第18章:デイ・ブレイク
【SIDE:白銀紫苑】
“ただ幸せな日常が欲しいの”。
海斗と再会した私は彼に恋に落ちた。
運命に負けた私は彼と離れていく事になる。
留学していた私は一度も彼のことを忘れたりしなかった。
ずっと彼に会うことばかりを考えていた。
幸福と愛情。
3年前の私が欲しくて求めようとしたけれど、諦めてしまったもの。
彼の傍にいられなくなってから、私は後悔ばかりしていた……。
何事も諦めちゃダメなんだ。
例え、どんなに残酷な運命だとしても。
強い意思がなければ欲しい自分の未来は得られないから。
海斗の家に滞在して1ヶ月。
私と彼は3年越しの思いを通じ合わせて恋人になれた。
それがどんなに嬉しかったか。
叶わないと思っていた夢が現実になる。
未来は変えられるんだという期待が芽生える。
彼も昔と違い、変わってしまった所はあるけれども、優しい所は変わっていない。
その夜はベッドに座りながら一緒にテレビで映画を見ていた。
外国のラブストーリー系の映画で、海斗は見たがらないのを無理に引き止めた。
私は彼の腕に包まれるよう抱きしめられている。
「……ねぇ、海斗。私の事、好き?」
ラブシーンの最中に私は彼にそう尋ねた。
「言わなくても分かるだろ……?」
「分からない。ここで“嫌いじゃない”とか言ったら許さないわよ」
「あのなぁ、さすがの俺でも恋人に尋ねられてそんな曖昧な表現はしない。……好きだ」
照れくさそうに答える海斗。
海斗は人に好きと言う経験が少ないっていうか、苦手なんだと思う。
好意を他人に言葉で伝える事の大切さ。
私も苦手だからこそ、それをふたりで克服するように告げる。
「私は海斗から好きって言葉をもっと聞きたいの。私を愛してくれているのは態度で分かるけれど、態度だけだと今までと変わらないでしょ」
海斗と恋人になるためにかかった時間は親しくなってから4年。
何度も彼と身体を重ねても、恋する言葉を1度も言ってくれずにいたから。
二人の心はとっくの昔にひとつになっていたはずなのに。
言葉が大切だからこそ、彼にはもっと私にそれを伝えて欲しいんだ。
「そうかもしれないな……」
彼は私の身体を後ろから抱き寄せたまま、そっと私の髪にキスをする。
「愛してるんだ。本気でお前に夢中だから……紫苑を離さない」
「……あっ……」
心をときめかせる台詞、海斗から聞けるとは思ってなかった。
彼は顔をこちらに見せてくれないけれど、精一杯の愛情を私に向けてくれる。
「海斗……聞いてもいいかしら?」
「ん?答えられる事なら何でもいいけど」
「……妙に女の子の扱いが手馴れている気がするのは気のせいじゃないわよね?私と離れてからどれくらいの子と付き合ったのかな?」
3年の間に変わった事と言えば海斗は女の子の扱いが上手くなっていた。
行動や仕草、そこに冷たさを若干感じるけれど、あの頃よりも私を喜ばせてくれる。
……それはやっぱり“経験”なんだと改めて感じた。
私と海斗には埋められない3年間がある。
私がいなくなって寂しくさせてしまった時間。
その間、彼の傍には何人もの女の子の影がある、恋人になってからその事が気になってしまうんだ。
「……そんな事を聞いてもしょうがないだろ」
「今の恋人は私だけど、気になるの」
「さぁ、何人ぐらいだろうな。片手では足りなくて、両手で足りるくらいじゃないのか」
棒読みで答える彼、私の身体に触れる手は動揺しているようにも見える。
「5人以上、10人未満……。そっか、海斗は遊び人だもんね」
「事実だけど、その納得のされ方は微妙すぎる」
私が消えたのは私の都合、彼を裏切った事を忘れてはいない。
