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第八章『せめて鞍上にて果てよ!』(4)

 ゲール王子を護衛する一戦騎の竜騎兵を率いたチャムは偵騎を放ちつつも迅速に東への迂回を始めていた。


――アドァは信用できる。


 兵達と起居を共にするうちに、チャムが痛感したことはそれであった。勿論、アドァが直接彼らを選んだわけではないだろうが、クーン剣士団の面々が弱卒と侮る王宮近衛兵団の中でも最精鋭とも言うべき者達で構成されていたことは、チャムの意向に対してアドァがある程度の骨を折ったことを意味する。

 故にゲール軍――と、彼らを呼ぶことにしよう――は質の良い軍隊のみにあらわれる静寂をもって、朝露が零れ落ちる音よりも静かに、粛々たる行軍を続けた。

「もっと東に迂回する必要があるな……」

 あまりに王都に近い道を行くと、必ず西侯に気取られる。今は飽くまで西侯の思い通りにことが運ばれているように見せかけなければならない。チャムは東に広がる「大海()」と呼ばれる大樹海に足を踏み入れることを決意した。勿論、西北の砦を攻略するという当初の目標を捨て置いた以上、アドァに密偵を送ってある。


――やれやれ、その場の閃きだけで動いてもらっては困るな。


 アドァの苦言が耳元で聞こえるようでもあるが、もとより見えぬ敵と戦っているのだから、当然であるとチャムは思っている。

「西侯が相手なのだ。アドァもわかっているはずだろう」

 チャムが王都に放った偵騎は少なかった。確かに王都の情勢を知るのは最重要事項だが、こちらが王都を見るということは、逆にこちらが王都から見られていることになる。チャムは王都のある西方よりも、樹海の他は何もない東方に偵騎を多く放った。

「東が気になるのか?伏兵がいるのではないかと」

 夜営にて、チャムの近くに腰を下ろしたゲールが言う。

(将の器がある)

 結果を出して初めて評価されるものである以上、良将の定義はまちまちだが、兵卒と共に起居し、共に食事をとるゲールの姿を見ながら、チャムはこの王子に惹かれる何かを感じた。

 だが、良き将が良き王になるとは限らない。逆もまたそうである。戦争下手以外に評価のしようがないドルレル王は、民であるチャムにとって、苦難を迎えたクーン王国を長年支え続けた名君である。


――兵の進退は、お前に任せる。南国で幾度か海賊討伐に参加したことがあるが、どうにも私には戦いの呼吸というものがわからぬらしい。


 ゲールは時々突っぱねたように言うが、それで良いとチャムは思う。わからぬのなら、わかる者をそばに置けばよい。王の仕事は彼らが最大限に力を発揮できる決断を下すことであり、その点、ゲールは自分が何かに優れているからといってそれに没頭するような小器ではないように思えた。

 チャムは傍に座ったゲールに向かって軽く会釈をした。戦時であればこそ許される無礼である。最初の方は跪いて会話をしていたが、非機能的だと苛立ちを見せたゲールによって今のような形になった。

 東が気になるのか――というゲールの質問に対して、チャムは即座に答えなかった。少し考えた後、彼はこういった。

「はい。仮に伏兵がいたとしましょう。しかし、私の予想が当たっていれば東に配した兵は全くの無駄といえます」

「おかしなことだ。いないはずの敵をいると考え、しかもそれを無意味という」

「私にもよくわかりません。ただ……」

「ただ、何だ?」

 ゲールは眉を上げた。彼はチャムの勘が並外れて優れていることに気付き始めていた。勘というよりは、それは戦場での嗅覚とも言うべきものであった。

「王子。私は最初、西侯軍は援軍を称して西方から現れると思っておりました。しかし、西侯薨去の報や、王女誘拐などの奇妙な動きから、敵が既に都内に潜伏していることを確信し、今に至ります」

「そうだな。故に急いで東門から王都入りせねばならん。ここで足踏みをしている暇はない」

「その通りです。ですが、東門から王都入りするという発想をしたのは、果たして私だけでしょうか?」

 チャムは静かな光をたたえた瞳で目の前の王子を見た。ゲールにはチャムの放つ光が、どこか揺らめいているようにも見えた。

「なるほど、確かに……」

 ゲールは戦という化け物が、耳元で呼吸をしているような錯覚をおぼえた。敵と味方が互いに攻めることを考えた時、二者のとる行動が必ずしも一致しないとは限らない。いや、地形や気候の変化、兵の消耗などの条件から、むしろ一致することのほうが多いのだ。自分が考えたことに対して敵が気付かないという思い込みは、いずれ大敗を生む。

