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第七章『シェラドレイウス』(4)

 これまで不自然なほどに沈黙を守っていたカエーナが、ロマヌゥの元に戻ったのは確かに意外ではあったが予測できない事態ではなかった。

 タータハクヤ救出はクーン剣士団上層部で決定した機密事項である。それが、カエーナはまるでシェラの行動を予測した上で、あらかじめ脱出経路を塞いだかのように完璧な布陣を見せている。

 クーン剣士団の内紛が、実はドルレル王と西侯アクスの政争であることを白竜一家は早くから掴んでいた。だが、当主のキュローは圧倒的に有利であるはずのドルレル王に恩を売ることを選ばなかった。だからといって、クーン剣士団にシェラを残している以上、西侯に味方したわけでもない。

 最初、シェラは自分が試金石なのだと思った。両者の闘争にシェラという石を投げ込むことにより、一家の取るべき道を占おうというのだ。

 だが、この度のタータハクヤ救出に向かうに当たって、シェラは自分の本当の役割についてひとつの仮説を立てた。


――お前は一人で行き、死ね。


 キュローの命令を曲解すればこうなる。シェラに王女奪還を禁じたのは西侯の反乱が成功した場合を考えてのことであり、タータハクヤ救出を許可したのは言うまでもなく、クーン剣士団に恩を売るためである。だが、全てが終わり、ドルレル王陣営が勝ったとすれば、王女を黙殺した事実が明らかになってしまう。故に、シェラはこの任務を成功させてはいけない。

(まさかな……)

 シェラの脳裏をかすめたのは、カエーナにこちら側の情報を流したのは誰ならぬキュローではないかという疑問だ。兄ならばありえるとシェラに思わせるところに、キュローという一見穏やかな男の凄みがある。シェラはドラクワの家門名を名乗る優秀な戦士だが、元はドラクワ家付きの奴隷とも言うべき身分であり、捨て駒に使われたとしても不思議ではない。

 迷いを振り切るように、シェラは周囲を見回した。

「たった一人に、随分と大袈裟だな……」

 ロマヌゥならばまだしも、ロセやチャムに次ぐ剣豪であるカエーナが大勢の部下を従えてたった二人を包囲している光景は、いささか滑稽でもある。

 静かに眼を閉じたシェラは、自分が今何を考えているのか知りたくなった。

 (まぶた)の裏に、蒼い空が見えた。そして紺碧の海原に一隻の小舟が浮かんでいる。その上で一人、黒衣に身を包んだ自分が佇む。

(どこへ行くのだろう)

 幼い頃から徹底的な戦闘訓練を施されたシェラは、キュローによって単独の任務につかされることが多かった。内部の人間にも明かせぬような、暗い仕事である。だから、どこへ行くにも一人だった。

 時には死にかけたこともある。

 海の上で死ぬのに比べたら、陸地での死はどれだけ安らかなことか。


――海が恋しいのか?


 突然、脳裏に響く声。それは自身のものではなく、だが確かに聞き覚えのある女の声だった。

 懐かしみと、言葉では表せぬ感情を覚えながら、シェラは彼女の顔を思い浮かべた。だが、思い浮かんだのは他の顔だった。雪のように透き通った肌に、目が醒めるような赤い髪。


――簡単だ、シェラ。多分、その中でお前が一番(つよ)い。


 突然、脳裏にしゃしゃりでてきたリョーンに、シェラは苦笑したくなったが、それでも幾分かは気分が晴れたような気がした。

 ふっ――と、シェラは小さく笑うと、突然に竜を走らせた。これより一年に及ぶクーン内乱の、これが事実上の幕開けである。



 カエーナにシェラの動向を知らせたのは他ならぬアヴァーであった。恐らく、ロマヌゥではシェラに対処できないと踏んだのだろう。白竜一家がクーン剣士団の内紛に干渉してきたことを知ったカエーナは、これまで守ってきた沈黙を捨て、参戦を決意した。

「この世には、殺しても飽き足りぬ奴がいる」

 いつの頃だったか、カエーナが南のダイス王国へと赴いたときである。

 クーン剣士団の財源は各方面からの基金と、エリリスの名義で経営する全国規模での商店の利益からなる。時には辺境から盗賊討伐などの傭兵じみた依頼を請け負うこともあり、カエーナが南方を訪れたのもそのような理由あってのことだった。

