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第十章『逆鱗』(4)

 寝台に座る影は(わら)っているようにも見える。

「ヤムよ。いや、ヤムと名乗るたれかよ。お前は自分が恐ろしい陰謀に首を突っ込んでいるという自覚はあるか?」

 声は前方から放たれているはずなのに、チャムは耳元でそれを捉えた。

「西侯はダイスと組みましたか」

 チャムは正妃のアヤが疑わしいと思っていたが、セレナ妃が加担しなければ現状を説明できない。だが、賊は妃を殺そうとした。そこが奇妙である。さらにはヤーニがセレナ妃の尾をつかめなかったという事実が、チャムにとって何よりも信じがたい。

「ただでは教えぬ。おお、そうじゃ。お前たちが代々伝えているという『七本鞘(ななほんざや)』を舞ってはくれぬか?」

 七本鞘――と聞いて、チャムの表情が一変した。剣士団に伝わる秘伝である。秘伝といっても歴史浅い剣士団にそのような大げさなものが生まれるはずもなく、創立時に派手好きなラームが考えた仰々しい剣舞である。両腰にそれぞれ二本の剣を差し、背に二本の剣を背負う。それらを次々と抜いてゆく剣舞である。酒席をにぎわすためにラームが考え付いたもので、彼の一芸に過ぎなかったそれは、エリリスによるラームの伝説化に伴って剣士団随一の勇士が受け継ぐ秘伝へと昇華した。実際に型や振りつけが固定したのはラームの死後である。何らかの行事があったとき、剣の腕に乏しいエリリスに代わってテーベが舞っていたが、チャムが成人してからは彼の役分となった。言うならばこれは白竜と並んで剣士団団長の象徴である。

 七本鞘を舞えというのは、目の前の貴人はチャムの正体を見抜いていることに他ならない。チャムは動揺しかけたが、腹が据わっているのか、黙って壁にかけてあった剣をとり、六本を差した。

「おや、六本しかないが?」

 妃がそう言ったが、チャムは取り合わずにその場で正座し、虚空に視線を寄せた。

「クーン剣士団が奥義、七本鞘にございます。とくと御覧あれ――」

 チャムは立ち上がりつつ、左腰の剣を抜いた。剣を虚空でとめながら、詩を詠った。


――(いにしえ)に剣士あり

――技ありて剣を抜かず


 詩が進むにつれて次々と抜剣してゆく。左腰の剣を納めたかと思えば左手で背負った剣を抜き、流れるように代わる代わる抜いてゆく。時々、動作が速くなり、三本の剣が一度に虚空を舞っているようにも見えた。


――剣抜かずして争わず

――六本の鞘を飾れり

――人嗤いて、剣士(いわ)

――我に七剣あり


 影に隠れて表情はうかがえないが、妃はうっとりと舞を楽しんでいるようである。チャムは妙に自分の気持ちが落ち着いて行くのを感じた。父ラームが編んだという詩が、少しだけ気に入っていたこともある。


――一の剣は触れるべからず

――その()、離すことを知らず

――二の剣は抜くべからず

――その鞘、納めるべきを知らず

――三の剣はふるうべからず

――その気、(よこしま)なり


 舞いながら、チャムは妃ではなく、周囲に注意を払っていた。

(毒が()かれている)

 賊と戦いながら、それは感じた。賊の鎧に妙な呪いをかけて、毒にかかったものがそれを見えないようにしている。だが、そんなことが本当に可能なのか。毒薬の宝庫ともいわれる南国にはこのような効果を持つものがあるかもしれないが、想像の域をでない。何より、王宮に暮らす人々ならまだしも、地下道を通ってきた自分がどこで服毒したのかが問題である。

(香だろうな……)

 妙な熱気と勘違いしたのは、香が焚かれていたからではないか。それを嗅いだために、自分も服毒したのだろう。だが、王宮全域でそれが行われているとは考えにくい。広くて後宮だけだろう。そんな状態でドルレル王を討ち果たすことが出来ようか。


――四の剣は斬るべからず

――その刃、斬らざるを斬る

――五の剣は合うべからず

――その身、正気に討たれり

――六の剣は討つべからず

――その(わざ)、己を討つ


 ラームが酒席で舞ったという七本鞘は、完全に彼の独創で、古にそのような人がいたという伝説はどこにも存在しない。至高の剣士というものについて、彼は六本の鞘を背負って詠った。二行一対の詩で、最初はチャムが今まで詠った第九節までしかなく、「六本鞘」と呼ばれていたが、ラームの死後に団長位を継いだエリリスによって最後の一節が足された。剣士としては三流以下のエリリスだが、チャムが見るに、戦友であるラームがあえて言外に置いた思想をよく理解していたようである。


