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第五章『暗躍』(5)

 王都クーンの冬は厳しい。

 シェラと雑談をした噴水の水が凍っているのを見たリョーンは、それでも王都の冬が故郷の村で過ごしたそれよりも辛いとは思わなかった。手が凍るような痛みに耐えながら、山の麓にある小川に水を汲みに行く必要はないし、壁をすり抜けてくる風に凍えることもない。王都の女達が井戸の水を汲む際に手に息を吹きかけているのを見ると、大して裕福ではない彼女達ですら、リョーンにはお嬢様育ちに見えた。

 用も無いのにエトを連れ立って王都を練り歩いているのは、特に意味あっての事ではない。

 シェラが毎日欠かさずに行っていた剣術の稽古を休むといった時、リョーンは嫌な顔をしなかった。

(どうせロマヌゥのことだろう……)

 カエーナ剣士団の問題でクーン剣士団が張りつめているのは、リョーンにはどうでもよかった。不愉快なのはリョーンがロセの娘というだけで、三人の剣士がただの散歩の護衛についてきていることだった。

「わたしだけで、お(ねぇ)を護れるのに!」

 エトは苦りきった表情で言うが、リョーンはそれすらも不服だった。たまには一人で散歩でもしたいと、心底思うようになった自分がおかしくもあるが。

 今日のように珍しく晴れた日には、街道もそれなりに活気づく。人ごみに紛れて護衛達をまこうかとも考えたが、まともに走れない身では無理だ。

 リョーンとエトは路地に店を出している軽食屋の椅子に腰掛けると、昼間から酒をあおる男達をよそ目に一息ついた。

 冬なのに屋外に卓子(テーブル)を出している物好きな店だが、それも日の高いうちだけだ。夜になれば都会の喧騒そのものを店内に持ち込んだようにうるさく、酒場としてはそれなりに繁盛しているようだ。

「あんた、赤髪のカルだろう」

 蜂蜜入りの暖かいミルクを注いだコップを音を立てて置いた男が、リョーンの髪を眩しそうに見ながら言った。後ろの席に着いていた護衛たちが、わずかにこちらを見ただけで警戒する素振りを見せないように、この店はクーン剣士団の者たちにとって通いなれた憩いの場なのだ。

「そうだけど、何か?」

 リョーンはここに来るのは初めてだが、エトはこの男と顔馴染みな様子で、ミルクに口をつけて言った。

小父(おじ)ちゃん、少し甘すぎるよ」

 男はエトの文句には軽く頭をかいたが、奥で飲んでいた男のひとりが野次を飛ばすと容赦なく怒鳴った。

「手前ら、少しは黙ってろい。剣を振るしか能のない役立たずどもが!」

 その言葉に気を悪くするでもなかった酔っ払いは、男をあやす様な台詞を言った後、何事もなかったように仲間との歓談を再開した。

「お嬢様、気にすることはありません。オヤジの雷はここでの挨拶みたいなものです」

 リョーンの表情の変化に気付いた護衛の一人が言った。

(そのお嬢様というのを止めて欲しいのだけれど……)

 自分がそう呼ばれる度にエトが後ろに長く束ねた黒髪を震わせるのを見ると、リョーンは少し不愉快になるのだが、剣術の神とまで讃えられるロセの娘は、クーンの剣士達にとって貴族の娘と同じくらいに高嶺の花なのだろう。

「カル。シェラの奴は元気かい? あいつがロセの娘に手を出したって聞いたんで、こちとら葬式の用意をしようかと本気で思っていたところだ」

 オヤジと呼ばれた男――つまりはこの店の店主――は、リョーンをからかう口調でもなく、陽気にそういった。

「シェラとはそんな関係じゃない。あいつからは剣を教わっているだけよ」

 リョーンがきっぱり否定すると、店主は目をぱちくりさせて豪快に笑った。

「……だってよ。よかったな野郎ども!」

 店主がそういうと、向こうで飲んでいた男達が歓声を上げた。

「何、あいつらも本気であんたに気があるって訳じゃない。いや、あるにはあるんだが、ロセが(しゅうと)になるというだけで尻込みする(やから)さ。気を悪くしなさんな」

 エトが小さな音を立てて笑った。場慣れしているところを見ると、リョーンよりはずっと剣士団の連中に面識があるようだった。

「シェラは商家の息子ってだけで剣士団に居るがね。本当のところは嫌われているわけじゃないんだ。ああいう人柄だから、味方の方が多い。女が絡んでくれば別だが……」

「商人なの、彼?」

「ああ、知らなかったのか。中央広場から南に幾分か下ってくと、白竜って看板が目に入るはずだ。あいつの兄が営んでいる店でね。南から仕入れてきた女物の(くし)なんかも扱ってたっけな……」

