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朝の来ない夜に抱かれて  作者: 南条仁
第3部:少女はなぜ姿を消したのか
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第19章:私の居場所

【SIDE:白銀紫苑】


 “どこにもいない、ここにいる”。

 私と海斗の関係はいつも問題だらけ。

 満足な幸せを得られても、すぐにその幸せは崩壊してしまう。

 海斗と恋人になれて本当の幸せを手に入れたと思っていた。

 それはわずかな指の隙間から砂のように零れ落ちていく。

 どうして、私達の幸福を世界は邪魔するの?

 私達はそんなに多くを求めていないのに。

 たったひとつのモノを望む事がそんなに悪い事?

 私がどんなに叫んでも、もがいても、運命は変えられない。

 大切な人との別れ……私は何て無力なんだろう。

 海斗、私の運命を切り開いて。

 貴方だけが私の最後の希望だから……。






 私が白銀家から家出して、1ヵ月が過ぎた頃。

 ようやく海斗との恋人関係に慣れ始めた矢先の出来事。

 早朝、扉を開けた向こうにいたのは……。


「……お久しぶりです、紫苑お嬢様」


 黒いスーツを身にまとう男、白銀家のボディーガードの板倉が玄関前に立っていた。


「い、板倉!?どうして貴方たちがここに?」

「お迎えに参りました。お嬢様、会長からの伝言です。『遊びの時間は終わり』、だと」


 それは幸せな時間の終わり。

 予想外の展開に私はそれ以上、言葉が出ない。


「……どうしてここが分かったの?」

「3週間前に紫苑お嬢様がこの街でクレジットカードをお使いになりましたね?そこからこの街を割り出し、さらにお嬢様の友人関係を調べさせてもらいました。数日前にここにいるのを確認し、自分が会長に報告しました」

