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第四章『剣舞う』(3)

 ロセが持ってきた竜草を()き、ようやくリョーンの調子が戻るまでの間、タータハクヤは周囲の眼線に耐えねばならなかった。

 都会では竜車は珍しくない。珍しいのは竜車ではなく、両足の無い身でありながら、車上の人となっているタータハクヤ本人である。

 タータハクヤは王都クーンの生まれである。だが、彼女が物心着く前に、一家が粛清されたこともあって、タータハクヤは王都のことを書物や話でしか知らない。

 思えば田舎での暮らしはタータハクヤにとって快適ではなくても、安らかであった。村人であれば皆、タータハクヤに敬意を払うし、対立関係にあった領主家の者も、対立しているからこそ、タータハクヤを憎み、軽蔑するのであって、彼女が歩けない身であることを(あざけ)る者など存在しなかった。

 だが、田舎暮らしの長かったタータハクヤは、どうしようもないほどに他人である人々、民衆というものに初めて触れた。

「まあ、見て。あの竜車の人―――」

「不便だろうに。若いのに何という哀れな。見よ、あの無表情な顔を―――」

「何で足無しが竜車に乗ってるんだ?」

 驚きであろうが、同情であろうが、無知による心無い言葉であろうが、これらのことが人を傷つけない(はず)が無い。中でも、助けるつもりも無いのに言い放つ類の同情が、最も人を傷つけるのである。

 タータハクヤは泣き出しそうになるのを必死に堪えた。衆目のさらし者になるほどの屈辱、今までにあっただろうか。だが、それでも彼女はリョーンやエトに助けを求めなかった。笑顔で汚物を投げつけるような第三者による心無い視線に対して、毅然として振舞うことこそタータハクヤに許された唯一の反抗なのである。

(五体満足でのうのうと生きていたお前らには、わかるまい)

 タータハクヤは自身を辱める人々を心底軽蔑することで、この反吐が込み上げるような怒りに決着をつけようとした。



「面目ない……」

 未だに吐き気を堪えながら皆に詫びるリョーンを見て、表面上は平静を装っていたタータハクヤは、人知れず落ち着きを取り戻した。

 リョーンやエトはタータハクヤの親友だが、彼女らはタータハクヤが背負うものの重みまでは理解できない。一族の復興という呪われた宿命から、できるだけ二人を遠ざけたいと、タータハクヤが常日頃考えてきたからであった。彼女のこの気持ちを汲めるのは使用人であるヒドゥか、身内ではなくても心情を吐露できる間柄であるロセだけである。

 クーン剣士団に向かう途中、ヒドゥはタータハクヤが衆目に(さら)されていたことを知り、優しい言葉で慰めた。タータハクヤがふと右手を見ると、先ほどまで先頭を歩いていたはずのロセがいつの間にか傍にいた。ロセは何も言わない。ただ、傍にいるだけでタータハクヤに見向きもしない。

(この人は私の……)

 暖かい何かに包まれているような、そして意味もなく誇らしいような、そんな気持ちになりながら、車上の貴人は心中で呪いにも似た言葉を吐くことを止めた。



「着いたぞ」

 ロセが言わずとも、一行は皆理解していた。

 屋根こそ瓦葺(かわらぶき)だが、質素というよりは無骨極まりない岩肌にも似た壁に、装飾の類を一切拒絶するような古びた門、そして何よりも名門のクーン剣士団を表す表札など何処にもない。()のない包丁のように機能以外の全てを削ぎ落とした建物がそこにあった。

 リョーンは華美な建物を想像していたわけではないが、半ば幻滅した。そして、中から聞こえる剣戟(けんげき)の音を聞き、幻滅が建物の外装だけで終わることを祈った。

 クーン剣士団は名門とはいえ、歴史浅い。設立はほんの二十年ほど前の望南(ぼうなん)戦争の時である。(今は牢に放りこまれているが)筆頭剣士チャムの父である英雄ラームのもとに集まった義勇軍の名残が、クーン剣士団である。

