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第八章『せめて鞍上にて果てよ!』(3)

 テーベを撃破した後のカエーナは、自兵に殲滅戦を命じながらも、敵方の立ち直りが早いと見るやすぐに追撃を中止した。

「さすがと言うべきか。テーベも中々やる」

 そう吐き捨てたのもつかの間、カエーナは自軍を二隊に分け、ロマヌゥに八百の兵をつけて王都西門の攻略を命じた。

「王宮近衛兵を敵に回すのは早くないか?」

 ロマヌゥが驚いたようにカエーナに問う。

「いや、今を逃して好機はない」

 カエーナは百人隊を率いて王都西南に位置する南人居住区を占領するつもりであった。

「そういえばロマヌゥ、空がどうとか言っていたな。あれは何だったのだ?」

 あっ――と、ロマヌゥは声を上げた。彼は恐る恐る王宮の方を振り返り、空を仰いだ。

「カエーナは、竜星を知っているか?今も見える。ほら、あそこだ!」

 ロマヌゥの指差す先の空は、特に何の変哲もない、開け放たれた冬空だった。

「竜星だと……」

 竜星とは、神が降臨する時にだけ空に現れるといわれる星座のことだ。伝承以外に存在が確認されておらず、クーン人ですら迷信と断ずる古い言葉である。

「気のせいであろう」

 そういって、竜に乗ろうとしたところで、今度は西方の空で狼煙が上がった。これは竜星の様にあやふやな伝承でもなんでもなく、蛮族襲来を告げるものであった。

「ちっ、愚か者どもが痺れを切らせたか……」

 カエーナは南人居住区攻略のために編成した隊を呼び戻した。もはやその余裕はないと判断したのだ。こうなれば一刻も早く西門を落とさねばならない。



 夜中にテーベから西侯薨去の報を受けたチャムは、ゲール王子を伴い、一千の王宮近衛兵を分割することなく王都に向けて反転した。

 王都に近づくにつれ、反乱の詳細が雪崩込むように入ってきた。シェラの王女奪還作戦失敗――チャムはキュローがソプル夫妻を捨て置いたことを知らない――に、テーベの負傷、そして蛮族の襲来に呼応したカエーナによって王都西門が攻略された。

「カエーナは半刻で西門を落としたそうだな。近衛兵は何をやっているのだ」

 涼しげな顔持ちを崩さないまま、ゲールは言う。彼はどこか、カエーナの造反を惜しんでいるようでもあった。

「さて、これからどうする?」

 チャムはゲールの傍らにいる。彼はしばらくの間黙っていたが、やがて口を開いた。

「この戦いの内実は剣士団の内紛でも、ロマヌゥの思想戦でもありません。西侯が死ねば全てが終わります」

「その西侯がどこにいるのか分からんのだろう。まさか王都を(しらみ)潰しに捜すつもりか?」

「いえ、捜すのは西侯ではなく、彼の兵です。王宮を掌握するとなれば最低でも一旅は必要です。王都は確かに狭くはありませんが、兵を隠す場所は限られています」

「いや、それはない」

 と、ゲールは断じた。

「君は知らぬだろうが、宰相ドルテンが王都の隅々まで目を配っている。王都の中に兵を隠すのは無理だろう」

「ですから、宰相閣下の探せない場所です」

「南人居住区か……」

 ゲールは何かを噛んだような顔をした。チャムはそれだけでゲールの南人に対する思いを汲んだつもりになった。

「いいえ、既に居住区にはいないでしょう」

「ではどこに?」

 チャムは大きく息を吸い込んだ。まるでゲールに何かを促しているようでもある。

「王子。いざとなれば御覚悟のほどを……」

「何の話だ?」

「我ら、まかり間違えば反乱を起こすことになります」

 チャムの台詞に、ゲールはしゃっくりにも似た声を出した。

「まさか……まさか……」

「道は東に迂回します。東門寄りの水路を巡って王都入りしますが、このことが敵、もしくは王宮に知れた時点で全てが終わります。やはり王子には撹乱のため、このままダイスに向かって……」

「馬鹿者。私を置いてゆけば君は本物の賊になるぞ!」

 はは――とチャムは笑った。竜がそれに呼応するかのように鳴いた。

「私も行く。面白いではないか。クーンで最も悪知恵に長けるのは果たして誰であろうか?」

 ゲールは何かを覚悟したようだった。それを見たチャムは、彼の言外の言葉を聞き取り、また笑いたくなった。


――君は(ずる)賢い。


 妙なことだが、ゲールは好意を込めて、チャムをなじったのだ。

(まだ、想像の域を出ないか?いや、だが東区水路を敵が使わなかった以上、これしか考えられない)

