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第五章『暗躍』(2)

 釈放直後のチャムの容態は最悪といってよかった。

 数ヶ月の間、光の届かない牢獄に監禁されていただけあって、もう一月遅れれば手足が腐り落ちていたのではないかと思うほどに極度に体が衰弱していた。

 チャム帰還からおよそ一月の間、剣士団は動かなかった。だがそれは表面上のことであり、各地に散っていた「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」は各々の役目を終えて帰還した。

 チャムが拘留されている間、彼らが行ったことのひとつは、徹底的な情報収集である。彼らが緘口(かんこう)令がしかれたことによって闇に葬られた神龍(しんりょう)降臨の事実をつきとめるのは苦も無いことだった。クーン剣士団は名門とはいえ前身が義勇軍である以上、実に様々な出身の人間が集まっている。彼らには王都の内外にあらゆるコネクションをがあり、これこそが剣士団が王都の中で強勢を保てる要因のひとつでもある。

 クーン剣士団の上層部は、すでにカエーナ剣士団がカエーナやロマヌゥ以外の何者かによって操作されていたことに気付いていたが、それが一体誰であるのかまでは特定することはできないでいた。

 ロセの一人娘であるリョーンがロマヌゥの手勢に襲われた以上、カエーナ剣士団とクーン剣士団の衝突は不可避となった。クーン剣士団に愛想をつかし、それに関わらぬ形でカエーナと接触したリョーンが、かえってカエーナ剣士団の対決姿勢を表面化させたことは皮肉ともいえなくない。


――聖火(ソプル)を灯せ!


 クーンの言い回しで復讐を意味するこの言葉を、クーン剣士団の若い連中が口にし始めた時、チャムは剣士団の主な面子を一同に会した。

 剣士団修錬場の奥にある講堂にて、十人の剣士達が集った。

 長細い円卓の最奥部には団長のエリリスが鎮座し、その左右に剣翁ロセと副団長のチャムが控える。続いてクーン剣士団の精鋭達が円卓の左右に顔を並べている。

 彼らの面持ちは暗かった。いや、苛立っていると言いかえた方が良い。それもそのはずで、エリリスの命によって各地に散った彼らは、地方の貴族にチャム釈放の口添えを取り付けるためにそれこそあらゆることをしたのである。

 だが、いざチャムが開放されてみるに、現状の剣士団はどうか。ロセの娘が殺されかけたというのに沈黙を保ったままである。鼻持ちならない貴族連中に対して、私財を投げ売り、地に額をこすりつけてまでチャムの救出に尽力したというのに、クーン剣士団は眠った獅子のように動かない。

「いったい何時までこのままでいるつもりか?」

 口火を切ったのは、黒髪の豊かな隻眼の男だった。タータ・ロセの一角であるテーベという。今年で四十になる男で、彼は好戦派の急先鋒ともいえる。竜の皮でこしらえた眼帯が印象的だが、残った左目は刃物のように鋭い光を放っている。

「カエーナの件を棚上げにすることに異議はない。ただ、リョーン嬢がロマヌゥの手勢に襲われたのは事実だ。これを捨て置けば賊どもが増長するのは必至。今こそ、聖火を灯すべきではないのか!」

 列席する者たちの多くはテーベに同調らしく、深く頷いた。

「まぁ、待て。テーベ殿。事はそう簡単ではないのだ」

 そよ風のようなさわやかな声の主は、シェラだった。

「何が簡単ではないのか。聞かせてもらおうか?」

 テーベの鋭い視線が刺さる。思えば列席するものたちの多くは剣翁の教えを受けたものたちであるのに、その中でシェラだけが異彩を放っている。テーベはただの一度もシェラと剣を交えたことはない。豪商の息子というだけで、南人の男が剣士団の幹部面をしていることが彼には耐えられないのだ。

 シェラは敵意をむき出しにしているテーベにかまわず、チャムの方を見た。それを見たテーベが小さく舌打つ。

(コガネムシが……)

 皆の視線がチャムに集まった。テーベも不服ながら倣った。

 チャムは円卓の中心に目を移すと、低い声で話し始めた。

「王都を荒らす下衆(げす)どもを野放しにするつもりはない。ましてやカエーナは我ら剣士団の誇る精鋭だった。討つのなら、誰よりも先にわたしがそうしている。しかし、テーベよ。裏で糸をひいている者がいる以上、其奴(そやつ)の思惑に乗るのは腹立たしいとは思わないか?」

 テーベは驚かない。ロマヌゥが人の上に立てるような器ではないことは、彼自身よく知っていることである。

「しかし、副団長。今や戦端は開かれたも同然。影()る者の存在など何の意味があろうか。巷ではクーン剣士団は瓦解同然との噂も聞く。もたもたして王宮近衛兵が討伐に乗り出せば、我らは皆、王都の笑いものだ!」