 門番の少年が槍を持って(たたず)んでいる。歳はエトより若い。十三くらいに見える。彼はロセの姿をみとめると、すぐさま走ってきた。なにやら気忙(きぜわ)しい。

「先生!」

 ロセは指南役なのだから先生と呼ばれるのが当然だろう。だが、あまりにこの呼称に馴染みのないリョーンたちは、不意に目を合わせ、互いに笑いを(こら)えた。

「先生、大変です」

「チャムのことだな。まだ戻らぬのか?」

「は、はい」

 そういったところで、ロセは王都に神龍が降臨したという噂を思い出した。いや、リョーンの一件に関わった身としては、噂ではない。

「先生、チャム様は……」

 少年は一度に多くのことを喋ろうとしたためか、まるで言葉が出てこない。

「良い。中で聞く。エリリスは居るな?」

 ロセが門に手をかける前に、少年は素早く門を開いた。

「悪いが、代理の者をよこすまで待っていろ」

 そういってロセが中へ消えようとする時、リョーンだけが足早に飛び出した。

「待って、私も行く」

 機を逃したエトは車上のタータハクヤを置いてゆくわけにもいかず、頬を膨らませた。



 剣士団の修錬場は外装から想像できるように、一切の華美と無縁の場所であった。修錬なのに関わらず真剣で打ち合う門下生達をよそ目に、ロセとリョーンは修錬場の中心を歩いて行った。奥で指導をしていた男はロセに気付くと、門下生全員に向かって手で合図した。小休止である。

 男は全くといってよいほど特徴のない顔つきで、顔のしわ加減から齢五十ほどに見える。顔は小さく、眼は更に小さい。だが不細工なほどには鼻立ちが崩れていない。彼の名はエリリス。クーン剣士団の団長である。

 クーン剣士団の創設者である英雄ラームの親友で、剣の腕は全くといってよいほどに無い。それでもエリリスがクーン剣士団の長となれたのは、彼の持ち前の人望にもよるが、英雄ラームの遺言によって指名されたからだ。


――お帰りなさいませ。剣翁(けんおう)先生。


 いつの間にか整列を済ませた門下生達が声を合わせてロセの帰還を祝う。だが、剣翁先生は軽くうなずいただけだった。

「ロセ。旅疲れが癒えぬところをすまぬ」

「かまわぬ。だが、話に入る前に……」

 ロセの手をとっていたエリリスは、驚いたように、となりに立つ赤髪の女に眼をやった。

「おお、この娘がリョーンか?」

「そうだ」

 エリリスと目が合ったリョーンは軽く頭を下げた。頭を下げる時に、エリリスの後ろでリョーンの懐に目をやる門下生が見えた。はっとしたリョーンは左手で胸元を押さえた。

「ロセの娘のリョーンです」

「はは、ロセは何も言わなんだが。赤竜石のように美しい娘だな」

「恐れ入ります……」

 リョーンは気付かなかったが、エリリスは目で笑った。赤竜石(ルビー)のようだと例えられて、普通は謙遜するところを、あっさり認めてしまったリョーンがおかしかったのである。だが、侮辱の類ではなく、密かに自分の美貌を誇っているリョーンの正直さを愛でての笑みである。


――赤髪のカルだ……


 門下生の誰かがそういった時、リョーンはようやく王都に来た実感が湧いた。

「リョーン殿。私はロセ殿と話があるので、軽く中を見回っていなさい。おい、シェラ――」

 エリリスが呼ぶと、修錬場の端で寝そべっていた男が、欠伸と共に腰を上げた。



 金髪碧眼とは褐色(かっしょく)の肌が特徴的な南人(なんじん)の中でも、特異な存在である。というのも、クーン人は王国より南から来る人全てを南人と呼称してしまうため、正確にはナバラ文明人ではない人々もここに含まれる。南人についての詳細な説明は後に送る。

 さて、この金髪の男の名はシェラドレイウス。長い名は敬遠されがちなクーン人の間ではシェラの愛称で呼ばれている。男らしいという意味での美顔であるチャムとは違って、軟弱という意味をともなわないではすまない類の美貌の持ち主である。

 細身であるにもかかわらず、鈍重な仕草で近寄ってくるシェラに、リョーンは軽い嫌悪を覚えた。仕草がムシンに似ているのである。ただ、ムシンと違って穏やかな青い瞳を持つこの男は、一度だけ刺す様な目つきでリョーンを見た。

「シェラドレイウス・ペイルローン・ドラクワだ。どうだ、憶えられそうか?」

 馴れ馴れしい口調で話しかけてくるシェラに、リョーンは一瞬当惑した。

「おお、あんた。もしかして赤髪のカルじゃないのか!」

 そう言ったシェラは、しかしリョーンではなく、ロセのほうを向いている。ロセは軽くうなずくと、忙しいから後はお前達でやっておけといった仕草で、修錬場の奥へと消えて行った。

 ロセ、エリリスの二人が消えると共に、場が沸いた。勿論、主人公は赤髪のカルである。


――髪、触らせてくれよ!

