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朝の来ない夜に抱かれて  作者: 南条仁
第2部:似た者同士は惹かれあう
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第13章:恋人にはなれない

【SIDE:木村海斗】


 “不変を望んで何が悪い?”。

 何一つ、変わりたくなんてなかった。

 今がいいと思うから、変わらない事を望むのは罪か。

 変化なんていらない、ありのままの“現在”を望みたい。

 過去を思い出す今になって思う。

 あの頃の俺は絶望を味わいながらも、幸せでもあった。

 紫苑に出会えたという奇跡。

 関係は恋人でなくても、傍にいるという意味が大きかった。

 お互いにとってかけがえのない必要な存在だった。

 紫苑、今だから言える事があるんだ。

 俺はあの時からお前の事が好きだった。

 ……ひとりの女として愛していた。






 季節は流れ、高校3年に進学して新学期が始まった。

 5月の中旬だというのに気温では初夏の日和。


「……さすがにこの天気は暑いな」


 俺は屋上の日陰に座りながらぼやく。

 授業をサボるだけだった俺も今では普通に出るようになっていた。

 不良扱いは相変わらずでもいい、誰かに同情して欲しいワケでもない。

 右腕も日常生活をおくるだけなら何とかなる程度に回復していた。

 変わり始めた世界って奴は意外にも俺には住みよい世界だった。

 俺の世界にはいつしか紫苑が入り込んでいる。

 彼女と関係を持つようになってから半年が過ぎた。

 今でもお互いにそういう気分になったら身体を重ねあう関係だ。

 ……そこに愛があるのかは分からない。

 変わらない関係というべきなのか。

 俺達は恋人として接する事はなく、流されるように関係を続けている。

 その日の紫苑は朝からどこか機嫌が悪いように見えた。

 

「……紫苑、大丈夫か?顔色が悪いぞ」

「海斗に心配される事じゃないわ。私は大丈夫よ」

「それならいいけど……」


 紫苑の瞳はここじゃない、どこか遠くを見つめているように見えたんだ。

 そう、ずっと遠くを彼女は見ていた。


「……海斗。飛べなくなった蝶々はどう生きていけばいいのかしら」

「また、それか。もっと具体性を持って話してくれ。何か悩みでも抱えているのか?」

「悩みじゃない。その答えは既に出ている、ただ私はその答えに納得できないだけ。私という人間は他人が思うよりも我が侭なのよ」


 紫苑がこういう言い方をする時、大概、俺は何かを言い返してやれない。

 俺と同じように紫苑にも人に言えない悩みっていうのがある。

 悩みがあると分かりながらも彼女はそれが何なのかは喋ろうとしない。

 どうしても、他人に踏み入らせようとしない紫苑の心。

 知りたいと思う事はあっても、俺はそれをしなかった。

 彼女もそれを望んでいたから、できなかった。

 紫苑の心はガラス細工のように触れたら壊れそうな気がしたから。

 

「我が侭は悪いのか?いいじゃないか、人間っていうのは我が侭なものだろう」

「……皆が我が侭に生きたらこの世界はどうなると思う?恐ろしい世界になるわ」

「我が侭になれない世界に生きても意味はない。俺はそう思うけどな」


 紫苑という女はポジティブに見えるが、本質はネガティブなのかもしれない。

 いや、そうさせている何かがあるのかもしれない。

 彼女が時折、哲学的に話す言葉は希望を含んでいないから。

 

「私は未来に希望がないのよ。ううん。言葉が足りてないわね。正式に言えば、私が望む未来を私は歩む事ができない」

「……どういう意味だ?」

「既に答えは出ているの。私には決められた道がある。その道を嫌でも歩かないと生きていけない。海斗も今なら分かるでしょう。それまで当然のようにあった日常は些細な事でも崩れ去る。変わっていく……私は変わる事が怖いの」


