表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/81

第一章『赤髪のリョーン』(3)

 屋敷の門前でエトを迎えた領主の顔は青ざめていた。手には細工の美しい銀の短刀がある。エトは炬火(きょか)に興奮しているスサをなだめながら、領主の反応を待った。

「お前は――」

 領主の声が震えている。

「これが何を意味するかわかっているのか?」

「恐れながら私は使いに過ぎません。また、神学を修める立場にもございません」

 領主は一瞬、むっとした表情でエトを睨んだが、すぐに短刀に目を戻すと忌々しそうに吐き捨てた。

「年端もゆかぬ未通女(おぼこ)の分際で、(わし)(カル)を送りつけるとは……」

「それは一体どういう……」

「うるさいわ。さっさと竜を置いて()ね。去ぬか!」

 大声に蹴られるようにしてエトが去ってゆくのを見届けると、領主は屋敷内の一室に軟禁していたムシンを中庭に呼び出した。

「父上、いかがなされましたか?」

「ムシンよ。ロセの娘が儂に竜をよこしおった」

「はあ、今更命乞いでしょうか?」

 と、気の抜けた答えを言った顔に平手が飛んできた。

「たわけが!これを見ろ」

 領主は怒声とともに銀の短刀をムシンの足下に投げつけた。

「これは……」と、短刀を拾い上げつつ、ムシン。

「リョーンが何か企んでいると?」

 領主はしばし沈黙した後、答えた。

「刃は牙。銀は白の素だ。そしてどちらも白い犬の王の象徴たるもの。銀の刃を儂に送りつけるという事が何を意味するかくらいわかるだろう。賢しい娘だ」

「つまり、王族が背後にいると?」

「ロセは私怨で王家に助力を求めるほど愚かな男ではない。だが裁定に不満があれば動く可能性もある」

 ムシンは背に薄ら寒いものが走るのを感じた。ロセの氷のように冷たい目を思い出したせいもあるが、何より父が自分を見捨てるのではないかと疑った。ムシンが処刑されれば、リョーンが斬られても領主に非難が集まることはないだろう。

「ち、父上……」

「案ずるな。儂が言いたいのはそうではない。それよりもお前、あの小娘が憎いか?」

「憎い!」

「いかんな。ロセの復讐から逃れる術は無いぞ」

 ムシンは何か反論がありそうだったが黙った。次第に長く垂れた前髪が恐怖に震え出した。

「お前もリョーンも処刑しない。それが現時点では最良」

 口の端がひきつるようにして上がった。

「……が、リョーンだけは、やはり死ぬ」

 ムシンの眉が動いた。

「あの竜を見よ。名をスサというらしいが、小娘は竜と引き換えに凄まじい条件を出してきよった」

「条件?」

「竜肉を喰らう――」



 竜の肉は猛毒であるといわれる。鴉や山犬は竜の死骸を平気でつつくが、竜を食した人間は確実に死に至る。その死に様が凄まじい。

 狂死である。ある者は手足に異常な痛みを訴え、耐えきれずに四肢の腱を食いちぎって死に、またある者は百日の間眠ることができずに、鶏声にも似た断末魔をあげて死んだ。伝説に残る竜肉を()んで死んだものの末路は、狂い死んだこと意外は症状にさえ共通性を欠くもので、それ故に「呪い」や「神罰」という言葉を冠するに相応しいものだった。

 ただひとつ、例外がある。王族の娘は成人の儀式で竜肉を食らうことがある。彼女らはある方法によって竜肉の呪力を中和し、死を免れるのである。その中和法は代々神官の長のみに伝えられてきた秘法中の秘法で、秘法に直接関わった者以外は詳細を知らない。ただ判明していることは、たとえ秘法を用いたとしても、白い犬の王の血胤(けついん)でなければ竜肉の呪いに耐えられないということだ。