 握り締めた拳が円卓を揺るがす。

「そこよ、テーベ。本来なら賊討伐の先鋒を受け持つべきクーン剣士団が動かない。だが、賊どもはリョーンの一件の後、不自然なほどに静かになった。何故だ?」

「それは……」

 テーベは言葉に詰まった。もともとからしてゴロツキの集まりであるカエーナ剣士団に思慮を伴った動きがあるとは思えない。だからこそ、彼らの沈黙が不気味ではある。

(やつらは待っているのか。恐らく、我らが立つのを……)

 眉間にしわを寄せたテーベは、チャムの言わんとすることはわかったが、それでも納得がいかないという顔だ。

(ラーム)と違って、小賢しいこと考える)

 テーベはふと、エリリスの顔を見た。元々からしてチャムは策謀を巡らせるような男ではない。このような小細工を好むのは、商人あがりのエリリスしかいない。

 列席する他の者たちも、チャムの変化に戸惑っているようだった。

「西侯の使いにやった者が奇妙な情報を持ち帰った」

 唐突に、しかしチャムの話を次いだエリリスが喋りだした。

 西侯といえば王都で知らぬ者のいない、山脈に面したクーン西部を預かる大貴族である。現在の西侯はドルレル王から見て甥にあたる人物であり、二十年前の望南戦争では彼の率いる竜騎士たちは勇猛果敢に戦い、局地的にとはいえ飛竜軍団を相手に不敗を誇った。クーン剣士団の創始者ラームと西侯アクスといえば童子でも知るクーンの英雄達である。

「奇妙とは?」

 と、テーベ。

「竜狩りだ。山脈のふもとで(おびただ)しい数の走竜が生け捕られ、西都に運ばれた。路傍に竜が溢れ、道が糞で埋まるほどにな……」

「ゴモラの蛮族に備えてではないのでしょうか? この時期に西侯が軍備を整えるのは不思議とも思えません」

 ゴモラとは、クーンの南西に横たわる険しい山脈と広大な荒野を越えた先にある西の帝国である。クーンの数倍の領土を誇り、近年は南方のナバラ王国としのぎを削っている。だがテーベが口にしたのは天嶮(てんけん)を越えた果てにある帝国ではなく、山脈付近に出没する狩猟民族のことである。彼らは雪解けとともに山を下り、村を襲う。食を奪うだけなら良いが、彼らは人をさらう。山奥に連れさられた人々は農奴として死ぬまで働かされる。

「竜だけなのだ。西侯が軍団を編成したわけではない。彼は竜だけを集めたのだ」

「西侯がよからぬことを企てているとでも? もし、そうだとすれば愚かにもほどがあります」

 テーベが吐き捨てるように言うのをみて、シェラが口を挟んだ。

「西侯はその竜をどうするつもりなのだろうな?」

「何が言いたい。シェラ!」

「俺は憶測だけで話すつもりはない。だが衆知というものは侮れない。あなたの予測したものと俺のそれが同じであれば、それは起こりうるということだ」

 テーベは黙った。西侯は彼が最も尊敬する武人のひとりである。それが意味も無く大規模な竜狩りなど行うはずはない。

(まさか……)

 はっとしたテーベはシェラを見ると、すぐにチャムの方を振り返った。

 チャムは微かに頷いた。



 豪商の息子でありながら、シェラは身軽な男だ。剣士団の誰であっても彼を束縛することはできない。シェラが剣をふるう姿はロセのそれよりも稀というべきで、剣士団の若い連中は彼が「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」に生意気な口をきくのは財力を背景にしているからだと信じて疑わなかった。

 自分がコガネムシの隠語で呼ばれていることを知った時には、シェラらしく笑い飛ばしたものだ。

 身軽にもほどがあるが、シェラはリョーンの一件にも懲りず、再びカエーナを訪れた。十一月も半ばを過ぎ、真冬の貧民街は凍りついたように静かだった。

 穴の開いた戸を叩くと、真面目に喪に服していたのか、カエーナが姿を見せた。リョーンと激闘を行った広場。そこにそびえ立つ(やぐら)の真下が彼の家だった。

 カエーナ剣士団に物怖じせず自分を訪ねてきたシェラに、カエーナは褒めるでもなく、呆れるでもなく、ただ黙って彼を招き入れた。カエーナが前副団長の毒殺疑惑でクーン剣士団を去ってから、これが初めてのことだった。

「お前らしいな。シェラドレイウス……」

 端の欠けた杯に、シェラの持参した酒を注ぐ。瓢箪の先から、とくとくとやや濁った液体が流れ出る。

「やはりお前は関係がないのだな」

 シェラはかねてから思っていたことを言った。カエーナが今のカエーナ剣士団に接触しているようには見えない。

「相変わらず人が良いな、シェラ。貴様の悪い癖だ」

 いつ以来だろう。カエーナが自分のことを愛称で呼ぶのは。何だが懐かしくなってしまったシェラだが、今は長々と昔話をしている時ではない。

「俺に訊きたいことがあるのだろう?」

 酒に弱いのか、それとも剣士としてのわきまえなのか、カエーナは軽く口をつけた以外は杯に触れもしない。(たくま)しい髭を撫でているだけで、シェラはこれほど酒を交わしてつまらない人間もいないと、逆に感心したものだ。

