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第八章『せめて鞍上にて果てよ!』(5)

 エトはリョーンと違い、王都を訪れてからずっと剣士団に入り浸っていたから、このような事態でも剣士団のどこが安全でどこが危険かを見極めていた。

「タータハクヤはヒドゥとここにいて。危なくなっても必ず無事に逃がすから」

 エトはあえて攻撃に晒されていない北門から遠い場所にタータハクヤを案内すると、敵の攻撃の集中する西門へと走っていった。わざと一門を空けておいて、そこから逃走する者を伏兵で袋叩きにするというのは戦の常道であると、テーベに聞かされたこともある。エトの目には東門が最も安全に映ったが、そこは武器庫のある辺りで、宿舎があるのは敵の攻撃が激しい西門近くである。

 塀によじ登って矢を連射するエトの姿が、ヒドゥには勇ましく映ったのだろう。

「随分と凛々しくなられましたな……」

 ヒドゥは感嘆したように言う。タータハクヤが拉致されていた時は、目を白黒させていたが、彼女の無事を確認してからは剣士団の内紛などどこ吹く風のようだ。ただ、彼女の身辺をあずかる者として、タータハクヤの南人居住区への避難をエリリスに打診したのも彼であった。

「男児三日会わざれば――というのは、女の子も変わらないみたいね」

 タータハクヤの声には諦めが含まれていた。エトが戦場に出たという話を聞いたタータハクヤは激怒し、眉を逆立てて烈火の如く叱りつけたが、彼女の決心が固いことを知ると、最後には項垂れた。自らが生死の狭間を彷徨った直後であるだけに、タータハクヤの説得には生々しさがあったが、それを飲乾すだけの何かが、既にエトにあった。

(ああ、この娘は人を殺めたのだわ……)

 生き延びるためではない。自ら望んで戦場に赴き敵を討ったエトは、身を守るために鉄針を人に刺したタータハクヤとは精神の置き所を別にしていた。タータハクヤにとって悔しいのは、リョーンがエトを止めなかったことだ。

「好きにすればいい」

 とだけ、彼女は言った。何もこんなところだけロセに似なくても良いのにと、タータハクヤだけがぽろぽろと涙をこぼした。



 エトが間近でテーベの敗戦を見て学んだのは、戦いというものは常に人の予想を裏切り続けるということである。クーン最高の戦士たちの戦いは、結果だけを見れば単純な正面からの激突となり、カエーナが送り込んだ刺客によってテーベが敗北した。だが、そこに至るまでの流れに直に接したエトは、カエーナの勝利に実は薄氷を踏むような危うさがあったことを知っている。

(テーベが勝ってもおかしくなかった……)

 どちらが勝ってもおかしくない戦いとは、力の拮抗という言葉を使えば幾分か華やいで見えるが、実際は双方の準備不足と予見力の拙さが招いたものである。テーベやエリリスが王宮の出方を慎重にうかがっていれば、止むを得ずカエーナに突貫して粉砕されることもなかったし、南北の別働隊が分断されることもなかった。カエーナとて、テーベを蹴散らした後は西門を攻めたり、剣士団の本部を襲撃したりと、動きに一貫性がない。テーベの後任を即座に決して、クーン剣士団を相手にしながらの西門攻めというカエーナが唯一見せた戦場での迷いを突けば、容易く勝利できたはずだ。だが、その頃のエリリスや「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」は何をやっていたか。緒戦の敗北の責任をテーベに押し付けるばかりで、王都の守護者としての責務を完全に放棄していた。

 エトは彼らが例外なく優秀な戦士であることを知っている。だが、この醜態は何であろう。

(名誉を求めるばかりで、泥を(すす)ってでも勝利を掴もうという気概が無い……)

 もはや美名に埋もれそうな初代団長ラームですら、詐術を用いて敵を陥れたことがあった。剣士団の連中はこういった初代の陰猾な一面に対して「圧倒的な劣勢に焦った初代らしからぬ行為」とか、「義勇軍を利用した策謀家によって初代の名が汚された」などと評価する。

(テーベは偉いなぁ)

 自らの敗戦に対して何の弁解もしない。どんなに万全に準備をしたとしても、戦いに出れば常に敗北と死を自らの傍に置くことになる。極論せずとも、戦いにおける勝利とは最後に勝つことのみを指す。だから、テーベはただの一度負けたからといって自暴自棄になったり、自らの責務を投げようとはしなかった。戦いを最後までやり遂げるという強い意志が彼にはあり、エトはテーベという男が心から尊敬に値すると思った。

 だが剣翁ロセに教えを受けた他の者達が、この程度であったのかと思うと、さすがに心が沈んだ。名誉ある戦いであれば、彼らも勇猛果敢に戦うだろう。だが、剣士団の内紛という不名誉極まりない戦が、彼らの功名心に火をつけることをしないのだ。

(あなた達は、今まで何のために己を鍛えてきたのか!)