 故にリョーンが王宮について多くの知識を持つタータハクヤからどれほどの情報を得たとしても、竜肉を喰らえば死を免れない。以上のことが、領主の持つ竜肉に関する知識である。



 処刑当日、リョーンの刑罰は斬刑から竜肉を喰らう刑罰へと減刑(・・)された。無論、死刑ではないから生き延びれば無罪放免となる。村の中央にある広場で刑は執行される。臨時に作られた垣を囲うようにして人が集まった。

 竜肉を喰らわせる刑罰に正式な名称はなく、「肉刑(にくけい)」と俗に呼ばれる。これは領主が初めて思いついたものではなく、古来クーン人が戦争で得た捕虜を処分する方法だった。処分する予定の捕虜に戦死した竜の肉を食わせるだけである。王族が屈辱的な肉刑を模した儀式を行うのは、竜肉を毒として用いられた場合に対する訓練ともいえる。

 壇上に引きずり出されたリョーンは悄然(しょうぜん)としている。真新しい白衣を着せられているものの、碧く美しい黒髪は乱れ、自慢の白桃の様な肌は処々に傷がある。


――(けが)された。


 処刑前夜のリョーンの様子を知っているエトは、彼女の変貌ぶりを見て激怒した。あの傷はムシンの仕業に違いない、とエトは泣きながら歯噛みした。

「女ひとり殺すのに、ここまでするのか」

 タータハクヤはエトの隣にはいない。彼女は依然としてムシンの手下によって動きを封じられている。それほどまでに領主は彼女を恐れている。そしてタータハクヤ以上にリョーンの義父であるロセを怖れている。

 日が中天に達した頃に領主が現れ、同時に竜肉が運ばれてきた。リョーンは項垂れたまま、肉を見つめている。

(生き延びるためにスサを殺してしまった――)

 その思いがリョーンから力を奪った。竜とともにあるべきクーン人が竜を喰らって延命するなど、屈辱の極みである。幼い頃からスサとともに育ったリョーンにとってみれば、眼前の皿には兄弟の肉が盛られているに等しい。リョーンはふと、死を望んでいる自分に気付いた。そして同時に、自分が死を免れるだろうという確信にも似た感覚がした。スサが自分を助けるわけでもなく、ただ自分だけが生き残るという強烈な予感。スサを殺したからには自分はその命を背負わねばならない。だから死なない。スサを失った悲しみがかえってリョーンを生かすのである。

 領主がリョーンの罪状を読み上げた。

 両手を後ろに縛られたままのリョーンは、犬が餌を喰らうようにして皿に盛られた友の肉を噛んだ。世界が紅く染まった。



 竜肉を食んだリョーンは、途端に白目をむいて倒れた。直後に身体が痙攣(けいれん)し始め、痙攣がおさまれば毒に抗うかのように(もだ)えた。漆のような色の血を吐き続け、狂人のように土を喰らった。その(あえ)ぎ声は、情の通う人に耐えられるものではなかった。

「殺して。殺してぇ――!」

 肉を運んできた者はリョーンの苦しみ様を見かねて剣を取ったが、それを見た領主は怒声に近い声で制した。

(分を越えたことをすれば、こうなる)

 領民に対する見せしめもあるが、領主が最も意識したのはタータハクヤだった。民に無用の知恵を授ければ結局は民が傷つくということを伝え、彼女の意志を折ろうとした。タータハクヤ以上に恐ろしいのはロセだが、領主は自らの弁智を恃んで彼を説き伏せる自信がある。

 リョーンは丸一日、苦しみ続けた。口から泡を吐き、皮膚が青黒く変色したまま動かなくなると、領主はようやくリョーンの呼吸と脈拍が停止したことを確認した。確認したあと、少し待ってから刑の執行が終わったことを告げた。罪人の死体は土に帰すことはできず、火葬するのが習いだが、領主はロセから逆恨みされることを極力避けたいので、エトに死体を下げ渡した。葬儀をしてもよい、という許しである。



