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朝の来ない夜に抱かれて  作者: 南条仁
第2部:似た者同士は惹かれあう
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第12章:ファーストキス

【SIDE:木村海斗】


 “世界は常に自分にとって不都合なモノ”。

 誰だって望むだろ、自分の世界が幸せであればいい、と。

 世界のどこかで大変な事件が起きていたとしても、所詮、それは他人事でしかない。

 直接自分に関わる世界に大きな変化が起きなければいい。

 だが、変わらない明日が常にあると思っていたとしても、変化は突然に起きるんだ。

 歪む世界に変わりゆくモノ……俺の世界はまさに変わろうとしていた。

 紫苑という少女と本格的に関わりだしたあの日が分岐点。

 それが俺にとってどういう変化を与えるのかを分からないまま、俺は次第に紫苑に対して心を許していくようになっていく……。






 10月に入って暑さも収まり、過ごしやすくなってきた。

 あと2ヶ月もすれば嫌な冬がやってくる。

 こうして屋上で時間を潰すのは出来なくなるだろう。

 

「あーっ、もう最悪。私としたことがこんなイージーミスをするなんて……」

 

 俺の目の前でそんな声をあげるのは紫苑だった。

 今日配られた中間テストの結果が書かれた紙を気落ちして見つめている。


「……そんなにテストがひどかったのか?」

「ひどい?ひどいわよ。あと数学が2点あれば平均95点になったのに!」

「はぁ……紫苑、平均94点でも十分だろ?学年5位内で他に何を望むんだ?」

「やるからにはトップでしょう。私は1番じゃなきゃ嫌なの」


 俺は彼女の紙を見て思わず溜息をつく。

 どの科目90点は超えている、他の科目よりも僅かに数学だけが下回っていた。

 このお嬢様は自分の思い通りにならないことが本当にお嫌いなようだ。


「そういう海斗は何点だったのよ?ほら、見せなさい」

「俺のなんか見てもしょうがないだろ……って、おい」


 俺の言葉よりも先に彼女は俺の鞄から紙を抜き取っている。

 ……やれやれ、ホントにそういう無茶なところは紫苑らしい。


「うわぁ、何で勉強していない人間が平均80点なの?あっ……カンニング?」

「試験前ぐらいは勉強した。サボりもその時だけやめた。ちゃんとした正攻法だ」

「何だか納得できないなぁ。ほらほら、素直に言っちゃいなさい。誰も責めないから」

「……その言い方はやめてくれ。俺はそこまで落ちぶれてない」


 失礼な物言いの紫苑に俺は紙を奪い返す。

 元々、勉強自体はできる方だったし、授業をサボる科目も考えていた。


「意外だね、海斗。頭もいいのに、こうして授業をサボり?もったいないなぁ」

「意外は余計だ。別に……どうでもいいだろう」

「将来、行きたい大学とかないの?それだけできれば良い所もいけるんじゃない」

「……ないよ。将来なんて考えた事もない」


 夢が消えた後、本当に俺は将来のビジョンが見えなくなった……。

 いろいろと思考する事を俺の本能が拒むようでもある。


「なんてね、私も人の事は言えないけど。私も未来なんて何処にもないから」


 そういうことも紫苑は分かっていて尋ねてくるのだ。

 屋上で授業をサボるようになって、紫苑がこうして休憩時間だけやってくる。

 俺に話しかけてくる紫苑に対して警戒心を緩めた途端、妙に馴れ馴れしくなった。

 彼女と言う人間の事を理解するのは難しい。

 学内でも指折りの美人でもあり、秀才でもある優等生の紫苑。

 そんな彼女が不良の俺と噂になっていると聞いたのはつい先日の事だ。

 俺がいる屋上に紫苑が出入りしているのは既に有名な事らしい。

 恋人関係なんてありえないが……一応、俺は忠告しておいた。

 俺と関わる事で彼女にマイナスになる事があれば面倒だから。

 けれど、そんな俺の言葉を彼女は笑って跳ね除けたんだ。


『紫苑。これ以上、来ない方がいい。下手な噂になるとマズイだろ?』

『そんな噂なんてどうでもいいわ。私は海斗とどう噂されてもいいし。海斗もそうでしょう?今さら誰かにどう思われた所で痛くもないじゃない』

『俺と紫苑は立場が違うだろ。ずいぶんとはっきり割り切れるんだな』

『海斗は思ったよりも自分を捨て切れてない。大事なところでいつも踏みとどまってる。そういう所は私も同じ。ホント、私たちは似てるわよね』


 彼女が決めた事に俺は何も文句を言う必要はない。

 約束も何もしていないのにこの場所にやってくる女、それだけだ。

 俺も紫苑と話をしているとどことなく安心できる。

 本当に俺達は似ているのかもしれない。

 