 南方では全盛期にあるナバラ王国の領土獲得が盛んで、南に行けば行くほど戦国の様相をみせている。夥しい数の戦争捕虜が奴隷市場に売られる光景は、南方では日常ともいえた。

 負けることは死ぬことと同義と、戦士的思考を持つカエーナは、彼らに同情はしない。ただ、当時のクーン剣士団副団長が奴隷商人らしき男と、なにやら親密に話し合っているのを目撃した時には心穏やかでなかった。更に、売られているのはどう見ても南方の人種ではなく、クーン系の女子供である。カエーナが異臭を嗅いだ様な気分になったのは当然だろう。

 剣士団内部において、南人との貿易が禁忌に触れるわけではない。現にエリリスは白竜一家のキュローと交誼があるし、クーン剣士団内部にもシェラやロマヌゥのような南人系の人種が台頭しつつある。

 しかし、エリリスの許可なしに同胞を売り払って利益を得ることは、剣士団の経営権は全て団長に帰属するというクーン剣士団の基本骨格を外れた、死に値する行為であった。クーンでは人の数がそのまま国力を意味する。クーン国内で奴隷商売をする分には問題ないが、外国に出してはいけないのだ。皮肉なことに、クーン種の奴隷は暗記力や学能に優れたものが多く、秘書奴隷などを南国に出せば十倍以上の値で売れることもある。故に闇交易が後を絶たない。カエーナは副団長がこれに類すると判断したのだ。

 クーン人の典型とも言えるカエーナは、どちらかというと直情的だが、この時ばかりは慎重さを見せた。自分の直属の部下である数人を用いて、副団長を影から調査した。

 だが、南人との癒着の決定的な証拠は見つからなかった。第一、クーン王国自体がすでに南人との交易を国家事業として行っている以上、いくらでも隠しようがある。

 そうこうしているうちに、カエーナ側の動向が副団長に気取られた。

 彼は練習試合でカエーナを指名した。恐らく斬り殺すつもりだったのだろう。その証拠に使い走りの童子から受け取った水筒に毒が混入していたのだ。毒を盛られたのは、実はカエーナの方だった。

 試合が始まると共に意識が朦朧(もうろう)としてきたカエーナだったが、気が付けば自慢の大剣で副団長の頭を叩き割っていた。殺意が無かったといえば嘘になる。相手が自分を殺しに来るのなら、相応の報いを用意するのは当然だろう。

 カエーナ側にとっては、副団長の汚職疑惑はもはや闇に葬られたも同然であった。慎重にことを運ぶためにエリリスにも黙っていたから、この事実はカエーナの近くにいる者の胸にしまわれた。

 だが、一年が経った頃、カエーナの副団長毒殺疑惑が浮上した。さらには母の遺言である。近しい者からすれば明らかに偽造と分かるそれは、しかし世間の目を騙すには十分であった。


――まだ、終わっていない。


 副団長の汚職を調査していた頃、南国で耳にたこが出来るほどに聞かされた言葉が、カエーナの脳裏をよぎった。

「ペイルローン」

 大陸の各地に独自の商業網を敷く、流浪の民族。剣士団の目の届かぬところで、副団長が奴隷商売の相手に選んでいたのは、実は彼らだった。カエーナを失脚させるという行動に出た以上、未だに剣士団上層部と南人の商人との癒着は続いていると思ってよいだろう。

 カエーナは、ペイルローン一族こそ自分の人生最大の敵であると、強烈に意識し始めた。

 彼はクーン剣士団を捨て、彼に付き従うものに祭り上げられ、「カエーナ剣士団」を名乗った。アヴァーを名のる者が、彼に接触したのもこの時期である。

 カエーナは自分の起こした行動が誰かに利用されていることを知っていたが、それが誰なのかまでは分からなかった。カエーナのことであるから、それがクーンの武神ともいうべき西侯であると知れば、もしかすると彼に寝返ったかもしれない。いや、西侯と戦うことを選んだ方が、カエーナらしいというべきか。

 カエーナは動けなかった。動きたくとも、刃をふるう相手が見えないのだ。母の死を汚し、自身を陥れ、剣士の誇りに傷をつけた者を粛清するためにも、軽率な行動でクーン剣士団と激突することは出来なかった。

 そしてカエーナはリョーンと戦う。

 この剣技こそは美しいが、それゆえに弱い――とカエーナが断じる剣士は、戦闘の途中で豹変する。


――神龍(リョーン)