「単刀直入に言おう。カエーナ剣士団を影で操っているのは誰だ?」

 表情を変えずに、シェラは核心を突いた。ことりと杯を置く音が部屋に響いた。

「知らぬな。俺に姿を(さら)すほどその者も間抜けではあるまい。恐らくロマヌゥも知らぬだろう」

 ロマヌゥ。

 シェラはあまりなじみのある方ではなかったが、女のような容姿から剣士団の中でも爪弾きにされていたのを覚えている。どういうわけかカエーナの信奉者で、何処へ行くにも彼について回っていた。最初はロマヌゥが自身の保身のためにカエーナに取り入っているようにも見えたが、兄弟子達にカエーナの恋人呼ばわりされてもついて回ったのを見ると、そうでもなかったようだ。

「悪いが、ロマヌゥは助からんぞ。あれは越えてはならん一線を越えたからな」

 シェラが――リョーンが聞けば驚くだろう冷酷さでもって言い放った言葉は、カエーナの更に冷たい声によってかき消された。

「かまわん。女郎(めろう)とは言われても、あれも剣士の端くれよ」



「誰かがいるはずなんだ。天下の剣士団がここまで探して尻尾もつかめないのはおかしい……」

 シェラが長い金髪を指先で弄ぶ。彼の考え事をするときの癖だ。

 それを見ながらカエーナは思い出したように言った。

「目的はわからんが、これまでにも何度か接触してきた者がいる。よほど俺を担ぎたかったらしいが、最近は音沙汰もない」

 シェラの耳がわずかに動いた。

「さっきと言っている事が違うぞ。何も知らんと言っていただろう」

「姿を見たことがないのは事実だ。奴は必ず夜に現れる。顔も見せず、声は高いようだがくぐもっていて、男かどうかもわからん。一度、声のする方を斬りつけてみたのだが、逃げられた」

「相変わらず無茶苦茶な奴だ……」

 小さく笑ったシェラは、しかしこの話題に興味が尽きない。

「そいつについて、もっと教えてくれないか?」

「名をアヴァーというらしい……」

(アヴァー)? ふざけた名だ」

 この場合の父とは、国家のそれを意味する。つまるところ、アヴァーとは王の別称である。シェラが呆れるのも無理はない。賊の裏方で暗躍する者が王を名乗るなどと、滑稽でしかない。

 シェラは詳しく聞きたかったが、カエーナは本当にこれ以上のことは知らないようだ。とはいえ、暗躍する何者かの影を踏めただけでも良しとすべきだろう。



 土産の酒をほとんど自分で飲み干してしまったシェラは、それでも酔っている様子は見せない。シェラはここで、今日この場所に来たもうひとつの目的を果たすことにした。

「ロセの娘は生きているぞ。カエーナ……」

 カエーナほどの剣士であれば女に手加減をするような弱みは持たない。ただ、その手にかけて後悔せずにいられるかどうかは、完全に気質の問題である。クーンでも屈強の戦士にこの辺りの配慮をすることが、カエーナの言うところのシェラの悪癖なのだろうが。

「そうか……」

 カエーナの瞳に微かに影がさしたのを、シェラは見逃さなかった。

「あまり嬉しそうじゃないな」

 頷けなくもない。カエーナと戦った時のリョーンは何かが憑依したように化け物じみていた。あれと相対して恐怖を覚えない人間などいるだろうか。

「シェラよ。俺はもうすぐ死ぬ。クーン人ではない貴様には理解できないだろうが、この国で神に相対したものは皆、死すべき者なのだ」

 そう告げられたシェラは、その場にいた自分の死も暗示されているような気がした。

「あれは神じゃない……」

 打ち消すシェラの言葉は弱かった。見ただけで総毛立つような黄金の光。それを浴びたリョーンに神威(しんい)を感じずにはいられなかったというのに。

「俺はあの娘の目に『神龍の眼(ヨアン)』を見た。神に覗かれた者は死ぬ。神龍の眼を見なかったのなら、貴様は違うかも知れんが」

 シェラはしばらく押し黙っていたが、やがて口を開いた。

「カエーナ……」


――ひゅぉ……


 呼び終わらぬうちに、シェラの眼前を鋼鉄の塊が横切った。わずかに切っ先が触れたのか、シェラの金髪がはらりと落ちた。

 何という怒気。カエーナが恐ろしく静かな声で言う。

「愚弄するなよ、シェラドレイウス」

 静かだが、大地が震えるような声。だが、それに物怖じする素振りも見せないのは、シェラもまた剣士であるからだ。

「最後にひとつだけ聞かせろ。お前を陥れたのは誰だ?」

 カエーナの空気を吸い込む音。それだけで部屋中が怨嗟(えんさ)の声で満ちたようだった。

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