――本当に一回死んだのか?

――彼氏いる、彼氏いる?

――おい、どけよ。もうちょっとで見えそうなんだ!


 都会酔いの後は男酔いしそうになったリョーンだったが、シェラは自分が最もリョーンと話したかったらしく、後輩達の最も恐れる一言を吐いた。

「怠けている奴は後でロセに言っておくからな」

 波が引くように、とはこのことだろう。潮騒にも似た音を立ててリョーンの元から離れた門下生達は、一斉に放ってあった剣を取り、修錬を再開した。


――自分が一番怠けてやがる癖に!


 こういった囁きが聞こえるということは、シェラは見た目どおり不真面目な男だが、剣士団の中で相応の権威を持っているということだろう。

「さて、ご案内いたします。お嬢様」

 大袈裟に頭を垂れるシェラに、きょとんとしたままのリョーンは思い出したように言った。

「待て。わたしも剣を振りたいのだが……」

 鋭い目。シェラの射抜くような眼差しはしかしながら他を圧する類のものではない。気付けば普段の穏やかな目線に戻っている。

「物騒なのはあだ名だけにしておくんだ。ここは化け物みたいな連中がうじゃうじゃいるんだぜ」

「あなたもその一人か?」

 当てずっぽうだが、確信に近いものがある。この男はきっとロセと同じように、構えを取らない無形の剣の持ち主ではないか。リョーンはそこまで考えた。

「いやいや、俺なんかとてもとても」



 結局、シェラにはぐらかされてしまったリョーンは、ロセが話を終えるまで修錬場の隅から剣を打ち合う門下生達を眺めていた。傍には金魚の糞のようにくっついて離れないシェラがいる。男に近寄られるのを最も嫌うリョーンだが、長い金髪が風になびく姿が女性の様でもあるシェラには最初のような嫌悪はもう感じなかった。

 クーン人の服装は異世界から現れたザイがすぐに順応してしまうように、内衣、外衣に別れる。前者はいわゆる下着で、肌が透けるような白い衣である。もう、息が白むような季節であるから、リョーンは外衣の上にコートを羽織っている。銀狼の毛皮で作ったもので、黒ずんだ赤色の安っぽい外衣に対して、高級品である。田舎娘とさげずまれないために、羽織ってみたはいいが、いささか寒い。タータハクヤのように厚い衣を着るべきだったと、リョーンは後悔した。

 リョーンはしきりに胸元を気にしている。剣術の稽古をしながら、幾人かがリョーンの懐を覗くのである。女ばかりで徒党を組んでいたリョーンはいささか男の視線というものに配慮が行かないものだが、彼らがロセの弟子でなければはり倒していたかも知れない。救いといえば、それに気付いたシェラが、自らが羽織っていた長いコートをリョーンの肩にかけてくれたことだった。

 ロセが戻ってきた。誰もが畏怖する達人であるのに、シェラはロセにも軽い口調で話す。

(全く、この男は苦手だ)

 リョーンは小さなため息をつくと、ロセに連れられて彼の屋敷に向かった。村のタータハクヤ邸ほど広くはないが、ロセ一人で住むにはいささか広すぎる。

「あれ、ナラッカは?」

 てっきりタータハクヤ(ナラッカ)も同居すると思っていたリョーンは、門前で出迎えたエトに訊いた。

「別の家に向かったよ。ほら、そこの通りを右に曲がったところ」

 ロセが別邸を買い入れてタータハクヤに贈ったのだろうか。そんなに裕福なわけでもないだろうに。銀狼の毛皮を売ったとしても、ロセが金をかき集める姿を想像できない。そうこう考えるうちに旅疲れが出たのか、居間で炉の火を眺めながらうとうとと眠りこけてしまった。

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