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第七章『シェラドレイウス』(3)

 集団の質は、それをまとめ上げる者の器量と、集団内での規律がどこまで徹底されるかで決まる。

 器量という点ではアドァや剣士団の連中に赤点をつけられたロマヌゥだったが、規律の徹底に関しても、やはり素人であった。ただ、ロマヌゥの賢いところは、自分に威がないことを良く分かっている彼は、カエーナに付き従った元クーン剣士団の者達を優遇し、彼らに指揮を任せたことだった。ロマヌゥは自分の思想に賛同するかどうかで人を選ばず、純粋に指揮能力の高い者を選抜し、五十から百人単位の小集団の長とした。この中には繁華街のゴロツキ出身の者もいたが、ロマヌゥは彼らがカエーナ剣士団を牛耳れないように、一定の周期で百人長を入れ替えるなど、彼らの力を一箇所に集めないことを忘れなかった。彼の辛い生い立ちがあるにしろ、都会っ子にもこの程度の気質があるのが、戦士の国クーンなのだ。

 人事には神経質だったロマヌゥも、反乱決行のために西区の各所に精鋭を配している以上、おまけとも言えるタータハクヤの監視に大事な兵を割くわけにはいかない。

 それでも見張りの暴走を知ったロマヌゥは怒りをあらわにし、こう言った。

「(ゴモラ地方の)蛮族どもはクーンの女のことを『穴』と呼ぶ。山岳付近の村を荒らし、クーンの軍団に捕えられた蛮族が、頭に(くい)を打たれて城壁に(さら)される意味を、お前達は知っているのか?」

 ロマヌゥは矮躯(わいく)が跳ねるほどに、三人いた見張りを五度鞭打ち、交替させた。全力で十度鞭打てば人は死ぬというから、半殺しといったところだろう。

 ザイ、アシュナの二人と離れ離れになった夜、肌が凍りつくような寒さの中で、タータハクヤは部屋の隅で(うずくま)ったまま、一睡もせずに夜を明かした。春も近く、屋内で凍死することは無いだろうが、必要以上に鋭敏なった感覚が、タータハクヤに死を予感させた。

 ロマヌゥは規律違反を犯した見張りを罰することまではしても、タータハクヤに温情を与えることはしなかった。



 誘拐から三日目。ロマヌゥは屋敷を留守にしたようだ。タータハクヤは屋敷全体を覆っていた張り詰めた空気が、何となく薄まるのを感じた。

(なめられないために、必死だ……)

 ただでさえ甘い少女のような顔をしたロマヌゥだ。あの細い腕では剣もろくにふるえないだろう。そんな彼が千人からなる男の集団を掌握するためには、規律を徹底させること以外に道はない。ただ、それに努める必死な姿が、逆に彼の威厳を(おとし)めているのは否めない。規律を守ることに努める素振りも見せず、その状態を当然として振舞うのが長の威厳というものだろう。

 微かにだが、屋敷の連中にロマヌゥを侮る空気があるのをタータハクヤは感じ取った。そして嘆くべきことに、彼女は彼らの矛先が自分に向いてくるであろうことを強烈に予感した。

(天空より降りたる神龍(リョーン)よ。その名尊き、白い犬の王よ。かそけき犬らの魂を導きたまえ――)

 夜半、最上級神官ソプルとアシュナ王女の無事を神に祈り続けていたタータハクヤは、ついに自分のために神に祈った。

(どうか――躊躇(ためら)わずに死ねますように……どうか躊躇いませんように……)

 両手の指を組み、人差し指だけを丸めて白い犬の王を形作り、聖なる名を冠した神の使いの名を呼ぶ。


――四つにわかれし神の炎に願い奉らん……

――東す灯(ソプル)……

――西臥す黄金(アイシン)……

――北鎖す白天(ホヌ)……

――南座す黒樹(ヤミツサハリ)……


 (ひがし)(あかり)は神の怒りの権化(ごんげ)であり、西臥(にしふ)す黄金は破壊の、北鎖(きたとざ)す白天は試練の、南座(みなみざ)す黒樹は慈愛の権化である。

 祈りの最中、戸の向こうでこそこそと話しまわる声が聞こえた。


――なぁ、やっちまおうぜ。女郎(めろう)がもどらねえ内に。何、心配いらんさ。貴族の嬢ちゃんは気位が高いから、勝手におっ死んだことにすればいいのさ。あんな餓鬼に鞭打たれてまで我慢する必要はねえだろ。