「そういうことか」


 海斗の誕生日に私はそれまで使わなかったクレジットカードを使ってしまった。

 あの時は彼のことばかり考えていたせいで、気にしてなかったんだ。

 そんな僅かなミスから綻びに繋がるなんて。


「美咲お嬢様は貴方の事を心配しておられます。これ以上、迷惑をかけるのは……」

「知ってるわよ、それくらい。でも、私は嫌よ。ここから帰るつもりなんてない」

「紫苑お嬢様」

「板倉だって分かってるでしょ。私があの家に帰れば結婚させられる。ここには大好きで大切な人がいるの。私はようやく手にした幸せを失いたくない」


 彼は仕事のプロだ、同情してもらえるとは思っていない。

 だけど、私だってここから離れる事なんて絶対に嫌だから。

 残酷な現実を黙って受け入れたくないの。


「……光里様との婚約の件、理不尽に思われている心中は察します。ですが、貴方には白銀家に戻ってもらいますよ。あの家に貴方は必要な存在です」

「うるさいっ。私は帰らない、絶対に戻らない」

「抵抗はしないでください、紫苑お嬢様」


 私の肩を掴む板倉、周りを他のボディーガードにもつかまれてしまう。


「離して、このっ……離してよっ!」


 私が何とかしようともがいていると男の人が私の前に姿を見せた。


「紫苑さん、大人しくしてもらないかな?」

「み、光里さん!?」


 ……私の婚約者でもある彼がわざわざこんな場所に来るなんて。

 いつもは優しい表情を浮かべる彼は顔を強張らせた。

 私の前に現れた彼は私にそっと耳打ちする。


「会長はかなりお怒りだ。場合によれば力づくもやむを得ないと言ってる。この意味がキミにも分かるだろう?……木村海斗、紫苑さんが身をよせた相手だよね」

「ちょ、ちょっと待って!何を言ってるの?まさか……海斗に何をするつもり?」

「彼はまだ室内にいるのかな?だとしたら……」


 その口調から察する事ができるのはひとつしかない。

 これは脅し、私が素直に帰らなければ彼がどうなるのか。

 身の危険だけじゃない、彼の未来を潰すことも白銀家なら容易にできる。

 ここまで卑怯な事をするとは思っていなかった。


「待って、彼には何もしないで!彼は関係ないでしょう。どうしてそういう事を平気で出来るの?貴方たちは私に何をさせたいの……」

「何とでも言ってくれていい。それでキミが戻ってくれるのなら。紫苑さん、僕だって手荒な真似はしたくない。分かってくれるね?」


 私は海斗を守りたい、だからそれ以上抵抗する事はできなかった。

 私のせいで彼にもしもの事があったら……そう考えるだけでも思考が凍りつく。


「最低だよ……こんな卑怯な脅し方。お父様の……ような……?」


 私はハッとさせられてしまう。


「もしかして……そう言うことなの?」


 頭の中でカチッと音を立てて、何かが当てはまる。


「光里さんがいくら白銀家の分家である倉敷家の人間でも、こんな真似ができるだけの権限もない。お祖父様だって、こういう手荒なことをしない人よ。こんな圧力のかけ方、まるでお父様のようね」


 ずっと心の中で抱いていた違和感があった。

 私の中の疑問が確信へと変わる。

 気づきたくなかった事がある。

 気づいてしまった事がある。

 それは……とても冷たくて、残酷な答え。

 

「……ねぇ、光里さん、さっきの脅しをかけたのは姉さんでしょう」

「さぁ?僕がそれに答える意味はない」


 私の知る彼は優しい人だ、誰かを傷つけるような事はしない。

 けれども、ひとつだけ例外は存在した。

 愛する美咲姉さんの命令、それは彼を自分の意思とは無関係な行動をさせる。

 

「光里さんは美咲姉さんに頼まれたんだ。そうやって私を脅かすように」


 姉さんの噂を聞いた事がある。

 白銀家の権力を握るようになった彼女はかつての父のようである、と。

 強引な経営手腕も、そういう方法も父に幼い頃から教え込まれているから。


「僕から何も言うつもりはない」

「いいわ、会いに行きましょう」


 私達の運命を切り裂いたのが思いもしなかった実姉だなんて想像すらしたくない。

 私は海斗に何もつけずにその扉を閉めた。


「ごめんなさい、海斗……」


 また貴方の前からいなくなる私、ひどい事をしてると思う。

 けれど、今度の私は違うから。

 貴方との関係を、幸せを本当に手に入れるために運命と向き合うの。

 逃げてばかりじゃ何も始まらないから……私はそのいばらの道への一歩を踏み出す。

 大事な明日を手にするために。






 私達が向かったのはお祖父様の屋敷ではなく白銀家の本家。

 数年ぶりの実家はいつもと同じ雰囲気に包まれている。

 

「……久しぶりね、紫苑ちゃん。おかえりなさい」


 姉さんの執務室を訪れた私に優しく微笑む。

 その笑顔が好きだった、ずっと姉として憧れていたから……。

 でも、それは違うんだって気づいてしまった。


「ただいま、美咲姉さん」

「いきなりいなくなったから心配したのよ。ダメじゃない、勝手な事をしちゃ……」

「……誰だって、自分の運命を決め付けられたら抗いたいと思うでしょう」


 私は逃げずに彼女と真正面から向き合う。


「4年前、私は光里さんと結婚する事になった。3年前、私は留学することになったの。全部、お祖父様の命令……仕方ないって思っていた。けれどね、私は前から疑問に思っていたんだ。どうして、お祖父様、本人から聞いてないのか」


 姉さんの表情が変わる、こちらを見つめる彼女の瞳が怖い。

 それでも進まないといけない。

 私と海斗との未来を守るために、私の居場所を得るために。

 

「……お祖父様は今回の件に一切関与してないんじゃない?そう、全ては美咲姉さんの独断だった。婚約も留学も。違うかしら?」

「どうしてそう思うの?」

「私が白銀家に戻らなければ海斗に対して圧力をかけるって、光里さんは言った。私の知るお祖父様はそんな汚い事はしない。そう言うことをしていたのは亡くなったお父様。そして、今、その思考を引き継いでるのは姉さんだもの」