 リョーンは家が焼けてからはエトの家に下宿していた。エトはそのままリョーンの遺体を持ち帰ったが、空が赤らむ頃にタータハクヤの使いが訪れた。名をヒドゥという。祖父の代からタータハクヤ家に勤めてきた生粋の使用人である。すでに齢六十を過ぎており、時々痛そうに腰をさする。

「お嬢様の使いで参りました。リョーン様は何処に?」

 老体ながらもてきぱきとした口調でヒドゥが問うと、エトは無言で部屋の奥を見た。そこには布に包まれたリョーンの遺体があり、彼女のことを我が子のように慈しんできたエトの母が、それにすがって泣いていた。

「お嬢様から『遺体を一刻も早く埋葬せよ』との言を承っております。よろしければ、今すぐにそうしたいのですが……」

 悲しみに沈んでいたところに水をかけられた感じのエトは、ヒドゥの言葉に疑問を覚えるより先に怒りが立った。ただ、母の前で老人を(ののし)るわけにもいかず、目で問うた。

「竜肉の毒は服毒した者が絶命した後もまだ生きており、土に返すまで呪を吐き続けます。お嬢様は領主がそれを知り、リョーン様の御遺体を処分することを恐れ、私を使わされたのです。今すぐに埋葬しますと正式な葬儀を行うことはできませんが、詣でる墓を失うことはありません」

 エトは少し考えてから、承諾した。エトは刑の最中にムシンへの復讐をおのれに誓っている。リョーンの墓までも失ったら、自分はムシンの首をどこに供えれば良いのか。だが今は少しでも長くリョーンを弔いたい。悲しみが大きいほど、恨みも増す。だがエトは悲しみが極限にまで達すると、その先に何の感情も生まないことを、まだ知らない。復讐とは所詮、残された生者が自身のために行うものに過ぎない。その先には、やはり生者による復讐が待っている。



 村の外れに小高い丘がある。夕暮れ時にここを訪れると山々が真紅に染まり、それを見渡せば、えも知れぬ悲しみが込み上げてくる。雄大な美しさとは人に己の卑小さを否応なく自覚させるもので、それが悲しい。リョーンは夕暮れの丘によく足を運んだ。普段は陽気なリョーンだが、その時ばかりは誰も近寄らせぬ雰囲気があり、何かを深く考え込む姿は山霊と対話しているようでもあった。それはこの世の何よりも静かで、美しかった。エトが背後から近づくと、己に立ち返った彼女が笑顔で振り向いてくれた。エトはリョーンが自分だけに向けてくれる優しさが好きだった。

 その丘で、エトは()きながらリョーンを埋葬した。棺はない。毒を土に返すためである。それにクーンの法では、処刑された罪人は納棺を許されない。領主はリョーンの葬儀を認めたが、納棺を許すとまでは言っていない。鄭重に弔ったあとに掘り返されてはかなわない ――といったのはヒドゥだった。彼はどこから持ってきたのか大量の草でリョーンをくるむように埋めた。これが棺だと言わんばかりだった。エトは躊躇ったが、同行した母に諭されて諒解した。



 タータハクヤは相変わらず屋敷を包囲されていて、エトが訪ねると目元を真っ赤に腫らして伏せていた。

(この人も泣いた)

 エトとの関係とは違って、リョーンとタータハクヤの付き合いには子供っぽい馴れ馴れしさがない。時折二人はふざけあったりするが、リョーンはエトに向けるような笑顔を彼女には向けない。嫌いあっているようにも見えないからこそ、エトは二人のさっぱりした接し方が理解できなかった。エトはリョーンの死骸を埋めながらタータハクヤの策に乗ったことを後悔したが、顔を見ると責める気も失せた。だがわだかまりはとけず、一晩リョーンを弔い帰宅した後、怒りが反吐のように込み上げてきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