 静かな声は、次第に自らを隠すことを忘れたようだ。落ち着きの無い足取りで、何人かの男が集まってくるのを感じる。

 タータハクヤは天使の名を呼び、自らを救いたもうように祈りかけたが、背筋に怖気が走ると共に、脳裏に浮かべた神の御姿がかき消えてゆく。

 やがて、神の御姿が見えなくなったとき、自らの視界が煌々(こうこう)とした光で満たされるのを感じた。そしてその中に、閃光のように浮かんだ姿があった。

 輝くような白い官衣。後ろで長く結われた淡い茶色の髪。背は決して高くはないものの、その眼光は(つよ)く覇気があり、顔も若々しい。物心もつかない頃に一家を失ったタータハクヤが憶えているはずもないが、それは確かに自分の思い描く父の姿だった。

(お父様――)

 父はまっすぐに何かを見ている。その先を見やると黄金に輝く宮殿があった。望南戦争によって焼け落ちる前までは、天まで届くといわれていたクーン王宮である。

(お父様……申し訳ありませぬ。ナラッカはもう――)

 光の中で、父はタータハクヤの方を振り返った。若々しかったはずの顔は次第に皺枯(しわが)れ、険しい表情をした白髪の老人へと変った。

(ロセ……)

 本当に辛い時、どういうわけかロセは必ず傍にいた。だから彼の顔を思い浮かべると、タータハクヤは勇気が沸いて来るのだ。

 ロセの幻はタータハクヤを守るように立ち、言い放った。


――去ね。愚かものども! 八代タータハクヤを侮辱する者は、頭に杭を打ち、目玉をくり抜き、頭の皮を剥ぎ落とし、城門に括り付けるぞ。



 ふと、我に返ったタータハクヤは目が眩むような光が見張りの持つ松明であることに気付いた。暗闇と静寂に閉ざされた世界を蹂躙(じゅうりん)するために彼らはやってきた。

 殺気にも似た熱い気を放ちながら、五人の男達が足音を立てて入ってきた。

「ばぁ――あ!ははは……」

 (たか)ぶった先頭の男が放った声で、タータハクヤはしゃっくりにも似た声を出して止まった。

「ひゃっ!」

 瞬く間に、(わら)を編んだ縄で猿轡(さるぐつわ)を噛まされた。唇が切れるほどに強く縛られたが、抵抗しようにも、引きちぎれんばかりの力で両腕をつかまれては、彼女に残された術は震えと溢れ出る涙を堪えることだけだった。だが、それもすぐに尽きることを知ってしまうのは、どれほどの絶望であろうか。

 男達は皆、粗衣を着ていて、冬に溜め込んだのか顔が垢黒い。一人、一人と増えるにつれ、酸っぱい匂いが部屋を満たすようだった。埃っぽい汚い部屋だが、それでも彼らが立ち入る前は神殿のような神聖さを持っていたようにも思えた。

 彼女の儚い抵抗を嘲笑いながら、男どもは紫の衣を剥ぎ取った。内衣をはだけようとしたところで、タータハクヤは全身を動かし激しく抵抗した。こんなことで男達が怯むわけでもないことは、誰よりも彼女自身が分かっている。だからといって、女の誇りにかけても抵抗せずにはいられない。

 男の一人が、タータハクヤの頬を(はた)いた。彼女が涙が弾け飛ぶような勢いで()めつけると、癇に障ったらしく、男は近くに落ちていた細い角材を拾い上げた。

「おい、尼ぁ。こんど抵抗しやがったらこれを捻じ込んでやる!」

 そう言ってから、男はあらわになったタータハクヤの(もも)に尖った角材の端を押し付けた。文字通り刺す様な痛みに気を失いそうになったタータハクヤは、辛うじて意識を保ったものの、もはや溢れ出る涙と震えを押し殺すことは出来なかった。たとえ死を覚悟しようとも、苦しみ生きることに耐えられないのは人の(さが)というべきか。