 王都の治安を預かる身である以上、チャムはあらゆる奇襲を想定して来た。天嶮(てんけん)に恵まれた王都だが、それでも冬期に干上がる東区水路は王都の穴というべき存在である。敵が利用するならばここであろうとたかをくくっていたが、当てが外れた。まさか西侯がこれを知らぬはずがないだろうから、西侯は東区水路を利用するより確実な手段を持っていることになる。王都の構造からして、チャムが考え付く答えはひとつしかなかった。

(ここはひとつ、アドァを驚かしてやろう……)

 この時、彼の顔を見たものがいたとすれば、そのあまりに邪悪な笑みに戦慄しただろう。



 ザイとアシュナの二人は、ロマヌゥの配下によって内密に王都の南方へと移送された。調度シェラがタータハクヤ救出のために屋敷に乗り込む直前のことだった。故にシェラは二人の移送を知っていたのだ。クーン剣士団に気取られなかった点では、ロマヌゥの手腕を褒めるべきだが、彼の目にはシェラが映っていなかった。

「どこへ連れられるのかな?」

 屋敷での一件以来、情緒が不安定気味なアシュナをザイはよく制した。

「おとなしくしていれば、必ず助かる。だから、我慢するんだ」

 アシュナが不安に肩をすくめると、ザイは彼女の肩を引き寄せて言った。

「大丈夫なはずなんだ。俺の予測が正しければ、殺されることはまずない……」

 ザイは、屋敷でロマヌゥに見せられた奇妙な円盤のことが頭から離れなかった。

(あの円盤をよこした奴に会ってみたい。早く……)

 思いをめぐらせるうちに、ザイは竜車の外が騒がしいことに気付いた。いつの間にか、竜車が停止している。

 二人の警備についている人数はわずか五人である。大所帯になれば二人の移送を喧伝するようなものだから、ぎりぎりの人数と言ってもいいだろう。

「何者だ?」

 御者は、小道の影から突然現れた人影に向かって言った。

「アヴァーの手の者――と言えばお察しがつきましょう……」

 人影が返すと、更に数人が現れ、竜車を囲んだ。

「それを証明するものは?」

「アヴァーの名を知っていることが何よりもの証です」

「ふざけるなよ……」

 御者は剣の柄に手をかけた。彼の任務は南人居住区の一角でアヴァーと落ち合うことだが、彼の部下が出迎えに来るなど聞いていない。

(剣士団に気取られたか?)

 だとすれば、竜車を包囲された以上、御者は死地にいることになるが、この男はクーン剣士団の出身である。辺りを囲んでいる者の空気がそうではないことを告げていた。

 御者は突然、竜を走らせた。極秘裏にことを運ぶのが彼の任務だが、こうなれば止むを得ない。だが、彼の決断は遅すぎたのだ。竜車に乗り込んだひとりによって、御者の首がかき切られた。

「さて、お迎えに上がりました。アシュナ王女、そして最上級神官殿……」

 竜車から引きずり出された時、アシュナは悲鳴を上げようとしたが、彼らの付けた胸甲にクーン王章が刻まれているのを見て、安堵した。

「やや、助かったか……」



 南人居住区の一角に静かに佇む小さな屋敷がある。付近の者も所有者が誰なのかは知らず、南人商家のどこかの別邸だと思われている。

「やれやれ、アクスも欲の深い男だ」

 別邸の門前で琴を弾きながら呟いたのは、顔に入った斜めの刀傷が印象的な男――キツである。襤褸(ぼろ)きれともとれるような粗衣に、安物の琴を手にしていて、物乞いが貴族にたかりに来たと思われたらしく、

「そこはいつも留守なんだ。物乞いなら中央通りに行きな。ああ、でも剣士団が暴れまわっているから今日の晩飯は諦めた方がいいぞ」

 と、通りすがりの商人が言った。

「そいつはどうも……」

 キツは空を見上げた。雪が降ったりやんだりと、今日は奇妙な天気である。

「会ってみたかったな。竜の御子に……」

 言葉をこぼすようにしてキツは立ち上がると、吹き付ける風から逃げるようにして消えていった。

 少し後に、アシュナを保護したのと同じ胸甲を付けた連中が屋敷前に現れた。

 彼らは屋敷を荒らしまわると、火をかけてどこかへと消えていった。



 王都西方に突如襲来したゴモラ蛮族に相対したのは王宮近衛兵団のイルファだった。念のために足しておくと、彼はロセとの御前試合で一撃の元に打ち負けた人物である。

 宰相ドルテンの命で密かに王都西の砦に配置されたイルファは、あらかじめ知らされていただけあって、五千からなるゴモラ蛮族の襲来に対して冷静に対処した。彼に預けられた王宮近衛兵は三千である。地方から兵を呼び集めれば一万に増やすのも可能だが、それは禁じられていた。王宮近衛兵以外に信を置かない辺りに現クーン王の基盤の弱さがある。