 こうして不条理な世界に突き落とされて分かった事がある。

 人間、生き方は人それぞれ、考え方を変えただけで変わっていく。

 ……それまで歩んできた道とは少しずれただけでも怖いんだ。

 変わる事を人間は最も怖れているのだ、と。


「人間の意識を変えるのは難しいもの。けれど、それは否応もなく襲い掛かる場合があるわ。海斗、貴方を変えたようにね」

「今日は一段と何を言いたいのかが分からない」


 紫苑と会話しているとそのテーマというか、本質を見抜かねばならない。

 彼女は何をいいたいのか。

 それを見つけ出すのが紫苑との正しい付き合い方だ。

 照りつける太陽の日差し、澄み切った青空に彼女は言葉を放つ。


「……海斗、私達の関係って何なの?」

「関係?それは……」


 改めて問われると言葉に詰まる。

 なぜなら、俺と紫苑の関係を示すモノは何もないから。

 お互いに友情を抱いていないから友達ではない。

 愛情を確認しあっていないから恋人でもない。


「……セフレ?」

「殴るわよ?ちゃんと考えて答えなさい」

「真面目な回答だったのだが。ただの顔見知りというのはどうだろうか」


 宣言通りに紫苑に殴られて、彼女は不機嫌そうに言う。


「私達、今の関係が1番いいのかな。海斗はどう思う……?」


 それは彼女にとってどんな想いを込めて言った言葉だろうか。


「俺には分からない。今の関係が何なのかすら考えられない。思考停止状態だからな。ただ、俺はお前の傍にいると落ち着く。それだけだ。違うか?」


 紫苑はなぜか唇をかみ締めるような表情を見せた。

 それは悲しそうにも、辛そうにも見える。

 彼女は何かに耐えるように、小声で言葉を紡いだ。


「そうよね、所詮、私達は他人だもの。私達は……恋人になんて甘い関係にはなれない。そんな事のために今を過ごしてるわけじゃない。セックスするのも、キスをするのも……ただ、したいからしているだけ。そこに特別な感情なんてないわ」


 拗ねるような紫苑の淡々とした言葉が、やけに鋭く俺の心に突き刺さる。

 それは記憶に付箋するように、その後の残り続ける言葉。

 俺達は恋人にはなれない。

 互いの身体を求める事はあっても、心までは求めない。

 俺は紫苑が望んでいる言葉が分からず、その言葉を言えなかった。

 もしも、この時、俺が別の言葉を呟いていたら運命は変わったのだろうか。

 紫苑は立ち上がると屋上のフェンスを握る。


「……ねぇ、海斗。人はどうして空を飛べないのか考えた事はある?」

「羽を持たないから飛べない、そんなつまらん事を尋ねたわけじゃないだろ」

「ええ。人間は地上で生きる生き物だから、飛ぶ必要なんてない。だから、羽をもたないの。初めから飛べないものに翼は必要ない。でもね、最初は自由に空を羽ばたけた蝶々も綺麗な羽をもがれてしまえば飛べなくなる」


 紫苑が俺を真っ直ぐな強い視線で捉えていた。

 思わず言葉を飲み込む俺に彼女ははっきりと告げる。


「……飛べなくなったモノと最初から飛べないモノ。両者はどちらも空を自由に飛べないけれど、生きている意味と言う点では異なるわ」

「紫苑……?」

「……私も最初は自由に空を飛べた蝶々だったの。だけど、いつのまにかその羽は飛べなくなってしまった。私はこれからどう生きればいいの?」


 悲痛な少女の叫び、あとになって理解することになる。

 これは紫苑の助けて欲しいという心の叫び声だった。

 

「……きゃっ!」


 ふっと、突然、彼女は身体のバランスを崩す。

 立ちくらみをするように、倒れこもうとする紫苑を俺は咄嗟に抱きかかえた。


「お、おいっ。紫苑、大丈夫か!」

「うぅ……気持ち悪い」


 顔色が悪いのは気づいていたが、本当にしんどそうな顔をしている。

 症状から判断すると貧血だろうか?


