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第十章『逆鱗』(2)

 ゲール軍が東区地下水路から王都入りしたのは、エトがクーン剣士団本部奪回に立った頃である。

(五百人も連れて、地下水路は歩けない……)

 当然のことながら、チャムはゲールに兵を割くことを進言した。アドァによって兵を手にすることが出来たチャムだったが、この集団の頭目は飽くまでゲールであり、彼の信念から逸脱した行動はとれない。とはいえ、自ら戦下手を称するゲールはチャムの意見を否定することはしない。

 だが、彼の意見に賛成しない者がいた。

 もとより、彼らはゲールの護衛として南方のダイス王国へ赴く任を負っていた。それまで護衛兵を統べていたアーシェという男は、あらかじめ言い含められていただけあって任を放棄したゲールを黙ってみていたが、チャムという無位無官の者に命令されることには耐えられなかった。

 アーシェは背が小さく、肌黒い。声はやや高く、眼光だけが異様に鋭い男である。

「今、王子はダイスへの外遊という任をお忘れになっておられます。任を果たさぬのに帰途に着くのは背任であり、南へ赴いたものが東門を潜って帰るということは、王宮から見れば叛乱でもあります。チャム殿はご自分の策に自信がおありのようですが、何の実証もなく、もし彼の予想が外れた場合、盗人のごとく忍んで王都に戻られた王子は陛下に疑われましょう。ここは、チャム殿が行くべきであり、王子は王都の外で待機されるのが良いかと思われます」

 チャムのいうように賊が既に王宮に潜んでいるとは限らず、王に(はか)らないで王宮に潜入すれば、あらぬ疑いをかけられる。ドルレル王自身が兄弟をなぎ倒して王位を獲得したために、子であるゲールが一瞬でも王位を狙うような態度を見せれば、躊躇わずに廃嫡(はいちゃく)するだろう。悪ければ(ころ)されるかもしれない。

 アーシェの言葉はチャムを攻撃していたが、チャムは顔色一つ変えなかった。

 ゲールは頷かなかった。

(わたしがいなければ、チャムは必ず殺される)

 チャムの予想が当たって、宮中に賊が忍び込んだとしよう。宮中の近衛兵はそれを撃退できるだろうか。おそらく彼らは西侯の誇る最強の戦士たちである。剣士団や王宮近衛兵はクーン最強を気取っているが、現在の平和な王都で自らを褒めているに過ぎず、西の辺境に領地を持つ西侯は毎年のように蛮族と戦っており、近衛兵は紙切れのように破れて無防備となったドルレル王の命が危うくなるだろう。敵の予期せぬところから攻撃を仕掛ければ、あるいは王が狙われるという事態は回避できるかもしれない。

 まだ、理由がある。

 チャムの意見を容れたゲールは、王宮に向かって伝令を飛ばしたが、返答がない。

「どういうことだ?」

 首を傾げたゲールが再度、伝令を送ると、その者は不首尾で帰ってきた。

「宮門が閉ざされ、誰一人として中に入れません」

 部下の報告に、ゲールはまたもや首を傾げた。

(父王は何を考えておられるのだ……)

 やがて、それは焦りに変わった。王宮の静けさが異様すぎる。

「宮門の管理者はどなたでしたか?」

 チャムの意外な一言に、ゲールははっとした。

「北門守尉のゴワだ」

 ゲールは早速、ゴワの元に急使を出した。

 夜間に使者の訪問を受けたゴワは、眠り眼をこすりながら、冷えた声で言った。

「ダイスに赴かれたはずの王子が、わしに使者をよこすはずがない。この者を捕らえよ!」

 そういって、使者を捕らえるや否や獄に投げ込んだ。

(悪意がある……)

 まさかゴワは西侯と繋がっているのではと思った使者は、拷問によってゲールの謀計が露見することを恐れて自殺した。

 不幸なことに、ゴワの行動はドルレル王の命令を受けたものである。


――北門、及び宮門の警備を倍にせよ。


 その令書が届いた直後に怪しげな者が自分を訪ねてきたのであるから、ゴワは立派に勤めを果たしたつもりだった。だが、彼は予期せぬところで次代の王の恨みを買ってしまった。

(わたしの部下を殺したな!)