 執務室が静寂に包まれる。

 黙り込んだ私達……先に静寂を破り、くすっと微笑をしたのは姉さんだった。


「……だとしたらどうだというのかしら?そうよ、紫苑ちゃんの婚約を決めたのも、留学させたのも、海斗さんに圧力をかけようとしたのも全部、私がしたことよ」


 悪びれる事もなく、堂々と言い放つ美咲姉さん。


「お祖父様は数年前に病に伏せて長い間入院しているの。言葉を話す事さえままならない。もう先は長くない、そう宣告されているわ。つまり、白銀家の実権を握るのはこの私、全てを決めなければいけない。だから、紫苑ちゃんにも協力して欲しいの」

「……協力?」

「そう。光里と結婚して、薄れていく白銀家の血を再び強くしたいの。留学してもらったのは語学に堪能な優秀な人材として成長して欲しかったから。せっかく、そこまでは順調だったのに、まさか家出されるとは思わなかったわ」


 なんて現実は残酷なんだろう。

 今まで、私の味方だと思っていた姉さんが私と海斗の関係を引き裂いた相手だった。


「私と海斗は恋人よ。誰にも引き離す事なんてできない」

「紫苑ちゃん……バカな事をいつまで言うつもり?貴方には拒否する事は許されない。白銀家に生まれた以上、私の命令に逆らう事はできないの。その子とは別れなさい。辛いかもしれないけれどすぐに忘れてしまうわ」

「ひどいわ、姉さんっ!美咲姉さんは人の感情を何だと思ってるの!?」


 怒りだ、この胸に溢れて仕方がない感情は……。

 姉に怒りを抱くのは初めてだった。


「……感情的にならないでよく考えなさい。私が貴方の未来を作ってあげる。理想的で“幸せ”になれる未来。どうして、それを拒むの?」

「私は……私はそんな作られた幸せなんていらない!私が欲しいのは私を満たしてくれる本当の幸せよ。姉さんは何も分かっていない」

「分かっていないのは紫苑ちゃんの方でしょう。よく考えてみなさい。時間はまだあるもの。どちらが貴方にとっていいのか」


 姉さんが合図をすると板倉達が室内に踏み込んでくる。


「板倉、この子の監視を頼むわ。紫苑ちゃん、少し頭を冷やしなさい。しばらくは外出するのを禁止します……話は以上よ」

「……美咲姉さん。これだけは約束してよ。海斗には何もしないって」

「約束……?ごめんね、紫苑ちゃん。それ、無理。もう既に光里が彼に手をくだしているの……。大丈夫よ、紫苑ちゃんとの事を諦めてもらうだけだから」

「くっ……美咲姉さん、貴方って人はどこまで卑劣なの!」


 私の叫びを真顔で見つめる彼女。


「私は白銀家のためにならなんだってするわ。それが当主としての責任だもの」

「……美咲姉さんなんて嫌い、大嫌いっ!」


 表情さえ変えない彼女、そこにいるのは私の知る彼女ではない。

 姉さんの事を何も知らずにいた自分、悔しい気持ちでいっぱいになる。

 私は唇を噛み締めることだけしかできない。

 美咲姉さんには優しい私の姉でいて欲しかった、そんな姉を信じていたかった。

 私は板倉達に自室へと連れて行かれてしまう。

 自室に独りになると私はグッとこらえていた感情が溢れていく。

 ポツリと、瞳から涙が自然に流れていく。


「……うぅっ……ぁあっ……」


 たった1人の家族、大好きな姉に裏切られてしまった。

 その事実が私の心を折りそうになる。


「ひくっ……ぇっ……かいとぉ……」


 海斗は大丈夫だろうか、ひどい事をされていないか心配でたまらない。

 どうして、私の運命はこんなにも残酷なの?

 嗚咽をあげて泣いても運命は変わらない。


「海斗は私を守ってくれるって……うっ……言ってくれた」


 だから、私は海斗のその言葉を信じる。

 大切な人だから……彼は私を裏切らないって。

 

「もう2度と寂しい思いをさせないって思ってたのに。それなのに私は……」


 静かに瞳を瞑り大好きな海斗の顔を思い出す。

 普段は何でも冷めてるようにみえるけれど、触れてみたらすごく温かくて優しいの。

 そんな海斗が好きで、私の世界の大半を彼が占めていた。

 私はこれからどうなるんだろう。

 深い暗闇に沈むように私は泣きつかれて眠りについた。

 

次回から最終部です。時系列的には第9話の続きになります。

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