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第四章『剣舞う』(2)

 道中、一人車上のにあるタータハクヤは、岩壁ばかりの景色を流し見ながら考えていた。

(何故、私はついてゆくのか……)

 タータハクヤ家は望南戦争のおりに、南人への内通を告発され、粛清(しゅくせい)された。当時のタータハクヤ家当主は南人との交易に熱心だったので、言い逃れはできなかった。だが、戦後数年で冤罪であったことが証明された。

 一族は嫡流の娘ナラッカ(タータハクヤ)を残し、全て死んだ。だがドルレル王はタータハクヤ家の潔白が証明されたにも関わらず、一家再興には目を向けなかった。王宮においても無視できない発言力のあるタータハクヤ家が滅びたのは、戦時にも行われる権力闘争によって軍令すらまともに発せられない事態を体験したドルレル王にとっては、転がり込んできた幸運ですらあったからだ。

 王都にはタータハクヤの居場所は無い。ただあるとすれば、剣翁(けんおう)ロセの客人としての身分だけであって、彼女が片時も忘れない貴族への復帰とは程遠いものである。

 だが、タータハクヤには切り札があった。

 リョーンである。

 既に書いたことだが、クーン王国において神龍と通じ合える者は超人的な扱いを受ける。リョーンの蘇生の際に起こった異変で、タータハクヤのみが神龍の眼(ヨアン)を捉えたことを証明すれば、王に取り入るきっかけくらいにはなるかも知れない。それに、リョーンは失われた解毒の秘法の成功例でもある。

(でも……)

 タータハクヤはふと、リョーンの顔を見た。いくら一族の悲願とはいえ、親友を踏み台にしてまでこだわるべきであるのか。さらにその親友はタータハクヤがこの世で最も尊敬する人の娘でもある。

 タータハクヤは首を振った。答えは初めから決まっている。そう、リョーンに解毒の秘法を行うと決心した時点で、既に。彼女にとって、タータハクヤ家の復興以上に優先すべきことなど、この世に無いのだから。

「ああ、この山道がずっと続けばいいのに……」

 ため息を漏らしたタータハクヤの声は、誰の耳にも届かなかった。



 道すがら、エトはリョーンの顔を良く見る。

「どうしたの?」

「いや、別に……」

 そうして目を伏せることを何度繰り返したか、今度は(しび)れをきらせたリョーンがエトを問い詰めた。勿論、穏やかに。

「えっと、ここじゃあ、ちょっと……」

 言葉を濁すエトにリョーンは首をかしげた。

「エトと(たきぎ)を探してくる」

 薪を拾い集めながら、リョーンはエトの方を見た。

「えっとね。ずっと気になってたんだけど……」

 エトの疑問とは、処刑前夜のリョーンについてである。

 処刑前夜、エトは牢獄に侵入し、リョーンと接触した。その際、竜殺しの毒で看守を一人眠らせており、更に処刑当日、拷問を受けたあとのようなリョーンの姿に、エトは領主の陰謀によってリョーンが看守に(けが)されたのではないかと案じたのである。看守は領主家に仕えるもので、お世辞にも村民と仲が良いとは言えない関係である。

「ああ、それはね―――」

 リョーンはクスクスと、小さく笑って見せた。リョーンが自慢話をする際の癖であることを知っているエトは、自分が想像しているような暗い事実は無かったことを確信し、安堵した。



 処刑前夜、スサを駆ったエトが、リョーンの指示により領主邸に向かっている頃、用を足し終えた看守の一人が、倒れている同僚を見て異変に気付いた。

 当然、看守は異変の目撃者であろうリョーンを問い詰める。

「あまりにもムカつく面をしてたんで、頭に蹴りを入れてやったのさ」

 狭い牢獄ということもあり、両手を鎖に繋がれているとはいえ、格子から足を出すくらいはできる。

 リョーンの挑発的な態度に怒った看守は、牢内に入り、リョーンを殴りつけた。だが、鎖に繋がれたままの女を見ているうちに、看守の振るう暴力は単純な意味でのそれから、男本来の持つものに変わろうとしていた。

 リョーンの衣に手をかけた看守に向かって、リョーンはかつて自分の乳房を(わし)づかみにしたムシンに対していったのと同じ口調で、言い放った。あるいは、それよりも遥かに鬼気迫っていた。

「やってみろ。喰いちぎってやるから!」

 胆力で完全に負けた看守は、リョーンの顔面にきつい一撃を入れると、

「どうせ明日までの命だ。せいぜいほざくが良い……」

 と、吐き捨て、眠ったままの同僚を起こし、元の任務に戻った。



 こういう話が、エトは好きである。どう考えても自慢話の中で損をしたのは、殴られ放題だったリョーンなのだが、女だてらに男を圧倒する気迫が自分には欠けていると思い込んでいるエトにしてみれば、大いに英雄(たん)なり得るのである。リョーンにしてみれば、親に弓引くエトの方が胆力の塊のように見えるのだが。いや、無謀というべきか。

「あれ、でもおかしいな……」

 エトが急に頭をかしげる。

「どうしたの?」

「看守に針を撃った時、看守はすぐに眠ったけど、リョーンは眠くならなかったの?」

「いいえ、別に……」

「おかしいな……タータハクヤに訊いてみようか」

「あ、待って。エト」

 薪拾いを終えて一行の下へ帰ろうとするエトを、リョーンは呼び止めた。

「ナラッカに話しては駄目。この話も、処刑の話も」

 エトは全くの第三者ではない。リョーンが何を言おうとしているのか理解した。だが、それでも彼女が疑問に思うことは多い。

(人を仮死状態にできるのなら、わざわざ竜肉を食べる必要はあったの?)

