一つめ 和歌
菊姫の生まれですが1558年説と1563年説がありますが、1563年説を採用しています。
松姫さまが1561年生まれなので、2歳下の妹になります。
それは、幼いころ。
私と奇妙様が文のやり取りを始めたころ。
私が色恋を身近に触れるようになったころのことでした。
「いけませんっ、松姫さま!」
私が婚約してから、お百合が私を叱る声が日に日に多くなっていくのでした、
私の婚約に、当の私よりもお百合の方が盛り上がってしまって、事あるごとに口うるさく言うのです。
「松姫さま、女ならもっとおしとやか振舞わないと」
「もっと化粧や帯の色に気をつけて・・・あぁ~そのかんざしでその色は~!!」
「もっと可憐に振舞わないと、奇妙さまに嫌われてしまいますよ~」
・・・あぁ、もう!!
正直、うんざりしていました。
私はまだ色恋のことはわからなくて、奇妙様に対しても許婚と友達の区別もつかないまま文通を続けておりました。
けれど、そのような文のやり取りが私には楽しかったのです。気負い無く、好きな遊びや、食べ物や、近頃の面白きことなどを綴ることが、姫としての束縛感を感じることもなく夢中になっておりました。
そこに、男だの女だの型をはめたくなかったのです。
けれどお百合はその日も。私の部屋の中で。
「松姫さま!!歌のお勉強をしましょう!!」
楽しそうにお百合が和紙を広げます。
「和歌なんて難しそうで嫌です」
「嫌だなんて言わないで下さい。奇妙さまに恋歌でも贈って差し上げれば、松姫さまのことを教養も感性も持ち合わせた素敵な女だと思っていただけるのですよ!!」
・・・お百合の、色恋馬鹿。
私がそっぽを向いたとき、ドタドタと縁側を走る音が聞こえました。障子が勢い良く開き、菊姫の大きく甲高い声が響いたのでした。
「お姉さま!!一緒に遊んで下さい!!」
菊姫の突然の来訪に、私は内心助かったと思いました。
菊姫は私とは二歳違いの五歳の妹です。父上は何人もの妾を持ち、それぞれ子供を産ませておりました。その中でも私と菊姫は同じ母上から生まれ、年も近いこともあって私と菊姫はとても仲が良く、菊姫は私を慕い後ろをちょこちょことついて来るような、そんな妹でした。
「あっ、いけませんよ菊姫さま。松姫さまは今から歌の勉強を・・・」
まずい、せっかくの好機をお百合に押し切られては・・・
「待ってお百合。せっかく菊が来てくれたのですから、遊んであげても」
「私も一緒にお勉強するー!!」
菊姫が屈託の無い笑みがそんなことを申すのですから、私は唖然としてしまいました。
私が幼いゆえに色恋を知らない以上に、菊姫は「勉強」の意味を知らなかったのでしょう。勉強とは地味で面倒くさくてつらいこと・・・そのようなことを知らない菊姫は、私の側にくっついては、お百合の広げた和紙を覗き込むのです。
私も観念して、句が書かれた和紙を一枚手に取ったのでした。
「どうして、恋歌なんて面倒で分かりにくいことをするのです?好きなら『好き』とはっきり申し上げればいいではないですか」
「それでは情緒がないではないですか。恋心を四季の移ろいや世の無常になぞらえてこそ、綺麗に見えるものなのです・・・とは言っても、確かに松姫さまの申す通りかもしれませんね。ただまっすぐに『好いている』と言われるのも、素敵です。そういった歌もあるのですよ!」
お百合が散らばった和紙から目当ての歌を探していて、ふと隣を見ると菊姫がつまらなさそうに、はしたなく大きな欠伸をしておりました。
そんな菊姫を見て微笑む私に、お百合はきらきらとした瞳で私に一枚の和紙を渡しました。
「君がため・・・」
自然に私はその歌を読み上げていました。
君がため 春の野に出て 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ
あなたのために、若菜の摘みに行きましょう。春だというのに、私の袖には雪が降り積もっているのです・・・
幼い私でも、その歌の意味はわかりました。
「技法も簡単で直接的な歌でしょう?この歌は、昔の天子(天皇)さまが読んだ歌なのですよ」
「天子さまが、野山に出て・・・?」
「そうですよ~、帝のような高貴な方が、自分のために若菜を取ってきてくれるなんて、考えただけでも素敵じゃないですか~!」
