第11章:意味のない現実
【SIDE:木村海斗】
“この世界に意味なんてない”。
俺は17歳の時に全てを失った。
右腕につけられた傷、それが俺の人生を大きく狂わせる。
平凡だったはずの人生。
それを変えた、いや、否応もなく変えられた。
人が生きる世界。
それがどんな意味があるのか。
俺はその意味さえ知ろうともせず、心はどこかをさ迷うように消えていく。
荒れ果てた俺という人間に希望なんてないと思っていた。
白銀紫苑との出会いがあるまでは……。
右腕をナイフで切りつけられた俺は気がつけば病院にいた。
包帯を巻かれたその腕を見れば、嫌でも現実だと理解する。
切り裂かれた傷は深く、全治2ヶ月。
幸いにも右腕の神経はかろうじて避けられた。
医者の話ではリハビリで通常生活に支障がない程度までには回復は見込まれるという。
ただし、満足に力が入らず、テニスはもう出来ないだろうという診断だった。
「……退部ですか?」
数日後、学校に復帰した俺に待っていたのはテニス部顧問からのある言葉だった。
「そうだ。今回の件、向こう側に非があったのは理解している。だがな、お前もやりすぎた。4人には、半年は病院生活を送らねばならない怪我を負わせたんだからな」
「過剰防衛っすか。一応、こちらは被害者なんですけどね」
「それも分かってる。だから、学校側としては木村を処分はしない。だが、テニス部はやめてもらうことになった。どこかでけじめはつけなければいけない。それに言い辛いが、お前のその腕ではもうテニスはできないだろう」
顧問の言う通りだった、確かに俺はもうテニスはできない。
この右腕が回復しない限り……。
「……木村には悪いと思う。お前のような優秀な選手がいなくなる事には正直、残念だ。だが、理解して欲しいんだ。僕の力足らずもある……すまん」
「分かりました。今までお世話になりました」
到底理解などできるはずもない、俺は落ち込んだ気分で職員室から去る。
動かない右腕に苛立ちを抱きながら、俺は荷物を取りにテニス部へと向かう。
テニス部では俺の登場に騒がしくなる。
「……ちっ」
どいつもこいつも、嫌な感じの視線を向けてきやがる。
俺は黙り込んで、ロッカーのある部室に入ると村瀬が待っていた。
「……傷の具合はどうなんだ、海斗」
「村瀬か。どうもこうもない。この腕じゃもうテニスはできないってさ。残念だ」
軽い口調の俺の目の前には真面目な面持ちの村瀬が立っていた。
「そうか。海斗。今すぐここから去った方がいい。これを持って行け」
既に俺の荷物をまとめてくれていたらしい。
手渡された荷物を受け取ると彼は俺に言った。
「他の連中がお前の事をよく思っていないのは知ってるだろう。もしかしたら、ここぞとばかりに絡まれるかもしれん。気をつけていけ」
「忠告は感謝する。だけどな、俺もストレスたっぷりだしな。どうなるかは分からない。今までありがとう、村瀬……あとは頼むな。テニス、俺の分まで頑張ってくれ」
「……お前の分まで頑張れる気がしないが。その言葉、受け取っておくよ」
これから待つであろう展開を俺達は何となしに理解していた。
俺は元から部活内で浮いた存在だった。
皆から人気があって慕われているワケじゃない、特に同年代からは疎まれる事もある。
俺が外に出ると周囲には数名の男子生徒、同じ部活だったメンバー達。
「部活を退部になったんだって、木村?まぁ、その腕じゃ仕方ないよな」
「怖いよなぁ。さすが木村。返り討ちで全員、病院送りかよ」
「……それで、それがどうかしたのか?」
冷静に対応する俺に彼らはこれまでの怒りをぶつけるように、
「お前みたいな奴は元々、この部に必要なかった。邪魔だったんだよ!」
