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朝の来ない夜に抱かれて  作者: 南条仁
第1部:再び現れた運命の女
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第6章:自分解放

【SIDE:木村海斗】


 “嫌なこと、全て忘れさせてあげようか?”。

 それが俺と紫苑の関係を持つ始まりの言葉だった。

 自分の未来に希望を持てない人間。

 それは俺だけでもなく、紫苑もまた家庭環境に問題を抱えていた。

 彼女はよく自分の事を例えるのに『羽をもがれた蝶々』と言っていた。

 それは本来、自由に飛べるはずの蝶々が飛べなくなった。

 自由を失った彼女の心の叫びだったのかもしれない。

 俺達は互いに求め合う事で満たされていたと思う。

 何もないと思っていた自分に芽生え始めた感情。

 俺と紫苑、愛情は確かにお互いの中にあったはずだった。

 しかし、俺達は恋人にはならずに他人のままでいた。

 身体を重ねあっても、恋愛感情からはずっと目を逸らし続けていた。

 お互いに必要なのは“愛”ではなく“痛み”だと無理に思い込んでいた。

 初恋だと知りつつも、俺も彼女に最後まで好きとは言えず。

 紫苑からも俺を想う素振りは見せても、言葉として伝える事はなく。

 やはり、俺達は恋愛関係にはなれないのだと諦めていたあの頃。


『紫苑が好きなんだ』


 その一言が言えていたら、俺達の世界は変わっていたのか?

 紫苑がいなくなって初めて、俺はそれが初恋なんだと自覚した。

 ……失ってから気づいても何の意味もないのに。






 7月上旬、梅雨も終わり季節は夏を迎えようとしていた。

 その日は俺の21歳の誕生日。

 俺は朝から紫苑に連れられてデートをしていた。

 彼女が見せる表情は明るくて、楽しくて。

 何だかそれが懐かしく感じていたんだ。

 時々、彼女から触れてくる手の温もり。

 俺のではない少し冷たい温もりが……俺の中にある何かを揺さぶり続ける。

 それが何かに気づいても気づかないフリをしている。

 気がつけば辺りはすっかりと夜になっていた。


「海斗、夕食美味しかったね」

「まぁまぁ、かな」

「もうっ、またそういう事言うし。素直に美味しかったぐらい言えないの?」


 俺たちが訪れたのは高級なホテルのフレンチだった。

 紫苑相手に言えないだけで、そこの料理は美味いと感じていた。

 高級料理なんて普段食べなれないモノだが、たまにはいい。

 ただし、それだけに値段もそれなりのものを要求されるわけなのだが。


「それにしても支払いはいいのか?けっこうな額だったと思うんだが」

「ふふっ、今日は貴方の誕生日でしょ。お金の事なら気にしないで。……それに、私の“家”の事は分かってるじゃない。今さら気にしないでいいの」


 俺の言葉に紫苑は微苦笑しながらクレジットカードをちらつかせる。

 紫苑の実家である白銀家は有数のお金持ちだった。

 あまり触れて欲しくない話題のはずなので、それ以上、話はしない事にする。

 紫苑が嫌がることくらいは分かりきっているからだ。

 ふと、紫苑に言われた言葉を思い出す。

 

『……嫌いじゃない、か。海斗にとって好きってはっきり言う事、少ないよね』


 俺が曖昧に物事を判別するのは興味がないからだけじゃない。


『貴方はいつもこの世界の全てを怖がってる。海斗は世界に触れることを怖れてる……だから、貴方の瞳はいつも冷たく見えるんだ』


 好きか嫌いか、それは世界の物を区別すると言う事だから。

 そして、“自分自身”を嫌われることが一番怖いんだよ。


「さて、到着。……ここの夜景、すごく綺麗って噂なの」


 彼女が俺を最後に連れて行きたい場所があると連れてきたのは……。


「……夜景?」

「そう。この街のすべてを見渡す事ができるでしょ」


 この街のデートスポットでもある丘の展望台。

 俺たちと同じようにカップルも何組かいる。

 

「この街で1番、海斗と来たかった場所なの」


 様々な街の光が色鮮やかに輝く光景を紫苑は眺めていた。

 見下ろす夜景は確かに綺麗だが……それよりも俺は紫苑を見つめていた。

 その横顔は嬉しそうで、子供のようにも見えたから。

 

