第六章『消えた貴人』(6)
「タータハクヤ殿の救出だが、これはシェラに任せたい」
いつもの如く始まったクーン剣士団上層部を集めた会議において、チャムが放った第一声がこれであった。彼の声色には他人に有無を言わせぬ圧があり、これまでの議論の主役といえる立場であったテーベがすぐさま賛意を示したことにより、その場の空気を支配した。エリリスはただ黙って頷いただけだった。シェラを毛嫌いしていたテーベが賛成したのは、事前にチャムによって言い含められていたことは、誰の目からみても明らかだったが、煮え切らない態度で終始していたエリリスから見ても、チャムの人選は正しかった。
クーン剣士団の実態は、王都内に総勢三千人の門下を持つ自治機関である。当然ながら三千人全てが即時に兵として機能するわけでもなく、一端の剣士を名乗れるものを含めてもこの半数程度が剣士団の純粋な武力であった。カエーナが剣士団を去った折りに、ロマヌゥのように彼に付き従った者は百人程度だったが、ロマヌゥの組織編制は意外に順調で、現在では千人近くの人間がカエーナ剣士団に身を寄せている。
故にカエーナ派との決戦間近というこの時期に、ロセの賓客とはいえタータハクヤ個人のために戦力を割く余裕はクーン剣士団には無い。王宮近衛兵団から兵を借り入れるといったチャムのような発想は、名門意識の強い剣士団では禁句で、まして内紛である以上、どうしてもカエーナ派との決着は純粋な剣士団員でつける必要があった。
白竜一家とエリリスの交誼により剣士団に籍を持つようになったシェラは、クーン剣士団に直轄の部下を持たない以上、軍隊で言えば隊長格に当たる他の「剣翁の孫達」と比べても特異な存在であった。彼自身の基盤は飽くまでペイルローンの一族であり、チャムが行った決断はタータハクヤの救出を白竜一家に委託するということと同義である。
これは上に書いた、独力でのカエーナ派との決着という主旨と、完全に矛盾するものであったが、シェラがクーン剣士団にも属している事実が、テーベのような過激派でも妥協点として見出せる範囲であった。元来、剣士団の最大の特徴は構成員の出身の多様さであるのだから、気兼ねなくシェラを指名したチャムは誰よりもクーン剣士団の人間らしいということになる。
指名を受けたシェラはある程度予測がついていたのか、特に驚く様子でもなかった。
肝心なタータハクヤの監禁場所は、剣士団の情報網の広さもあって、ある程度予測がついている。西区貧民街の一角にある、空屋敷である。カエーナ派の活動が最も盛んな場所で、簡単には寄り付けない。
(素直に王宮近衛兵団をよべばいいのに……)
シェラは、どういう成り行きで自分が指名される破目になったのかを十分に理解している。剣士団の内紛という、王都の治安に関わる大事に王宮が口を挟まないのは、ひとつは剣士団の名誉のためにエリリスが八方手を尽くして彼らを抑えているのと、もうひとつは王宮がクーン剣士団の自壊を待っているということだろう。
(これが終われば、少々面倒なことになるだろうな)
チャムが色々と暗躍している事実に気付かないシェラではなかったが、まっすぐさが取り得のチャムが性に合わないことをするおかしみを感じながらも、彼の行動からクーン剣士団の危機が本物であることは十分に予測できた。崇高な騎士精神を持つ剣士達に同情はしないが、最近剣士団に通い始めたばかりの少年達や、リョーンやエトといった剣士団上層部の関係者達がとばっちりを受けると思うと、さすがのシェラも無関心ではいられない。
チャムはシェラが頷いたのを見届けると、王宮からの急な勅命により、彼自身がゲール王子に伴い南方のダイス王国へ赴くことを告げた。皆が目を丸くしたのは言うまでもない。中には「クーン剣士団を瓦解させようという王宮の陰謀だ」などといって憚らぬ者もいたが、チャムが後任にテーベを指名することにより難を逃れた。部下からの信頼の篤さでいえば、テーベはチャムと籍を捨てる前のカエーナに匹敵する。
最後にチャムに対して援け舟を出したのはエリリスだった。彼がチャムのダイス行きを承認したことにより、団長の命令に対する拒否権を持たぬ全員が黙った。エリリスが普段、この絶対命令権ともいえる強権を使用しないのは、元商人のエリリスでは、組織運営の能力は人並みにあっても、軍事能力に欠けていることを彼自身が知っていたからである。とはいえ、平時のクーン剣士団の資金繰りには元商人としての力量を十分に発揮したから、ラームがエリリスを後継者に指名したことの正しさは誰もが理解していた。エリリスはチャムまでの繋ぎという暗黙の了解も含めて。
