その3.
さて公園に着くと…。なんのことはない、さっきのきたないおじさんがいて、
「おい! おそいぞ!」
などと、一平の顔で怒っていた。なんて勝手なオヤジなんだ!
一平もものすごく怒っていた。
と、おじさんが、あのキタナイ手拭いを出した。それでまた顔を拭かれるかと思うと、うんざりだ。だけどしょうがない。そこだけは、静かにおじさんに従うことにした。
おじさんは、ごしごしと一平の顔をこすり、おじさんの顔についている一平の顔を近づけてきた。自分の顔が近づいてくるって…、鏡にキスするみたいで、なんともヘンテコな気分だった。
べちゃ。
また顔と顔がくっついた
「気持ちわり~!」
一平は一平の声を上げた。
「あ! 口が動く! 良かった!」
一平が喜んでいると、のっぺらぼうになったおじさんは、自分のポケットからマジックを出すと、器用に上手にへのへのもへじを自分の顔に描いた。
「ちぇっ。子どもの顔じゃだめだ。もっとハンサムな大人の顔じゃないとな」
とおじさんは、へのへのもへじで悲しい顔になった。
「だけど、大人の男じゃあ、そう簡単には顔を貸してもらえないしな。あああ、自分の顔がないというのは、本当に悲しいもんだ」
とおじさんは、へのへのもへじでもっと悲しい顔になった。
一平はなんだか、おじさんのことが気の毒になってきた。それで、
「あの…、絵のうまい、マンガ家の人とかを見つけて、描いてもらったらどうですか?」
と言ってみた。
「ふん。子どもだな」
と、今度はおじさんは、へのへのもへじでこわい顔になった。
「世の中、そんなに甘くないんだよ。オレのたのみを聞いてくれるマンガ家がそう簡単に見つかるとは思えないね」
一平はしゅんとなった。
「まあいいさ。この顔も悪くないと思える時もあるんだ」
そう言うと、おじさんは行ってしまった。
さて、次にどうしよう。
一平はとりあえず、家に帰ることにした。
と、アパートの周りにはなんだか、人が集まっていて、騒ぎになっていた。
その中にお母さんがいて、一平を見つけた。
「一平! 学校をさぼって、いったい何をしていたの!」
なんとそこには、担任のタナカ先生も、校長先生も、教頭先生も、保健室の先生までがそろっていた。
「いやはや。でも無事で良かった」
とタナカ先生がおっしゃった。
きっとお母さんは会社から呼び出しを受けて、帰って来てくれたのだ。一平は泣きたくなった。けれど、泣かなかった。
「ごめんなさい!」
と一言だけ言って、そして、あとは涙をこらえた。
それから、一平はそこにいらした全部の先生からしかられて、お母さんからも何度もしかられた。
「どこに行っていたのか?」「何をしていたのか?」と聞かれて、あのへのへのもへじのおじさんのことが頭に浮かんだ。あのおじさんのことを言ってしまおうか。
一平は言ってしまいたいような、言いたくないような気もちの間でずっと歯を食いしばっていた。おじさんを悪者にしてしまうのは簡単なことのような気がした。だけど、それはしたくなかった。
あのおじさんのことをただの悪者とは思えなかった。自分の顔を無くしてしまった、気の毒な人のように思えた。
「今日はしょうがない。お家で反省するんだな」
と校長先生がおっしゃって、とにかく今日は学校を休んでいいことになった。
先生方が帰った後、お母さんと一緒に家にもどった。
「お母さんは会社に戻るわよ。無理を言って、抜けさせてもらったんだから」
ふと見ると、お母さんの目からポロリと涙がこぼれた。
一平には何も言葉が見つけられなかった。だけど、朝、学校に行く登校班から抜けて行くなんてことは、絶対に、絶対に二度としない! と心にちかった。
「タナカ先生が出して下さった宿題をちゃんとやっておきなさい!」
「はい!」そう言いながらも、一平はなんだか得したような気分になっていた。
お母さんが会社に行ってしまうと、一人家にポツリと残された一平はまず鏡で自分の顔を確かめた。まちがいない。自分の顔だ。「あ」とか「い」とか言ってみて、口が動くことを確かめて、せっけんでごしごしと顔を洗ってみた。
消えない。
そう思うと、すっかり安心して、うれしくなり、さて何のゲームをやろうか…。それともマンガを読もうかと、自分のおもちゃ箱をさがした。
「これが、終わったら宿題やるぞ」
まったく…。
外でカラスがあきれたように、カーと鳴いた。