 エトは心中で叫んだ。

 鍛錬とは、より困難な状況を乗り越えるために行う。

 もっと言えば、人生における困難とはこちらから選べるものではなく、向こうからやってくるものであるという前提から、常に敗北し続けるということに耐えることを鍛錬という。人が己を鍛えるというのは現在の自分が理想の自分に負け続けるということであり、それを耐え抜き、いつか自分が理想の自分に重なる日が来ると信じぬいた者のみが、本当の意味での勝利を手に出来る。故に、志を高きに置き、真に切磋琢磨する者にとって、勝利はただの一度しか訪れない。人は死して後、勝つのだ。

(お姉はどうだろう……)

 最近のリョーンは実に不甲斐ない。そんな彼女を見る目が変わってきていることを、エト自信気付いている。

 剣士団の指南役であるロセの思想は戦闘における一切の無駄を排除したところにあるが、彼女の娘であるリョーンは義父の思想に志の高みを見つけることは出来ないようだった。彼女流に一言で表せば、美しくない。

 以前までのエトはリョーンの思想に魅了されていたといえる。


――美しければ、それで良い。


 リョーンの剣技が月光を撫でるような美を帯びるのも、彼女が強さよりも美を上位においている証拠だろう。いや、リョーンの剣技には美しくなければ強くない――とまで言わしめるような、強烈な自己陶酔が垣間見える。人は他者と接することにより己が心を啓くことが出来るが、己の深淵を掘り進めることで神知にたどり着くこともある。他者の手を借りずして己を知る者は必ず自然に深く溶け込み、神と対話する必要がある。リョーンはそれが出来る稀有の人かも知れないと、以前のエトは信じていた。

(シェラだ……)

 あの男が、リョーンの神秘を拭い去った。エトは憧れのリョーンがただの女になり下がるのが許せなかった。もっと言えば、男という生き物に決して屈しないというのが彼女がリョーンに求める強さであり、美そのものであった。

 美しくあってこそのリョーン。

 だが、美しいということは、角度を変えれば必ず醜く映るということでもある。それを捨て去ったロセの思想が、自分が思うよりも遥か高みにあることに、エトはようやく気付いた。ロセに言わせてみれば、名誉に縛られた彼の弟子も、美しさに縛られたリョーンも同類だからだ。



 剣士団の話に戻ろう。

 団長たるエリリスはテーベのことを理解しているだろうと思ったエトだったが、敵味方が打ち付かれた三日目の早朝に、厩舎から白竜が牽かれて来るのを見て目を丸くした。白い走竜は団長のみが跨ることを許される、クーン剣士団の象徴である。

「団長がうって出るのか?」

 陣頭指揮をとるだけなら、わざわざ騎乗する必要は無い。だから、エトは戦闘指揮では酷評されているエリリスが自ら矢面に立つと思って感動したのだ。これで、テーベの苦労も報われるというものだ。

 だが、実際は違った。

 エリリスの出陣を勘違いしたエトが興奮して彼に話しかけると、同じことを思った剣士たちが集まって来た。エリリスは苦そうな表情を浮かべた後で、自らが南人居住区へ援軍を求めに行くことを告げた。よく見ると竜首は東を向いている。敵の攻撃が薄い東門から密かに脱出しようとしていたのだ。

「南人の手を借りるなんて!」

 剣士の一人が叫ぶと、他の者も続いた。やがてこの騒ぎは本部全体に広がり、重症を負ったテーベですらが、担架で中庭に運ばれてくる始末であった。

「剣士団の務めは王都を守ることだ。門外にうって出たとして、共倒れになっては意味が無い。キュローならば必ず援兵をよこす。とはいえ、あの南人は団長自ら援けを請わねば動かぬだろう。側面を突けば、必ず一撃でカエーナを討ち取れる」

