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第一章『赤髪のリョーン』(4)

 刑の執行から三日後、エトはようやく包囲の解けたタータハクヤ邸を訪ねた。落魄してからはろくに人夫を雇うこともできず、庭先が荒れ始めているが、屋敷の中はよく整えられている。タータハクヤ家は元貴族とはいえ、タータハクヤが天涯孤独となった現在は蓄財に乏しく、わずかにヒドゥを一人雇っているだけである。ただ、あくまで貴族の面目を崩したくないのか、庭には一乗の立派な竜車があり、困窮と引き換えにしてでもそれを手放す気はないらしい。

 エトがヒドゥに案内されて寝室に入ると、タータハクヤが書を片手に床に伏せていた。彼女を見つめるエトの表情が尋常ではない。見る、というよりは()めつけている。

「ムシンを殺しに行く」

 タータハクヤは今年で二十二歳になる。仲間内では最年長で、リョーンやエトたちを束ねるのは本来彼女の役目なのだが、タータハクヤは人の上に立つことに執着を持たず、両足が不自由なこともあって、長としての決定権をリョーンに委ねている。しかし三人の中では最も理知に富む彼女をさしおいて物事をさばくほどの自我はリョーンにはなく、事あるごとにタータハクヤの知恵を借りに来た。いわゆるご意見番のようなものだ。滅多に外出しないためか体は細く、細い眉に合わせて整った鼻立ちをしており、愁眉(しゅうび)を寄せれば妖艶な美しさが立つ女である。髪はやや茶を帯びていて、瞳の色も少し明るい。

 性格は身体の不遇を感じさせないほどに温容でいて快活だが、それでは隠し切れない哀愁が仕草の処々から垣間見え、人の持つ悲しみが美しさを帯びればこの(ひと)のようになるのだろう、とエトは思ったりする。哀愁を帯びた美しさとは、エトのような若者が憧憬(しょうけい)する類のもので、タータハクヤはエトにとって、リョーンとは違う意味での憧れなのだ。それに彼女はリョーンの義父であるロセとも交誼(こうぎ)がある。鉄のような表情しか持たないロセと仲がいいというのもエトの興味をひく。



 そのタータハクヤに、エトは激しい感情を向けている。タータハクヤはエトの方を見ずに答えた。

「埋葬から今日で何日かしら」

 エトの歯噛みする音が部屋に響いた。

「二日だ。タータハクヤは悔しくないのか!」

 エトは叫ぶようにしていった。よく見ると腰には二本の剣を帯びている。このままタータハクヤを連れ立ってムシンを討ちに行くというのがエトの目的である。無論、タータハクヤの体では剣は扱えず、それを全く忘れてリョーンの仇討ちに付き合えというところに、エトの性格があらわれている。

「二日か。そろそろね」

 タータハクヤは含みのあることを言ったが、エトは違う意味で受け取った。

「さあ、剣を取れ」

 エトが寝台に剣を放ると、タータハクヤはそれを重そうに持ち上げた。気のせいか、笑っているように思える。

「はは……これはいらないわ」

「怖気づいたのか!」

 エトは怒気を強めた。しかしその怒気は自身にも向けられている。処刑前夜、スサを連れて行ったときに彼女を救出すべきだった。結果、リョーンに脱獄の罪が着せられ永遠に追われ続けることになっても、死ぬよりはいい。エトもリョーンと運命をともにする覚悟があった。それだけにタータハクヤの策謀を信じたあげく、リョーンの壮絶な悶死を直視した彼女としては、後悔の念が強い。