「体調が悪いなら、先にそう言えよ。保健室に連れていってやる。立てるか?」

「ごめん、足に力が入らないの」

「……しょうがないな、それなら背負っていくか」

「それよりも……お姫様抱っこがいいな」


 彼女が消え入るような声で告げたのは呆れるような我が侭だった。

 この状況でよく言える、どうやら見た目以上に大丈夫そうだ。


「俺の腕を知って言うか。お前は意地悪だな」

「ダメ?」

「というか、無理。できる限りならしてやれるが」


 俺は気恥ずかしさを誤魔化して、短くそう答えた。

 抱き上げるのは無理でも、支える事はできる。


「ほら、ジッとしていてくれ。お姫様」


 俺は紫苑と身体を密着させて、保健室まで連れていくことにした。

 抱きしめあう光景に、階段ですれ違う生徒たちが俺達を見て驚く顔を見せる。

 ……唯一の例外は抱きかかえられた本人、紫苑だろう。

 笑っていたんだ、とても楽しそうに。

 だから、俺は何も言えなくなった。

 女の子の笑顔は時々、嫌になるくらいにずるい。

 俺が保険室にたどり着いた頃には噂が流れる程度の人数の生徒と遭遇してしまった。

 これで明日には、俺と紫苑の妙な噂を聞かされる事になるんだろう。

 俺は保健医に事情を説明すると、彼女をベッドに寝かせるように言われた。


「ありがとう、海斗」


 お礼を言う紫苑の頭を俺はそっと撫でてやる。

 例え、恋人ではなくても、俺達は自分たちらしい関係でいられる。

 紫苑の症状はやはり貧血だった。

 数日前から睡眠をほとんど取れていないらしい。

 やはり、抱えてる問題のせいだろうか。

 俺は紫苑の力にはなれないのか、それだけが気がかりだった。






 ……放課後になって、授業を終えてすぐに保健室に立ち寄った。

 午後の時間をここで過ごした紫苑に会うためだ。

 帰りは家の人に連絡をしたらしく、校門まで彼女を見送る事になった。

 

「……はぁ、ホントに今日は迷惑をかけたわね。ありがとう」

「そんなのはいちいち気にする事じゃない」

「海斗ってば、優しいんだ……ふふっ」


 きゅっと俺の服を掴んだ紫苑。

 彼女が何かを言おうと唇を動かしたその時、


「……紫苑ちゃんッ!?」


 突如、一台の車のドアが開き、女の人の声が校門に響く。

 こちらに近づいてきた綺麗な女の人。

 もしかして、紫苑の家族か?


「美咲姉さん?どうして……仕事はどうしたの?」

「そんな事より、倒れたって聞いたからすぐに来たのよ。大丈夫?病院に行く?」

「もうっ、心配しすぎよ。ただの貧血。私は大丈夫だから落ち着いて」


 お姉さんらしき人は紫苑を本当に心配しているように見えた。

 実際に見たとおりに姉妹仲がいいのだろう。


「あ、海斗。紹介するね、私の姉さんよ。美咲姉さん、彼が私を助けてくれたのよ」

「紫苑の姉の美咲です。どうも、紫苑がお世話になったみたいでありがとうございます」

「クラスメイトとして、当然のことをしただけですから」


 何ていうかこういうのは照れる。

 挨拶を終えたあと、彼女は美咲さんの車に乗る。


「海斗、また明日。会いましょう」

「今日はゆっくり休むんだぞ。いいな?」

「そうね。でも、今日みたいに優しくしてくれるのは嬉しかったわ。海斗が私に優しく接してくれるから。私はまだここにいられそう……」


 意味深にそう言葉にして、彼女は窓を閉めた。

 走り去っていく車を見送りながら俺は思う。


「……俺が優しい、か。そんな風に行動できたのは誰のおかげかね」


 この右腕がまともに動かなくなってから、俺の中に無くなった感情のはずだった。

 いつのまにか紫苑の前では昔の自分に戻れていた。


「変わる事は確かに怖いさ」


 だけど、その恐怖を乗り越えた先に希望はあるんじゃないかと“期待”すらしてしまう。

 俺はまだ知らない。

 望んだ世界に希望が常にあるとは限らない事を――。


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