 カエーナの瞳に映ったのは、死と破壊を司るという黄金の天使である。この女は自らに死をもたらしに来たのだと、カエーナは直感した。信仰ではない。戦士には時として全ての理論的思考を無視して、直感だけで行動せねばならない時がある。リョーンを叩き伏せた後に感じたものも、それに似ていた。

 次いで、チャムの復帰、タータハクヤ、アシュナ王女、最上級神官の誘拐と、ロマヌゥによって続々と報がもたらされた。

「頼む。援けてくれ、カエーナ。あなたがいなければ駄目なんだ!」

 ロマヌゥにそう泣きつかれた時も、心動かぬわけではなかったが、自らの死を予感している以上、慎重にならざるを得なかった。クーン剣士団と激突すれば、南人に通じている人間を討つことは出来る。だが、それではペイルローン一族によるクーン王国への侵食を止めることは出来ない。いずれはクーン経済を掌握した彼らによって王国が乗っ取られるだろう。この点、ペイルローン一族に対するカエーナの思考は、ドルレル王に似ている。

 カエーナが黙っているためにロマヌゥ達は気付かないが、彼の思想はアヴァーの提唱する平等なる国家の対極にあったのだ。

 アヴァーという人物を、カエーナは全く信用していなかったが、それでもクーン剣士団の内紛に白竜一家が介入してきた事実は捨て置かなかった。彼はこれを白竜一家を粛清する絶好の好機として捉えた。これはエリリスとキュローに対して二面戦争を行うことと同義であった。とはいえ、キュローの持つ私兵の数は百に満たないのだが。

(クーンの戦士として、これが俺の最後の戦いだ)

 もともと寡黙な男は、いざ戦いともなればそれが顕著になる。諧謔にも似た言葉の応酬を経て、カエーナは配下の者達に手で合図をした。夜光に照らされた人の群れが、騎乗のシェラを幾重にも囲んだ。



 剣士の誇りとは、常に戦いの中に身を置ける精神である。圧倒的な兵力差があっても、カエーナはシェラと一騎討ちに臨むようなことはしない。現状あるものこそが全て――それが、厳しい戦を乗り越えてきた戦士達が世代を継いで出してきた答えである。カエーナにとっては、対等とか、全力を尽くすといったものは、練習試合しか知らぬ、(ひよこ)のような青臭い剣士に相応しい言葉である。

 包囲が薄いとみた一点に向かって竜を突撃させたシェラだったが、やはり脱出は叶わなかった。四方から怒涛のように押し寄せる攻撃を受けきるのに精一杯で、さらには眼下で竜の首にしがみついているタータハクヤも守らねばならない。たった一度の跳躍で竜の足が止まるのも無理はなかった。


――囲め。囲め。一人ずつ戦うな。皆で囲め!


 悠然と構えるカエーナの近くにいる戦士が大声で指示を出す。よく見るとクーン剣士団で見たことのある男だ。他にも見覚えのある顔がある。ただ、シェラにとって唯一の救いは彼らの武装が充実していないことだった。剣を手にしているのはカエーナを取り巻く連中を含んでも二十人そこらで、他は木の棒や竹槍を手に取っていた。だが、それでも百人近くはいる人の群れをたった一人で切り抜けるのは尋常とはいえない。

 それに「囲め」という指示は、カエーナの目的が二人の殺害ではなく捕獲であることを意味していた。生け捕るのはタータハクヤ一人で良いらしく、シェラに押し寄せる者は手加減など微塵も感じさせなかった。前後状況から考えるに、カエーナがタータハクヤを生かしておく理由が分からない。そんな思索も、自分に押し寄せる人数が増えるに連れてかき消えた。

「相変わらず手加減という言葉を知らんな。カエーナは――!」

 シェラが身体を捻ると、左手から押し寄せる数人の首が飛んだ。今度は闇の中にありながら、タータハクヤは細い糸のようなものが空中に煌くのを確かに眼で捉えた。彼女はシェラの持つ短刀の名が玄糸刀であることを知っている。

(リョーンに抜かせないわけだ……)

 扱いが難しいとか、小技に溺れるとか、そういう意味ではない。これは紛れもなく暗殺剣である。そんなものでリョーンの鮮やかな剣技を汚すことは、悪魔でもなければ出来ない。