 突然、書を閉じたタータハクヤは顔から笑気を消して言った。

「リョーンを迎えに行くわ。悪いけど、私を表まで連れていって頂戴」

 予想だにしない言葉が彼女の口から放たれた。一瞬、あっけにとられたエトだったが、タータハクヤが神妙な面持ちでいるのを見て、冗談ではないことに気付いた。

「全てが上手くゆけばリョーンは助かるわ。彼女が死ねば、私が死んで詫びる」

 エトがタータハクヤを背負って庭に出ると、そこには竜車を整えて主を待っているヒドゥの姿があった。

「リョーンは生きてるの?」

 エトが引き取った死体は確かにリョーンだった。タータハクヤが何らかの手段でリョーンと瓜二つの女を替え玉に使ったとしても、リョーンと誰よりも親しいエトが他人と見違えるはずはない。それに他人の命を奪ってまで彼女が延命したとは考えたくない。

「いいえ、死んでるわ。でも生き返る」

 小さな悲鳴の後、ヒドゥが老人とは思えない疾さで竜車を飛び降りた。エトは自分が親友を落としてしまったことにようやく気付いた。



 竜車は二人乗りで、通常のものより座席が安定するように設計されている。タータハクヤの座る後部座席には体を固定するベルトが取り付けられている。足で体を固定できない彼女のために手先の器用なヒドゥがこさえた物らしい話を、エトはリョーンから聞いたことがある。竜車の外装は紅く塗られていて、雨をしのぐための小さな屋根もついている。

 前座席は操縦席でヒドゥが手綱を取っている。エトは緩やかに進む竜車の横を歩いているが、無理にタータハクヤの横に座ろうとはしない。



 以前、面白半分にタータハクヤの目を盗んで座席に乗り込んだところ、たまたま居合わせたリョーンに激しく叱られた。エトは反論した。竜は車につないでおらず、盗み乗りしたわけではない。親友の竜車に座っただけで叱られるのは心外だと言った。

「お前の体には足がついてるけど、ナラッカの足は体から離れたところにある。自分の知らないところで、誰かがその足で遊んでいたと知ったら、お前ならどう思う」

 リョーンにそう諭されたエトは黙って座席から降りた。後に、この竜車はタータハクヤが幼い頃に生前の父から直接賜った唯一の遺品であることを知った。



 車上から遠くを眺めているタータハクヤに緊張の色が見える。だがそれに悲哀は含まれていない。

「生き返るっていうのは、どういうこと?」

 混乱しつつある頭を整理しつつ、エトが訊いた。タータハクヤは一瞬エトを見た後、再び遠くに目をやった。

「穢れを知らない王族の娘は竜肉を食べても死なない――というのは嘘。たとえ白い犬の王の血筋でも普通に竜肉を食べれば死ぬ」

「当然よ。解毒の秘法がなければ王族でも死ぬわ」

「そう、解毒の秘法を行えば生き残ることができる。でも必ずそうなるわけじゃない。秘法を行っても、運が悪ければ死ぬ」

 驚いたエトはタータハクヤを凝視した。累代の姫が竜肉の儀式に失敗したという話は一度も聞いたことがない。それに失敗する秘法など秘法とよべるものか。

 タータハクヤはエトの驚きを見越したように平然と話を続ける。

「竜肉の儀式が行われてから死んだ姫は一人もいない――というのも嘘。竜肉の儀式が行われたのは六代前のシムシ王の頃からだけど、その子のハクヤ王の頃に姫が一人死んでるの」

「ハクヤ王?」

「お嬢様のご先祖様です」と、口を出したのはヒドゥだった。

「えっ、タータハクヤって王族だったんだ」

「かつてはね。でも王族が王族でいられるのは長くて三代まで。それより下ればただの貴族に成り下がる。嫡孫以外はただの(タータ)でしかないのよ」

 タータハクヤは苦笑した。今の彼女は名目において貴族ですらない。それでも本名のナラッカではなくハクヤ王の王孫を意味するタータハクヤを名乗るところに、エトは彼女の強い意志を見た。