――七の剣は帯びるべからず

――その剣、既に討てり


 全てを詠い終えると同時に、全ての剣が鞘へと戻った。チャムは妃の前で膝を付き、小さく頭を下げた。

「ふたつ、気づいたことが御座います」

 語気は弱く、妃が浸っている余韻を打ち破るような不快さを持っていなかった。

「妃はアドァという男をご存知ですね?」

 しばしの沈黙の後、

「知っておる」

 と声が返ってきた。

「もう一つは……」

 チャムはおもむろに立ち上がると、ずかずかと妃のほうに歩いてゆき、眼前に立った。

「私が死者と話をしていたことです」

 そう言ったチャムは陰に隠れた妃の体を押した。すると、その影は人形のような音を立てて床に倒れた。


――ほほ、さすが……


 どこからか笑声が漏れてきた。

「戯れを止めよ!」

 チャムの叱声と共に、部屋の空気が弾けたようになった。すると、窓辺から刺す月光が揺らいだ。次第にそれは形となり、一つの影を生んだ。

「王妃殿下、王のご寵愛を賜る貴方が、西侯に通じておられたことは残念でなりません」

 そこに転がっている死体はセレナ妃であろう。チャムがセレナ妃と勘違いをしていた者が、王妃アヤである保障はどこにもない。ただ、頭に直接響いてくるような柔らかい音声が、チャムの胸中で(くすぶ)る何かを呼び覚ました。

 チャムは背負っていた長剣を抜き、剣先を王妃に向けた。

「わたくしを斬るのですか?」

 アヤがそう言うと、チャムは小さく頷いた。

「かも知れません」

 アヤはそれに臆するでもなく、しかし先の賊と同じ甲冑に身を包んでいるのか、周囲の景色と同化したその姿からは表情をうかがえない。

御髪(おぐし)を――」

 チャムは一歩、アヤの方へ踏み出した。

「――見せていただけますか?」

 するりと紐を解く音が聞こえると、夜光に紛れていたあやふやさの中から、銀色に輝く長い光の束が現れた。


――その身、正気に討たれり


 チャムは七本鞘の一句を思い出した。同時に、自分はこの人を斬れないと痛感した。

(なんと、まっすぐで――)

 負けた――と思った。自分がこの人に剣を向けたことを後悔したのである。七本鞘の詩が詠うところは、剣を持つものの心得であって、恐らく剣を帯びずとも人を斬るという超人にも似た業を得たのは、この世でもロセくらいのものだろう。極意でもなんでもなく、人の性として、チャムは正しく美しいものを斬れない。

 今の自分ではアヤを斬れない。斬れば、その刃は己をも殺す。例えではなく、アヤを斬った感触は一生この手を離れず、己の剣を曇らせ、いずれ死をもたらすだろう。チャムはアヤを斬ってもアヤの怨念を斬れないと本気で思ったのだ。

「賊が貴方を弑そうとしたのは何故です?」

 チャムは、あえて聞かずとも良いことを聞いた。案の定、アヤは何も答えなかった。

 賊がダイスからの荷に紛れ込んでいたことは間違いない。地下水路を誰かが利用したような痕跡は見つからなかったからだ。それに、宮中に毒を撒くという大事は、後宮を支配しているアヤの権限なくして実現できるものではない。アヤが自分の意思で西侯造反に関与したことは間違いない。恐らく、セレナ妃はそれに利用されたのだろう。後宮を見張っていたヤーニが看破できなかったとすれば、よほど綿密に計画されていたとしか思えない。

 だが、そんなアヤを賊は殺そうとした。ただの口封じか、利用価値を失ったとも取れるが、アヤが賊と同じ甲冑を纏っている以上、それは考えられない。つまり、裏切ったのはアヤの方で、その報復のために彼女は殺されそうになった。身を隠せばよいのにそれを行わなかったのは、彼女が毒の幻惑効果に紛れて発見されづらかったことと、他に何か理由があるのだろうか。

(理由などあろうか……)

