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第八章『せめて鞍上にて果てよ!』(1)

 王宮の一室。

 床暖房で暖気のとれた快適な部屋で、苦しみに声を荒げていたのは誰ならぬドルレル王であった。

「陛下。お気を確かに……」

 何かを探すように、あるいはうち払うように虚空に突き出した手を、正妃のアヤがやさしく掴んだ。

 ドルレル王が昏倒したのは、タータハクヤがロセによって救出された日の未明である。今までも時々身体を壊すことはあったが、この日のドルレル王は様子が違った。

神龍(リョーン)が、神龍が見える……」

 うわごとでそのように言い、意識が戻ったかと思えば再び昏睡するといった始末で、誰が見ても明らかに重病であった。

「ゲールとはまだ連絡がつかないのですか?」

 もしもの事態が起こりうると、アヤは判断したのだ。だが、昼を過ぎたあたりで容態が落ち着き、王の意識も戻った。

「ご自愛くださいませ。王あってのクーンなりますれば……」

 そう言ったのはアヤではなく、宰相のドルテンだった。齢七十を超えていて、先王の頃から宮廷に仕えてきた古株である。清廉潔白を絵に描いたような人で、どうにかして利権を得ようと、袖の下を通すのに躍起になった頃のキュローに何度も苦い思いをさせた人物である。

 ここ数日、王がアヤを召すことが多かったので、あまり無理をするなとドルテンは忠告したのだ。ドルレル王に対してこうした口をきけるのは、彼が若年の頃のドルレル王の近侍を務めていたからだ。

「そう何度も言わずとも、わかっておるわ。ところであれの様子はどうだ?」

「西区でカエーナ派とエリリス派が激突しました。少し予定より早いですが、いよいよもって大詰めかと……」

「ふむ、西方の警備にぬかりないだろうな?」

「既にイルファが任についております。こちらが崩れることはまず無いでしょう」

「では仕上げか……」

 長い髭を撫でつつ、ドルレル王はアヤの方を見た。

「そういえば、このところアシュナが顔を見せぬな」

「はい、最近はソプル殿との仲が良好なようで、来年には良い知らせがあるかも知れませんね」

 アヤが微笑むと、ドルレル王も顔を緩めた。

「ふむ、そうか。いや、よい。呼びにやった者にはここへ来るには及ばぬと伝えよ。万事ぬかりなければ、余はもう一眠りするとしよう」

 退室後、アヤとドルテンは顔を合わせると、小さくため息をついた。



 シェラのタータハクヤ救出作戦によって、カエーナ剣士団とクーン剣士団の戦端は切って開かれた。

 先手を取ったのはカエーナである。彼はシェラを撃破すると、各地の視察に出ていたロマヌゥを呼び戻し、自軍を再編成した。

「兵卒の掌握は必要なことだが、全ての兵を完全に機能させようと思うな。軍団の中心たる者達を分散させてしまっては意味がない」

 そういって、ロマヌゥが各部隊に均等に配置していた元クーン剣士団の面々を一箇所にまとめた。カエーナは、思想や利権だけで集められた連中が戦時にもなればものの役にも立たないことを理解していた。ゴロツキ連中や数少ないロマヌゥの信徒達に、数で勝るクーン剣士団の目を眩ませる以上の働きを期待するのは不可能だと踏んだのだ。烏合の衆をまとめるには、どうしても中心が要る。カエーナ剣士団においてロマヌゥの地盤がゆるかったのは彼の容姿や力量にもよるが、この中心を強化することを怠ったため、というのがカエーナの考えであった。

「捕えた二人は?」

「アヴァーに預けた。何やら調べたいことがあるそうだ」

 最上級神官とアシュナ王女の二人が、既に自分達の手元にないと知った時、カエーナは怒気もあらわにロマヌゥを叱りつけた。

「馬鹿者が!反乱に踏み切った以上、我らにはそれに見合った正義が要る。お前の思想が王都に浸透しなかった以上、あの二人を掌握している者が体勢を決するのだ。まさかアヴァーは最後まで裏切らないと思っているのではないだろうな?」

 雷鳴のようなカエーナの怒声に、ロマヌゥは驚き身を(すく)めた。だが、カエーナはそれ以上彼を問い詰めなかった。もとはといえば、カエーナがカエーナ剣士団を長い間放置したことが原因だろう。

「市街戦に竜は必要ない。百人隊以外には騎竜を許すな。竹槍を持っている連中には弓を持たせろ。敵は一列になって突っ込んでくる。十分に引き寄せてから側面から射掛けてやれ」

 緒戦に勝利するためにカエーナが選んだ戦術は「待ち」であった。少なくともロマヌゥにはそう聞こえた。百人隊という呼称は、元クーン剣士団員で構成された部隊を便宜的に呼んだものだ。

