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第一章『赤髪のリョーン』(2)

(おねぇ……聞こえる?)

 鉄格子の向こうから微風を撫でるような声が聞こえてきた。

「エトか」

 鉄格子から恐る恐る顔を覗かせたのは親友のエトだった。歳はリョーンより二つ下の十六で、身長の高い方ではないリョーンと比べても明らかに小柄である。後ろに結い上げた髪は黒く、陽気を十分に吸い込んだ赤黒い肌に大きな目が印象的な少女だ。顔はいささかあどけなく、齢より幼く見える。リョーンとともに狩猟で生計を立てているので、外見に反して体は引き締まっており、射技に優れている。



 クーンの女は普通農業に勤しむが、騎竜に優れた者は女同士で徒党を組んで狩りをする。彼女らは竜に乗る時、決して男と行動をともにしない。狩りという場は男女の過ちが起こりやすく、もし男と並んで帰ってくる女がいれば、その不貞を罵られ、村落から追放されることもあり得る。

「一人離れた隙にもう一人を眠らせてきた。今、開けるね」

「待って。脱獄は嫌……」

「お姉を助けたいんだ。タータハクヤに訊いたらスサを連れて行けって……」

「ナラッカは?」

「ムシンとこの下っ端が家を囲んでて出れない。タータハクヤ(ナラッカ)が目立ってくれたおかげでエトは来れたけど……」

「そう……」

 タータハクヤという奇妙な名の人物もまた、エトと同じくリョーンと徒党を組んでいる一人だ。ナラッカとは彼女の幼名である。もとは貴族の令嬢で、王宮に文官を輩出するほどの名家だったが、父の代に落魄(らくはく)した。その家系ゆえに学に明るく、野に下ったとはいえ時に民の(もう)(ひら)くこともあり、領主からは常々疎まれている。性格は活発だが、幼い頃に両足を失っており、滅多に屋敷から外出することはない。よってリョーンと徒党を組んでいるといっても、狩りに出かけることは稀である。

「お姉が助かるにはタータハクヤが出るしかないのに、領主はわざとムシンを見逃してるんだ。お姉、このまま逃げようよ」

 そう言って鍵を見せたエトだったが、リョーンは首を振った。

「無理よ。エトがわたしを逃がせば、おばさんが吊るされることになる。それに、エトが持ってるのは牢の鍵でしょ。枷の鍵はもう一人が持ってる。で、何か預かってきたんじゃない?」

「そのはずだったんだけど……」



 ここへ来る直前、タータハクヤの家に忍び込んだエトは、リョーンを助けるべくこれから自分が牢へ向かうことを告げた。するとタータハクヤはエトを引きとめ、一本の針を見せた。

「これには毒が塗ってある。竜に盛ると一刺しで死ぬ猛毒よ。でも人にはほとんど効かず、死なずに深い眠りにつく。これをリョーンに届けてほしい。できればスサも連れて行った方がいいわ。リョーンがそのまま脱走したいと言ったら、そうしてあげて」

 エトはタータハクヤが何を考えているかわからなかったが、彼女の話し振りからリョーンとの打ち合わせができているものだと思い、その言葉を信じた。

 ムシンの手下の監視を易々と抜け、自宅に帰ったエトは預かっていたスサを駆って村の外れにある牢屋へと向かった。小さな牢屋を護る人数は二人である。とてもスサを連れたままリョーンと接触できないと思ったエトは、守衛が交代する時間を見計らって単独で牢の裏側に回り込んだ。だが、リョーンに届けるように言われた針の入った袋を鞍に縛ったままであることに気付き、おのれの迂闊さを呪いながら一度引き返した。

 再び牢に近づいたときには既に守衛は交代していた。好機を逸したことに気付いたエトは大いに後悔したが、逆に思い切って襲撃を試みようとした。無論、リョーンを救出してともに逃げるのである。

 彼女は守衛に気付かれないぎりぎりのところまでスサを連れて来た。一人の衛兵が用を足しに離れた。もう一人の守衛が外で立って用を済ませたことを考えると、(かわや)へ走っていった守衛はすぐには帰ってこないだろう。そう考えたエトは、慌ててスサの鞍をさわり、リョーンが狩りの時に使う吹き矢を見つけると、タータハクヤから預かった針を仕込んで守衛の一人を射た。守衛が何も言わずに倒れると、エトは彼の首から針を抜き、腰に挿してある鍵を取ってリョーンのいる牢へ向かった。



 以上のことを手短に話す余裕すらないエトは、折れた針を見せてタータハクヤの策は既に失敗したことだけを告げた。リョーンは驚いたように針を見た。

「それは竜だけを殺すという毒ね」

「えっ、何で知ってるの?」

「ナラッカの考えそうなことよ。それでわたしを眠らせて、その間に無理やり連れ出す。針の入っていた袋を調べて。きっともう一本あるわ」

 リョーンにそう言われたエトは慌てて袋を調べた。針がもう一本あった。驚いたエトだったが、タータハクヤは何故こんな回りくどい方法を選んだのだろう。エトの暴走を見越していたとはいえ、これではあまりにも確実性に欠ける。

お使い(・・・)を頼むとき、ナラッカは何か言ってた?」

「えっと、そういえば何か難しいことを言ってたような……」

「難しいこと?」

「白い犬が何とかでシジマの王は何とかって」

「……白い犬の王としじまの王?」

「そう、それ!」

(白い犬の王……)



 リョーンはタータハクヤと知り合って間もない頃、義父とともに彼女の屋敷を訪れた事を思い出した。リョーンは信仰心から屋敷内にあった祭壇に向かって祈ったが、タータハクヤはリョーンの過ちに気付き、優しく訓戒した。


――白い犬の王はわたし達の祖。しじまの王はあなた達の祖たる者。祖は自分の子孫を護るもの。どちらも神龍(リョーン)の子である事には変わりないけれど、ここはあなたの祭壇ではないの。



 白い犬の王とは平野から騎竜文明を持ち込んだ部族の王で、クーン王家の遠祖でもある。一方、しじまの王はクーン地方の原住民族の長であったとされる。早い話がクーンでは王侯貴族と民とが血筋を異にしていて、当然、互いが互いの祖(あるいは神)を祭ることはせず、しかしながら白い犬の王としじまの王という異民族の神は、神龍というひとつの絶対的存在の前に収束しているということだ。

 領主は貴族ではない。村ではタータハクヤの家を除いた全てがしじまの王の血筋である。だが王家から統治を任されている以上、支配階級の掟として神学を身につけている。



 リョーンはタータハクヤの真意にようやく気付いた。彼女はしばし沈黙した後、無理に声を搾り出すようにして言った。

「エト、スサの鞍に短剣がさしてあるでしょう?」

「ちょっと待って……うん、あるよ」

「それを持って、スサと一緒に領主に届けて」

「えっ?」

「お願い。わたしが助かるにはそれしかないの」

「わかった」

「ちゃんと守衛に鍵を返しておくこと。あと、スサが暴れないように竜草をいっぱいあげて」

 走竜は草食である。竜草は竜が好んで食すことからそう名づけられた。竜に与えると鎮静作用がある。針に塗られた毒と同様に人には効果が薄いが、解毒薬として用いられる場合もある。希少な秘薬の類ではなく、山道を探せば必ず生えている。

「針は?」

「今、わたしに刺して」

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