 死にたがっていたわけでもなく、誰かに現状を知らせたわけでもない。これはチャムの直感だが、アヤは茫然(ぼうぜん)としていたのではないか。大事が決行されたその瞬間に、足元に穴が開いたように自らを失ってしまったのではないか。チャムにはアヤが卑劣な陰謀に加担するような人間には見えない。彼女のまっすぐさが、最後に己を裏切ることになったのだろう。

(随分と都合のよい解釈だな)

 チャムは己を嗤いたくなった。アヤに対して好意的に捉え過ぎている自分に気づいたからだ。だが、あながち間違っていないという自信もある。

 ただ一つどうしてもわからないのは、アヤとアドァのつながりである。アドァが西侯造反の件で動いていたことは確かだが、彼には別の目的もあったように思える。むしろ、そちらが本来の彼の任務で、チャムと接触したことにより、アヤによって彼の援護を命じられたのではないか。別件とは、これはチャムの確信するところだが、クーン剣士団の監視だろう。表面上、王はクーン剣士団への信頼が篤い。だが、王都の守護者という肩書きと治外法権という強大な権限が疎ましくないはずがなく、剣士団の監視は王の意向に沿ったものだろう。となるとアドァもチャムと同じく踊らされていたことになる。

(もしかすると……)

 自分はやはりこの女ひとりのために道化を演じる羽目になったのか。ヤーニもアドァもアヤの手先であったとすれば、逆に彼女の目的が何なのか全くわからなくなる。むしろ、アヤが自己撞着を起こしているこちらの方が無理な想像かもしれない。

「ふっ……」

 空気が小さく散ったような笑声が立った。アヤの清純な気に威圧されたチャムだったが、突然この女が儚く見えた。弱って死にかけた蝶を手のひらに乗せたような感覚に似ている。

(嗚呼、この人は本当に王を殺そうとしている……)

 そう思った瞬間、チャムは迷いを振り切り、更に一歩を踏み出した。すると、思いもよらぬ強い声が眼前から響いてきた。

「わたくしはまだ死ねない。死ぬという幸福も、この世にはあるのです。貴方の今の仕事は、ゲールの前にわたくしを引きずりだすことです」

 大逆を行った者がどうなるか。アヤの言うようにその場で斬り殺されるならば幸福と言わねばなるまい。不幸にも生き延びた者には、この世のあらゆる苦痛を凌駕するほどの酷刑が待っている。表層は温和に見えるゲールだが、チャムの見るところ、内に激情を秘めている。たとえ母とはいえ、アヤを許すほど甘くは無い。ましてや血の繋がらない母子である。

「なりません。貴方はここで……」

 そういったところで、どこからか喊声が聞こえた。一瞬だけ注意がそれた不覚に気づいたチャムが再び窓に目をやると、室内にも関わらず凄まじい突風が吹いた。微かに目を開くと、銀色の何かが自分の顔に触れた。

「ま……待て!」

 風を振り払った時には既に、誰もいなかった。

(逃げられたのか、逃がしたのか……)

 あえて自分は動かなかったのではないか――と、チャムは己の弱さを疑った。あえて追おうともしなかった。

 チャムは傍らに斃れたセレナ妃の死体に目をやった。見開いたままの瞼に手をあててみたが、その目は何かの像を焼き付けるようにして、チャムの手による閉眼を拒んだ。

 ため息をついたチャムは、先ほど斬り捨てた死体を調べた。あの不気味な甲冑の正体を知らねばならない。

(逆鱗だな……)

 艶といい、硬度といい、そうとしか思えない。人を完全に覆ってしまうほどの逆鱗をどこで集めたのだろうか。この鎧が百もあればその財だけで国が揺らぐ。

(なるほど、そのための竜狩りか……)

 年数をかけて数万もの竜を仕留めれば逆鱗の鎧を纏った小隊をひとつは作れそうだ。チャムは西侯の王朝転覆計画が並々ならぬ決意でもって行われていることを改めて痛感した。

 チャムはアヤが脱ぎ捨てた冑と、賊の持っていた逆鱗の大刀を拾うと、部屋を出たところで、嘆息した。

 廊下の端々に死体がある。来るときは全く気づかなかったが、これも毒の幻覚効果だろうか。毒を吸っただけで敵の術中に陥った自分をふがいなく思ったが、それよりも全身を焼き尽くすような悔しさが何より増して耐えられない。

「アドァよ、これは反則だろう……」

 彼が事件の真相を知るかどうかはチャムにはわからない。だが、この最悪の巡り合わせに悪態をつかずにはいられなかった。

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