 リョーンはもとより、タータハクヤが何を考えているのか、エトには全くわからない。



 クーン王国の暦は春から始まる。リョーン一行が王都入りを果たしたのは、初冬ともいえる十月である。王宮ではアシュナ王女の婚儀の準備が着々と進められている時期、ロセ、リョーン、エト、タータハクヤ、ヒドゥの五人は王都クーンの東門に着いた。

 王都に着いた時には既に冬が始まっていた。

「王都クーン」

 王国の名でもあるクーンとはこの国の言葉で弓を意味する。繰り返すが、都は三方を山に囲まれた盆地に腰を沈めており、開け放たれた一方は城壁が美しい弧形を描いている。まこと、大弓に矢を(つが)え引き絞ったような形をしている。形だけではなく、有事には中央の大城門から竜騎兵たちが矢のように飛び出していく。町は城壁の中にあり、都というよりは都市自体が大地に打ち付けられた巨大な兵器のようでもある。

 リョーンたちは、王都を弓に例えると弦のある山の方から足を踏み入れることになる。その前に、東門の関所で彼女らを迎える竜騎兵というものについて説明しなければならない。

 竜という種の極一部を、人が使役していることは既に書いた。人は竜を移動手段として用いた。草食の穏やかな走竜という種は、わずかな糧で多く走る。いわゆる燃費のいい竜だ。

 戦争を行う際の機動能力というものは、クーン王国のように山地で隘路(あいろ)の多い地形では火力よりも優先してのばすべき要素だった。クーンは小国だったが、竜騎兵を取り入れてから面白いほどに領土を切り取り、大陸の列強に名を連ねるほどの大国に変貌した。やがて、南で興った飛竜を中心とした文明(クーン人達が南人と呼ぶナバラ文明)に衝突し、辺境の覇であることを余儀なくされる。クーン王国には空を飛べる飛竜という種が極めて少なく、自然の走竜が多い。この国の武力において秀でている点は保持している竜騎兵の数が他国を圧倒していることだ。まさに竜の王国である。

 竜の寿命は長い。ゆうに人の三倍は生きる。千年以上生きた竜は神龍(しんりょう)になるといわれている。

 この国において、竜は神の使いである。神龍のような絶大な力を持つ神を崇め、人は神の使いと共に暮らし、戦うからこそクーン人は剽悍(ひょうかん)な民族たりえるのである。野生の走竜を捕らえ、家畜化することはクーン人の信仰を傷つけない。神は人をたすけるために竜を地上にもたらしたのだから、という考えが根付いている。人が神の使いに対して行った数少ない譲歩は、彼らを捕食しないことと、無闇に傷つけないことである。もっとも、竜を食料とした時点でその人はこの世にいないが。



「剣士団のロセだ」

 割符(わりふ)を見せるまでもなく、一行は通行を許可された。リョーンは都での父の消息を細かく知っていたわけではないから、顔だけで関所を通過してしまう義父の巨大さに、少し驚いた。

 ロセは、今でこそ老いが体を(むしば)んでいるものの、かつては王国でも五指に数えられた大剣豪だった。王都にあっては生ける伝説なのだから、宮廷に迎えられてもよさそうなものだが、寡欲と沈毅を絵に描いたような男が権謀術数の海を泳ぎきれるはずも無く、本人もそれを知ってか、引退後は辺境の村で隠棲していた。今は王の強い意向もあって、甘んじて剣士団の指南役を勤めている。指南役といっても、技にいささかの衰えも無く、剣技で彼の上をゆく人間はざらにはいない。

(おい、あれ見ろよ。剣士団のロセだ)

 道ですれ違う人がいれば、こういった囁きも聞こえてくる。

「おお、剣翁先生ではありませんか」

 巨大な城門の下で、門番にそう挨拶された時、しかしロセは不快な表情は見せなかった。諦め、慣れてしまうほどにこの名で呼ばれている証拠でもある。呼び名くらいで図に乗る様な歳ではない。

 門番は竜車上の足の無い貴人を眩しそうに見ることはあっても、リョーンになど相手にしない。いや、リョーンが期待した眼差しをとらないだけであって、彼らはこの赤髪の美女が何者なのか知りたいのだろう。向かいの老いた門番はともかく、ロセに話しかけた方は、時々リョーンの方を見る。