また恍惚に浸るお百合を見て、本当に色恋馬鹿なのだからと、私は苦笑いを零しました。
ですが、何故か「君がため」の歌が気になって、私は視線を手元の和紙に下ろしたのでした。
雪の降る中、野山で野草を探すのは、さぞ寒かったのではないでしょうか。
何故、寒い思いをしてまで『君』のために野草を探すのでしょうか。
そういう気持ちのことを、お百合がいつも言う『色恋』というのでしょうか。
『好いている』と、『愛情』と、そう申すのでしょうか・・・
七つの私には、そんな気持ちを理解することはできませんでした。
けれど、お百合はそれを知っていて、あんな楽しそうな顔をしているのでしょう。
私も、大人になればわかるのでしょうか。
四つも年上の奇妙さまは、存じているのでしょうか・・・
菊姫とお百合の話している声が聞こえます。
「若菜って何~?」
「七草のことですよ。せり、すずな、菜の花に・・・」
「せりは苦いから、嫌い!」
「その苦味が美味しいのですよ。大人の味です」
私もせり、すずなは苦くて美味しくないと思いました。
菊姫も私も、まだまだ子供です。
その夜に、私は奇妙様への返事をしたためておりました。けれど、どのようなお返事を書けばいいか、どのような話題をお聞きするのか、少し悩んでおりました。
奇妙様に何と書けばいい?食べ物のことは・・・聞きましたし。奇妙さまが好きそうなこと・・・好きな虫とか?って虫は私が嫌いです・・・あぁでもないし、こうでもないし・・・
筆を遊ばせていたとき、お百合が選んだ和歌のことをふと思い出して、なんとなくその句を書いたのでした。
君がため 春の野に出て 若菜摘む
自分が句を発し、相手の下の句を作ってもらう。和歌の中でも、連歌という遊びです。
ですが七つの私は連歌など知らなくて、勉強の帳面の隅に書いた落書きのような、そんな意味のないものでした。
殿方への文に恋歌を送ることが、どのような意味なのかも知らずに。
急に和歌なんて小難しいものを送れば、奇妙様はびっくりなさるのでしょうか。
そんないたずら心と共に、私は意味無くその和歌を送ったのです。
恋歌を受け取った奇妙様がどのような反応をなされたのか、私にはわかりません。これからも、二度と知ることはできないでしょう。
そう考えれば、手紙というものは物悲しいものかもしれません。そこに書かれた言の葉以上の真意を、推し測ることができないのですから。
ですが、だからこそ感じるものがあるとも思います。
その和歌の返事は、二日経ち三日経ち・・・なかなか、返ってきませんでした。
そのようなことは初めてで、私はそわそわしてしまいました。
奇妙様は、何故返事を下さらないのでしょう?
お忙しいのでしょうか。お身体が優れないのでしょうか。
もしかして、私との文のやり取りに飽いてしまったのでしょうか・・・
もしかしたら、あのような和歌を送らないほうがよかった・・・
そのようなことすら思いながら、
七日目の朝、ようやく奇妙様からのお返事が届きました。
つい嬉しくなり、急いで封を空けると、
そこには弱く、小さく、たどたどしい自信の無い字で
我が衣手に 雪は降りつつ
奇妙様の返しの句を読んだとき、私は心が温かくなりました。
きっと和歌など贈られるのは初めてで、私が贈った句のことなど、何も存じておられなかったのでしょう。
けれど、懸命に調べて、時間がかかって、それでも真に正しいのかは自信が無くて。
恋歌を贈り返すその意味を、奇妙さまが存じていたのかは知りません。
ですが、やはり気恥ずかしさもあって。
小さく自信なさげに歌を返された奇妙様に、私は不覚にも『可愛い』と思ってしまったのです。
菊姫さんの登場です。後の上杉景勝の奥さんです。
当時の武将では当たり前なんですが、武田信玄も何人もの側室を持って、信玄の子供の中でも異母兄弟が多くて。正室の三条の方や、有名どころじゃ諏訪御寮人とか。
その中でも松姫さまと菊姫は「油川夫人」という同じ母親から生まれてます。
年も近いし、きっと仲が良かったんじゃないのかなぁと。
でも、まだ菊姫は4歳です。幼女です(笑)
同じように時代に翻弄される2人ですが、松姫さまの恋路を辿りながら菊姫の成長も描けたらなぁと。
長いお付き合いよろしくお願いします。