序章:雨上がりの夜に
“どうでもいい”。
どうも、それが最近の俺の口癖らしい。
別れた彼女からもよくそう言われていた。
何事にも期待も興味もなく、ただ平凡な毎日を過ごす。
別に自分の未来に期待もしてないから、何もしないのと同じだろう。
数日前、デートの帰り、駅前でそれぞれ自宅に帰る間際に俺はその言葉を言った。
「……もう、俺たち別れるか」
「は?海斗、アンタ、マジで言ってるわけ?」
数週間、バイト先で出会った女と付き合っていた。
それなりの関係だったとは思うが、特別に愛情を抱いてたワケでもない。
彼女は俺の心を満たす事はなかったし、別れに未練すらなかった。
「マジで。何かもういいや、お前といても面白くないし」
「何よ、その言い方。私はアンタのために前の仕事やめてあげたのに」
「時間が合わなかったバイトをやめたからって、それだけで俺を縛るつもりか?」
「うるさいっ。私は海斗が好きだから。これまでだって……」
さらに何か言葉を続けようとする彼女に俺は興味を失った。
もうホントにこの女、どうでもいいや。
ぎゃぁ、ぎゃぁと口うるさくて押しつけがましい性格にも飽きた。
「お前さ、よくウザいってよく言われない?」
「……なっ!?ホント、最低ッ!」
彼女が怒りに任せて投げたバックが俺の頬をかすめる。
「危ない、危ない」
俺は溜息混じりにそれを拾い上げると相手に投げ返す。
「大事なものだろ。放り投げるなよ」
彼女はそれを受け止めると、バックをぎゅっと力を込めて抱きしめる。
どんなに怒ってるなんて顔を見ずとも雰囲気で分かる。
「じゃ、そう言うことだから。さよなら」
「そう言うことだからって……そんなの勝手に決めないでよ。ねぇっ!」
呆然とする彼女はハッと気づくように表情を変える。
「自己中心的すぎるわよ、アンタ。前から思ってたけど、冷めすぎてる」
「情熱的にさせなかったお前の問題じゃないか」
「なっ。最低っ、ホントにアンタは最低男だ。バカ海斗!」
最後は俺に対して暴言を吐きまくる彼女。
「アンタなんてどうせ誰も愛せないに決まってる。一人で寂しく死んじゃえ」
騒ぎまくり、周りの目も気にしない姿に放置を決めた。
「まったく、最後まで面倒くさい奴」
俺はそのまま振り返ることなく立ち去った。
恋人と別れても、心が揺らぐことはない。
「どうでもいいか」
俺は夜道を歩きながらまたその言葉を囁いていた。
何事にも冷めてる、最低野郎。
「はっ、その通りだよ。そんな俺と付き合ったのがお前の間違いだ」
俺は誰も愛せない。
恋愛なんて、ただの暇つぶしでしかできない男がこの俺だった。
「おい、海斗。シャーペンの芯をくれない?」
大学の講義を受けていた俺は隣に座っていた友人に声をかけられた。
木村海斗(きむら かいと)、それが俺の名前だった。
あと1ヶ月後に21歳の誕生日を迎える大学3年生。
「別にいいけど。ほらよ」
「サンキュー。それにしても、お前、すごい眠そうな顔をしてるな」
「この教授の講義、ノートに書くだけで暇なんだよ」
それにつまらない、とは真面目に講義を受けている連中の手前は言わずにおいた。
実際は学生の事など気にせず自分の満足するような話しかしないつまらない教授だ。
「話の内容に中身がないのはいただけない」
「確かに。あそこまで自己中心的に授業を進める教授にはついていけない」
こちらの質問はほぼ無視で、自分が話したいことを話したいように話すだけ。
それでテストは持ち込み不可ってバカじゃないのか、この教授。
当然のように生徒からの人望はない。
「そうだ、海斗。今日の夜、暇じゃないか?合コンに行こうぜ、合コン。海斗、彼女と別れたって言ってたろ?ちょうどいいじゃないか」
「またかよ。好きだね、お前たちも。大学に入ったばかりの頃から変わらないな」
またか、この友人である白井は事あるごとに俺を合コンに誘う。
その相手のレベルが美女なら歓迎してもいいが、大抵、並レベル。
俺は適当に飲んで話をするだけで終わる事が多い。
「お前の呼んでくる相手のレベルが低いからパス」
「そう言うなよ。お前が入ってくれれば面子が揃うんだ。お前って容姿いいから女の子受けもいいしさ。いてくれるだけでいいんだ」