 内衣が全て剥ぎ取られると、物凄い力で両膝が外へと追いやられた。

「おやぁ……穴だ。穴があるぞ――」

 下卑た笑い声を立てながら、男の一人が言う。

「ああ、穴だ。だが、おかしいぞ。女郎の言うところだと、この女は『穴』なのに……穴に穴が付いてるなんてな――」

 後ろで見ていた男がそう言って受けると、タータハクヤの股を広げていた一人が続けた。

「穴に穴があるのはおかしい。俺達で埋めちまおう――」

 ひっ……ひっ――と小さな嗚咽(おえつ)が部屋内に響き始めた頃、男達は口をそろえて言った。


――埋めちまおう。埋めちまおう。


 男が豊かな乳房を鷲づかみにすると、鋭い痛みにタータハクヤは(あえ)いだ。先が黄色ででこぼこな爪が食い込み、真っ赤な三日月のような痕が残った。

 心中でありったけの罵声を放ちながらも、流れ出る涙は頬を伝うことを止めない。

(杭を持て。炬火を持て。『東す灯(ソプル)』は此処に――いざ参られよ。神の枝葉に火をかける者は此処ぞ……)

 確かに恐怖に(おのの)いてはいるものの、何かに望みを託しているようなタータハクヤの姿は、男達をさらに昂ぶらせた。

 やがて、男の一人が股の間に顔を埋めると、タータハクヤは何かを諦めるようにして脱力した。それを見た男達は何やら満足気な表情を浮かべた。

 男達は女を舐めきっていた。彼女がどれほどの憎悪でもって、神に呼びかけようとも、神泉のように清く豊潤な肉体を堪能するのに夢中であった。

 タータハクヤは誰にも悟られぬように、男の股の間に右腕を回し、指で地を這うようにして破かれうち捨てられた衣に手を伸ばした。

 自らを勇気付けるように、タータハクヤはありったけの呪いの言葉を並べる。それはもはや詩的といってもよい韻を踏んでいた。

(『大海の風(ゲール)』よ吹け。『大海()』を荒らし来たれ。『西臥す黄金(アイシン)』を()びて来たれ。黄金の神龍(リョーン)を喚びて来たれ――)

 小さな痛みとともに人差し指が何かを探り当てた。タータハクヤはそれが隠し持った鉄針であることを確認すると、一呼吸も置かずに右手を引き寄せ、股の間にじょりじょりと髭を押し付けて遊んでいる男の顔に向かって振り下ろした。

 何かが割れる音と共に、禽獣(きんじゅう)のあげるような絶叫が鳴り響いた。

 タータハクヤが男の左目に深々と刺さった鉄針を引き抜くのと、予想だにしない事態に戦慄していた男達が彼女に殺意を覚えるのとは同時であった。

 自分がこれから死ぬなどということは、タータハクヤは考えなかった。彼女が考えたことは、次は二人目の男の頭に穴を穿つことだけであった。それが自らの使命であると思わなければ、恐怖で気が狂ってしまう。

 激昂した男が大きな右拳でタータハクヤの顔面を殴りつけ、もう一人が彼女に掴みかかろうとした時、タータハクヤは宙に細い筋が(きらめ)くのを見た。

 掴みかかろうとしていた男が、急に後ろに飛んだ。

「ぐぇ――!」

 いや、飛んだのではない。後ろに引き倒されたような男の首に、細い糸で縛られたあとがくっきりと付いている。どこからか弓の弦が張り詰めるような音が聞こえ、男の首は物凄い勢いで細まり、手首ほどの太さになったところで、締まっていた首筋から血が爆ぜ、男の首が落ちた。

 ものの数秒の出来事の後に、何者かが戸を蹴破って入ってきた。否、入ってきたなどという生易しいものではない。矢を追う風のように凄まじい勢いで飛び込んできたそれは、手に持った刃物で瞬く間にタータハクヤを殴りつけた男の胸を穿ち、音もなく地に足をつけた。次いでタータハクヤを囲っていた者達が、声を上げる間もなく次々と刺し殺された。あるものは喉を穿たれ、ある者は頭を割られた。彼らが倒れる時に、何か余韻を感じさせるのは、一撃で絶命した証拠だろう。