シェラは白竜一家の当主キュローの弟だが、一家に配属された戦士である以上、一家の人間を勝手に使うような真似は許されない。今回のタータハクヤ救出も当主キュローの許可が下りて初めて実現するのだ。とはいえ、キュローと団長エリリスの交誼を考えるに、シェラがキュローの判断を待たずに引き受けたのも当然であった。
「タータハクヤ殿の救出か……」
白竜一家の構える商店。リョーンと面談したのと同じ一室で、ゴモラ産の肘掛にくつろぎながらキュローは言う。彼の歯切れの悪さが、シェラには意外だった。
「何かまずいことでも?」
兄弟とは思えぬよそよそしさで、シェラが言う。だがこれは不仲というより、キュローが一方的にシェラとの距離を置いているからだ。彼がシェラに示した最大にして唯一の愛情は、一家付きの戦士の身分であるシェラに、ドラクワの家門名を与えたことだ。
「お前は今回の一件をどう見る?」
「カエーナ派のロマヌゥを操っているのはアヴァーとかいう男だ。まあ、女かもしれんが。どちらにしろ、アヴァーはアクス侯の息のかかった者とみて間違いないだろう。ロセとチャムの三人で意見を出した結果、アクス侯は何やら物騒なことを考えているようだ。タータハクヤの誘拐はロマヌゥの独断にしか思えないが、彼の言う王のない世界は、次に王になりたい者に利用されている」
シェラが所々端折ったように話すのは、このようなことは毎日のようにキュローに報告を入れているからだ。それに、キュロー独自の情報網はシェラとは比べようもない。
「レイウス――」
キュローはシェラを幼名で呼んだ。キュローがこの口調――つまりは母語のペイルローン語で話す――になるのは、自分に嫌な仕事を課す時であることを知っているシェラは、しかし一家に尽くすために生まれ、教育された人間である以上、耳を塞ぐことは出来なかった。
「数日前に、王宮からアシュナ王女と最上級神官ソプルが失踪した。二人が最後に目撃されたのは、南区繁華街の一角だ。つまり、人質として価値のないタータハクヤ殿は二人の誘拐に巻き込まれたということになる」
「王女が……」
剣士団でこの事実を知っているのはチャムだが、彼は自身の都合、エリリスにすら打ち明けていない。これを非機能的とは思わないところにチャムの傲慢があるが、とにかくシェラはこの時になって初めて知ったのだ。
「良いか、レイウス。我らはドラクワ(クーン王国一帯を指す)に腰を下ろせども、ペイルローン一族は所詮余所者。クーンのために働く必要はない。それが無益であればなおさらな」
「傍観せよと?」
「違う。エリリスとの交誼は保つべきだ。だが、密かに我らを排除しようとしている王宮に恩を売ったところで、ドルレル王は容易く我らを欺くだろうよ。全く、ここがロマヌゥシアとかいう小僧が唱える王のいない国であったなら、商人である我らには楽園であろうものを……」
キュローの言葉の裏に何やら物騒な気配を感じたシェラは、もはや口では言わずに目で問うた。繰り返すが、シェラは立場上、キュローの命令に対する拒否権がない。
「タータハクヤ殿の救出は許可する。だが、アシュナとソプルには手を出すな」
王宮よりも剣士団との交誼を保とうとするキュローの判断は、誰が考えてもおかしい。シェラも当然、同じ疑問を持ったが、それを口にする前にひとつの仮定にたどり着いた。
望南戦争の後、ナバラ商人に混じって、ペイルローン一族はドラクワとも呼ばれるクーン地方にまで商業網を広めた。彼らは現地のクーン商人を放逐して財を築いたのであり、南人に煮え湯を飲まされたドルレル王が彼らを憎悪するのは必然であった。ペイルローン一族も商人である以上、ドルレル王の機嫌をとるのにどれだけ苦労したかわからない。ナバラ王国に人質として出されたゲールを影ながら支えたのは、実は彼らであったのだが、それも当然ながらこういった経緯による打算あってのことだ。
王女を救出すればドルレル王に大きな貸しが出来るというのに、しかしキュローはそれすらもいらぬという。これが何を意味するか分からぬシェラではない。
「それから、レイウス。この任務はお前一人でやれ」
敵陣に乗り込むというのに、たった一人で行けという。悪魔にも似たキュローの言葉に、シェラは黙って頷いた。
