その2
「や、やめて!」
と一平は逃げようとしたけれど、おじさんの力は強くて、
「おい、動くな!」
と言われて、ほんとうに動けなくなり、おじさんの何もない顔がべたっと一平の顔にくっついてきた。
「わ!」(気持ち悪い!)と一平は思った。
「ふふふ。これでいい」
と言ったおじさんの顔には、一平の顔がプリントされてしまった。
(わぁぁぁぁ!)と声を出したつもりだったけれど、一平の声は声にならなかった。
「さてさて」
と一平の顔になったおじさんは言って、ポケットから今度はマジックを取り出した。
「おまえがこんどはへのへのもへじになるんだ」
とおじさんは言った。
「へのへのもへじってものが、どんなに悲しいか、オレの気持ちになってみろ」
おじさんは言うと、一平の顔になにやら描いている。
描き終わると、一平は泣き出しそうになった。
「だめだ。泣いたら、へのへのもへじが消えちゃうぞ」
おじさんは一平の顔なので、一平は自分に言われているみたいになって、
「やだー!」
と声だけ上げた。
「どうせ、いたずらぼうずだろ。これくらい困ったことがあったほうがいいんだ」
とおじさんは勝手なことを言って、
「ほら、ランドセル背負えよ」
と、一平にランドセルを押し付けて来て、そしておじさんは、
「いや~、子どもにもどったみたいだ~」
とうれしそうに公園から出て行ってしまった。
一平はもうどうしたらいいかわからなくて、そのおじさんの後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
さてどうしよう。
とにかく学校に行ってみようか。いやいや、それより家に帰った方がいいだろうか。どちらも気が重い。でも、家に帰った方が良さそうだ。
一平はとぼとぼと登校の道にもどって、家へともどって行った。
自分のアパートの下まで来ると、友達のサイトウ君のお母さんが見えた。どうしようか。
一平はもうどうしようもないので、サイトウ君のお母さんに
「おはようございます」
と言って、さっと横をすりぬけた。
「おはようございます…?」
サイトウ君のお母さんが、こっちをじっと見ているので、反対のほうを向いて、自分の顔が見えないようにして、一気に自分の家へとかけあがった。
家のとびらは、閉まっていた。
でもだいじょうぶ。今日はお母さんが仕事に行く日だから、カギを持っている。良かった!
一平はカギを開けて、中に入って、まず洗面所に走って行って、鏡を見てみた。
「うわああああ!」
おじさんは泣いたらだめだと言っていたけれど、泣かずにはいられなかった。一平の顔はただのへのへのもへじになっていたのだ。
一平の「の」の字の目から涙があふれた。「へ」の口は、「へ」のままだったけれど、声は出る。でもどうにも動かせない。
一平は泣いて泣いて泣きまくった。
そしてふと見ると、まわりがぼんやりしてきている。
(わぁ、だめだ。目が消えかけてるんだ)
そう気がついた一平は、自分の机の中からマジックを探すと、鏡のところに戻ってみた。
思った通り、「の」が消えかけている!
一平は鏡を見ながら、ゆっくりと「の」の字をたどって自分の顔に描いていった。だけどうまく描けない。
(あれ? 「の」じゃなくても、目の形ならいいのかな?)
と気がついた一平は、とにかく目のような形を描いてみたら、それでもだいじょうぶそうだった。もう、右と左の目がそろわない、ヘンテコな顔になってしまったけれど、とにかくそれでいいことにした。
そして、へなへなと、そこにへたり込んでしまった。
こんな変な顔で、この先いったいどうすればいいんだ? 消えかけたらまた描けば良さそうだけど…、だけど、いちいち毎日、描かなければならない。家族の皆は自分が一平だと言うことを信じてくれるだろうか? 口もよく動かなかったら、うまく説明だってできやしない!
(だめだ! あのジジイを探さなくちゃ!)
一平はそう決心すると、ランドセルを置いて、また公園へと向かった。
朝からのできごとがいろいろ思い出されて、自分のことも、あのへのへのもへじのオヤジにもすごく腹が立ってきた。