 わずか数日の間に、王宮の空気が変わったことを知ったゲールは、事態の急もあって正式な符を使者に持たせなかったことを後悔した。部下とはいえ、長年ゲールの近くに侍ってきた者であるから、ゴワも顔くらいは知っている。彼に機知があれば捕縛後にすぐさま牢に入れることはしなかっただろうが、生真面目に業務を遂行してしまったことが仇となった。まさか捕らえられた使者が死ぬとは思っていなかっただけに、病床に伏せるドルレル王の代わりに宰相のドルテンに対して報告を行った。

「死なせたのか。王子の使者を……」

 ドルテンはため息をついた。職務を遂行したゴワを責めることは出来ない。

 この場には、どういうわけかアヤ王妃の姿がある。


――王はご気分が優れないので、ここでのことをわたくしが王に奏上し、聴許していただきます。


 ドルレル王本人がそれを望んでいることに、ドルテンは小さく驚いたが、あえて諌めなかった。もしアヤが病床のドルレル王にかこつけて王権を占有するようになっても、次代のゲールがそれを許さないだろう。それに、アヤには王宮内で強勢を維持するだけの力がない。彼女の姻戚で高位についている者は、ほとんどいないからである。

「王のご気分が優れぬ旨を伝える使者を送りましたから、ゲールは王の身を案じて使者を使わしたのでしょう。このような不幸なことが二度と起こらないように、ゴワ……わかりましたね」

 アヤが珍しく強い声でそういうと、ゴワは地に額をつけて「仰せの通りにいたします」といった。

「ゲールが帰還すれば、わたくしから言っておきます。おまえは忠勤に励みなさい」

 ゴワはようやく安心した顔つきになった。ゲールに恨まれて罷免されてはかなわない。

 当然のことだが、今年で三十三歳になるアヤは、三十路を迎えたばかりであるゲールの生母ではない。ゲールの生母は彼が幼い頃に亡くなったため、ドルレル王は後にアヤを正妃とした。その際にゲールをアヤの養子とした。奇妙なことだが二人は義理の母子なった。

 好学のゲールは学識高いアヤを尊敬する心が厚く、母のように接してきたから、アヤにとってもゲールは可愛く見える。ただ、歳が近いせいであまりに近づきすぎればドルレル王に無用の疑いをかけられるから、二人は微妙な距離を保ち続けた。ゲールも、アヤを母としてだけ見ているかと、自分を疑うことがある。ただし、彼はアヤのような女よりも、娘のアシュナのように、付き合っていると草臥(くたび)れるばかりであるような女が好みである。そういう女が気弱になる瞬間がどうしようもなく好きで、あえて女を冷たくあしらうような一面がある。

 横道にそれたが、王宮との連絡が途切れたと感じたゲールは、自ら王に直訴することを考えた。王都入りし、正面から王宮の門を叩くのである。だが、クーン剣士団の内紛が激化している現状、配下に諌められた。

(理由はどうにでもなる)

 父王が自分を廃嫡するようなことはないと見定めたゲールは、チャムとともに地下水路に潜入して王宮入りすることにした。

 アーシェが猛反対した。

「お前は四百人を率いてここに残り、変事に備えよ」

 切り捨てられたと感じたアーシェは一瞬、頭に血が上ったが、ゲールを罵倒するわけにもいかず、拝命した。このゲールの気まぐれが、後に意外な効果を生む。



 臭気の溜まった暗い道を、百人の歩兵と一人の貴人が進む。

 先頭を歩くのはチャムである。ゲールは歩兵に守られるようにして中心にいるが、時々人をやってチャムに諮問を行った。

「ここだ」

 夜中、東区の一角にかかる橋の下で、チャムは小さな支路を指差した。

「ここからは松明(たいまつ)が要る」

 チャムは迷わずに集団を先導した。それは、ゲールにとって不気味であった。

(何故、無位無官の者が王宮に至る間道を知っている?)

 素朴な疑問を今更持ったが、それをチャムに問うことが出来ない。自分が怪しまれていると感じれば、彼は何も出来なくなる。道中、チャムが最も気にかけていたのはそれであることを知っているゲールは、あえて口には出さなかった。

 チャムから伝令があった。とはいえ、二人は数十歩の距離を離れているに過ぎない。

「既に宮門の内です。宰相と連絡を取ったほうが良いでしょう」

 ゲールはため息をついた。侵入者同然の者がどうしてうろうろと宮殿内をうろつくことが出来るだろうか。チャムは王宮というものを甘く見ているのではないか。

「いらぬ。進むべし」

 チャムの意見を退けたゲールだったが、意識のずれを感じたので先頭集団に向かい、直にチャムと会った。この王子は悠然と構えているように見えて、どこか落ち着きがない。独断で王宮に忍び込むという悪事が、彼を焦らせているのかも知れない。

「一両日中に王宮は大混乱に陥ります。その時、王をお逃しするのは近衛兵の役目ですが、王宮を死守するのは我々です。一日たりとも王宮が賊の手中に陥るのはあってはならないのです」