「勢いに乗じて本部を叩くべきでは?」

 カエーナの消極を訝ったロマヌゥが問う。

「戦術の基本は敵軍の分散と自軍の集中だ。わずか百人で二千の兵に突撃するのは無謀に過ぎるぞ」

 実際のクーン剣士団の兵力は千五百ほどだが、カエーナは楽観を好まなかった。

(一度ひきつけて、本部を叩くのか。後顧の憂い無ければそれも可能だろうが……)

 あれこれ考えたが、結局のところロマヌゥは彼に従うしかないのだ。

 ロマヌゥが頷くのを見ると、カエーナは言った。

「先陣は恐らくテーベだ。まさかチャムということはあるまい。奴の戦法はよく知っている」

「カエーナ。油断は禁物だ。テーベだって裏を掻こうとするはずだ」

 テーベを軽く見るようなカエーナの発言に引っかかりを覚えたロマヌゥが言うと、カエーナの狼のような目が光った。

「だから、俺達は待つのだ」

 そう言うと、カエーナは整列を終えた自分の部隊の方を見た。西区の入り組んだ小道にびっしりと並び立った彼らは、全員が元クーン剣士団の戦士達である。そして竜皮に身を固めた彼らの後ろに、ほとんど統一性の無い衣装に武器を持った男達がいる。カエーナは西区の一角に全兵力を集中させたのだ。ゲリラ戦法が有効な市街戦において、増してや道の狭い西区に戦力を結集するのは愚の骨頂にも見えるが、それでもクーン剣士団に確固撃破されるのが目に見えている以上、カエーナにはこれしかなかった。

 カエーナは、急でこしらえた粗末な壇の上に立った。傍らにはロマヌゥが並び立っている。

 普段からして口数の少ないカエーナは、こういう時の演説も不得意である。故に壇上で彼が口にした言葉は簡潔で、戦士たちを鼓舞するに相応しいものではなかった。だが、彼らの内の誰もが欲していた言葉を、カエーナは知っていた。

「我らの誇りを掠め取った者達がいる。奴らからそれを奪い返し、皆に分配しよう。明日から我らはクーンの守護者となる」

 カエーナの言う誇りとは何なのか、実のところ誰にも分からなかった。ある者は南区の人間に奪われた職のことだと思ったし、ロマヌゥに感化された者はそれを人権に準じた何かであると感じ取ったかもしれない。皆を纏める思想が統一されていない上に、アシュナ王女が手元にいない今となっては、下手なことを口にしてもボロが出るだけだ。

 続いてカエーナは全員に住民への略奪を禁じた。ロマヌゥの頃から軍令化されていたものだが、中にはカエーナ剣士団の肩書きを利用して窃盗まがいの行為を行った者もいた。

 カエーナは彼らの内で最も悪質と思われる一人を壇の前に引きずり出し、処刑した。



 剣士団の人間からタータハクヤ生還の報を受けたリョーンは、彼女の保護された剣士団本部へと急いだ。

 門前の小僧が会釈も終えない間に門を潜り、庭を抜けた先の堂内へと進み入ったリョーンは、彼女が治療を受けているという一室に向かった。戸を開いた先に、左頬を赤黒く腫らしたタータハクヤの顔を見たリョーンは絶句した。

「ナラッカ!」

 彼女を介抱していたエトが驚いたのは、リョーンの顔つきが既に親友の無事を喜ぶものではなく、張り裂けんほどの怒気に包まれていたからだ。だが、それもタータハクヤの一言でかききえた。

「御免なさい、リョーン。わたしは大丈夫なのよ。でもシェラが……」

「シェラ……そうだ。シェラだ。あいつ私の前で大袈裟なことを言ったわりに、ナラッカにこんな怪我をさせるなんて――!」

 そういって、リョーンはシェラの姿を探した。だが、あたりには見えない。

「リョーン、違うわ。あの方は本当に……危ないところを救ってくれたのよ。私を逃がすために、カエーナと戦ったの。百人はいたはずなのに、恐れもせず……」

 事態がよく飲み込めないリョーンに、エトが口を開いた。

「ここに運び込まれた時のシェラを見ていたら、お姉もそんなこといえないよ……」

 タータハクヤに続いて保護されたシェラは瀕死であった。五体は十数本の矢で貫かれ、四肢や胸に幾つかの刀傷があったことから、彼が蜂の巣にされた後も戦い続けたことがわかる。剣士団本部に運び込まれた頃は、誰もがこの南人剣士の最期かと思った。

 時を同じくしてキュローから南人の医人が派遣されてきた。純粋なクーン人なら南方のいかがわしい医術に己の命を預けることなどしないだろうが、南人のことは南人に任せるといった風で、シェラの命は彼に預けられた。リョーンが駆けつけた時点ではまだ、手術は行われていた。

「カエーナが……」

 シェラを瀕死に追い込んだのはカエーナだと知った時のリョーンの顔を、なんと表現すれば良いのだろう。静かに、しかし明らかに激怒している表情は、どこか笑みを浮かべているようでもある。