 彼の弁解には幾分か正しいところもあったが、エトや剣士団の誰にも信じられぬ空虚があった。テーベを見ればよい。彼はこの作戦を聞かされていなかった証に、顔面蒼白のまま肩を震わせている。それに、剣士団の団長が南人ごときに頭を下げるなど何事かとの声もあがった。

 組織における骨格は法が第一であり、組織長への忠誠はこれに比すべくも無い。忠誠は期待を裏切られた時に憎悪や離心に変じやすく、今の彼らはその典型であった。

 誇りを傷つけられた剣士団の面々は刺し殺さん勢いで団長に殺到した。エリリスはもはや竜に乗るどころではなかった。

「待て。待て!話を聞け。大局を見誤ってはならぬ!大局を……」

 怒号の行き交う中、エトは一人、担架の上で痛そうに腰をさするテーベに近づいた。

「大局を重んずるのなら、最初に王宮近衛兵と手を結ぶべきでした」

 エトの愚痴を聞いたテーベは、しかし彼女の言葉を受けずに言った。

「エトよ。今すぐにタータハクヤ殿を連れて南人居住区に逃れよ」

 テーベの言葉には疑問を寄せ付けぬ険しさがあった。エトは彼の言葉を反芻する暇も無く、人ごみを掻き分けてタータハクヤの元へと走った。走るうちに、疑問が不安となり、不安が焦燥となった。

 部屋の扉を勢いよく開けたエトは、タータハクヤを見つけると、有無を言わせずに浅い眠りについていた彼女をたたき起こし、車椅子に乗せるとヒドゥを伴って東門へと急いだ。途中でリョーンを探したが、見つからなかった。シェラも連れ出そうとしたが、彼は弟子であるリョーンがいないことを理由に拒んだ。彼は南人居住区に行けばキュローの元へ向かうようにとの助言をくれた。

「リョーン様は剣翁殿に任せましょう」

 ヒドゥの言葉に押されるようにして、エトは東門を抜けた。後から思ったことだが、この時、彼の頭にはリョーンの命を案ずる余裕などなかったのだろう。とにかく、一行は数人の護衛を共だって南人居住区へと急いだ。後方から干戈(かんか)の音と(とき)の声が聞こえた。

 南人居住区に着いた頃、カエーナ派が剣士団本部に突入したことを知った。



 シェラの世話をしていたリョーンは、包帯を補充するために屋外へと出たところでエリリスの起こした妙な騒ぎを遠巻きに見ていた。

「あ、綺麗な白竜……」

 連日ろくに寝ていないせいか、顔が熱く、リョーンはエリリスを囲んだ殺伐とした雰囲気をどこか呆けた目で見ていた。彼女の目には最初エリリスの愛竜だけが映った。確かに美しい竜だが、少し大人しすぎる感があり、スサの様に力強さを兼ね揃えた沈毅さがないように見える。

 竜の値踏みが済むと、リョーンはようやく人に目を向けた。

「こんな時にもめても、カエーナが喜ぶだけだ」

 そういって、彼女は物置に潜り込むと、ぶっきらぼうにあたりを散らかしながら包帯を探した。

 シェラの部屋に戻ったところで、雷にも似た凄まじい音がした。門が破られたのではない。よく見ると西の方の壁が大破している。リョーンは少し奥まったところにいたが、大破した防壁の向こう側が見えた。巨木をなぎ倒して作ったのか、とにかくその塊をぶつけられた剣士団本部の西側を守る壁は一撃で大破した。カエーナは、広いとはいえない路地で力技をやってのけた。壁の向こうを見ると、隣家の塀が叩き壊され、更には家屋の一部も解体されており、カエーナは兵を休ませることなく道路の拡張を行い、剣士団本部沿いの路地に巨大な破城槌を持ち込んだのだ。勿論、本来の破城槌より大きさでははるかに劣るが。

(市街戦で攻城器を持ち込む馬鹿がどこにいる!)

