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第六章『消えた貴人』(1)

 彼にしてみればレトロもよいところだが、クーンでは海洋民族のもたらした文明の利器である望遠用の筒に目を通し、王都の各所に規則正しく立っている(やぐら)を数えながら、ザイは自らの住む都の構造に見とれていた。

 クーンが大陸の列強に名を連ねる王国であることはザイの知るところではないが、王宮は高層の城ではなく、豪奢ではあってもわずか二階建ての建物に過ぎない。勿論、百官が集うには十分な広さを持っている。

 ザイは最初、ドルレル王を小国の地方領主くらいにしかとらえていなかったが、警備用というよりは、宮中の人間の娯楽用に作られた望楼の上から都を見下ろしてみると、碁盤の様に整然と仕切られた街並みから、クーン人の文明度の高さと、都の繁栄を感じないわけにはいかなかった。

 そんなことに思いを馳せつつ、視線を王宮に戻してみると、宮殿の一角に鎖で繋がれた竜の姿があった。異邦人であるザイが見ても明らかにクーンに相応しくない、翼の生えた竜だ。

 王宮の世話になってからもう、いくつかの季節が過ぎ、ザイも身の回りのことに目を向ける余裕が出来た。あれほど結婚を嫌がっていたというのに、どういうわけかザイに(なつ)いてしまったアシュナから、ザイはクーン語をはじめ、色々なことを教わっているのだ。

 ザイがこの世界に来て驚いたことは数知れなかったが、落ち着いた生活をするようになってから、改めて驚嘆したのが飛竜の存在である。

(この世界の人々は、もう空を飛ぶことを知っている……)

 「もう」というのは、ザイが自分の故郷と王都クーンの文明の度合いを比較した結果出てきた言葉だ。ただし、騎竜文化という機械文明とは別方向に歩んできたクーン文明に対する、ある種の(あざけ)りはある。罪なき幼い少女に対して、背なの皮がはがれるほどに鞭打つような野蛮な習慣を捨てきれないようでは、クーン文明が故郷よりは先んじていないことは明白だった。ただ、少女が鞭打たれる原因を作ったのはザイなのだが。

 クーン王宮が、その繁栄のわりには天を目指すような高さを持たないことは、望楼の上から都を眺めながらアシュナが時々口にする「南人」という言葉について聞いてみて初めて理解した。

 二十年ほど前に行われたという望南戦争で、夥しい数の飛竜軍団が王都を襲撃した。それまでは望楼に次ぐ高さを誇っていたクーン王宮は空から降下した飛竜騎士達によって瞬く間に占拠され、燃え落ちたという。今の王宮はその後に建てられたもので、圧倒的な数の走竜を有するクーン王国が、そのわずか半分にも満たないナバラ飛竜軍団によって壊滅的な打撃を受けたのは、さしてこちらの世界状況に詳しくないザイから見ても自明であった。

「アシュナ。もう降りよう。寒い……」

 真冬に望楼に登るなど酔狂でしかないが、外界への接触をほとんど断たれているアシュナにとってみれば、碁盤のように区切られたマスの中をのぞくのが退屈な日常の中での小さな楽しみなのだ。

「ソプル殿。あれを……」

 ザイに言葉を教えるという名目があるが、彼女が自分の楽しみでそれを行っていることも、ザイは知っている。いくらなんでも、まだ十代の乙女の好奇心を宮中だけに留めるというのは無理があるだろう。

「何だ?」

「ほら、ソプル殿。あれじゃ、あれ!」

 アシュナが指差す先は人でごった返していて、ザイは彼女が何を指しているのかわからなかった。

(雑踏のことを言いたいのかな?)

 容赦なく早口で喋るアシュナの口から、難儀して聞きなれた音を拾ってみると、彼女が「赤い(ジュ)……」何とかといっているのがわかった。

(赤い……何だろう?)

 そう思いつつ、冬なのに市の立っている場所を除いてみると、その中にひときわ明るい色が見えた。赤く長い髪を垂らした女の後姿が、ザイの目に入った。

「赤い……」

 ザイの漏らした言葉を聞いたアシュナが手を叩く。

「そうじゃ、ソプル殿。あれが赤髪のカル!」

「カル……名前が?」

「そう、そう。赤髪の剣士カル(ジュナ・カルス・カル)じゃ!」

 カルという言葉もザイは習ったが、剣士と言う意味のカルスと混ざって何が何だかわからなくなった。

 ザイが拾えた言葉は「赤い」と「剣士」と「刃」だけであるから、彼には相当に物騒な言葉に聞こえた。

(連続殺人犯か何かかな……)

