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朝の来ない夜に抱かれて  作者: 南条仁
第1部:再び現れた運命の女
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第9章:朝の来ない夜

【SIDE:木村海斗】


 “海斗は知りたい?私のことを知りたいと思う?”。

 紫苑は俺に言った、まだ過去について話せない、と。

 まだという言葉を使ってる以上、彼女の中でも整理をつけられていないと言う事。

 俺に話してくれるのは期待しておくだけに留めておく。

 その真実を告げるまで時間はかかりそうだと判断したからだ。

 俺は独自に少しずつ紫苑の情報を集めていた。

 俺自身、高校時代は荒れていたために紫苑の事に興味をさほど抱いていなかった。

 そこまで心の余裕もなかったし、彼女の事を知りたいとも強く思っていなかった。

 悩みやそこにいる理由なんて聞かなくても、紫苑が傍にいるだけでよかったんだ。

 けれど、今は状況も立場も違う。

 他人というラインを区切っていたあの頃と違い、俺は恋人として彼女の事を思うがゆえにその悩みを知りたいと感じていた。

 ……俺もここ1ヵ月で随分と変わったものだ。

 どうでもいい、それが口癖だったはずなのにな。

 この世界はどうでもいい事だらけ、知らないならそれでも困りやしない。

 だけどさ、大事な女が時折悲しそうな瞳にさせているのが、何なのかは知りたいんだよ。






 俺は多分、紫苑という女に溺れている。

 くすぶり続けた3年間、彼女はどこで何をしていたのか。

 地元の友人に調べてもらったりして、情報を集めていると気になる事があった。

 紫苑は5年前に両親を交通事故で亡くしている。

 ……5年前といえばまだ16歳、高校1年の頃か。

 俺と紫苑が親しく知り合う1年前の出来事なので俺も詳細は知らない。

 白銀家は有数の名家であり、本来ならば彼女の両親が継いでいるはずだったのだろう。

 しかし、現在、支配しているのは彼女の姉、白銀美咲(しろがね みさき)。

 ……美咲という女性とは俺は過去に数回、出会っていた。

 昔、紫苑の姉として紹介されたくらいだが、何も問題は感じ取れなかった。

 嫌味のない上品で美人な女性で、妹の紫苑を大切にしている人だ。

 紫苑の家庭に問題があるとしたら彼女だと思ったんだが、詳しくは分からなかった。

 他に気になるキーワードは白銀家、電話番号、そして……飛べない蝶々の意味。

 様々な事柄を調べていくが、俺はまだ何も答えにたどり着けずにいる。


「雨、止んだみたいね。見て、綺麗な空……星空よ」


 先ほどまで降っていた雨は止み、空を覆う黒い雲は消えていた。

 代わりに夜空を飾るのは星空の輝き、雨上がりの空を紫苑は眺めている。

 