俺を責める声に周囲の生徒もこちらを見ている。
ここで問題を起こしたら、どうなるか。
「……どうでもいい」
「は?なんだって」
「どうでもいいって言ったんだよ。今さらだ。くだらない事を言わずにかかってこいよ」
理不尽な世界に巻き込まれていくのを感じる。
言い表せない苛立ちを俺は暴力と言う形でぶつけていく。
「ぐわぁっ……!」
「何だよ、左手だけでも結構やれるじゃん。……やっぱり、お前らも弱いな」
「ちくしょう。木村、怪我人だからってもう容赦はしねぇ。……この野郎ッ!」
結局、俺は彼らと喧嘩を起こし、謹慎処分を受けることになった。
俺の世界は急激に悪い方へと変化していく。
それまで光に包まれた明るい世界は俺を闇に突き落とす。
……希望という言葉も光も俺の世界から姿を消した。
だから、俺はこの世界がどうでもよくなったんだ。
騒がしく思えた夏も終わり、季節は秋へと移り変わる。
負傷していた右腕、リハビリのかいもあり、今では少しは動かせるようになった。
だが、握力は戻っていないし、ちゃんと動かせるようになるには時間がかかりそうだ。
2学期になってから、俺は授業をサボる事も多くなり、屋上で過ごす時間が増えた。
暴力行為を繰り返し、謹慎3回、停学1回……荒れ放題の俺はいつからか学校中の生徒や先生から怖れられるようになった。
別に誰に嫌われようとかまわない。
どうせ、俺はこの世界から嫌われているのだ。
この世界に意味なんてない、それを求める必要もなくなった。
「……どうでもいい」
口癖になりつつある言葉を口にして、俺はベンチに寝転がろうとすると、
「ふふっ、不良クン、見つけた」
そんな言葉を囁く女の子の声に俺はハッと前を向いた。
「……誰だ?」
いつのまにか女の子が俺の向かいのベンチに座っていた。
俺を捉えている瞳は強い意志を持っている。
俺は彼女を知っている。
クラスメイトのお嬢様、白銀紫苑だった。
「木村君。最近、姿を見ないと思ったらこんな場所でサボっていたのね」
「アンタには関係ないだろ」
いつもよりも強い言葉で相手をけん制する。
相手が何の目的があるか分からない以上、その態度は崩さない。
「……関係ない、ね。うん、関係ない」
彼女はそう小さく言っただけで、ただじっと俺を見つめ続けていた。
お互いに何とも言えずに見つめ続け会うなんて、傍からみればものすごく変な光景だ。
どちらも会話なく数分もそうしていると、彼女はようやく俺か視線を逸らす。
「木村君は屋上、よくいるの?」
「は?まぁ、いるっていうといる方だが」
「ふーん……そうなんだ」
俺に質問をした後はベンチに座りながら空を見ている。
誰も来ないはずの屋上、このお嬢様は屋上にきたかっただけだろうか。
ここで昼休憩を過ごすのも悪いワケではないので、ありえる話だ。
昼休憩終了のチャイムがなって、それが合図となったのかどちらからもなく立ち上がる。
そして、そのまま何も会話せずに別れた。
……しかし、翌日も、翌々日も彼女は屋上を訪れた。
俺が何もせずにぼーっとしている姿を見ているだけの彼女。
今日でもう4日目だ、何をしにこの場所に来ているのかはわからない。
俺に気があるのかと思ったりしたが、そういうモノでもないらしい。
わざわざ会話したりしないので、そのままの状態が続いている。
だが、いつまでもこうして見られると気になる。
俺は思い切って話しかけてみることにした。
「そうやって見られると、すげぇ、気になるんだけど」
「……気にしなければ気にならない。でしょ?」
「いや、そういう問題じゃないだろ」
俺がそう言うと少女はふっと微笑して、
「ここはあまり人が来ないの?」
「……ああ。滅多に誰もあがってこないな」