「王都北の王宮近衛兵団本部の残存兵力は、どれくらいでしょうか?」

 チャムは思い出したように言った。王宮の守りを自分達ではなく、彼らに任せようというのだ。

「あれは恐らく父王の切り札だ。西侯が都内にいるという証拠がない以上、決して動くまい」

 チャムにとって、敵が東から来るという考えは、一度捨て去ったものである。しかしここに来て急にまた気になりだしたのは、特に理由があるわけでもなく、これから強引に王都に突入しようという計画に対して、自信がもてないことの表れかもしれない。

「迷っている暇はないぞ。気になるのなら、いくらか兵を残して行けばよい」

 気がつけば、ゲールがチャムの目を覗き込んでいた。はっとしたチャムは、すぐに表情を引き締め、言った。

「いえ、このまま進みましょう」

 チャムは自らの迷いを断ち切ると、夜行軍の再開を告げた。

 竜に跨ったゲールは、腰に差した長剣を叩いて言った。

「逆鱗はいずれ赤く染まる」

 我が眼前に西侯を引きずり出せ――と、ゲールは言うのだ。チャムには王子が焦っているようには見えないが、彼は疑心暗鬼に呑まれそうなチャムを案じたのかも知れない。

「逆鱗の剣ですか?」

 チャムは目を見張った。逆鱗とは、走竜の顎の下のわずかな皮を指し、澄んだ碧色をしていて、神がかったほどに固い。竜の急所を保護しているらしく、名の由来の通りに触れる人がいれば、怒り狂った竜によって蹴り殺される。逆鱗の剣を鍛え上げるのに百頭の竜が必要とされるので、王族にこそ相応しい宝剣だろう。

「そうだ。聖なる怒りは魔を払い、邪を清める。邪な野望を描く西侯は、やがて逆鱗の前に沈むであろう」

 ゲールは逆鱗の剣をすらりと抜いて見せた。碧く光る刀身は透き通るほどに澄んでいて、その光は月を魅了したのか、雲間からわずかに光が射した。



 この頃、王都ではエリリス派が窮地に立たされていた。

 エリリスにとってテーベの敗北は予想外であったが、多数の死者を出したわけでもなく、状勢は依然、エリリス派に有利だった。カエーナが一転して西門を落とした頃には完全に体勢を立て直し、第二戦を開始すべく、南北に散らせた別働隊にカエーナの包囲を呼びかけた。

 ここまでは良かった。だが、王宮の動きについてはカエーナの方がより正確な情報を得ていた。王都の南北に配置された王宮近衛兵が、クーン剣士団の別働隊の動きを封じたのである。

「どういうことだ。これは!」

 剣士団本部に残された兵力は、第一戦で敗退した五百に、本部の守りについていた二百だけである。兵力で言えばカエーナと同程度だが、緒戦を制したカエーナには勢いがある。

 狼狽するエリリスに対して、重症を負ったテーベは指揮権を自分に委ねるように言った。他にも有力の者は「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」を含めていくらかおり、彼らはカエーナが(きびす)を返して剣士団本部を襲うまでの間、テーベの敗戦を責め、指揮系統が大いに乱れた。

「初代がこれをみたら泣くな。テーベで良いではないか」

 閣議でロセのこぼした一言が、テーベの胸に染みた。だが、足腰の立たない彼では陣頭指揮は出来ない。

「誰に委ねるか?」

 というのが、問題になりかけたが、「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」の一人が選ばれることで難を脱した。

 市街戦では守る側の方が圧倒的に有利だが、クーン剣士団本部の様に四方に開けた建物は防御を考えた造りになっておらず、彼らが守るものは自分達の命ではなく王都そのものであるという思想が垣間見える。だが、それでもテーベは決戦を控えた。