「……空なんかどうでもいいだろ」

「そうかな。私は好き。雨があがった時の綺麗な空も、優しく吹くそよ風も」


 彼女はベランダから夜空を見上げてそう囁いた。

 俺は同じようにベランダに出ると彼女は俺の肩に擦り寄るように身体を預けてきた。


「見ていると心がすっと自然に楽になる気がするもの」

「紫苑は感受性が強いんだろう」


 投げやりに答えたつもりはないが、彼女としては不満だったらしい。

 少しつまらなさそうな表情を見せて、


「もっと心を込めた会話がしたい。海斗はもっといろんな事に興味を持った方がいいわよ。そういうのって、つまらなくない?」

「よく言われるけど、俺は別に興味がないわけじゃない。面倒なだけさ」


 興味のある事なんてほとんどない。

 紫苑という女の事は別にして、だけど。


「面倒とか、どうでもいいとか、もったいないよ。せっかく何でもできるのに、興味を持って自分の世界を広げた方がいいわ」

「……考えておく」


 その言葉に俺は短くそう言うことしかできない。

 飛べない蝶々、その言葉が頭をよぎったから。

 ダメだ、妙な意識をしてしまうと紫苑と接しづらくなる。

 下手な話題や態度は彼女の前ではしたくない。


「ねぇ、海斗。聞いてもいいかしら?」


 紫苑はふと俺の右腕にある傷跡をなぞるように触れてきた。

 俺が力の入らない腕で抱きしめているのが気になったのか。

 右腕に刻み込まれた深い傷跡、治ることのないもの。


「まだこの傷って痛んだりするの?」

「いいや、痛む事はない。ただ、普通の生活はできても、まともな力仕事はできそうにないな。俺の将来に運送会社と引っ越し業者はありえない」

「真面目な話だから茶化さないの。この傷が海斗の全てを変えたと思う。忌々しい?」


 運命なんて言葉があるなら縁とは不思議な物だと思う。

 俺が憎んでいたこの傷が、逆に紫苑と出会うきっかけになったのだから。


「悪いな……昔の話はしたくない」

「私も出来ればしたくないな。でも、過去からは誰も逃げられない。向き合わなければならないの。私も同じ……逃げてばかりじゃいられない」


 彼女の過去を知りたいと強く思う。

 今なら聞けるんじゃないか?

 俺はそう感じて彼女の身体を腕の中へ抱きしめる。


「海斗……?」

「俺は紫苑の支えになりたい」

「もう十分なってくれてるわよ。貴方がいてくれないとダメなくらいに」

「そうじゃない。それよりも先、俺は紫苑の事が知りたいんだ」


 何もかもが壊れる可能性、怖がる事はもうやめた。

 その言葉が何を俺に与えるのか?

 不確定要素は山ほどあるが、彼女は俺に呟いた。

 

「私はまだ言えないって言ったわ」


 寂しそうに言葉にする紫苑。

 この話題はやはり、避けるべきだったのだろう。


「けれど、逃げてばかりじゃいられないと紫苑は今、自分でそう言った」

「ずるいね、海斗。貴方に知られたくないから隠してるのに。それでも知りたいって思ってくれる気持ちは嬉しい。でも、言えない……言いたくない」


 紫苑は嫌々するような子供のように身体を動かす。

 だが、俺が離してやらない……真実を知るまでは離さない。

 

「……無理やりで悪いと思うが、俺の気持ちも察してくれ。あの頃から、俺は何も知らない。こればかりはどうでもよくない。知りたいんだ、俺は紫苑を愛してるから」


 俺は紫苑を愛してる、他の誰よりも強く愛してる。

 今ならはっきりと言えるその言葉。

 守りたい、男として好きな女くらいは守ってやりたい。

 だからこそ、俺は紫苑の痛みを感じとりたい。

 

「……海斗は優しい人よね。昔からそうだったわ」

「俺は誰にでも優しくなんてない。自分の好きな相手にしか優しさをふるまえない、自分勝手な人間だ。エゴイストなんだよ」


 俺が傷つけてきた女達の事を思えばひどい人間だと思う。

 自分が愛するものしか優しくなれないエゴイスト。

 

「人って誰にでも優しくなれるわけじゃない。女としてはそっちの方が嬉しく思えるの……。だって、私は海斗の“特別”だってことだもの」


 覚悟を決める、そんな風に紫苑の瞳が俺に告げる。

 

「好きよ、海斗のそういう不器用なところ。人によっては嫌いな人もいるかもしれない。それでも、私は好き。自分でも理解しきれないくらいに好きになっちゃったの」


 抱きしめられた腕にぎゅっと力が込められてくる。


「貴方の気持ちがこんなにも強いなんて……。そうね、私はまだ信じきれてなかったのかもしれない。今、分かった。私は海斗を信じるわ」


 彼女はそう言うと唇を俺に重ねてくる。


「……んぅ……ぁっ」


 重ね合わせた唇はいつもよりも激しく感じられた。

 

「好きよ、海斗。貴方が私の希望。私の未来を貴方が切り開いてくれるなら……」


 必死に何かを願う紫苑の姿、月明かりに照らされてキスを交わす俺たち。

 ゆっくりと惜しむように唇を離した紫苑はついにある言葉をつげた。

 