 商家の息子と聞いて、道楽好きが板についたようなシェラの雰囲気にあまりにも合致していると思ったリョーンは、彼らとは違う意味で笑った。



「あれか……」

 白竜の看板の店は、ただの商家というにはあまりにも大きく、屋敷と呼ぶに相応しい。二つの路地に開いた東西の両の門には警備の兵が詰めており、それだけでシェラの一家が豪商であることを思い知らされる。

「相変わらず趣味の悪い店だなぁ」

 門の横に立てられた竜の首の銅像を見てエトが言った。

「エト、ここに来たことがあるの?」

「一回、シェラに連れてこられた。あいつ、わたしに南人の着物を着せようとしたんだ。胸元がこんなに開いたやつ。むかついたんで(すね)を蹴ってやったけど」

 豪商の息子に暴力をふるっても物怖じしないエトが幾分か頼もしかったが、それよりもシェラが彼女にも手を出そうとしていたことを知って、リョーンは呆れた。

(節操がないのも、ここまで来ると清々(すがすが)しいな)

 ふと、門から出てくる人影があった。柄のない黒衣に身を包んではいるが、長く伸ばした金髪からそれがシェラであることは明らかだ。手には酒瓶でも入りそうな大きさの木箱を持っている。

「あの服はちょっと趣味が悪いな……」

 クーンでは黒色は好まれない。リョーンの感覚でも、黒ずくめの格好をしたシェラはあまり趣味が良いとはいえない。

「ねぇ、お姉。つけてみようよ。弱みのひとつでも握ってやれば、あいつもみんなにちょっかい出さなくなるかも……」

 エトが意地悪そうな笑みを浮かべている。

(この()はシェラが好きなのかしら……)

 リョーンは思ったが、すぐに打ち消した。エトの理想の男性像が質実剛健を絵に描いたようなものであったことを思い出したからだ。彼女の好みに当てはまるような人は、副団長のチャムか、想像するだけでおかしいがカエーナといったところだろう。間違ってもロマヌゥやシェラのような優男(やさおとこ)ではない。



 何の考えもなく、リョーンはシェラの尾行についてきてしまった。災難なのは護衛の剣士達だ。

「シェラ殿に知れたら我々の立場が……」

「だったらついて来なくていい」

 エトにそういわれれば彼らも黙らざるを得なかった。

「ねぇ、シェラは何で剣士団の上層部にいるの。彼は別にロセの教えを受けたわけじゃないんでしょう?」

 シェラの剣技を目の当たりにしながらこの質問を飛ばすのは、ある意味シェラに失礼でもあるが、特別に会話が見つからなかったこともあり、リョーンは護衛の一人に訊いた。

「団長が白竜一家との関係を重視したという話が専らですが……」

 護衛達もシェラについて多くを知っているわけではなさそうだ。ただ、その内の一人が思い出したように言った。

「二年ほど前の話ですが、一時期、シェラ殿が副団長に勝ったという噂が流れまして……」

 副団長のチャムがどれだけ強いのか、リョーンは知らない。

「チャム様は無敵です。まず、構えが違います。相対した者だけがわかることですが、ただ立っている状態から、気付けば打ち込まれているのです。剣翁先生から皆伝を賜るくらいですから、天下一といっても過言ではありません」

「もう少し、わかりやすい例えはない?」

「剣翁先生の剣は型がありませんが、チャム様の剣は影がないのです。言い換えれば剣が軌跡を伴わないのです。あの人の剣筋が見える人は、多分何処にもいないでしょう」

 誇張にも聞こえなくなかったが、チャムがロセに肉薄するほど強いというのはわかった。シェラがそんな達人を負かしたというのが本当であれば、彼に教えを受ける身としては誇らしいことである。

「しっ――気付かれちゃうでしょう!」

 本気で尾行をしているつもりのエトが言った。

 いくつか路地を曲がったところで広い場所に出た。雪が積もっているせいで気付きにくいが、何気なく広がる丘に孤独に盛られた(だん)がある。

 都心部よりも余計に日光が降り注いでいるのかと思うほどに、そこは陽気に満ちた場所であった。ただ、都の外れにあるせいで人影はほとんどなく、どちらかというと(わび)しい気もする。