「カエーナの勢いが衰えるまで、耐えろ!」

 いくら戦勝の勢いに乗っているとはいえ、敵は所詮寄せ集めの軍隊に過ぎない。長く戦えば必ず息が乱れ、隙が生まれる。テーベはそうなるまで三日も必要ないと思っている。剣士団本部で三日耐えれば相手のほうが崩れてくれる。

 カエーナもそれを承知したかのように剣士団本部の門を苛烈に攻撃した。百人隊は一日目も二日目も後方におり、クーン剣士団が疲弊した頃に投入する算段らしい。



 シェラが意識を取り戻したのは、カエーナが本部の攻撃に移って二日目であった。彼がタータハクヤ救出のためにどれだけの働きをしたか、タータハクヤ本人から聞かされたリョーンは、誰にことわることもなく、枕頭でシェラの看病をした。

 顔色は青白く、巻きつけた包帯に滲んだ血が黄ばみ、床が軋む音でも身体に響くらしく、時々うめき声を上げた。

「……外が騒がしいな」

 シェラの第一声はそれであった。クーン剣士団が王宮近衛兵によって分断され、カエーナが本部を攻撃していることを告げると、彼はこぼすように言った。

「テーベは何故うって出んのだ?」

「敵が疲弊するのを待っていると思う」

 リョーンはそれがさも当然であるかのような声で言ったが、シェラは首を振った。リョーンには彼の言ったことが分からなかったが、無理に喋らせることを嫌ったのか、

「御尊命を賭して親友を救ってくれたことに、感謝の言葉もございません」

 と、床に平伏し、タータハクヤを救出してくれたことを感謝した。シェラはリョーンの頭を撫でると、手を差し出して言った。

「手を――」

 リョーンがおもむろに右手を差し出すと、突然、物凄い力で引っ張られた。

 金色の髪が一瞬顔にかかり、気がつけば、自分はシェラの肩の内にあった。

「シェラ?」

 唇が震えている。それは、リョーンにだけ聞こえる声で言った。

(夢の中で神に会った。黄金に輝く竜だ。お前にも会った。黄金の髪をしていた)

 問いを発しようとしたリョーンの唇は、もうひとつのそれによって塞がれた。リョーンは自分の中から何かが抜け出てゆくのを感じた。

 時が止まったようであった。

 一体どれほどの間そのままでいたのか、膝の力が抜けるような感覚と同時に、薄い糸を引きながら二人は離れた。泣いてもいないのに、周囲が淡く見えた。

「師よ……」

 今日になって初めて、リョーンはシェラのことをそう呼んだ。この男は尊敬に値すると、心から思ったのだ。

「俺の仇を討ちたいのか?」

 リョーンの心を読んだのか、シェラは言った。

 赤い髪がわずかに輝きを増したようでもあった。リョーンは静かに頷いた。

「そうか……ならば、もう止めはしない。玄糸刀の扱いはわかるな?」

「あの玩具のような仕掛けには興味がありませんが、必要となれば使います」

 この時、師が浮かべた表情が何を意味するのか、リョーンには分からなかった。何かに満足したような、それでいてどこか寂しげなシェラの顔からは、いつまでも眺めていたいと思わせる美しさだけがリョーンに感じ取れた。

「八代とエトはどうしている?」

 シェラは思い出したように言った。別に彼女らのことを放念していたわけでもなく、剣士団に預ければ間違いないと思っていた。

「皆、残っているわ。エトはテーベに連れ立って戦場に出ていたし、ナラッカはヒドゥと隣の部屋にいる。団長はナラッカを南人居住区に移すことを考えていたみたいだけど……」

 リョーンは普段の言葉使いに戻っていた。剣に関係する時にだけ、シェラは彼女の師なのだろう。だが、リョーンは自分にとって都合の良いところにシェラを置こうとしている。時に師であり、時に友であり、その二つのうちのどちらでもない時には、自分もまたカルではなくリョーンでもない何かになるのだろうと。