恋人でもなかったから、彼があれから誰かと付き合ったとしても悪くないし、誰かに優しさを求めても悪くはない。
ただ……私はそれが寂しいんだと思う。
だから、聞いてしまうんだ……こんな事、聞きたくないのに。
「それなら、付き合った中で海斗に影響を与えた女の人はいた?」
「……紫苑?」
「答えて。私以外にホントに恋人だと思えた人はいたの?」
大好きな相手には特別扱いされたい、誰もが思うこと。
彼は私が影響を与えた人間だって言ってくれたけれど、他にも過去にそう言う人がいたのかな……そう思うと聞かずにはいられない。
「……いたよ、ひとりだけ。紫苑と同じように、俺が愛せたかもしれない相手」
「どういう人だったの……?」
「一言で言えば……お姉さんみたいな人かな」
私は振り返ると彼は過去を懐かしむような表情を浮かべていた。
どうでもいい、それが今の彼の口癖だった。
そんな海斗の心を満たせた女の人って興味がある。
私の知らない空白の時間を海斗は語りだす。
「歳は俺よりも上、大学の先輩だった。彼女はいつも無気力な俺に“やる気出しなさい”とか小言ばかり言う人で、初めは好意なんてひとつもなかった。それでも、彼女に告白されて、付き合い始めるようになって俺は少しだけ変われた」
彼はそこで言葉を一区切りした。
他人に影響を与える人間はすごい。
憧れ、衆望、羨望……様々な形はあるけれど、自分も変われるかもしれないという可能性を与えるだけの力があると思うから。
「堂々と自分の目指す道を歩いていける、そんな姿に彼女の人間性は尊敬していたな。そんな彼女がどうして俺を好きになったのかは分からない。俺にはもったいないくらい、しっかりとした女の人だった」
多分、その人は海斗の心の奥底にある寂しさに気づいたんだって勝手に想像する。
海斗に惹かれた私だから分かる事。
テレビは既に映画を終えて別の番組に変わっていた。
「結局、うまくいかなくて別れた時に彼女に言われたことがあるんだ。本気で生きてみたらどう?ってさ……。なんか、その言葉は今も俺の心に残ってる」
「……海斗が鈍感バカでよかったかも」
「は?何でそんな事を言うんだ……?」
「だって、その一言、彼女の口から言うのにどれだけ勇気が言ったと思う?それだけ愛されていたら、普通は別れたりしないもの。彼女は海斗に求めたのは多分だけど“自分”っていう事を意識する事だと思う」
彼の元カノさんはかなりすごい人だって感じさせられた。
自分の好きな相手に本気で生きてみたら……なんて普通の人じゃ言えない台詞だから。
「誰かを愛するのも、何かを行動するのも結局、自分でしょう。本気で生きるって事は自分のしたいことに全力で向き合う事だもの。……彼女は海斗に向き合って欲しかったんだ。自分の意思で愛して欲しかったんだと思うよ」
呆けた顔をする彼は静かにうなだれる。
「……そういう意味だったのか」
「憶測でしかないけどね。危ないなぁ……もしも、その人の言葉の意味に海斗が気づいてたら、海斗は私の恋人じゃなかったかもしれない」
彼女には悪いけれど、この男の子が鈍感な人間で助かった。
ホッと一安心した私に彼は言う。
「人間を好きになるって難しい事だな」
「難しくないけれど、当たり前のことを当たり前のようにできる人間じゃないと出来ない事かもしれない。他人を思いやる事、人を大切にしたい気持ち」
今、こうして彼に抱かれて幸せを得られるのは奇跡だ。
小さな幸運の積み重ねが幸せに繋がっている。
海斗という、世界で最も愛する男の子がこの世界にいる。
それだけが私の生きる力、この気持ちが生きてる証だから。
私は自分の立場を忘れてしまいたい。
彼がいなくなった部屋で私は自分の携帯電話を見た。
そこに連なるのは着信履歴……実家である白銀家からの電話番号。