「……ねぇ、海斗。今日の放課後って暇かな?」

「時間ならいくらでもあるのを知っていて聞いてるだろ?」

「うん。それじゃ、私に付き合ってよ。海斗と行きたい所があるの」


 何やら企みを含んだ紫苑の表情。

 警戒しても意味がない事を知っている俺は普通に「わかった」と答えた。

 彼女と一緒にいることが自然になっていく。

 俺は知らず知らずのうちに紫苑の魅力に惹かれていた。

 あとになって思えば、この時から俺の心は紫苑に……。

 彼女が放課後に俺をつれてきたのは繁華街のど真ん中にあるお店。

 周囲を囲む圧倒的な威圧感を放つモノ。

 その瞳に見つめられるとどうにも落ち着かない。


「見事に……ぬいぐるみだらけだな」

「そりゃ、ファンシーショップだもの。当たり前でしょう」


 紫苑は楽しそうに言うが、ある意味、そこは俺にとって目を引く場所だった。

 ぬいぐるみが山になっている……あながち間違いな表現ではないと思う。

 俺は“女の子=ぬいぐるみ好き”という安易な発想をしているわけじゃない。

 だって、この店へ俺を連れてきた紫苑という女には似つかわしくないモノだから。


「んー、こっちの子の方が可愛い」


 俺を無視してぬいぐるみ選びを始める紫苑。

 彼女にこんな可愛らしい趣味があった事にまず驚く。


「紫苑の趣味ってこれか……」

「何よ、何か言いたそうな顔をしてるわね。海斗の発言を許可するわ」

「……ぬいぐるみとかって紫苑に似合わないな」


 俺が言い終える前に何かが俺に向けて飛んでくる。

 勢いよく投げられたのは紫苑の鞄だった。

 恐ろしい奴だと俺は顔に直撃する前に左腕で受け止めた。


「あら、さすが元テニスプレイヤー。反射神経はいいのね」

「危ないな、紫苑。発言を許可するって聞いたはずだが……?」

「発言内容が不快だったように聞こえたの。もう1度言ってくれない?」

「……別に何でもない。お好きにどうぞ」


 俺がそう口元に笑みを作りながら言うと彼女はムキになって怒り出す。


「何よ、別にいいでしょ。私がぬいぐるみ趣味だからって何か文句でもあるの?」

「俺は文句なんて言ってない」

「私に似合わないって言ったでしょ。どうせ、海斗も外見だけで私に合わないな、こいつ小学生かよ、とか思ってるんでしょ!!私だって分かってるわ。自分の雰囲気に似合わないことぐらい。でも、好きなんだからしょうがないじゃない」


 まくし立てるように言葉を紡ぐ彼女。

 言ってもないのに罵詈雑言、そこまで気にしてたのか。


「大体、女の子はファンシーグッズが好きなのよ。それを他人にどうこう言われたくないわ。笑いたければ笑いなさい。……ただし、命の保障はしないけどね」


 意外な反応、紫苑がこうまで俺に対して反論してきたのは初めて見た。

 普段の彼女は少し無茶な女だけれど、何かに固執したりするところは見たことがない。

 何事もどこかで切り捨てるようなそんな感じだったのに。

 それだけ、彼女にとっては大切なことなのかもしれない。

 俺にとっての……テニスのように。


「誰でも譲れない事はある。紫苑、笑ったりしてすまなかった」

「え?……あ、うん。分かってくれればそれでいいんだけど」


 素直に頭を下げると彼女はシュンっと大人しくなる。

 どうやら怒りは収まったのだろうか。


「……ムキになってごめん。私、ホントにこういうのが好きなんだ」


 彼女は先ほど気に入ったと言っていた犬のようなぬいぐるみを抱きしめる。

 子供のような仕草をみせる紫苑、本当に好きらしいな。


「紫苑はどうしてそういうのが好きなんだ?」

「子供の頃からうちにはぬいぐるみがたくさんあったの。子供の頃、私は家の外にほとんど出られなかった。だから、私にとって話し相手でもあるこの子達は友達のようなもの……。あはは、根暗って言われてもおかしくないでしょ」