 雪をかき分け、竜に跨って来襲したゴモラ蛮族は、イルファの一撃によって粉砕し、敗走した。ただ、深手を与えることは出来ず、イルファ率いる三千の兵は当分西に釘付けになる。

 だがこれは、蛮族と呼応するために王都西門を攻略したカエーナにとって大きな誤算だった。カエーナの反乱をカエーナ対王宮の視点で見ると、情報戦では王宮側が勝ったことになる。

 この度のクーン内乱は誰と誰が戦っているのか、はっきりしない。

 最初はカエーナとエリリスの反目だった。現在でも王都の大多数の人間の目にはこの争いが剣士団の内紛に映っていることだろう。

 だが、これは実際にはドルレル王対アクス侯の戦いである。

 そう考えると、カエーナ剣士団やゴモラ蛮族を撃退したところでドルレル王側の勝利とはいえない。最終局面を迎えるこの時になってもまだ、ドルレル王には敵が見えないのだ。

「何とも先の見えぬ戦いだ……」

 と、部下の報告に対して愚痴をこぼしたのは宰相のドルテンである。

「剣士団の方はどうなった。カエーナはまだ西門にいるのか?」

「いえ、カエーナは西門を放棄し、剣士団本部を攻撃しています」

「思い切りのよい男だな。それにしても……」

 西門の占拠は退路の確保と同義である。それを放棄したということは、彼らが退くことを頭から消したと同義だ。

「これは殲滅戦になるな」

 ドルレル王の命により、剣士団を出来るだけ疲弊させるようにいわれているドルテンは、彼らが大暴れした後の始末を考えると頭が痛くなった。

「クーン人同士で争ってどうする」

 彼の言葉は、当事者のクーン剣士団ではなく、ドルレル王に向けられたものだった。王は望南戦争から何を学んだのだろうか。

 宰相職という人臣の最高位に立った自分を誇れるのは、国が衰運に向かわないうちだけだと、ドルテンは往時の宰相達を羨んだ。



 王都の構造を知らない人の多くは、千五百の兵力しか持たないクーン剣士団の権勢を理解できない。

 クーン剣士団の総本部は王都の中央通りからやや南方にある。剣士団成立以前は王宮近衛兵の駐屯所があった場所で、ここに兵を置くことは文字通り王都の中心部の掌握を意味する。東西南北に軍用としても十分に耐えられる石畳の道路が敷かれており、北には王宮、東西と南の城門との連絡が容易に行える。つまるところ、エリリスがその気になれば彼らは千五百の兵ですぐさま王宮に攻め込めるのだ。城門ばかりは王宮近衛兵の管轄であるから、王都の勢力図を端的に言えば、剣士団が中、近衛兵が外を担当するという奇妙なことになる。ちなみに王宮近衛兵の本部は王都内には無く、王都北門を抜けた先にあり、彼らの立場は二十年前に義勇軍によって奪われたことになる。それだけ、剣士団の初代団長ラームの功績と、戦後における剣士団の存在が大きいのだ。常に心臓を掴まれているも同然であるドルレル王が、これを嫌がるのは自明の理というべきだろう。

 故に、西門を落としたカエーナが急に方向転換を行い、全兵力を投入して剣士団本部を襲撃したのは戦略としては間違っていない。ただ、彼の行動が誰の目にも奇異に映ったのは、補給路になりうる西門の占拠を彼が早々に諦めたことだった。心臓を叩いても四方の王宮近衛兵団は健在である以上、カエーナの目的はひとつしかない。


――エリリスを打倒した後、王宮と和睦する。


 カエーナは最初からロマヌゥの思想を体現する気は無かった。彼の目的はロマヌゥの対極である、王都からの南人商家の駆逐であったからだ。それでもロマヌゥの布教活動を黙認したのは、彼の思想にも一理あることをカエーナは知っていたからである。

「十人長老府」

 というものをロマヌゥは声高々に叫んだ。南方のナバラ王国で早くから取り入れられた寡頭政治の一種である。

 王を議長とし、その他に有力者九人の長老が閣員となり、国政の全てを総攬する。

 ロマヌゥはこれに換骨奪胎して、本来王のみにある拒否権を十人の長老全てに分け与えようとした。王制打倒が彼の思想基盤であるから、一人に特権を許すことは出来ないのだ。

「そんなのでは、国が立ち行かないだろう。十人が十人、意見が一致するまで何も出来ぬではないか……」

 どのような国であれ、軍という共同体はたった一人に全権が集中する。幕僚と言われる連中もいるが、決定するのはただ一人である。意見の不一致により足踏みするようなことがあれば、たちまちに生き物の様に流動的な戦という怪物に食われてしまう。

「戦争と政治は違う!」

 ロマヌゥはそう叫ぶが、カエーナは聞き入れなかった。

(親の無念を晴らしたいだけなのだ。お前は……)

 カエーナがロマヌゥの頭に手を乗せると、少年は頬を膨らませた。

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