「お姉?」

 何やら怪しげな雰囲気さえ漂うリョーンに、エトは声をかけたが、彼女には聞こえないようだった。エトの後ろにいたタータハクヤは、ただじっとリョーンを見つめていた。



 エリリスの一声でクーン剣士団本部に集まった兵の数は調度一旅(五百人)である。他は各地の警備についていて、カエーナがひねり出せる数も同程度だろうという観測が優勢であった。

 直前になってカエーナが兵を一箇所に集中しているという報が入ったが、ロマヌゥによる編成を知っているエリリス陣営は敵を烏合の衆と断じた。実際にその通りなのだ。テーベが引き連れてゆく兵の数に変更は無かった。

「エトも行くよ。この矢でカエーナの胸を貫いてやる!」

 猛々しい口調とは裏腹に、エトは落ち着いた顔をしている。言い終えた後に長く後ろで纏めた黒髪が、わずかに揺れただけだった。

 彼女の台詞を聞いたロセは黙っていたが、隣で自分が行くと言い出しそうなリョーンを見ていたエリリスはため息をついた。

 ロセは何も言わない。彼のこの沈黙は是非どちらとも取れる。彼が黙っていると、大抵の人は意見を引っ込めてしまうのだが。

 黙っているロセの代わりにエリリスが答えた。傍には何かの報告に来た部下を待たせており、本来ならばエトと雑談する暇などない。

「良いだろう。だが、テーベの傍を離れることは許さん。ロセの娘は師との誓いを守るように…」

 リョーンは横でエトが静かに頷くのを見ても、特に不愉快な気持ちにはならなかった。はっきり言って、クーン剣士団の内紛には何の興味も無い。



「初陣だな、小娘。そんなもので弓が引けるのか?」

 剣士団本部の門前にて五百人の戦士たちが整列する中、竜皮の胸当てをつけるのに手間取るエトを、テーベはからかった。

「小娘じゃない。エトです」

「そうか。だが、よく聞けよ。団長は俺に餓鬼の面倒を押し付けたが、残念ながら俺にその気は無い。死にたくなければ後方にいて、雀でも狩っていろ」

 そう言ってテーベは騎乗した。背には大きな弓を背負っている。

「弓をするのですか?」

 そういいながら、エトはテーベが弓の達人と呼ばれていたことを思い出した。テーベはエトのほうを見ずに答えた。眼帯をしているからそう思えるだけかも知れない。

「ここでロセに教えを受けた連中は大抵あらゆる武器をこなせる。見た目に惑わされると真っ先に死ぬぞ、小娘」

「エトです!」

 彼女が怒気を強めて言うと、長い髪が凛と張ったようである。

「ではエト。あそこに射てみよ」

 そういうと、テーベは剣士団本部の通りの角に立つ木彫りの彫像を指差した。クーン剣士団にあやかる商店が出しているもので、戦士をかたどっているが、少々安っぽい。当然ながら、店は閉まっている。

 木像までの距離は少し離れているが、エトならば当てるのは容易い。

(ふん――)

 自分が試されていることで不愉快になったエトだが、無言で矢を番え、放った。

 ひゅ――と微かな音の後に、矢は木像の眉間に的中した。

「ほう、中々やるな――と言いたいところだが」

 テーベはそう言って弓を手に取ると、予備動作もなくいきなり射た。矢は眉間に刺さったエトの矢ごと、木像を砕いた。

「当てるだけなら誰にでも出来る」

 エトが歯噛みするのを嘲笑うかのように、テーベは竜首を巡らせ、隊の先頭に立った。

「聞け、誇り高きクーンの戦士達よ」

 声のよく通る深い冬空はまだ健在である。テーベは天を突きぬくような声で言った。

「我らクーン剣士団は初代ラームが王都防衛に巧を成し、二代エリリスがそれを継いだ。然るに今、王都を荒らす賊が、他ならぬ剣士団の名を名乗っている。賊らは剣翁の娘リョーン嬢を蹂躙し、同志シェラに瀕死の重傷を負わせた。諸君は如何にして、この汚名を晴らすべきか」


――聖火(ソプル)を灯せ!


 どこからともなく、声が上がった。それは次第に波となり、辺り一体を包んだ。

 隊の先頭が走り出した。他もそれに続く。

「えっ、何これ。もう行っちゃっていいの?」

 演説の途中で勢いに任せたように走り出した彼らを見てエトは戸惑った。彼女は図らずして、テーベの言った通りに最後尾での出陣となった。

「仲良くしようや。嬢ちゃん――」

 笑顔でそう話しかけてきたのは片目の潰れた四十代くらいの中年の男である。他を見ても若々しい連中はいない。タータハクヤを死ぬほど辛い目にあわせた連中に復讐しに行くというのに、エトは補欠部隊に紛れ込んでしまった自分を呪いたくなった。

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