「話を戻そう。愛娘を失ったハクヤ王は怒り狂い、儀式に参加した神官たちを皆殺しにしてしまった。その瞬間に解毒の秘法は失われたの」

「失われた?」

「ええ、でも竜肉の儀式は今も続いている。しかもハクヤ王の姫以来一人の死者も出ていない」

「何で?秘法は失われたんでしょ」

「簡単よ。秘法は復活していない。でも儀式が生きているとなれば――現在の儀式では竜肉を用いていないということ。本当よ。儀式に携わる高位の神官しか知らないことだけど」

「じゃあ、竜肉を食べたお姉は死ぬしかないじゃないか!」

「待って。まだ続きを聞いて。儀式に参加した者は皆殺しにされたけど、一人だけ儀式の内容を知っていながら生き長らえた者がいた。それはハクヤ王本人。自らの娘の命がかかっているのに父王が儀式の詳細を知らないわけがない。秘法が神官の長のみに伝えられるという習慣は、儀式が偽であることが王宮から外に漏れ、王族の権威が失墜することを危惧した次代の王が造り出したものに過ぎない。領主はここまで詳細を知らなかったにしろ、竜肉の儀式が形骸化していることを知っていた。だからこそ、リョーンの申し出を受けたのよ」

 エトは沈黙して話を聞いているうちに、タータハクヤが何をいいたいのかわかってきた。

「話し振りからすると、タータハクヤは解毒の秘法を知ってる」

 タータハクヤの目線がエトに戻った。笑ってはいない。むしろ緊張が増した様でもある。

「その通り。ハクヤ王は王族の権威を守るために姫の死を匿し、同時に何を思い立ったのか嫡男(ちゃくなん)に秘法を伝授した。その後政変があり、ハクヤ王の次代は王の弟が継ぐことになった。その時に嫡男は殺されたけど、ハクヤ王の家系は解毒の秘法とともに途切れることなく、現在に至るまで当主はハクヤ王の王孫(タータハクヤ)を名乗り続けている」

「ハクヤ王は儀式を憎んでいたんでしょ。なぜ秘法を後世に遺したの?」

「大事な秘密がある時は、消してしまうより誰かが持っていたほうが安全だからよ。人は欲しいものが無いと知れば自分で作ろうと思うけど、どこかにあるとわかれば必死で探すものよ」

 エトは顔を伏せた。タータハクヤは先祖伝来守ってきた秘密を打ち明けている。これが何を意味するかわからないほど、彼女は子供ではない。

「まさかあの針がそうなの?」

「あれは仮死状態を作り出すために必要なだけ。解毒の方法は他にある」

「秘法は成功するの?」

「わからない。わかっている事は二つ。成功の可否は血筋で決まるものじゃないこと。解毒に成功しても蘇生に失敗すればリョーンは生き返らないこと。リョーンは私を信じた。だから必ず助ける」

 エトが息を呑むと同時に微風が起こった。空は曇っている。



 丘に着いた。竜草(りゅうそう)の茂る青い丘だ。

 リョーンの墓前では数人の村人が彼女の死を悼んでいた。彼らは領主を怖れて埋葬を見届けることをしなかったが、各々が密かに村を抜け出して丘を訪れた。

「雪のように美しい娘だったが、抜身の(カル)のような危うさがあった。ロセが帰れば泣くだろう」

 彼らはタータハクヤがこの場に現れたことを知ると、敬して身を退けた。タータハクヤは村の幼い子等に字を教えている。彼女の屋敷は村の外れにあるが、村人たちの敬意は領主にではなく零落した貴人に向いている。

 エトが(くわ)を持ってリョーンの埋まっている(だん)の上に立つと、驚いた村人たちは一斉にタータハクヤの方を見た。

「お願いです。何も言わずにエトを手伝って下さい」

 タータハクヤはまだ、彼らに何も話すつもりではない。リョーンを蘇生させようとしていることが領主の耳に入れば、思わぬ邪魔が入らぬとも限らない。

(夜に来るべきだった)