『……私を楽しませて欲しい』


 そんな彼女の小さな我が侭から始まった、俺たちの出会いの日と同じように。

 俺達は文句を言い合いながらも、デートを純粋に楽しんでいる。

 俺の全てを変えるだけの“期待”と“希望”を持つ女性。

 一時的だったとはいえ、紫苑と触れ合っていた俺は満たされていた。

 やめておけ、俺の本心は何を望もうとしているんだ。


「海斗、どうしたの?」


 紫苑は俺の顔を覗き込むように見上げていた。


「……別にどうもしていない」

「嘘つき。今、考え事してたでしょ。今の貴方の瞳、とっても寂しそうだった」

「寂しい?……そうか、そうかもしれないな」


 俺はきっと“寂しさ”を知ったのだろう。

 昔の俺が忘れていた感情のひとつ。

 世界に嫌われてもいいと思っていた。

 俺の存在は誰にも関わることなく消えていくのだと思い込んでいた。

 けれど、俺は紫苑を失う事で大切なものがいなくなる“寂しさ”を知ったんだ。


「……寂しかったんだ」

「何が……?」

「紫苑が俺の傍からいなくなった事。だから、俺はお前が怖かった。再び紫苑に触れる事の意味。お前を失うかもしれない覚悟を持てない。弱いから、俺は……今も昔も変わらない弱さがあるから。その弱さが俺をいつも臆病にさせている」


 初めてかもしれない。

 女の前で本当の自分をさらけだしたのは……。

 自分の本心は極力誰にも見せないようにしていた。

 心を許すことの意味、それを俺は知りたいと思わなかったから。

 紫苑は「それが海斗の本音なんだね」と嬉しそうになぜか笑う。

 

「知ってたよ、海斗が弱い事。それでも、私は貴方を……」


 紫苑の指先が俺の頬に触れる。

 そのまま、触れていて欲しいと思ってしまう誘惑を俺は突き放す。

 乱暴にその手を俺は払い、彼女に叫んだ。


「やめろっ……俺に触れるな」

「怖がらないで……海斗にだけは拒絶されたくない」

「……やめてくれ、紫苑。俺は……お前の存在が……んっ!?」


 俺の叫ぶ声は……唇を塞がれる事で何も言えなくなった。


「海斗……ぁっ……」


 俺の唇にキスをする紫苑、彼女は……微笑みを見せていた

 濡れた唇の感触、3年ぶりに交わしたキス。

 ……重ね合わせられた唇に、閉ざした心が開かれる。

 俺は唇を離すと自然と本音を口にしていた。


「紫苑、お前が俺を狂わせるんだ」

「……狂わせる?」

「そうだ、紫苑がいるから。また俺の前に現れるから……お前の事ばかりが俺を支配している。お前の事ばかり考えてしまう」

「貴方の本音を聞くのは初めてよね。昔も心だけは入り込むのを許してくれなかったから……。そう、寂しかったんだ」


 紫苑はくすっと笑いながら、俺の反応を楽しんでいるようだった。


「何を喜んでいるんだ?」

「だって、貴方を狂わせたのは私ということでしょ」


 彼女は俺をそっと抱擁してくる。

 引き寄せられるように、俺はその行動を止める事ができない。

 まただ、お前の温もりが俺をおかしくするんだ。

 

「海斗を狂わせたのは私。そして、私を狂わせたのは海斗だもの」


 そう耳元に囁いて彼女は俺の瞳だけに視線を向けている。


「海斗。自分が自分でなくなる事の意味……分かってるくせに」

「……ずるいな、お前」

「私はずるいの。海斗にならずるい女って思われてもいい」


 彼女から感じる気持ちに嘘はなかった。

 抱きしめる身体越しに伝わる早まる鼓動。


「私もずっと望んでいた言葉だから言って欲しい」


 まるで子供の告白のように、俺は恥ずかしさを抱いていた。

 俺が誰にも言えなかったその言葉。

 

「だから、言ってよ。私達の関係を変えて。……貴方の言葉が聞きたい」


 その声は甘く俺の耳に響いて、俺の心のうちを解放させる。

 やっぱり、紫苑は俺をおかしくさせる。


「紫苑……俺はお前が好きなんだ。多分、あの頃からずっと」


 俺の気持ちを紫苑に言葉にして伝えた。

 

「……私も好きよ。本当に……ずっと愛していたからここに来たの」


 紫苑が愛おしくて、俺は自分から身体に触れる事にした。

 この瞬間に俺達の気持ちは本物になる。

 失われたもの、取り戻せない時間、そんなものは全部が過去になる。

 それが“希望”という言葉の力。

 紫苑と共に明日を望みたいと思う心と、未来が欲しいと願う気持ち。

 俺達の恋愛は終わりを迎えたはずだと思っていた。

 

「……やっと始まるんだよ、私達」


 終わりではなく、俺達はまだ始まってもいなかったんだと俺は改めて気づいたんだ。

 煌く夜景を背景に、手に入れたお互いの関係に幸せを感じていた。

 だけど、俺は……まだ、何ひとつ“真実”を知らなかった。

 “どうして、紫苑が俺の前に現れたのか?”という謎も。

 かつて、俺の前から姿を消した本当の理由さえも……知らなかったから。

 

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