 シェラは壇の前に腰を下ろすと、木箱を開き、中から陶器のようなものを取り出した。彼がそこに香を()いた時、リョーンはここが何者かの墓であることを知った。

(あれは喪服だったんだ……)

 クーン人は喪服に麻布を(まと)うが、彼の一族は黒衣を着るのだろう。リョーンがエトの方をみると、彼女も好奇心とはいえ、過ぎた遊びをしてしまったことに気付いたらしく、ばつの悪そうな顔をしていた。

「さあ、帰りましょう。死者の眠りを妨げてはなりません……」

 護衛の一人がそういうと、リョーンもエトも素直に従った。微かに見えたシェラの横顔が忘れられなかった。



 南区繁華街。賑やかさだけがとりえの様な中央通りに、その男の姿はあった。

 短く袖先の(すぼ)んだ朱衣を着、腰には長剣を差している。後ろに結んだ髪はそれほど長くはなく、(たゆ)むほどの長髪ではない。凛々しく余裕のある顔つきをしており、どこか貴族的ですらある。

 人通りの多い都合、積雪が払いのけられた石畳の上を歩きながら、男は行灯の灯りばかりが(わずら)わしい夜の街を眺めていた。

「あら、チャム様じゃなくて? ちょっと寄っていきなさいな……」

 桃色の派手な着物に身を包んだ女が、チャムの肘に擦り寄る。

「今日は遠慮しておくよ。またいつかね……」

 そういって(やわ)い笑顔で返すところを見ると、チャムという男は生真面目さだけがとりえと言うわけでもなく、歳相応の遊びも(たしな)んでいることがわかる。だが、この男の性格からして遊びに溺れるような真似はしないだろう。

 繁華街には必ず案内を職とする者がいる。その者が繁華街のどの勢力に属すかで、案内される者の遊び先が変わるのだが、チャムは街角で佇む彼らを目に留める度に、同じ質問を繰り返した。

「ああ、知っているよ。そこの通りを曲がったところに、戸の壊れた瓦葺(かわらぶき)の家がある」

 気忙しそうに喋る男に訊いたところで、チャムはようやく答えを得たようだ。

「ありがとう」

 そう言って、刀貨を三枚ほど男の手に預けた。

「いえいえ、今後ともご贔屓(ひいき)に……」

 脂ぎった笑顔を尻目に、チャムは男の言った路地を曲がる。

 通りを外れ、喧騒の余韻だけが残るような暗い場所に出た。既に日が落ちて久しいから、チャムは手に持った行灯を(かざ)した。

 いくらか歩いたところで、戸が斜めに外れかけた家を見つけた。戸を叩くと、今にも壊れそうな頼りない音が鳴った。

「どちら様で?」

 そういったものの、中々戸を開くことが出来ず、ついには戸を持ち上げて外してしまった男は、チャムの顔を見て特に警戒するでもなく、改めて同じ言葉を繰り返した。

「クーン剣士団のチャムだ。アドァというのはお前か?」

 特徴のない、やや赤茶けたぼさぼさの髪を掻きながら、男は頼りない声で返事をした。

「はい、そうですが。副団長様が一体夜分に何の御用で。椅子のご注文でしょうか?」

「話せば長くなる。まずは中に入れてもらおうか。ここは寒い……」

 男の顔が一瞬強張る。とはいえ、見ず知らずの男が家の中に入れろと言うのだから当然だろう。

「いえ、今は……」

 アドァがそう言った時、彼の視線が一瞬だけ自分の後方を見やったのをチャムは見逃さなかった。彼は迷うことなく、振り向き様に背後に向かって拳を繰り出し、自分に襲い掛かる凶刃を弾き飛ばした。右手を覆っていた皮製の手袋が裂け、中から鉄製の手甲が現れた。

 八人。

 一体何処から現れたのか、闇に紛れるような黒衣を纏った男達は、じわじわとチャムを囲んだ。

「ただの椅子作りにはこんな物騒な部下が必要なのか?」

 チャムはもはや屋内から姿を消したアドァに言い放った。


――王宮に品を届けたりする以上、色々と物騒なものですよ。ところで……剣を抜かずとも、よろしいので?


 闇の中から聞こえてくる声に耳を傾けながら、チャムは小さく笑った。

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