「……海斗。私と結婚してくれる気はあるかしら?」


 彼女はいきなり突拍子もない事を言い出した。


「は?結婚?」


 思わず間抜けた声が出てしまうと、紫苑は呆れた様子で俺を見ていた。


「冗談で言ったつもりもないけど……その反応は傷つくわ」

「すまない。そういうつもりじゃなかったんだが……。いきなり結婚なんて前触れ

もなく言われたら誰でも驚くだろう?」

「そうよね、誰でも驚くの。私はそれを……17歳の時に言われたのよ」


 俺と出会った頃……紫苑の過去のひとつ、それがついに明かされる。


「私は自由に空を飛べないの。羽をもがれてしまった蝶々。白銀家に生まれた頃から決められた宿命というのかな。……私には親の決めた婚約者がいるのよ」

「……婚約者!?」


 予想外だった、まさかそんな事を紫苑が抱えていたなんて。

 俺に言うのを拒み続けた理由もそれなら分かる。

 本当に相手を信じられなければその言葉を恋人に告げる人間はいない。


「相手は紫苑が知ってる相手なのか?」

「……少なからずね。これまで何度も会ってるから。相手は同じく経済界で名を馳せている名家の御曹司。地位も名前も白銀家にはふさわしい人物よ」


 俺は紫苑の言葉をひとつ、ひとつ受け止めていく。


「でも、そんなの関係ない。私の人生は私のもの……それを誰かに支配されるなんてまっぴらよ。でも、私には反抗することもできなかったわ」


 彼女は泣きそうな顔をすると、俺に弱々しく抱きついてくる。


「……海斗に出会った頃、私は自分の決められた運命に嘆いていた。自分を捨てたくなっていたの。けれど……海斗に出会った事で私は少しずつ変われたわ」


 紫苑が苦しい胸の内をはじめて明かす。


「同じように痛みを抱えていた貴方に私は心を許していた。同情はいつのまにか愛情になっていた。私は海斗の傍にいたいの。貴方をずっと愛したい」


 心を解き放つように俺の聞きたかった本音が彼女から告げられる。

 それが紫苑をずっと苦しめていた事なんだ。

 ようやく解け始めた謎、紫苑は苦しい胸のうちを明かしてくれた。

 

「俺はお前を守ってやる。絶対に……約束するから俺を信じろ、紫苑」

「海斗……かいと……うぅっ……うんっ……」


 彼女は俺の胸に抱きつくようにして泣いていた。

 子供のように涙を瞳から零して、泣いたんだ。


「うぁっ……ぐすっ……」


 俺の知りたかったのは本当の紫苑、笑顔の裏に隠していた弱い彼女。


「海斗っ、私を守って……私を……守って……」

「ああ。大丈夫だから、俺が守ってやる」


 俺は彼女の背中を撫でながらその涙を受け止めた。

 何となく夜空を見上げた。

 煌びやかな星の輝きを見て、風を感じていると確かに心が安らかになる。

 紫苑の言うとおり……俺もこういう雰囲気は好きだな。

 やがて泣き疲れたのか、彼女は俺の腕の中で静かに眠りについていた。

 その寝顔は……どこか安心しているように見えたんだ。

 彼女を苦しめる存在を俺は許せない……だから、俺が彼女を守るんだ。

 真実を知れた事を嬉しく思う、彼女が俺に心を許してくれた事も。

 だが、しかし……それは俺達への試練の幕開けでしかなかったのだ。





 ……翌朝、ベッドで目を覚ました俺に待っていた出来事。

 真実なんて、知らずにいればよかったのか。


「……紫苑?」


 隣には誰もいない。

 そこで寝ているはずの彼女はいなかった。

 消えていく温もりのあとだけがそこにはあった。

 

「まさか……嘘だろ、紫苑ッ!?」


 俺は飛び起きるが、どこを探しても彼女の姿はない。

 焦る気持ちを抑えずに彼女を求め続ける。


「まさか、そんな……」


 知っている、俺はこの状況を知っていた。

 ……3年前と同じだったんだ、あの朝に起きた出来事と全く同じように。

 

「何が起きてる?……紫苑、紫苑っ!!!!」


 俺は心の奥底から叫び声をあげて彼女の名を呼んだ。

 失われた温もり、あの悪夢が俺に怖れていた現実を突きつける。


「……どうして……どうしてまた俺の前からいなくなるんだ、紫苑ッ!!」


 朝の来ない夜がまた来やがった。

 悪夢は再び訪れる。

 俺はまた世界で唯一愛する女、紫苑を失ったのだ――。

 

次回からは第2部。高校時代の話です。二人の過去に何があったのか?

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