海斗には心配させたくなくて、事情を何も話していない。
そろそろ彼らから逃げるのも限界かもしれない。
幸せの時間を壊したくなくて、彼には黙っているけれど、私は家出をした人間。
心配してくれる姉さんのことは嬉しいけれど、実家に戻れば私は好きでもない、 ううん、私以外に好きな人がいる光里さんと結婚しなくちゃいけない。
それは私も彼も望まない未来、何とかして私はその問題を解決したい。
そのために私が出来る事って何かないのかな……。
海斗が私の抱える問題に踏み込んできたのは数日後の夜だった。
数時間前まで降り続いた雨がやみ、月の光が照らす中で彼は私に言った。
「俺は紫苑の支えになりたい」
「もう十分なってくれてるわよ。貴方がいてくれないとダメなくらいに」
「そうじゃない。それよりも先、俺は紫苑の事が知りたいんだ」
真面目な顔をして私に迫る彼、どうやら気づいてしまったみたい。
ずっと隠し続ける事なんて出来ない事だから私は彼に明かした。
「好きっ……貴方が私の希望。私の未来を貴方が切り開いてくれるなら」
彼を強く信じてる、私の未来を変えてくれる存在だって思えたから。
「……海斗。私と結婚してくれる気はあるかしら?」
「は?結婚?」
「冗談で言ったつもりもないけど……その反応は傷つくわ」
……気を取り直して私は彼に向き合う。
ここから先の言葉は3年前から隠してた事だもの。
彼に伝えるのは勇気もいるし、何より、嫌われたくない思いが強かった。
それでも話したのは……海斗の事を誰よりも信頼していたから。
「すまない。そういうつもりじゃなかったんだが……。いきなり結婚何て言われたら誰でも驚くだろう?」
「そうよね、誰でも驚くの。私はそれを……17歳の時に言われたのよ。私は自由に空を飛べないの。羽をもがれてしまった蝶々。白銀家に生まれた頃から決められた宿命というのかな。……私には親の決めた婚約者がいるのよ」
「……婚約者!?」
驚いた彼の表情が私の胸を締め付けてくる。
大切な人を傷つけたくなくて、逃げていたかった現実がある。
恋人の関係がこの現実に潰される、想像したくもない。
けれど、私の予想をはるかに超えた事を海斗は言ってくれたんだ。
「俺がお前を守ってやる。絶対に……約束するから俺を信じろ、紫苑」
守ってくれる、私と一緒の未来を歩んでくれるなんて言ってくれると思わなかった。
彼の強い言葉が私の世界を明るく照らす、それは希望の言葉。
「海斗……かいと……」
私は彼に抱きついて心を解放するように涙を流して喜びを表す。
本当の自分を知られることで嫌われると思ったの。
「海斗っ、私を守って……私を……守って……」
そうじゃなかった、私の事を支えてくれるって彼は約束してくれた。
海斗の言葉が嬉しい……彼が優しい人間でよかった。
ずっとこの日々が続けばいいのに……。
翌朝の私はいつもより早く目覚めていた。
まだ寝ている彼を起こさないようにベッドから抜け出して着替える。
朝食の準備をしていると、インターホーンの鳴る音が聞こえた。
「こんな朝早くから?誰だろう?」
誰か来たみたい……私は急いで玄関の扉を開けた。
「え……?」
そこにいたのは……海斗の友人でも管理人さんでもなかった。
「……お久しぶりです、紫苑お嬢様」
黒いスーツを身にまとう男、白銀家のボディーガードの板倉が玄関前に立っていた。
「い、板倉!?どうして貴方たちがここに?」
「お迎えに参りました。お嬢様、会長からの伝言です。『遊びの時間は終わり』、だと」
それは幸せな時間の終わり、予想外の展開に私はそれ以上、言葉が出ない。
そして、それは2度目の痛みをもたらす海斗との別れの始まりだった。