 混乱の最中、タータハクヤの目に人が一人通れるかどうかという狭い小道が見えた。下水が流れ込んでいて物凄い異臭がするが、あの場所へ逃げ込めば少なくとも四方から斬りかかられることはないだろう。

 タータハクヤはそれを伝えようと、シェラの顔を見た。だが、シェラはタータハクヤに言われるまでもなく小道を意識しているようだった。戦場で戦士に口出しする愚行に、タータハクヤは直前で気付いたのだ。寸断なく四方から繰り出される攻撃を受けきるだけでも超人というべきなのに、タータハクヤがにわかに閃いたことを伝えるだけで、シェラにとって死ぬに十分な隙が生まれかねない。


――竜を殺せ。足を止めるんだ。


 クーン人は竜を大事に扱う――という言葉が虚しく響くほどに、シェラの駆る竜は剣で刺し殺された。竜を犠牲にタータハクヤを抱えて飛び降りたシェラは、汚水の溜まった小さな小道に足をつけた。少し奥に、汚水が下水道へと流れてゆくのが見える。冬で、何もかも凍りついた世界であるというのに、ここは人が多く住むせいか下水が長々と流れていて、鼻を裂くような悪臭がする。白く吐いた息がこの臭いに汚されたと思うと、何やら哀れな感さえする。

 シェラにはまだ、この程度の思考を行う余裕があったが、しがみついていた腕によって自身が汚水の溜まりに投げ込まれたタータハクヤは、今自分が夢をみているのかと疑った。

 糞尿にも似た臭いを放つ液体が鼻頭を濡らした。それを拭く袖も同じようなもので汚れている。強烈な吐き気を覚えながら、タータハクヤは目の前に立つシェラの背を見た。

「姫さん。どうやら今日は君の日だ……」

 タータハクヤにはシェラが何を言っているのか分からなかったが、どうやら自分が生き残ると予言されたようだ。

「……厄日だけどな」

 そう言って、シェラは小さく舌を出すと、この場から逃げるように(あご)で指し示した。

(ここを、一人で――)

 どこへ続くとも知れない暗黒の下水道である。生き残るためとはいえ、糞尿の河に自らの身を投げろとシェラは言うのだ。

(シェラ、貴方は……)

 そう言おうとしても、口が上手く動かない。シェラの背が、彼一人を隔てた向こうが、もはや自分の踏み込んで良い世界ではないことを、告げているのだ。


――これは、男の物語よ。


 旅の詩人が戦記譚を謳い上げるような気軽さで、彼の背は言うのだ。それを見つめていると、タータハクヤは酸っぱい何かが目頭の奥の方から溢れ出るのを感じた。

「私が剣士だったら……私がリョーンだったら……」

 リョーンがここにいたらどうするだろうか。彼女のことだから、迷わずにシェラと共に戦うことを選んだだろう。だが、シェラはこの場にリョーンがいても、彼女を下水に突き落としたに違いない。近しいとか近しくないとか、そのようなことは問題ではなく、シェラと(くつわ)と並べて戦うということがこの世の誰にも不可能であるような――そんな確信めいたものを感じながら、タータハクヤは闇の河へと飛び込んだ。河の底は浅く、全身がつかるほどではない。

 何故、彼らは自ら死地へと赴くのだろうか。剣士団に反旗を翻すことも、民草を煽動することも、数十の兵が詰めた屋敷に単独で潜入することも、死を覚悟していなければ出来ない芸当である。それに、シェラもまた剣刃でできた森へと身を投げるにあたって、あの余裕は何であろう。

 彼らは戦士である――という以上の答えは、タータハクヤは出せなかった。

(皆、もう死んでいる。死んでいるから、命を投げ出せるのよ。最初から死んでいるから、きっと本当に死んでも魂が気付かないのだわ……)

 彼らは生に執着がないように思えた。人間らしい感情に溢れたロマヌゥやシェラも、それは表面上のことで、皆自分がどう死ぬか以外に興味がないように見える。戦士というよりは、壮士と呼ぶべきかもしれない。

 そこまで考えたところで、タータハクヤは自分を笑いたくなった。つい先ほどまで、自分もまた自らの命を投げ出し、闘争の中に身を置いていたではないか。


――弓だ。弓を持ってこい!


 誰かの怒声と共に、タータハクヤは不愉快な液体が弾ける音を聞いた。

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