 それならアシュナもはしゃぎそうだ――と、ザイは幼い妻の横顔を盗み見た。



 日が中天に達しようかというところ、ザイは慌てて望楼から降りた。

 彼は宮殿の中庭の一角に走っていくと。銅で出来た三角錐の形をした妙な計器の前に立った。息せき切って良人を追いかけてきたアシュナが怒って言った。

「儂を置き去りにするほど大事なのか。それは!」

 アシュナが言ったそれとは、南方から贈られた日時計である。観賞用で、正午の数分間だけ内部まで日光が通り、三角錐の中が鮮やかな七色に光るように造られている。

 ザイがここ何日か、晴れた日に限って同じ場所に日時計を置き、何よりも優先してそれが輝く様を観察していることは、アシュナにとっては自分が無視されているようで不愉快なのだ。ただ、良人があまりにも熱心に取り組んでいるので、アシュナは良人の姿をみて楽しんでいた。勿論、自分が無視されている腹立たしさを同時に抱えたままで。

 日時計が輝き始めた頃、ザイは左の袖をめくって、皮製の腕輪のような物を見ながらひとりごちた。

「やはり……少しずれている」

 アシュナにはクーン語ではないザイの独り言を理解できるわけがないが、皮製の腕輪についた奇妙な円盤状のものには興味を示した。ザイが眠った後にこっそりと拝借し、史官に見せたところ、どうやら占星盤のようなものであるらしいとの自信のない答えが返ってきた。秒単位まで性格に時間を指し示す計器などクーンには無いし、あまりにも小さな円盤が機械であることなど想像もつかないから、アシュナにはそれが時計であることが理解できなかった。

(この人は暦を観ているのだ……)

 しかし、たどり着いた答えは正しかった。ザイはクーン王国の一日の長さを計測していたのだ。

 日時計が光り始めると同時に腕時計の時間を0時0分0秒に合わせ、次の日の同時刻に日時計が光るかを確かめる。ザイは天文に詳しいわけではないから、この程度の調査が限界だった。それでも日時計と腕時計の誤差は二分近くあったのだ。

「やはり、ここは地球じゃない……」

 その結論にたどり着いたザイは、しかし虚しかった。そんなことは最初にこの世界に放り出された夜に空を仰げばわかったし、例えこの事実を実証しようが、誰も理解するものがいない以上、意味が無いのだ。

 ザイが意味も無く気落ちしているのを見て、何かの観測が失敗したと思ったアシュナは良人を元気付けるために色々と考えてみて、ある結論にたどり着いた。

「よし、決めた。ソプル殿」

 突然の大声に驚いて振り向くザイに、アシュナはそっと耳打ちした。

(明日、街に行ってみよう。大丈夫、儂が何とかするから……)



 食事を済ませ、やや酒を煽った後は就寝である。クーンの人々は王宮暮らしであればやや夜更かしもするようだが、それでもザイの持つ時計で午後九時には水を打ったように静かになった。この分では夜中に灯す蝋燭にも困るだろう貧民街の人々は日没と共に床に就いているのかもしれない。

 ザイは後宮に近い一角に部屋を与えられている。後宮の出入りもある程度許されているが、それでもアシュナの活動範囲のみで、ドルレル王の妃妾に出会うことは一度も無い。出会ってしまえば大問題であることはザイにもわかるから、彼は用も無くアシュナの寝室に赴くことはない。

 それでも、ザイもまだ三十路前の若い男であるから、身振り手振りでアシュナの部屋へ赴くことを女官に伝えるのだが、このやり取りが死ぬほど恥ずかしい。ザイが初めてアシュナを抱いたのは婚儀の日から数日立った頃だが、彼女が死ぬほど痛がるので中断してしまった。彼女の白い背中を見たときに、やはり鞭打たれた少女のことを思い出してしまうのだった。

(まだ、子供なんだ……)

 時々、アシュナに会いにくるアヤ王妃を目にする度に、ザイはアシュナという女の未熟さに泣きたくなったが、それでもアヤが妻の方が良かったなどという考えは持たなかった。一応、ザイはザイなりにアシュナを愛しているのだ。兄が歳の離れた妹を愛でるような、夫婦らしからぬ愛情ではあるが。

 この日、さすがに渇きを耐えられなくなったザイは、アシュナと添い遂げるために寝所を訪れたが、どうにも話を切り出せず、酒を数杯注がせただけで帰って来てしまった。

(あの娘は俺に押し倒されるのを待っているのかな?)

 若いとはいえ既に艶やかな肩がみえるほどに内衣を肌脱いではいるものの、いつもの調子で自分に接してくるアシュナの気持ちが、ザイにはわからなかった。女にも眠れない夜があるということに対して想像もつかないわけではないだろうに、しかしザイはその程度でしか女というものを理解していなかった。

「筋金入りの甲斐性なしだな。俺は……」

 女官に付き添われて部屋へと戻る際、通路の縁側に立って外を眺めるアヤ王妃の姿があった。みずみずしさというよりは神聖さを秘めたような銀髪は頭の左側にまとめており、月夜に(かげ)る雲のような色をした(くし)をさしている。紫の衣――ザイが想像するにこれがクーン女性の身につける中で最も高貴な色なのだが――に身を包み、白く細い毛のついたコートを羽織っている。わずかに見える首筋は風が吹けば折れてしまいそうだ。