それならなぜ紫苑がここにくるのかが分からない。
ここにいる俺を知ってる人間は絶対に訪れたりしない。
俺はこの学校では不良扱いされている。
あの事件を起こしたのが原因だったが、今は噂が噂を呼んでいる状態だ。
「でも、ここは風が気持ちいいわね」
紫苑は俺の反応を見ては嬉しそうに笑う。
「俺に話しかけてくるって珍しい。今じゃアンタぐらいだ」
「そう?昔からお話程度はする仲だったとは思わない?」
「ああ。だが、普通の奴ならここには来ない」
「怖い不良クンがいるから。木村君、いつのまにか噂の人だね」
また小さく笑ってそんな言葉を放つ彼女。
普通に聞けば嫌味ばかり言ってるように聞こえるが、なぜか彼女の言葉には全く悪意を感じなかった。
「……知っていて、話しかけてくるお前は何なんだよ」
「私は全てを知ってるわけじゃないよ。噂なんて当てには出来ない。私は自分の耳で本人から聞いた事しか信用しないタイプだもの」
紫苑は俺相手にも怖がる様子などない本当に変な奴だと思う。
久しぶりにここに俺以外の奴が来た。
というのもあるんだが、それ以外の何かを紫苑から感じることができた。
「人はまず外から判断されるわ。木村君を不良で怖いなぁと思うように。私を家柄だけで、お嬢様だからと何でも決め付けられてしまうように」
その時から、俺と紫苑の間には言葉に表わせない“何か”が結ばれていた気がする。
「――世界は常に自分にとって不条理なものである」
「ん、何だよ。哲学か……?」
「残念、私の言葉でした」
彼女はどことなく寂しそうな表情を見せながら言う。
「この世界は私に優しくない。私は世界に嫌われてるのよ」
自嘲めいた言葉がなぜか俺とダブる気がして。
「……私はここにいる事に何の意味もない」
綺麗な髪が風になびく姿に見とれてしまう。
……何となく俺と彼女は同属、似ているような気がしたんだ。
「アンタのようなお嬢様でも抱えてる事はあるのか?」
「当たり前じゃない。人が人である以上、悩みは抱える物よ。それが生きているということなのかは別としてね。……ホント、この世界はつまらないわ」
紫苑と俺はこれまで親しくもない、ただ同じ部活で、クラスメイトで時々会話するだけ。
それだけの関係だったはずなのに。
「私達、似ていると思わない?どちらもこの世界に対して不条理を感じてる人間同士。まるで羽をもがれた蝶々のようにジタバタもがいて苦しんでるの」
「似たもの同士……その表現は好きじゃない」
「そう?でも、同じようなものでしょ。空を飛べなくなった蝶々に生きる世界は残されてない、生きている意味なんてないもの。その意味でも私達は似てると思う」
彼女の言葉は俺にすんなりと心の中に入ってくるようだった。
孤独の世界に入り込んできた女、白銀紫苑。
「……俺とアンタは違うだろ。どこが似ているんだよ」
「似てると思うわ。自分の思い通りにならない世界を憎んでいること。あとひとつは……孤独と言う世界に空しさと寂しさを抱いていること」
紫苑の手が俺の手に触れる。
「私と木村君は同類なんだ。私には分かるよ……」
握られたその温もりは冷たくも、心地よさを感じさせた。
いつまでも触れていたいと思わされる。
「……アンタ、やっぱり変な奴だよ」
「その、アンタってやめてくれない?私の事は紫苑でいいわ。よろしくね、海斗」
海斗、俺の名前を楽しそうに呼んだ彼女。
それはまさに運命だった、俺達は出会ってしまった。
互いの世界に僅かな光として照らしあう存在として。
意味がない現実に、意味を与えてくれるモノ。
屋上にふくのは秋の涼しい風と季節の変わり目を告げる太陽の日差し。
白銀紫苑。
彼女が俺の壊れた世界を再び変えていくことになる。