その先にいくつかの村と樹海しか存在しない東門を抜ける荷車があったとすれば、異様に映るのも当然である。

――おや、夜逃げかな?

 普通の人間ならばこう思うのは悪くないだろうが、王子ゲールの命により、東に兵を隠して待機していたアーシェにとって、単独で東門を抜けた竜車は異様に映った。

(あるいは……)

 と思った彼は、兵を起こして竜車を追跡させた。かつてチャムが、樹海に伏兵がいるかもしれない――と、懸念していたことを思い出したのだ。

 一時間ほどして、兵が帰還した。彼の顔に興奮の色があったので、アーシェは自分の想像が悪いほうに当たったのではないかと危ぶんだ。だが、寝ぼけ眼をこすって兵を繰り出した甲斐があって、アーシェは殊勲を手にした。

 アーシェに追跡されたと気づいた竜車は、あからさまに逃走を行った。アーシェの兵はこれを大いに怪しみ、独断で追走した。その結果、彼らは竜車を捕獲したが、その際に激しい抵抗に遭い、激戦となった。敵は最後の一兵まで闘いをやめなかったので、彼らを全滅させることでアーシェの繰り出した兵は命令を果たした。だが、彼が持ち帰った荷車の中身が、大殊勲と呼べるものだった。

 部下の報告を受けたアーシェは、森の中に張ってあった天幕を転がるようにして飛び出ると、兵に守られるようにして立っている貴人の前で額を地にこすりつけた。

「ようやった。(なんじ)の名を申せ」

 と、明るい声で言ったのは、アシュナ王女である。傍らには潰れたような顔に安堵の色を見せている醜男がいる。言うまでもなく、最上級神官ソプル(ザイ)だ。

「はっ、王宮近衛兵第三隊隊長のアーシェであります。主の命により、東方を哨戒しておりましたところ、怪しげな竜車を発見した次第です」

 アーシェは誰にも見えない自分の顔が、思わずはにかむのを感じた。ゲールの気まぐれで居残りをくらったが、これはこれでよい巡り合わせになった。

 だが、アシュナは事態をよく飲み込めていないようだった。

「儂とソプル殿は、一度王の兵によって助けられたのじゃが……」

 と、首をかしげながら言った。アーシェは首筋に寒気が走るのを感じた。クーン王章をつけていたということは、その者たちは正規の王宮近衛兵ということになる。アーシェの部下が彼らを殺めたとすれば大問題であるが、部下にはかってみてもそうは考えられない。

(王宮近衛兵を偽った者がいる)

 という結論に達せざるを得ないのだが、では、その者たちが一体何者であるかと言えば、

「西侯の間者でしょう……」

 としか考えられない。では、西侯がアシュナ王女を誘拐する理由は何か。アーシェが少し混乱したのは、アシュナ王女を誘拐したのはロマヌゥであり、いつの間にか彼女らがロマヌゥの手から離れていたことである。詳細をうかがってみると、どうやら敵に内輪もめがあったらしいと想像できる。アシュナ誘拐の真犯人は西侯ということでアーシェは結論を得た。ちなみに、アシュナは西侯の陰謀について、ここに来て初めて知らされた。

 辺りが沈黙する中で、ずず――と、薬湯をすする音が聞こえた。そちらを振り向くと、けだるげな顔をしたアシュナの夫がいた。

「西侯……」

 と、ザイがつぶやくと、アシュナは弾けるように彼に寄り添い、

「そのような血なまぐさいこと、ソプル様が御気になさることではありません」

 と、甘えるように言った。

(これが、あのお転婆姫かよ……)

 アーシェは宮中での勤務で何度かアシュナの姿を見かけたことがある。その度に破天荒な立ち振る舞いが目立っていた王女が、今や旦那の腕にしがみつくだけの女に成り下がったように見えて、アーシェは嗤いがこみ上げてきた。だが、そのような姫を一朝にして妻と迎えることになったソプルという男に、妙な羨みを感じた。アーシェは美男子とはいえないが、目の前の怪人ほどには酷くない。それでも彼がアシュナという美貌を手なずけているという事実が、妙な敗北感を感じさせた。

「わ……わしは……」

 ザイが喋りだした。どもっているわけではなく、彼の知るクーン語を必死につなぎ合わせているようだ。

「星を……知っている。だから、西侯は……わしに会いたい」

 アーシェは瞠目した。アシュナを見ると、彼女も驚いているようだった。

「わしは、西侯に会いたい」

 と、ザイが言ったところで、アシュナが険しい顔つきで言った。

「なりません、ソプル殿! 王以外に星を知るものはいてはならないのです!」

 アシュナの言葉に、アーシェは何度も頷いた。星を知る、とは天上の星々を総攬することで、天下を経営することと同義だ。

 ザイ、つまり最上級神官ソプルは神龍(リョーン)が地上にもたらした御子である――というのが、彼の出現に対するクーン王室の解釈である。それゆえに、ザイに対してクーン民族の聖地のある東方の天使の名を与えたのだ。ザイは王朝に繁栄をもたらす者として迎え入れられたのであり、そのザイが、西侯に会いたいなどということは、王権が東のクーンから西のアクシア(西方の別称)に移るということではないか。時が時だけにアーシェは不吉なものを感じた。王室の姫であるアシュナが焦るのも当然だろう。

 それに、王都で奇妙な噂がはびこっていることをアーシェは知っている。王都の上空に西の守り神である金竜(ごんりょう)が見えたという奇怪な噂だ。

 だが、あたふたする周囲を見たザイは、それでも言葉を止めなかった。

「青い星、金の星、また青い星。それを知る者を連れて参れ。太陽を上から見る者をここに。ロマヌゥはどこだ。ここに連れて参れ――」

 ザイの目がすわっている。冗談を言っていたり、混乱しているわけではないようだ。それだけに彼の言った内容は余計に不可解で、誰かに理解できるものではなかった。ただ、アーシェにわかったのは、

(ロマヌゥの元で何かがあった)

 ということだけだった。アシュナがロマヌゥの名を聞いた時、眼光に(かげ)りが生じたのを、アーシェは見逃さなかった。

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