 一切の光を拒絶するような黒衣。先の(すぼ)んだ戎衣(じゅうい)にも似た服に、闇で編んだかのようなターバンを頭に巻いたその姿は、しかしわずかに洩れた金色の髪が炬火の光を受けて、えも知れぬ神聖さをかもし出していた。


――西臥す黄金(アイシン)……


 タータハクヤが心中で呼び続けた、死と破壊を(つかさど)る天使。

 天使は、右手に持った赤い刀身の懐剣で空を切り、汚らわしいとでも言わんばかりに血を振り落とした。

 辛うじて間に合ったというべきか――シェラは猿轡を解くと、紫色に腫れあがったタータハクヤの頬に手を当てた。



 夜明け前の決行が予定されていたタータハクヤ救出だったが、今はまだ夜も更けていない。

 だが屋敷の近くに潜伏していたシェラは、タータハクヤの監禁された部屋の異変をみとめると、有無を言わさず突入した。その間も、シェラはキュローが自らに与えた使命について考えていた。

 シェラは血飛沫のかかった衣を拾い上げると、タータハクヤの肩にかけた。

「これを着て、後は上手く脱出できるように祈っていろ」

 珍しく彼が余裕のない顔をしているのは、彼の強引な侵入が屋敷内に知れ渡っていたからである。早くも武装した数名が部屋になだれ込もうとしていた。

「王女殿下は……」

 そういいかけたタータハクヤを抱き上げると、シェラは部屋の外へと突進した。金属の激突する音と、うめき声とが同時に起こり、シェラと接触した者達は死の風に魂を攫われるようにして斃れていった。

 屋敷の構造、兵の詰める場所、共に頭に入っているのか、タータハクヤを抱えたシェラは竜小屋で馬丁(竜丁というべきか)を刺し殺し、瞬く間に竜を奪い、門の外へと躍り出た。

「シェラ。引き返しなさい!殿下を見捨ててはなりません!」

 タータハクヤの怒号に、シェラは最初耳を貸さなかったが、彼女が手綱にしがみついて来たのでようやく口を開いた。

「落ち着け。姫さん。アシュナ王女なら既にあの屋敷にはいない。恐らくロマヌゥによってどこかに連れられたのだろう……」

 嘘だ――と、タータハクヤは思った。ロマヌゥが屋敷にいないのは確かだが、アシュナとザイまでもがそうであるのなら、屋敷に数十人もの兵を置く必要がない。

「駄目よ。駄目だわ。ロセならきっと……ロセならきっとお二人を助けられるのに――」

 タータハクヤが泣き出しそうな顔をすると、シェラは急に竜を止めた。一本道であるから、道に迷ったわけではない。自分の意思が通じたと喜びかけたタータハクヤだったが、シェラが中々竜を反転させないので訝った。

 眼前の闇の中から、暗く太い声が響いた。

「黒い悪魔とはよく言ったものだな。それがお前の本当の姿か、シェラドレイウス?」

 海上戦闘が盛んな南海で育ったシェラは、走竜に跨っての戦闘があまり得意ではないが、それでも火急にあって、竜をおりるような愚は犯さない。

(最近はよくこうなるな……)

 そういえば、リョーンを背負って逃げる時も、ロマヌゥに待ち伏せされた。王都での安穏な生活が長く続いたせいで、勘が鈍ったのかもしれない。

 その苛立ちを半ばぶつけるようにして、シェラは闇に向かって言い放った。

「異なことよな。お前が志を曲げ、ロマヌゥを援けるなどとは思わなかったぞ」

 闇の中の声は鼻を鳴らしつつ答えた。

「まことに異なことよ。南海を知り尽くす一族の貴様が、風向きが変わるを訝るのだからな」

 じゃり――と、乾いた土を踏む音が響く。雄々しい顎鬚(あごひげ)に赤い戎衣、そして子供の背丈くらいはあろう大剣を背負い現れたのは、クーン最強の一角――カエーナであった。

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