「赤髪のカル」

 都で噂にもなっている女の名声は、義父のさらに偉大なそれの影に埋もれてしまったのか。

(馬鹿か、わたしは―――)

 リョーンは少し名が売れた程度でいい気になっている自分が情けなくなった。

「そちらの方は?」

「娘と、友人だ」

「左様ですか。符はお持ちですかな?」

 この場合の符とは身分証のようなものである。一定以上の身分―――多くは官吏や豪商―――でなければ持つことができず、これがあれば王都の中では優遇される。例えば城門を通る時に厳しい荷物検査が免ぜられる。リョーンは剣翁の七光りもあって、社会的には無官無能ながらこれを持っている。だが、ロセの「連れ」ということで、割符を持たないエトやタータハクヤまでもが一切の検閲を免れた。

「どうぞ、お通りください」

 この門番というのも、いつもはぞんざいに「通れ」と言うだけなのだが、さすがに王ですら一目置く大剣豪の前ではいささか(いや)しくもなる。

 五人が城内へと消えてゆくと、鋼でできた重い扉が権威めいた音を立てて閉じた。

 幾つかの田舎村と大樹海しかない王都東へ開け放たれた東門から王都へ入る人など少ないから、門番も暇である。常は厳格であっても、ついつい通りすがる人に対して批評めいた雑談をする。

 話を始めたのは老いた方の門番だった。

「あの歳でもあんな長い剣を振るのか」

「だから剣翁なんだろうよ。それよりも赤い髪の娘さんだって」

「仙女のような娘だったな」

「えっ、爺さん知らないのか?」

「何が?」

「あの女、赤髪のカルだぞ。今噂になってる、ほら――」



 リョーンは田舎者である。しばらく道を歩けば、彼女は生まれて初めて味わう都会の喧騒というものに、すっかり酔ってしまった。

「どうした?しっかりしろ」

 リョーンは最初こそ物珍しさに興奮して辺りを見回していたが、途中から気分を悪くして道端でうずくまっている。彼女を置いてゆくわけにもいかず、元気の衰えないエトと見比べながら、ロセは娘の軟弱さに半ば呆れたようにそれを見ている。

(気持ち悪い)

 土臭い田舎から来た娘にとっては、人の臭いが自然のそれに勝っている風景など、異世界以外の何物でもない。

「あら、都会酔いかしら?」

 車上のタータハクヤが、小さく笑う。

「王都は毎日が祭りのように賑わってるって聞いたけど、これは酷いよ……」

 何よりも雑音の多さが、頭痛の種だった。特に雑踏の奏でる律が最も不愉快だ。人の声や足音を聞いてこれほど気分を悪くしたこともない。しかも不特定多数に対してである。

「大丈夫?」

「うん、でも耳栓が欲しい」

 リョーンは大真面目で言った。ついでに言うと鼻栓も欲しかった。

「ばかなことを言うな」

 傍にいたロセは一蹴する。

「お孫さん、大丈夫かい?」

 と、声をかけてきたのは路傍で(くし)を売っていた男だ。顔が脂ぎっていて、いかにも城下町の露天商といった風貌だ。

「ちょっと、大丈夫じゃないかも―――」

「ははは、初めて田舎から出て来た奴は誰でもこうさ」

「ほう、わかるのか?」

 と、ロセ。

「わかるさ、毎日こうやって人を見ているとね。そいつが生娘(きむすめ)かどうかまで当てちまう」

 ロセが一瞬不愉快な顔をしたのを、櫛売りは見逃さなかった。

「銀の櫛は右からさせば未婚の生娘。左だったら夫持ち。都じゃあ廃れちまったが、田舎なんかには残っている古い慣わしさ」

「ほう。そう言えばそうだな」

「酔い醒ましには竜草がいい」

「竜の餌だろう。人に食わすのか?」

「違うよ。焚いて香にするんだ。少しからいが頭がすっきりするよ。あっしも昔、南人の知り合いから教えてもらったのさ。そこの角に竜騎兵の駐屯所があるから、分けてもらいなよ」

「そうか、助かる。おい、行くぞ」

 ロセがそう言うと、リョーンは鈍い動作で立ち上がった。

「そういえば田舎で思い出したよ。あんた、あの話聞いたかい?」

「話?」

「何でも竜山の泉に神龍(リョーン)が現れたとかなんとか。田舎の―――何ていったっけ。赤髪の……」

 リョーンは驚いて顔を上げた。ロセは黙っている。

「そうそうカルだ。赤髪のカル。そいつの家を焼いた罰に山籠りさせられている男がね、神龍にあったんだってよ……って、どうした? 爺さん、怖い顔して―――」

「いや、何でもない」

 ロセが足早にその場を去ろうとすると、後ろでリョーンの呻きが聞こえた。

「う……うぇ―――」

「エト、おいエト」

 露店から露店へ次々と練り歩くエトに向かって、ロセはリョーンを介護するように言いつけた。

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