 解毒の秘法とは、死中に活を求める奥義である。その内容は、まず仮死状態をつくって体内の毒を払い、その後に蘇生させるという凄まじいものである。

 上古のクーン人たちは戦争で得た捕虜を処分するために肉刑を用いた。処刑というよりは宗教的な儀式に近く、穢れた野蛮人たちの魂を竜の肉によって浄化するのである。そうしてゆくうちに、稀にだが死した後に息を吹き返す者が出てきた。そういったことを繰り返しながら、やがて竜殺しの毒で竜肉の毒をある程度打ち消せることがわかった。さらに竜を抑える効能を持つ竜草を用いて、服毒者が仮死状態に陥りやすくさせた。

 だが、生きている人間の体内で竜肉の毒に()つことはできない。最終的に彼らは秘術によって仮死状態から毒を体外へと追い払い、その後に蘇生させる方法を発明した。被験者は常にしじまの王の一族と称されるクーン地方の原住民である。故に実際は、解毒の秘法は血筋によって生き残る人間を選ばない。

 タータハクヤは処刑前日にスサをリョーンの下へよこすよう、エトに指示した。同時にスサへ多量の竜草をやるように言いつけ、さらに竜殺しの毒を塗った針を預け、リョーンが仮死状態になるように図った。全てが上手くいけば、リョーンは助かる。実はタータハクヤは解毒の秘法を父から正式に伝授されていない。父は嫡子である兄にそれを教えていたかもしれないが、幼い頃に一家を失ったタータハクヤはわずかに遺された資料をあさるしか秘法を知る術がなかった。それでも先祖が書き記した物があり、多くを知ることができたが、唯一、一度死んだ体をどれくらいの間土に眠らせておくかがわからなかった。

 長すぎれば体は腐り、短すぎれば毒が残り蘇生に失敗する。リョーンが毒にもがいている間も、屋敷に閉じこもり医学書から毒薬の精製書まで引っぱり出して、連夜眠らずに調べ続けた。リョーンの死から二日経ち、ムシンの配下による包囲が解けても彼女は動けずにいたが、エトが凄まじい形相で剣をひっさげて来た時、リョーンが死ねばタータハクヤの血胤で償う覚悟をした。

 タータハクヤは高く盛られた壇のまわりを見た。竜草が生い茂っている。竜草が毒を体から追い出し、土がそれを受け止めてくれる。それを示すかのように、掘り返した赤い土は、リョーンの体に近づくにつれて黒く変色していた。

 彼女は口を固く結んだまま、じっとその光景を見ている。

 土の中からリョーンの顔があらわれた。苦しんで死んだはずの顔は、しかしながら穏やかな表情を浮かべていた。意外と浅いところに埋められていたのは、土の重さでリョーンの体が潰れぬように、埋葬する時ヒドゥに工夫させたのである。竜肉を喰らったせいなのか、リョーンの長い髪は赤黒く染まっていた。まだ毒が残っているのかと懸念したタータハクヤだったが、すぐに打ち払った。余念があっては蘇生を失敗する。



 リョーンの死体を屋敷に持ち帰ったエトは、タータハクヤに頼まれ屋敷の警備についた。

「ここまで来てムシンに邪魔をされたらかなわない。近づいた奴は射殺してやる」

 タータハクヤはヒドゥと二人、部屋にこもった。香を()いているのか、エトは不思議な匂いを嗅いだ。

 部屋の中では湯が炊かれ、寝台には全裸になったリョーンの体がある。

「蘇生したら、飲んだ土をすぐに吐かせなければならない」

 ヒドゥはタータハクヤの指示通りに動いた。タータハクヤは入念にリョーンの体を拭き、薬草を()ると体に塗っていった。

「針を……」

 長細い針を渡されたタータハクヤは、それを慎重にリョーンの鼻柱の付け根へと刺した。その時、屋敷の外から響いてくる音があった。雷鳴である。

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