「君の言うとおりになったとしよう。王が帰還された頃に君が罪を問われて誅されることがないだろうか」

 チャムは王宮に足を踏み入れてはならない人間である。下手をすればゲールにその罪が及ぶことは明白である。

「その時は、死にます」

 と、チャムが言った事で、ゲールは小さな呻きとともにこの者の気迫に呑まれた。

 チャムは無駄死にするつもりなどない。彼の脳裏には恐ろしい計算がある。

 当初は確かに愛国の精神から西侯の野望を阻止するつもりであった。だが、ゲールを任された頃から、彼は別の未来を脳内に描き始めた。

(今の王より、次代の王だ)

 王宮に賊が侵入していることは間違いない。だが、それを伝える術を、王自らが閉ざしている。

 このままでは下手をするとドルレル王が死ぬ。すると、クーン王国はどうなるのか。当然、王子であるゲールが継ぐことになるが、緊急時にゲールを手中にしているのはチャム自身なのである。故に彼は後に追求されることを恐れて、宰相のドルテンに急報を入れることを進言した。それがいかに幼稚であるかはチャムも知っているが、ゲール自身が宮中に姿を現せば、一事は捕縛されるにしても、必ず宰相の目に留まる。それを行えば変事は未然に防ぐことができる。

 チャムはここまで進言することはなかった。彼の野心がそれを妨げたことをゲールは知らない。


――一時は捕縛されるかもしれませんが、後で容疑は晴れます。それよりも宰相に事の重大を伝えることが肝要です。


 などといえば、ゲールの自尊心を傷つけるだけで、結局この策はとられないだろう。

 この場にもし、慧敏(けいびん)なアーシェがいたならば、チャムの下心に気が付いたかも知れないが、ゲールは自ら優秀な手足を切った。

「後宮の官女に知り合いがいます。彼女から宰相に伝えるようにしましょう」

 チャムはドルテンと接触することを再度ゲールに告げた。

「官女に君の知り合いがいるとは初耳だ」

 ゲールは皮肉気に言った。宰相との接触をしつこく打診してくるチャムに、そろそろ苛立ちを覚えてきた。

 北門守尉のゴワは宰相ドルテンの部下であり、彼に部下を殺されたと思っているゲールは、宰相ももしかすると西侯と繋がっているのではないかという疑問を感じていた。となると、今の王は刃の上を歩いているようなものであり、しかもそれに本人が気づいていない。ゲールの目的は誰よりも先に王に急報を入れることであった。

(北門守尉が裏切れば王は近衛兵を手にする前に(ころ)される)

 そう思ったゲールは、やはりチャムの進言を容れなかった。



 百人の集団が、臭気の満ちた地下水路を歩いている。

 鼻が曲がりそうな臭いをこらえながら、ゲールが言う。

「ここはどのあたりだ?」

「もうすぐ後宮の直下です。セレナ妃の宮が最も近いかと思われます」

 セレナ妃はドルレル王の第三妃で、幾人かの子を産んだが家格が低いために、皆嫡子になれなかった。昔は溌剌(はつらつ)たる美人であったが、今は年を重ねて見る影もない。歳は四十の半ばである。自分より遥かに若いアヤが高位に座っていることを(ねた)んでいる素振りも見せず、後宮という権謀術数の海の中を無難にわたって来た人でもある。

 ゲールは唾を飲み込んだ。というのも、彼はチャムから異変は後宮より現れるだろう事を聞いたからだ。


――数日前、アシュナ王女のご成婚を祝って西侯とダイス王から幣物が送られ、王宮に収められました。西侯を疑う宰相は幣物を検分いたしましたが、ダイスはナバラにも入朝しているために、南人にはばかる形でダイスからの荷を検分することはありませんでした。もし、ダイス王と西侯が結託しており、更に王宮にも彼らの間者がいたとすれば、荷の中に兵が紛れていないと、誰が言えるのでしょう。ダイスからの荷は、主に後宮に収められましたことも、お忘れなく。


 最初、ゲールはチャムの言うことが信じられなかった。王宮でダイスの息のかかった者と言われても大事にかかわるような大物の名が思い浮かばない。だが、後宮といわれてみて、ゲールの脳を揺さぶるような名が浮かんだ。

「義母君か……」

 王妃のアヤである。彼女の出身は南方のダイス王国で、後宮でも最大の威厳を持つに等しいアヤが叛意を持ったとしたら、チャムの予想は(ことごと)く当たることになる。

 ここでまた疑問が沸いた。セレナ妃もまた、ダイスの出身なのである。彼女が加担していない保障でもあるのか。

「では、確かめて参りましょう……」

 と、チャムが言ったのでゲールは目を丸くした。

 彼はすぐさま外界に飛び出すと、屋根に乗り移り、セレナ妃の寝所に忍び込んだ。

 ゲールは呆然としていたが、どうせならアヤの元へ行って彼女の容疑を晴らして欲しかったと後悔した。

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