「そうか……」

 シェラは目を閉じた。疲れて眠ってしまったのか、その後にリョーンが呼びかけても答えなかった。



 二刀を腰に差して退出したリョーンは稽古場沿いの通路で思いがけぬ人物と鉢合わせた。

 剣士団の皮鎧を着ているが、確かにアドァである。

 リョーンに気付いた彼は赤茶けた髪を掻きながら近づいてきた。

「おや、これは赤髪のカル様――」

「何故あなたがここに?」

 当然の問いだろう。このような場所にいても良い人間ではない。

「いえ、タータハクヤ様の車椅子を修理していたのです」

「修理ならばいつでも出来るでしょう。わざわざ今、剣士団を訪れる必要はないのでは?」

 リョーンがそう言うと、アドァはにっこりと白い歯を見せた。

「そこはほら、職人気質という奴でして……」

 明らかに擬態だろう。まさかタータハクヤが車椅子を直すためだけに彼を呼ぶはずがない。

 警戒するには至らなくても、引っかかるものがある。タータハクヤに直接聞こうと思ったリョーンは、彼女の部屋に向かおうとした。

「それにしても、貴方も、タータハクヤ様も何故避難されないのですか?」

 リョーンはふと、立ち止まり振り返った。彼女が拉致された事実をこの男は知っているのだろうか。

「まさか賊があの塀を乗り越えてくると?」

「いえ、塀を乗り越えるまでもなく、門が破られましょう……」

 アドァが断言するので訝ったリョーンは目で問うた。

「剣士団は耐え忍ぶことでカエーナ派の息切れを待っている様にも見えます」

「ええ、所詮相手は烏合の衆。そろそろ足並みが乱れてくるはず……」

「今は良いのですが、この状態を外から見るとどうでしょうか。エリリス様は守りに徹するばかりで、カエーナは都内の各所で彼の臆病を吹聴しております。それに、王宮近衛兵によって南北の編隊が分断されたということは、王がこの度の乱に対して、エリリス派に非があると示したともとれます。王都の民はこのことに――特に王宮の動向に敏感です。民衆の支持を失うことになれば、クーン剣士団が耐え忍ぶことに意味はなくなります。故に、早晩ここは落ちるでしょう。いかに守りの上手いものが配置に着いたとしても、カエーナは攻めているふりだけしていれば、自ずと兵は増えるやも知れぬのです」

 頭を打たれたような感覚がした。リョーンは自分が剣士団の人間だとは露ほどにも思わなかったが、いつの間にか彼らと同じところに視点を置いていたのだろう。アドァに言われるまで、クーン剣士団が深刻な危機に瀕していることに気付かなかった。シェラがテーベの守戦をなじったのも、これと同じことを考えていたからに違いない。

 とはいえ、アドァの話し振りに、まるで王都の南北を歩き、つぶさに戦況を見てきたような気配があるのは何故だろう。ここに来てようやく、リョーンは彼を怪しんだ。

「貴方の言うことが正しいとしよう。だが、今うって出ることがどれほど危険か――」

「ほほ、稚拙な……」

 稚拙な――リョーンはアドァが吐いた暴言が信じられず、何度も頭の中で反芻した。すると頭に血が上るより前に、ひとつ気付いたことがあった。

(向こうにはカエーナがいるのに、今の剣士団にはラームの忘れ形見であるチャムがいない。カエーナに比肩できるテーベは、もう戦場に出れない。他の「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」ではカエーナに劣る。共に剣士団を名乗り、更にはこちらが名声で負けている以上、民がエリリス派を支持するという保証はない……)

 リョーンは目を上げた。なるほど、確かに王都の住民のことには考えが及ばなかった。争いの当事者以外を視界の外に追いやるのは、道理の分からぬ子供のすることである。

 彼女が何を考えていたか察したのだろう。アドァはリョーンの口を封じるようにして言った。

「剣翁様は立たれないでしょう。それは貴方が一番よく知っているはずです」

 リョーンの驚いた顔を見て、アドァは嬉しそうな顔をした。彼女の考えを読んだことが嬉しいのではなく、自分の思考についてきたリョーンを褒めたのだ。

「しかし、それでは――」

「……いえ、一人いらっしゃいます」

 アドァの言葉に、リョーンは首を傾げた。エリリスも他の連中も、はっきりいえばチャムやテーベには比肩できない。今、剣士団にいる人物から名声でカエーナを凌ぐのは、引退したリョーンの義父ロセだけである。だが、アドァは他にもいるという。

「ですから、一人いらっしゃいます。今、私の目の前に――」

 門外で行われている戦闘の音が消えたような気がした。リョーンは目をぱちくりさせて、アドァの顔を覗きこんだ。

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