タータハクヤ救出は早朝ということで決まった。キュローは一人で行けといったが、彼も独自にアシュナ王女の監禁先を調べていて、見張りの交代時間から屋敷の見取り図まで用意していた。クーン剣士団を超える情報網を持つペイルローン一族は、確かにドルレル王にとって扱いにくい連中だろう。
気晴らしにと店の外に顔を出すと、そこにはチャムの姿があった。竜皮でできた胸当てをつけていて、軍装であった。王子ゲールの出立は今日であったのかと驚いたシェラだったが、チャムは付きの者をその場で制すると、ずかずかとシェラに歩み寄った。
「やあ、チャム。この時勢に旅行のお供とは、風情があるな」
勿論皮肉である。内部からみれば、チャムは剣士団から切り離されたように見えるし、端からみれば敵前逃亡ととられかねない。
「シェラ、お前はどちらに付く?」
チャムの突然の問いを量りかねたシェラだったが、まさかキュローとの会話を聞かれたわけでもあるまい。剣士団でも西侯の叛意が疑われていたことを考えるに、白竜一家が傍観を決め込む可能性は大きい。シェラが考えるに、チャムの問いはそれを見越してのことだろう。
(ペイルローン一族は利のある方に付く、とでも言ってやりたいが……)
真面目に答えるとすればそうなるだろう。実際はどちらにも付く、が正しいのだが。
チャムが微かに笑ったのは、シェラが沈黙で返すことを知っていたからだろう。
「迷っているな、シェラ。戦場では迷いを知らぬお前が、戦いに赴く今になってそのような目をしている。今のお前ならば容易く斬れそうだ」
嘲りにも似た言葉を吐いて、チャムは去った。
何もかも知った風な口調が癇に障らなくもなかったが、それでもチャムがわざわざ自分に会いに来たのは、白竜一家への探りというより、戦場へ赴く者への手向けであったような気がした。というのも、クーンの男にとって戦場での諧謔は、血生臭い場での最上級の礼というべきものであるからだ。ちなみにクーンでは宣戦布告の言葉も他国に比べて洒落ており、望南戦争開戦時にドルレル王がナバラ将軍に宛てた手簡は、ナバラ陣営の失笑をかうほどだった。
チャムが去った後、シェラは思い出したようにロセ邸に寄った。
リョーンは相変わらずふてくされていて、彼女より十も年上のシェラからすればそれが可愛くて仕方ないのだが、戸口で出迎えられたまま中へ入れてもらえないのには閉口した。リョーンにはロセの威光を笠に着るところはないが、目上の人間に対する無作法には呆れたくなる。
「俺がタータハクヤの救出に向かうことになった」
用件だけ言って済ませるつもりだったのか、シェラは淡々とした口調で言った。彼の予想とは違って、リョーンの反応はか細かった。
「そう……」
まるで魂が抜けているような答えは全く彼女らしくない。リョーンの髪は毎日タータハクヤが梳いているとエトに聞いたが、愛嬌のある程度に跳ねていた彼女の髪も、手入れを怠っているのか、寝起きの女を見ているようで落ち着かない。
「どうかしたのか?」
シェラがそういうと、燃えるような赤い髪をした女は俯くようにして男の胸に顔をうずめた。
「カル……」
一瞬、ひしゃげそうな顔が目に入ったとき、シェラの心の奥で何かが鳴ったようだった。
「シェラ。苦しいんだ。わたしは……ナラッカが……ナラッカが大変な目に遭っているのに」
(嗚呼、この娘は――)
女が胸を掻き毟るような仕草で言えば、シェラもただ黙って彼女の肩を抱いてやるしかなかった。
(これが終わったら、お前を連れて海に出よう。紺碧のダイス南海へ行けば、剣士以外の人生も見つかるだろう……)
シェラはリョーンを苦しめている感情の正体を知っている。それを言葉にしてしまえばリョーンがどれほど楽になるか。だが、シェラは彼女を連れて海に出るという、出会った頃から脳裏に浮かんでいた光景を決して口にしなかった。これから自らの命を危険に晒しに行く男が、戦の後を語るのはあまりにも縁起が悪いものだ。
夜刻の鐘が鳴った時、リョーンはようやく自分の醜態に気付いたのか、慌ててシェラから離れた。彼女の気まずさを笑うように、一度も振り返らずに去ってゆくシェラを見ながら、リョーンは自分の頬に抜け落ちたシェラの髪が張り付いていることに気付き、人知れず赤面した。
透き通るような色で染まった髪の毛を指でつまんだまま、リョーンはしばらくの間それに見入っていた。
六章『消えた貴人』了
七章『シェラドレイウス』へ続く