「……いいんじゃないか、そういうのも。誰にだってあるだろう」


 乾いた笑いを浮かべる紫苑に俺はそう言った。

 誰にだって趣味くらいはある、それは他人にどうこう言われるものでもない。

 彼女はそんな俺に静かに言葉を漏らした。


「海斗って、意外と優しいんだね」

「優しい?俺が?」

「……ううん、何でもない。さて、海斗。私の趣味を理解してくれたから、もう少し私に付き合ってくれるわよね?」

「うっ、まだこの空間にいろ、と?」


 墓穴を掘った俺はあと1時間程、ファンシーな空間に滞在する事になった。

 しかし、楽しそうに笑う彼女の傍にいるとそれほど悪くはない。

 いつのまにか、紫苑と過ごす時間は嫌いじゃなくなっていた。






「結局、買ったのはそのねずみのキーホルダーだけか」

「ねずみじゃないよ、ハムスター。まぁ、今回はエネルギー充填が本来の目的だから。うーん、やっぱりあれだけぬいぐるみに囲まれると最高だったわ」


 気がつけば夕暮れ、紫苑は繁華街を歩きながら手にしたキーホルダーを眺めた。

 こういう所は紫苑も普通の女の子らしい。


「最後にもう1ヵ所よりたいところがあるの」


 そう言って俺の手を引いて彼女は走り出した。

 夕焼けの太陽が噴水に煌くように反射する広場。

 彼女は綺麗に水を噴射する噴水を前に足を止めた。

 

「ここに何か用なのか?」

「……うん」


 なぜか彼女は神妙な面持ちで黙り込んでしまう。

 

「海斗。今の私達って悪くない仲だと思わない?」

「……そうかもしれないな」


 彼女と親しくなってからもうすぐ1ヶ月が経とうとしていた。

 あれから日常だった暴力行為をやめた俺はこうして紫苑と過ごす時間が増えた。


「私は海斗と出会えて、変われたかな。少しだけ、前向きの物事を見れるようになった」


 ふいに握り締められた右手、細い指が俺の手に絡まる。

 俺の右腕がまだうまく動かせないと知っていて、彼女は俺と手を繋いでいる。

 その手を離せないまま、彼女は俺の顔を見上げてきた。


「期待と希望、その言葉が私は大嫌いだった。どこにもないの、私にその言葉は……。でもね、私はひとつだけそれに似たモノを見つけたと思ってる」

「……似たモノ?何だよ、それは?」

「ふふっ、知りたい?それは人の気持ちを温かくしてくれるもの。だけど、私は答えを教えません。海斗が自分で気づいてくれたら嬉しいな」


 彼女は左手できゅっと俺の制服を掴む。

 そのまま俺を自分の方に引き寄せると意地悪く笑う紫苑の顔が間近にあった。


「私、前から試してみたい事があるの……してもいい?」


 相変わらず俺の発言の前に彼女は行動してきた。

 そのまま紫苑が唇を突き出すと「んぅっ」と唇が塞がれた。

 初めて女としたキスは薄い唇が柔らかく、どこか心地よさを感じる。


「……海斗はこれまで誰かとキスしたことあるの?」

「あるわけないだろ。紫苑こそ……何でこんなことをしてくるんだ?」

「さっき言ったでしょ。答えは自分で気づいて欲しいって……」


 夕闇が押し迫ってくるようにふっと暗くなり始めた空。

 俺は本当に紫苑の事が分からない……多分、これからも分からないまま。


「キス……もう1回、する?」


 軽い口調で紫苑は2度目のキスを押し付けてきた。

 俺は雰囲気に飲み込まれていく、心地よい甘い雰囲気に。

 自分の中にこれまでなかった……紫苑のいう希望に似たモノ。


「キスって気持ちいいね。キスがうまくできる相手は身体の相性がいいんだって」

「……それで?」

「本当に私達って相性がいいのか、どうか……確かめてみない?」


 それは甘い誘惑、少女の瞳に込められた想い。

 俺は先ほど彼女の質問の答えに気づいていた。

 希望に似ているモノ、それは時に人を幸せにさせて、時に人を不幸にする。

 答えは“愛情”という2文字……あの頃の俺たちにそれはあったのだろうか。

 その日の夜、俺と紫苑は答えを確認することなく、その“一線”を踏み越えた。

 

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