どうせ白井は俺が積極的に合コンに参加しないのを見込んで言ってるんだろう。
彼らにしてみれば俺はいいエサというわけだ。
「……条件。今日の飲み代はお前らで払うこと」
「OK。その条件を飲もう。今日はR大の女子大生ばかりだからどうしても落としたくてお前が必要だったんだ」
「都合のいい友人だな、俺は……」
「そう言うなよ。海斗は積極的に女を狙わないけど、場の雰囲気を悪くしないからすごく助かってるんだ。おかげで俺達は美味しい想いをさせてもらってる」
投げやりにそう言葉をはくが、こいつも俺も特に気にすることもない。
いつもどおり、こいつらのノリに合わせるだけでいい。
憂鬱でもなく、ただ怠惰な日々が続いている。
何も変わることもなく、何も心を満たすものがない毎日。
俺は今日も変わらない時間を過ごす。
「……今日の夜は雨か」
ふと見た窓の外はあいにくの曇り空。
夕方には天候が崩れ始めるかもしれないな。
結局、その日の合コンは白井たちにとってもハズレだったようだ。
来ていたメンバーは悪くないが、ノリが合わずに彼らは撃沈。
俺はといえば、そんな彼らを眺めながら適当にあわしていた。
参加してる事がつまらないと思わせないように、気をつけるのはそれだけ。
内心はさっさと帰りたい気持ちでいっぱいだったわけだが。
そんな感じで解散した後、俺は雨あがりの道を歩いていた。
「合コンの外れを引いた夜ほど後味悪い帰り道はないな」
俺が狙ってるわけじゃないけど、意気消沈した連中を見るとテンションがつられる。
先ほどまで降っていた雨は何とか止んだらしい。
まもなく6月下旬、梅雨だからこれからも雨が続くだろう。
俺は別に雨が嫌いじゃない。
この何もない世界に変化をもたらすものだから。
ただし、ひとつ言わせてもらうなら、肌に吸い付くような湿った空気はうっとうしい。
「……ふわぁ」
飲み屋では食事はほとんどせずに酒ばかり飲んでいた。
少し小腹がすいたが、コンビニによらずに家にあるものですますことにした。
さっさと家に帰って寝ることにする。
俺の住んでるアパートは5階建て。
大学側が斡旋してるために同じ大学の学生も多い。
入り口で知り合いにあったので挨拶をしてから、俺は自分の住む4階へと向かう。
わずかな異変、それに気づいたのは自分の部屋の前に着いたときのこと。
なぜか室内に電気がついていた。
「電気つけっぱなしだったのか?」
だが、俺は部屋の鍵を開けようとして、既に開いてることに驚く。
「おや……誰かいるのか?」
とはいえ、合鍵を持ってるのは別れた前の彼女くらいのはず。
別れ際に回収し忘れてたのだ。
「まさか、アイツか。おいおい、面倒事はマジでやめてくれよ」
別れ際の面倒くさいやり取りをした女の顔を思い出す。
警戒しながら俺は玄関のドアを開いた。
開いた扉の先にいた人物、セミロングの淡い茶色の髪が目に入る。
こちらに気づいた彼女はあの時と変わらない笑顔で言った。
「――おかえりなさい。意外に遅かったね、海斗」
俺にでも唖然とする事ぐらいはある、そう今この瞬間とか――。
「どうして、ここにいるんだ?」
目の前にいる女が信じられずにいた。
リビングでのんびりとお茶を飲んでいる女性。
「何でお前がここにいる?」
「どうしてでしょう?」
わざとらしく、はぐらかされて、苛立ちに似た焦燥感を抱く。
状況が把握できず、俺は戸惑うしかできない。
「そんなことよりも海斗にお願いがあるのよ」
彼女はこちらの話を聞かず、自分の要求を口にする。
「しばらく私をここに泊めてくれない?」
くすっと微笑む彼女はそう言い放った。
「行くところがなくてね。捨て猫状態なの。助けてくれないかしら?」
この美女の名前は白銀紫苑(しろがね しおん)。
俺の高校時代の同級生。
一番辛い時期に傍にいて、同じような境遇で傷を舐めあっていた相手。
過去を思い出す自分に嫌気がさしながら、面倒な事になった事態に呆れて言う。
「紫苑。人の言う事を聞かない所は相変わらずだな」
今更、関わる気になれない相手がなぜかそこにはいた。
どんなに互いに身体を重ねても。
どんなに愛のある真似事をしても。
俺達に希望の朝はやってこない。
それを思い知らせてくれた相手が目の前にいた。