 リョーンが心中で悪態をつく間に、門の崩れた箇所から敵兵がなだれ込んだ。先陣を駆るのはカエーナが温存に温存を重ねた百人隊である。

 かつては同じ屋根の下で起居した者同士が、修錬場の各所で殺戮を始めた。

 リョーンは自分の両腰に得物があるのを確認すると、シェラに事態の急変を告げた。

「俺はいいから、逃げろ――といっても無駄だろうな」

 師の苦笑は、リョーンの励みとなった。

 次々と敵兵が侵入してくる。リョーンは最初、部屋の前で踏みとどまって奮戦するつもりだったが、修錬場の中心でロセが声を枯らせて兵を糾合し、撤退を始めているのを見て、考えを改めた。

「わたしの護衛はいい。お前達は負傷者を連れて逃げろ!」

 リョーンを守るために彼女の近くにいた者達――彼らはタータハクヤが拉致された時にリョーンの警護を任された者達でもある――に対して、リョーンは怒号に近い声をぶつけた。シェラではなく負傷者と言ったのは、自分の都合だけで兵を使ったと思われたくなかったからだが、彼らはリョーンの命令を無視し、扉の前で仁王立ちする彼女を抱えあげた。

「きゃ、何を――」

 思わず胸のふくらみを掴んでしまった護衛の一人は、しかし彼女に謝すこともなく、淡々と歩を進めた。

「待て、貴様ら。師が――!」

 リョーンは手足をばたつかせて必死に抵抗したが、彼女を持ち上げた護衛は雄大な体躯をもっており、びくともしなかった。

「我々は既に剣翁先生やシェラ殿からお嬢様を無事に避難させよとの命を受けております。師父の命令は弟子のそれに勝ります」

 護衛の一人がそういうが、リョーンは信じられぬと叫び続けた。

「嫌だ。わたしも戦う。シェラ、シェラ!」

 リョーンの声が門外に消えた頃、シェラの臥せる病室に敵兵が殺到した。



 エリリスの脱出騒ぎに乗じたカエーナによって本拠を追われたクーン剣士団は、しかし塵滅せずに王都東門付近まで後退し、敗兵を集めた。ロセによって送り出されたのだろう。東に逃れた兵が最も多かった。他に南北へ逃れたものもいたが、カエーナの追撃を受けて数十人が殺された。剣士団の首脳部で東に逃れた者はエリリスだけで、最後まで本部に残り、指揮を続けていたロセとテーベの行方を知る者はいなかった。

 時間が経つにつれ、わかったことは二人の生存がもはや絶望的であるということだけだった。誰も彼らの脱出を見ていなかった。リョーンは自分より後に脱出した兵にロセとシェラの安否をしきりに問うた。エトとタータハクヤの脱出は護衛兵から知らされた。

「北門から脱出した部隊に剣翁先生がおられるやも知りません。シェラ殿は……部屋に敵兵がなだれ込むのを見ました。恐らくは――」

「嘘だ!」

 リョーンはその場に倒れ込み、土を叩いた。あの男が簡単に死ぬはずが無い。タータハクヤを救出する折に百人の敵兵を退けた戦士が、つまらぬ死に方をするものか――と。

 土が濡れた。リョーンの嘆きが、ほとほとと地に落ちた。



 南人居住区に落ち延びたエトは、まずキュローと面会した。豪商の主であるキュローが小娘でしかない彼女に会ったのは、実はエリリスが前もってタータハクヤを預けたいとの打診をしていたからだが、そんなことを知る由も無いエトは、口を走らせるようにして事の顛末を語った。

「カエーナの非常識な戦法に、実は私も驚いております」

 汗を拭く仕草がどこかよそよそしいのは、彼がシェラについて何も言及しないからだろう。

「団長は貴方に援兵を求めるつもりでした。逃れた兵は再び糾合しつつあります。団長と連携し、カエーナを挟撃すれば必ず勝てます」

 エトは自信をもって言ったが、キュローは口を濁した。

 戦況を通観するにはまだ幼すぎるエトだが、キュローが動かない理由を考えてみると、戦慄すべき仮説にたどり着いた。チャムが物事が表面化する前に既に予測していた事態――つまりは王宮による剣士団の撲滅である。キュローはそれを知っているからこそ、交誼のあるはずのエリリスを援けない。穿った考えをすれば、南人居住区が王宮近衛兵によって守られている以上、二者は誰の目にも見えないところで手を繋いでいるのではないか。そうなれば、中央通りを封鎖した王宮近衛兵は、今頃東進し、クーン剣士団を攻撃しているかもしれない。

(ああ、お姉が危ない!)

 偵察に出した護衛の一人から、リョーンが王都東門付近に逃れたとの報を聞いたエトは、タータハクヤの静止を振り切って、矢の様に飛び出した。


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