 この時間に彼女に会うのがまずいことは、ザイにもわかる。だがそれでも――ザイはザイで鬱屈が溜まっていたこともあり――、月光に映えるアヤの姿に見とれずにはいられなかった。袖を引く女官のことも忘れて、いや、彼は故意に女官を下がらせ、アヤの方へと歩を進めた。

 ザイが突然に歩みを止めたのは、アヤが何かを話しているようだったからだ。とても独り言には見えず、ザイはアヤの見つめる闇の方を見た。微かだが、木陰に何者かの気配を感じる。

(逢引かな……)

 もう老年にさしかかろうとしているドルレル王が相手では、若いアヤとしても物足りないのだろう――と、ザイは彼女が自分と同類であるような思考でもってとらえた。

 無闇に近づくべきではないと、今更ながらの判断を下したザイが引き返そうとすると、床板の軋む音が思った以上に響き、アヤの知るところとなった。

「誰――?」

 アヤらしからぬ、鋭い声であった。ただ、普段は温和な彼女の内に秘めた鋭気ではなく、何かを焦っているようにも聞こえた。

「あら、ソプル殿ではございませぬか……」

 彼女が一呼吸ついたところを見ると、ザイも何故か安心してしまった。この人が怒っているところをあまり見たくない、というのがザイの本音である。無論、これまでもなく、何となくそう思わせるだけの深みが、アヤという女性にはあるのだ。砕けていえば、彼女はザイの好みの女性なのだ。

(相変わらず、良い声をしているな……)

 夜の(とばり)の中で響く、この人の声を聞いてみたいとも思ったが、さすがのザイも磨いても落ちぬ赤(さび)のように脳壁にこびりつく煩悩が疎ましくなってきた。

「いかがなさいました?」

 そういいつつ、アヤはザイがこの時間に外をうろつく理由がひとつしかないことに思い当たったのか、袖で口元を隠した。彼女が口を濁らせた理由がわかりすぎるほどわかっているザイは、顔から火が出そうになった。夜這いに行って失敗した帰りにその娘の母に出くわすのだ。しかもアヤの顔からして「また失敗しましたね……」といった、半ば呆れともとれるような声が聞こえてきそうだ。

 ザイはどうにかして話題を変えるか、この場を去りたかった。何か良い案がないかと思いをめぐらせるうちに、不覚にも彼女が闇に向かって呼びかけていた言葉に触れてしまった。

「あの……アヴァーというのは何だ?」

 言ってからすぐに、ザイは後悔した。アヤの表情が一瞬で凍りついたのもあるが、触れてはならないと知っていながら、羞恥から逃れるためになりふりかまわず問いを発した自分に腹が立った。

 アヤは口元を隠したまま、小さく笑った。彼女が笑うだけで蝋燭の燃える臭い匂いがどこかへ逃げていきそうだった。

 アヤはザイにもわかるようにやさしく、簡単なクーン語で言った。

「貴方は――アシュナの――良人(アヴァー)です」

 最後にアヤが胸元で手を合わせるのを見て、その艶やかさに心奪われそうになったザイだったが、文意を正しく理解するとともに言い知れぬ後ろめたさを覚えた。

(この人は何もかも見通して言っているのか……)

 アヤという女の深さにある意味感動を覚えたザイだったが、元からして彼は故郷の人間のほとんどがそうであったように、他人に対する観察力に欠けている。

 ザイが月光にあてられて呆けたような顔をしていると、アヤがまた、今度は声を出して小さく笑った。

「あらあら、今夜は上手くいったのかしら?」

 彼女があまりにも陽気に言うので、不思議に思ったザイは彼女の視線が自分の胸元を見ていることに気付いた。

「ありゃ、何だこれは?」

 ザイは自分の懐に挟まった布切れに気がつき、おもむろにそれを広げてみた。何に使うものかわからないが、一箇所だけしみ(・・)のようなものがある。最初は雑巾(ぞうきん)か何かだろうと思って匂いをかいでみたが、やがて見当がついた。

「お、おい。まさかこれ……」

 嫌な想像をしてしまったザイが言葉につまると、とてとて――と軽快に廊下を走る音が聞こえた。

 振り返るとそこには興奮した顔つきのアシュナが立っていた。

「ソプル殿。今、嗅いでいたのか。嗅いでいたのか? 儂の――」

 アシュナが羞恥に顔を赤らめる様など、ザイには想像もつかなかったが、怒気でそれをごまかすようなことをしないのは、彼女の純真というべきだろう。

「ええ、嗅いでおられましたよ……」

 アヤは穏やかな声でそういったが、彼女がとんでもないことを言ったことは、ザイにも理解できた。

 明くる朝、後宮を抜け出す名人でもあるアシュナに手を取られながら、ザイは後宮で持ちきりになっているであろう噂の弁解もできぬまま、宮殿の外へと繰り出して行った。

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